2021年11月25日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(4/9)

第2節 ──聞こえない音楽、静寂の笛

 キーツは、長編叙事詩『エンディミオン』で、ギリシアの神々をこんなふうに讃えています。

 ──, O ye deities,
 Who from Olympus watch our destinies!
 Whence that completed form of all completeness?
 Whence came that high perfection of all sweetness?

 (略)ああ神々よ、
  オリンポスの山々からぼくらの運命を見わたすものよ!
  まったく完璧に完成されたその姿はどこからきたんだ?
  まったく美しい最高の完成型それはどこからきたんだ?


 短い生涯に、キーツは三つの詩集を出版しています。
『エンディミオン』(一八一八年)は、ふたつめで、半年がかりで完成させた四〇〇〇行におよぶ力作です。本人も出世作・代表作になると期待していました。
 しかし待っていたのは酷評でした。
 話がそれるので事情は略しますが、「エンディミオン」に書かれた、さまざまなイメージやモチーフや思想は、以後の詩にも、たびたびあらわれます。書きたいことにこだわり続けた面もあるでしょうが、仇をとりたい気持ちもあったのではないでしょうか。そう思うと、すこし胸が痛みますが、おかげで、とても長い「エンディミオン」を読むと、この詩を読む助けにもなります。

『Grecian Urn』の、この節では、美しい神々に選ばれ見守られているらしい、やはり美しい若者たちが「つぼ」に浮き彫りになっていて、白い清潔さで静止画になっているのがわかります。
 若い恋人どうしは、キスする一瞬前に、神々に永遠に動きを止められてしまっています。残念すぎです。
 でも、それは悲しむことではないとキーツはいいます。
 みずみずしい愛の美しさが、完璧な瞬間で静止しているからです。
 キスしようとしているのは、愛情を通じあい心が結ばれたふたりです。でも唇がふれ合う直前で、永劫、キスできずにいます(never, never canst thou kiss,)。ですが、いちどキスしたら、つぎのキスからは淫らな下心がある。からだの交歓です。それも終わって昂ぶる気持ちが静まれば、わずかな期待はずれ──失望とさえいっていいと思いますが、そうした美しくない感情が、避けがたく起きるのです。レリーフに描かれた恋人たちは、永久にそれを経験しません。まさに「still unravish'd」(いまだに陵辱されていない)な愛の成就、つまり真実の美しい愛のすがたを、とどめているのです。
 そもそもこのレリーフは、ほんもののギリシア時代の古壺や彫刻を見てはいたが、想像力だけで詩のなかに描いた「つぼ」の表面にほどこされたものです。詩を書く人の想像力が見いだす美しさは、発見したときすでに真実の美なのだと、キーツは確信しています。『Grecian Urn』の最後のところは、突拍子もないようにいわれてもいますが、キーツの信念の念押しなのです。ここで、それがわかります。

『Grecian Urn』を書く一年半ほど前、「エンディミオン」の完成直前に、キーツは、つぎのような箇所がある手紙を、友だちのベンジャミン・ベイリー(一七九一〜一八五三)に送りました。有名な一節です(一八一七年十一月二十二日)。
 ベイリーは、キーツよりすこし歳上のオックスフォードの学生で、学歴のないキーツにはいなかったタイプの友人ですが、キーツの詩才を認めて、勉強中の哲学などの分野をキーツに伝授したそうです。

  O I wish I was as certain of the end of all your troubles as that of your momentary start about the authenticity of the Imagination. I am certain of nothing but of the holiness of the Heart's affections and the truth of Imagination - What the imagination seizes as Beauty must be truth - whether it existed before or not - for I have the same idea of all our passions as of love: they are all, in their sublime, creative of essential beauty. ──I am more zealous in this affair because I have never yet been able to perceive how anything can be known for truth by consecutive reasoning - and yet it must be. Can it be that even the greatest philosopher ever arrived at his goal without putting aside numerous objections? However it may be, O for a life of sensation rather than of thoughts! It is a 'Vision in the form of Youth,' a shadow of reality to come.

 ああ、想像したことは真実だということに、君(ベイリー)がしばしつきあってくれるのを信じているのと同じように、君のトラブルもすべて解決すると確信できたらいいがなあ。ぼくは、心からの愛情にある神聖さと、想像力による真実だけを確信している──想像力が美ととらえたものは真実にちがいないんだ──それがすでに存在していようといまいとね──なぜなら、ぼくらの情熱すべては愛であって、そのすべてが最高の状態をきわめているのだから、完全な美を作るとも考えているからだ。(略)ぼくは、このことにとりわけ熱中している。というのもぼくはこれまでに、なにごともそれが真実かどうかは、終始一貫した理屈でもって了解できたためしはないし、いまだってそうにちがいないから。偉大な哲学者だって、山ほどある異論をわきにどけずには、結論に達することなんかできやしないだろ? よしんばできるとしても、思考より感覚に生きる人生を、だ! これは「まだ若い未熟な形で見えるもの」、つまり来たるべき実在が落としている影のようなものなんだ。


 もともと、ベイリーがキーツと共通の知人ともめたのを心配して書いた手紙なのですが、キーツは「わが友ベイリーにお願いしたいんだけど、今後、ぼくに何か冷たいところを見つけたからって、ぼくが心がないせいだなんて思わず、いまのぼくは抽象的に考えているせいだと受けとってほしい」と断りはするものの、こんなふうに自説を語りまくっています。
 セヴァーンといい、このベイリーといい、キーツはなんと友人に恵まれたことか──ベイリーが、ほんとうに好きな女性と結婚せず『政略的』に結婚相手を選んだとき、友情は終わったそうですが。

■聞こえない音楽と来たるべき実在の影

「想像力が美ととらえたものは真実にちがいない」もさることながら、それを受ける形で、理屈で考えるより感覚を信じることで、「来たるべき実在」を見つけることができるといっている、キーツの「メッセージ」。
 それを読だら、この節でむずかしく感じていた「聞こえない音楽」という句が、わかったように感じました。調べてわかった気になるのでは、キーツにいわせれば、まだまだでしょうが……。

 Heard melodies are sweet, but those unheard
  Are sweeter; ;

  耳にとどくメロディは心地よい,でも
   もっと甘美なのは聞こえない音楽なんだ;


 音がしない「音楽」なんて、どう聴くのか、と思って、読み進められなくなっていたのです。
 Not to the sensual ear, ──音を聞こうとする耳にでなく、魂へ奏でられる、聞こえない音楽とは? ジョン・ケージ(John Cage;一九一二〜一九九二)みたいなことなのか、などと、よく知りもしないくせに、こざかしく情報や理屈に傾きかけたものです。
 理屈では、なんとかわかる気もするのですが、このあとで「つぼ」に浮き彫りになっている音楽家たちの姿も見えますから、やはり音楽は鳴り響いているはずです。けれども、美しい愛の至高の瞬間は、すこしずれても美しさを失いかねませんから、音楽も、その瞬間で止まっているわけです。世俗のガチャガチャした音楽を想像で鳴らさずに、心の耳で、無音の純粋な音楽≠聞こう、ということでしょうか。

 キーツには音楽の素養もあったそうです。音楽史上のロマン派が席巻するのは、やや時代が後で、好きなのはハイドン、ヘンデルや、モーツァルトだったらしいです。ただしアマチュア演奏がある芸術愛好家らの集まりは、好きでなかったようですが。
 また、解説できる知識がありませんが、詩の音韻(音調)にも、とてもこだわっていたそうです。

 O Goddess! hear these tuneless numbers, wrung 
  By sweet enforcement and remembrance dear, 

  女神よ! この歌を聞いてくれるかい 調子っぱずれだけどさ
   美しい記憶がやさしく背を押すから なんとか作ったからね

──『Ode to Psyche』(プシュケーに捧げる)


 そういえば『Ode to Psyche』で、キーツは歌っています。『Grecian Urn』のような想像の世界で。

 So let me be thy choir, and make a moan 
  Upon the midnight hours; 
 Thy voice, thy lute, thy pipe, thy incense sweet 
  From swinged censer teeming; 
 Thy shrine, thy grove, thy oracle, thy heat 
  Of pale-mouth'd prophet dreaming. 

  そうだ ぼくを あなたの聖歌隊にさせてください
   真夜中に 静かに歌わせてください
  あなたのための歌声に あなたの リュートに パンフルートに
   振り回される香炉から あなたへ漂っていく甘い香りになりたいのです 

──『Ode to Psyche』(プシュケーに捧げる)



 ですから、この『Grecian Urn』でも、いかに甘美な音楽が鳴り響いていることか。
 いや、たしかにそういう雰囲気の描写ですが、音はありません。無音だということが強調されています。
「思考より感覚の人生を」というキーツは、そうしていて発見できた「像」は「来たるべき実在」だともいいます。
 じつは、動きも色も音もない美の最高の静止画は、それが浮き彫りになった「つぼ」そのものが「still unravish'd」である以上、永遠の存在ではないと考えることもできます。すなわち「つぼ」は、いまそこにありながら、来るべき実在の影にすぎない、ともいえるわけです。
「聞こえない(unheard)音楽」とは「まだ聞いていない=これから聞く(unheard)音楽」である、ということもまた、いえないでしょうか。

 Was it a vision, or a waking dream?
 Fled is that music:─Do I wake or sleep?

  これは幻だったのか それとも白日夢だったのか
  歌声は消え去った:──ぼくは目ざめているのか それとも 眠っているのか

──『ODE TO A NIGHTINGALE.』(ナイチンゲールへのオード)


「聞こえない(unheard)音楽」とは、想像の世界からの目ざめとともに認識できる「来たるべき実在」の手がかりです。いや、すでに現実のほうから幻のなかに、響き続けていたものだった、といったほうがいいと思います。キーツは、幻想と現実を行き来しているのですから。
 だとすると、目ざめとともに認識する実在とは、どんなものなのでしょう。明晰な意識で受容すべきものなのだろうか、それとも、現実というものはすべからく、みすぼらしくわびしいものにすぎないから、また美的陶酔の世界へ戻っていく、という結末なのか。
 はたしてキーツはどういう選択をするのでしょう。

第3節 ──もっと幸せな、もっと幸せな、幸せな愛

 ここまで、自分なりになんとかやっつけたら──それじゃ詩の鑑賞どころか苦行ですが──この節は、すんなり読めました。
 キーツがとてもよく使う、否定や反語を重ねたり連続させたりする表現も、なくはありませんが、解釈に迷うほどではありません。

 気になるところがあります。
 happy の繰り返しです。
 いちばん幸福な姿でレリーフになったものたちへの賛美は、ここで、ほとんど熱狂の様相を帯びてきています。気持ちはわかりますが、精神の祝祭のなかで、ねじが飛んでしまったような happy の連呼が気にかかるのは、わたしだけでしょうか。
 キーツのほかの詩にも出てきますし、キーツだけの表現ではないかもしれないです。手紙では、ふざけているのか、よく繰り返しをしています。ネイティブが読んだり聞いたりするには、なんの不自然もないのかもしれません。
 しかし、ほかの詩のときもですが、はっぴ〜はっぴ〜と繰り返しているなんて、なんだかアホみたいなのです。詩というものは、ひとつの意味を、もっとデリケートな単語をあれこれ使って、いい換えるように表現しないのでしょうか。
 あまつさえ、More happy love! more happy, happy love! とは。
 もあはっぴ〜らぶ! もあはっぴ〜、はっぴ〜らぶ! ですか……。
 キーツでなくとも「いったいどうしたことだ」と、いいたくなります。うわごとのような感じです。呪文めいた happy は、麻薬や薬物の中毒症状のようです。第一節の「wild ecstacy」を思い出すいっぽう、陶酔と虚脱がいりまじった「だるさ」もあります。違和感があるのです。

 キーツは「まったく完璧に完成された」「まったく美しい最高の完成型」に、息苦しさを感じつつあるのではないかと感じるのです。
 たしかに、そういう気持ちが、くりかえされる称賛のなかに、わずかずつ、こぼれ出てきています。

 All breathing human passion far above,
  That leaves a heart high-sorrowful and cloy'd,
   A burning forehead, and a parching tongue.

  あらゆる息吹きが ぼくら人間の情熱を はるかに超えて,
   羨みの愁いで満たし もうたくさんだとさえ思わせる,
    ぼくの心を,熱に冒された額を,乾ききった舌を.


 ここがそうだと思うのです。
 はじめて読んだときは意味をとるのに困り、進めなくなったところです。やむをえず訳詩集や研究書で邦訳をいろいろ見ましたが、確信が持てる訳が見つかりませんでした。ここでは上のように訳し、そう解釈しています。
 That leaves から後すべてを human passion とはとらず──そのほうが正しいかもしれませんが──「熱に冒された額を,乾ききった舌を.A burning forehead, and a parching tongue.」は、「人間 human」でなく、キーツのことと解釈しました。
 体調がすぐれず、短命の可能性がある病をなんとなく意識せざるをえず、怠惰な意識と覚醒を行き来するキーツのようすを、読みとったつもりです。真の「happy」は、この詩が終わった、そのあとにあるものではなかろうか、とも思ったからです。はたと気づいた状態に、あらためて向かいあい、いかなる生きかたをすることが「happy」なのか──つぎの節から、キーツはそれを語っていっている、そんなふうに訳していきました。

惑溺と目ざめのなかで創作にかけた命

 キーツが、ひどい喉の痛みと咳に悩まされはじめるのは、『Grecian Urn』を書くわずかに前の、一八一九年二月ごろからです──前年夏の旅行で体調が悪化したときからという説もあります──看病していた弟のトムが結核で亡くなったのが、もうすこし前の一八一八年十二月、キーツが同じ病気だろうと自覚するのは、一八二〇年二月です。
 キーツの詩で「偉大なるオード」といわれる作品──数えかたがいろいろあって四編から六篇──のうち、この『Grecian Urn』をいれて四つが、一八一九年に二十三歳で(!)書かれています。「奇跡の年」と称されますが、『Grecian Urn』をふくめた三つは、なんと同年五月ひと月で書かれて──『To Autumn』は九月──いるのです。
 その性急さ、創作力の爆発からしても、キーツには短命かもしれないという認識があったのではないでしょうか。
 もっとも、母も弟も結核で亡くし医学生でもあったので、自分も同じ病気になりかねないと早くから意識していたという推測は、早計かもしれません。
 結核菌の発見と感染性の判明は、六〇年以上さきです。キーツのころは、性欲が激しいと結核になる、あるいは、結核に罹ると性欲が激発する、という風説さえもまかりとおっていました。当時の医学がそれを払拭していたとはかならずしもいえず、キーツ自身その俗説に悩んだふしもあります。

 詩そのものから読みとりを続けましょう。
『Grecian Urn』のみならず、キーツのオードおそらくすべてが、そしてキーツの詩のかなり多数もまた、ほぼ同じような展開をしていることがわかってきます。
 白日夢のように古代や神話のファンタジーへ惑溺することにはじまり、賞賛と昂ぶりに満ち、そして例外なくその熱狂は去って、冷え冷えとした目ざめがやってくる──そういう話の組み立てです。
 この詩でも、なかばほどのこの節で早くも、想像と真実の幸福な出会いが、うすら寒いように魅力を薄れさせはじめます。
 じっさい、キーツ自身はそれをとうに経験ずみですし、「つぼ」のレリーフの正体だって承知しているのです。こんなふうに……。

 Fade softly from my eyes, and be once more
 In masque-like figures on the dreamy urn;
 Farewell! I yet have visions for the night,
 And for the day faint visions there is store;
 Vanish, ye Phantoms! from my idle spright,
 Into the clouds, and never more return!

  そっと ぼくの視界から消えちゃってくれ そうして もと通りに
  仮面で変装した姿で、ぼくの夢だった壺の絵に戻ってくれ
  もう会わないぞ! いまだって夜は想像の幻を見ているんだ
  昼間は ぼんやりしたその幻で、在庫いっぱいってところだからな
  消えてしまえ お前たち幻影よ! ぼくの 虚脱した精神だけを残して
  雲の中へ消えてくれ そしてもうけっして 巡ってこないでくれ!

──『Ode on Indolence』(怠惰のオード)



【5/9】へつづく(ケ)


■ 【1/9】は→こちら←
■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 16:00:00


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年11月24日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(3/9)

第1節 ──静寂の花嫁

 Thou still unravish'd bride of quietness,
  Thou foster-child of silence and slow time,

  壺よ 静寂の花嫁よ いまだに純潔な 壺よ,
   壺よ 沈黙と たゆたう時間にはぐくまれた 壺よ,


 古代ギリシアの「つぼ」が、これから静寂に嫁ぐ、あるいは式を終えたばかりの、純潔の花嫁にたとえられている、ということは、すでに見たとおりです。
 マーブルカラーというのでしょうか、すこし色味のある白い大理石にレリーフがほどこされた、大きな花瓶を想像しました。白を思い浮かべるうちに、いかにもギリシア神話ふうの長衣をまとった、若い娘の姿もあらわれます。
 その「つぼ(娘)」は、静けさとゆるやかな時間を長く経てきたというのです。だから若い娘の姿をしていても、昔語りができる「森の歴史家」なのだといいます。
 そんな「つぼ」が語るにまかせたほうが、なまじっか詩人が書き直すより、すばらしいストーリーになるよ、という表現は、メッセージのひとつ「ネガティブ・ケイパビリティ」を想起させますが、そのことは、あとのほうで話します。

 A thing of beauty is a joy for ever:

  美しいものは永遠の喜びだ


 この詩を書く一年前にキーツが刊行した長大な叙事詩『エンディミオン』の第一行は、そうなっています。そのすこしあとに、こんなフレーズもあります。

 Nor do we merely feel these essences
 For one short hour; no, even as the trees
 That whisper round a temple become soon
 Dear as the temple's self, so does the moon,
 The passion poesy, glories infinite,
 Haunt us till they become a cheering light
 Unto our souls, and bound to us so fast,
 That, whether there be shine, or gloom o'ercast,
 They alway must be with us, or we die.

  ぼくたちは、これら美のエッセンスを
  ほんの短い間には感じとれない;神殿をとりまきささやく木々が
  神殿そのものに親しく合体するぐらいでなければだめだ、そうなれば月も、
  詩の情熱も、永遠の輝きも、
  魂を励ます光となり、ぼくたちに固く結ばれるほど、しみわたる
  陽光のときも、鬱々とする曇り日も、いつも
  ぼくたちとともにあるはずだ、でなければ ぼくたちは死んでしまう


『エンディミオン』の出だしで、『Grecian Urn』と同じことが、すでに語られているわけです。
 大理石の神殿のまわりの樹木が、枝や蔓(つる)をさんざんからませ朽ちかけても、いや、むしろ木々の生命が石の間に入り込んだことで、その生命と永遠な美が合体したかたちになった神殿こそが、いつまでも頼れる真実の美だ、というイメージです。
 したがって『Grecian Urn』の「つぼ」も、はるか神話の時代からいままで存在し続けていて、しかもけがれなく美しいままでなければなりません。キーツと読者が生命の視線をこれから注ぎこむ神殿≠ネのですから。

繰り返される疑問符とリアリティ

「つぼ」は、表面に浮き彫りになっている神話物語を、見せてくれます。
 ギリシア神話でおなじみの、美しい神々と人間とが、ときにはドタバタ喜劇めいた交歓さえする、いきいきしたストーリーです。
「つぼ」に応えてキーツは──これは「つぼ」を見ている詩の語り手ですが、キーツのことと解釈しました──その浮き彫りはどういう場面なのかと、しつこいほど疑問符をつけて応唱します。
 キーツのオードは、ギリシア時代のほんもののオード(頌歌)の、面倒な決まりに合わせて書かれてもいるそうで、説明できる知識はないですが、なおさらキーツのオードは英語の詩で無二のものとされるようです。それとはべつに、「つぼ」への呼びかけは、ひとりでしているようにも、集団が合唱しているようにも感じます。
 その多層な響きでもって、なんども疑問形がくり返されるから、こちらも「なんだろう」と強く感じるのです。おかげで「つぼ」に描かれた光景が、くっきりとわたしたちの心に描かれていくのです。

 どうでしょう、浮かんできたでしょうか。
 無理でも心配はいりません。大英博物館にある、タウンリー・ヴァーズ the townly vase を見てください。わたしもそうしました。
 キーツが実際に見た古代ギリシアの壺はふたつあることが、イアン・ジャックという英文学者が一九六〇年代後半に発表した著書によって、定説になっているそうです。キーツは自分でギリシアの古壺を線画で描いてもいますが「タウンリー・ヴァーズ」によく似ています。
 ほかに、返還問題で近年大きな話題になっているパルテノン神殿の彫刻、エルギン・マーブルズ Elgin Marbles も、いいでしょう。そちらも、ギリシア神話ファンのキーツが大英博物館で見ていたく感動し、詩のヒントになったことがわかっていますから。
 読む前に「さし絵」を見るのは、よくないかもしれません。しかし直訳にさえ苦労する詩ですので、どんな助けもありがたい。迷わずそれらの写真を見て読みました。

211203tv.JPG 211203jk.JPG 
左:The Townly Vase 二世紀ごろ
The Trustees of the British Museum
右:キーツが描いた Sosibios Vase 紀元前五世紀後半
public domain

 いまだに気になるのは「wild ecstasy」です。
 想像上の「つぼ」のレリーフが思い浮かび、動画のようにアクティブなさまを感じるのですが、つぎの節で、それらが真っ白く静止した存在だと知らされるのです。だとすると「とんでもない大騒ぎ」ぐらいに解釈しておくのがいいようです。
 しかし、まさに酒池肉林のまっ最中でもあるかのような、淫らな感じもします。それはやはり、わざわざ「unravish'd」という語が使われたせいです。
 性的奔放さをもった純潔な乙女という、アンビバレントなイメージにつきまとわれます。キーツの実際にアンビバレントだった女性関係が反映している、と想像したくもなります。その話も、あとでしましょう。

【4/9】へつづく(ケ)

■ 【1/9】は→こちら←
■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 15:00:00


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年11月23日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(2/9)

 このブログは、三人で同人誌ふうに書いています。
 べつの筆者が書いた文を読んで、ジョン・キーツをはじめて知りました。

 その文では、キーツが若いころのエピソードが紹介されています。若いころといっても、キーツは二十五歳で亡くなっているのですが。
 キーツの親しい友人で、キーツの転地療養にイタリアまでつきそい最後をみとった、画家のジョセフ・セヴァーンの回想です。キーツが元気だったときのことです。

 一八一七年の初夏、キーツとセヴァーンはロンドン北部の、広大な森林と野原からなるハムステッド・ヒースへ散歩に行きました。
 ロンドンでもっとも高い場所なので──いまは高級住宅街が隣接しています──丘から麦畑が見渡せ、爽やかな風が吹き渡っていたそうです。
 キーツは風に揺れる麦穂を見ると、波だ波だ、といって大さわぎしました。
 面白いものを見つけると、身振り手振りでまねしてさわぐ癖があり、ロンドンの市中でも平気でやったそうです。じつは当時の自称ロマン派たちが流行のようにやったことだそうですが、キーツはとても小柄だったから、風で波うつ麦畑を海に見たててドタバタしていると、海水浴にきた少年のようだったでしょう。ほほ笑ましさのなかに若い感性が輝く、胸がおどる夏のエピソードです。

 その直前まで、医学修業生として、曲がりくねった不潔な路地に下宿し、現代医療からすれば悲惨な環境にまちがいなかった当時の病院や医学校にかよったキーツです。
 開業資格試験には合格しているので、まじめに修業したことはたしかですが、医療や薬事にはどうしても向かなくて、詩人になりたいと、つねづね思っていたようです。講義中に夢想にふけったり落書きしていたこともあったとか。
 ハムステッド・ヒースでのエピソードは、前年の冬に医業をやめて詩人になると決意、つぎの春に初詩集を出版して、病院を去ったばかりのときのことです。

 キーツから逃れようとするものは、なにひとつないように見えた。鳥の声、繁みや垣根からの虫の音、動物の鳴き声、緑や褐色に変化する光と影、風のざわめきなど、すべてキーツと共にあった。
──セヴァーンの回想

 子どもじみた大はしゃぎをするキーツの解放感には、セヴァーンでなくとも共感できます。しかもセヴァーンは、そのようすに、こまやかな自然のありようを鋭敏にキャッチできる、詩人の感性をも見てとりました。セヴァーンの画家としての未来はまだこれからですが、かれもまた、いまひとりの芸術家でした。
 友情と尊敬のまなざしでキーツを見守る、セヴァーンの姿も想像できます。なおさらにいい気持ちになります。

両親を亡くし医療を学ぶ

 そのころキーツは、体の弱かった弟のトム──キーツの命も奪った結核で十九歳で亡くなります──の健康のため、ロンドン市街からハムステッド・ヒースに間近いウェル・ウォークに越していました。
 Well Walk とは、うがった町名です。キーツはおりあればハムステッド・ヒースを散策し、思索にふけったり、友人と詩の読み合わせをしたりしていたそうです。
 ずいぶん昔のことですが、近くまで行ったのにハムステッド・ヒースの存在を知りませんでした。もっとも、ジョン・キーツの名も詩の一行も知りませんでしたが。
 ロンドンの公園は市街を遠く感じる空間です。日本の都市公園のつもりで行くと信じられないほど大きな木々があり、林の間を長い小径が通っていたりして、驚かされます。
 波だ波だとはしゃいだキーツたちと同い歳だったころは、東京の安っぽい騒音と装飾のなかでガチャガチャ暮らすことが、いいことなんだと思いこんでいました。とても多くの人と知り合いでしたが、そのなかに友人はおらず、昔の友だちに会うことはめったにありませんでした。散歩しながら思索など、したことがありません。
 作品の一行すら知らない若い詩人のことを、人生の日暮れどきにはじめて知ったとき、なぜか、ひどく心をうたれたのです。

 ちらほらと訳詩集をひろい読みしてみると、キーツは自然を愛した自由人なのだろうと思いました。そして、その自由が得られた当時のイギリスの上流階層の、教育のある高踏派ではと、かってに想像していました。ギリシア神話や古代の物語をつぎつぎに題材にしているからには、一流の歴史教育をうけて、多くの本を読んでいるはずだからです。
 もちろんそれは見当ちがいでした。

 ハムステッド・ヒースでのひとときから、わずか三年半ほどで、キーツは結核が悪化し亡くなります。ロンドンの冬は越せまいから、すこしでも温暖なところで療養してはとすすめられ、無理して行ったイタリアのローマで。
 映画『ローマの休日』で、ヘップバーンがアイスクリームを食べていた、スペイン広場にあったという部屋での最期でした。
 詩人として活動できたのは、五年に満たないほどでした。

 キーツは、上流階級出身ではありません。父親は貸馬車屋の馬丁です。それでも、子どもたちの教育に熱心で、家計が許す限り、いい学校へキーツと弟を通わせてくれました。
 しかし父親は、キーツが十歳にならないうちに事故死し──当時よくあった、馬による「交通事故」で──それから三か月もたたずに母親は再婚、家を出ていってしまいます。その母も数年後、結核で亡くなりました。
 キーツは弟妹ともども祖母に引き取られ、祖母の主治医(薬剤師・外科医)に弟子入りして修業することになって、学校をやめざるをえませんでした。それが十五歳のときです。まもなく祖母も亡くなり、祖母が決めておいた後見人に、キーツたちの将来は託されます。
 それなりに財産はあったようですが、財産を管理した後見人は教育にも芸術にも理解のない商人で、資産を運用し遺児たちを支えてあげる気もない男だったようです。自分のカネでもないのに、支給をいちいち渋ったのも疑わしい。
 通った学校にいた年長の友人の影響で──校長の息子で素養が豊かでした──文芸に親しみ詩を作り、詩人になりたいと望みつつあったキーツは、医業修業に専念するしかありませんでした。

 医学でなく医業や修業と書いたのは、現代の医学部や臨床医とは違うからです。二百年前ですから。
 詩人として活動した期間より、医業修行の年月のほうが長いので、病院を離れて詩人になっても、詩の背景に科学の思考があると考えたいのですが、十九世紀初期のイギリスの医療は世界的には進んでいたかもしれませんが、とてもそんな話にはなりません。
 治療は医師と、外科医、薬剤師にわかれて──後者ふたつはしばしば兼業──いて、医師とは、オックスフォードやケンブリッジの医学部で学んだ少数エリートです。超富裕層のための存在でした。
 キーツが身をおいた外科と薬科は、徒弟制と専門学校で修めるものだと思ってください。床屋が外科医を兼ねるのは、さすがにキーツの時代の五十年くらい前に終わっていますが、まだ有効な麻酔も正しい消毒も発明されていません。解剖実習に墓地から盗み出された死体が使われていたような時代です。
 修業を終えるころのキーツは、自分の器具も持ち、抜歯やケガなど小規模な手術は手がけていたようです。しかし、外科治療の場や病院は、現代からすれば地獄絵図だったのでは。それがいいすぎなら修羅場でしょうか。似たようなものですが……。

三つのメッセージを手がかりに

 前説が長くなりましたが、『Grecian Urn』について、自分なりの解釈を説明していきます。もちろんそれは私訳にも反映しています。この詩に集中して書きますが、キーツの「オード」すべてに、またそのほかの詩の多くにも、通じるところがあると思います。
 キーツの生涯は、詩に関係ありそうなところを書きますから、前後関係がわかりにくいかもしれません。日本語の評伝は二、三あります。キーツの手紙はたくさん残っていて、後世の研究に寄与しましたが、かんじんのことで、推測するしかないことも多いようです。

 『Grecian Urn』を読むのに、その手紙のなかから、キーツのメッセージの手助けを借りました。
 それは、@ネガティブ・ケイパビリティ Negative Capability A魂創造の谷 vale of Soul-making B想像力が美ととらえたものは真実である What the imagination seizes as Beauty must be truth ──というものです。
 どれも、研究者は看過できない有名な思想だそうですが、ここではメッセージ≠ニしました。手紙に書いたことだからです。
 キーツは、残念ですが存命中に大きく評価される機会がなかったから、思想や詩論を出版できないので手紙に書いた、ということもあるでしょう。いっぽう、弟たちや友人への親しい語りかけや訴えだったことは、気にとめておきたいのです。

【3/9】へつづく(ケ)

■ 【1/9】は→こちら←
■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 16:00:00


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年11月22日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(1/9)

 一行めで、いきなりつまずいてしまいました。

 still unravish'd bride of quietness,

 bride of quietness とは、いったいどんな花嫁≠ネのでしょうか。
 月の「静かの海 Sea of Tranquility」のような、「静けさ(という名)の花嫁」なのか。それとも「静けさのものになる(嫁ぐ)花嫁」ということなのか。

 still はどうでしょう。「いまだに unrabish'd な〜」なのか、それとも「じっとしている unravish'd bride of quietness」ということでしょうか。

 unrabish'd が、さらにむずかしいのです。
 純潔(処女)であること、つまり古代遺跡から発掘された古壷なのに、新品のように美しいといっていると思うのですが、そう表現せず、「強奪」とか「陵辱」という、ひどく粗暴な意味を「un」で打ち消す語を、わざわざ使っています。
 ということは still を「いまだに」ととれば、「いまのところは大丈夫だけど〜されてしまうかも」という、不安な意味も感じるわけです。古い英語では unrabish'd に「この世から奪われていない」という意味もあるようですが、その場合も still を同じように解釈すると、花嫁にたとえられた「つぼ」の存在感はあやふやになり、花嫁の姿が、うたかたの夢のように感じられもします。

 かならずしも古めかしい表現として使われてはいないらしいのですが、見慣れない単語だから Thou という呼びかけからして、誰に向けられているのか、やや悩みました。
 これは詩の最初と最後を読むことで、「つぼ」に呼びかけているのだとわかりました。
「つぼ」は、花嫁にたとえられただけでなく、キャラクターをもった存在として描かれているわけです。二行めと三行めで「養子 Thou foster-child」そして「歴史家 historian」と呼んでいるので、「つぼ」は「静寂 silence」と「ゆるやかに進む時間 slow time」に育てられた娘≠ナあり、これから「静けさ quietness」と結婚する、もしくは式をあげたばかり、と考えられます。
 なぜ「養子」や「里子」なのか、という疑問もありますし、森に住む歴史家か語り部だといわれると、若妻でなく老賢者のような感じもするので──差別的な意味ではなく──矛盾している気もします。
 こうした小さなひっかかりは、そのままにさせてください。さきへ進めなくなりますから。

英語で書かれた詩で、もっともすばらしく、かつ難解な……

 じつは、ジョン・キーツという詩人(一七九五〜一八二一)のことはほとんど知らないまま、詩を読んできました。
 この『Ode on a Grecian Urn』は、英語で書かれたあらゆる詩で、議論の余地なくトップ級の詩とされていることを、苦労して読んだあとで知りました。さらにのちに、やはり英語で書かれたあらゆる詩で、もっとも複雑でむずかしい詩とされていることも、わかりました。

 複雑でわかりづらい詩が名作だなんて、すぐには納得できなかったのですが、へんな安心感もありました。英語で読んですらすら理解することは、ほとんど不可能だったからです。
 キーツの名と作品は、映画『ローマの休日』にも出てきます。コメディ調の場面で、ごくふつうに。ある一文がキーツの詩なのかシェリーのか、オードリー・ヘプバーンとグレゴリー・ペックが、いい合いするシーンです。
 英語の詩を英語で読むという分不相応なことをいきなりやったとはいえ、そんなに有名な詩人の詩なのに、直訳もできないほどわからない。これじゃ、どの英語の詩も永久に読めないと、まあ、がっくりきていたわけです。
 でも、英語を話す専門家たちでさえ迷ったり議論になったりするなら、へこみきってしまうこともないんだと、すこしだけほっとしました。

 といっても、詩の解釈は読む人の自由だから、好きなように意味をとればいい、ということではありません。
 いきなりそんなふうに読んだら、たいへんに痛切な思いで詩人として生きようとしたが、希望かなわず短い生涯を終えたキーツを、侮辱することになります。詩の表面に現れているものに、解釈力を集中させなければいけないと思いました。
 いっぽう、詩をひとつ読むたびにキーツのことをすこしずつ知るにつれ、若い詩人が詩の中で、どんなふうにたたずんでいるのか、自分がやれるかぎりの正確さで、その姿を見つけたいとも、考えるようになっていきました。
 ひとりの詩人が書いたのだから、いくら解釈がむずかしい詩だろうと、詩人の姿はなんらかの状態で確実に詩のなかにあるはずです。

 しかし、この『Grecian Urn』もそうですが、これまで訳したキーツの詩も、なんとかキーツの姿を探して読み、訳ができたと思うと、ふと、そのキーツが自分が書いた詩をべつの場所から、人ごとのようにながめているようにも感じるのです。そこがキーツの詩がすぐれている理由のひとつではと思いながらも、つらいものがあります。
「わからない」ことは耐えがたいからです。あとで紹介するキーツの考えとは正反対ですから、キーツの詩の読者には向いていないのかもしれません。なのに、どうして意地になったように、訳をやり続けたのでしょう。分不相応を重ねることになってしまうのに、訳を、誰もが読めるような表現で、いかにも若い詩人のことばづかいふうにしようなんて。
 ワーズワースやコールリッジ、シェリーやバイロンは、名前を知っているだけで、イギリスの詩人でロマン派の──なんてまったく知らなかったし、一作とて意識して読んだことはありません。そのなかのキーツであるということもわかりません。いまあげた詩人たちの詩は、キーツの詩をいくつか訳したいまでも、ぜんぜん読んでいないのです。
 なぜキーツだけに、こだわったのか……。

【2/9】へつづく (ケ)


■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 16:00:00
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2021年11月10日

“Night and Day” 〜 コール・ポーターの「夜も昼も」とジャングルの謎

 コール・ポーターが作詞・作曲した「夜も昼も」。あまりにも有名な曲なので、わざわざ取り上げる必要もないと思う一方で、ちょっと気にかかる点があって、あえて和訳することにした。


Like the beat beat beat of the tom-tom
When the jungle shadows fall
Like the tick tick tock of the stately clock
As it stands against the wall
Like the drip drip drip of the raindrops
When the summer shower is through
So a voice within me keeps repeating you, you, you

Night and day, you are the one
Only you beneath the moon or under the sun
Whether near to me, or far
Its no matter darling where you are
I think of you
Day and Night

Night and day, why is it so
That this longing for you follows wherever I go
In the roaring traffics boom
In the silence of my lonely room
I think of you
Day and night

Night and day
Under the hide of me
There's an oh such a hungry yearning burning inside of me

And this torment wont be through
Until you let me spend my life making love to you
Day and night, night and day

太鼓の音がズンズンズンと響いて
ジャングルにとばりが落ちるころ
壮麗な時計はチクタクチクタクと鳴りながら
壁にそびえ立っている
雨垂れがポタリポタリと落ち始め
にわか雨は行ってしまった
そして心の中の声は繰り返し呼び続ける
きみ、きみ、きみ、と

夜も昼も きみこそがすべて
月のもとでも太陽の下でも きみひとり
近くにいても 離れていても
どうでもいい 麗しのきみがどこにいようと
きみのことを思っている
昼だって夜だって

夜も昼も なぜだかわからない
きみを思い続ける気持ちは どこにいても同じ
ブーブーうるさい交差点でも
ひとり静かな部屋にいても
きみのことを思っている
昼だって夜だって

夜も昼も
この肌の下では
くらいつきたいくらいの恋焦がれる思いが
こんなにも燃えたぎっている からだの中で

この苦しい思いはきっと終わらない
人生をきみに捧げさせてくれるまで
昼も夜も 夜も昼も


 “Night and Day”は、ブロードウェイのミュージカル”The Gay Divorce”(陽気な離婚)の挿入歌。1932年の初演時に舞台で歌ったのは、フレッド・アステアだ。アステアは、長年コンビを組んでいた姉アデールが結婚で引退したのに伴い、ソロダンサーとして映画界に進出しようとしていた時期。ハリウッドの大手メジャースタジオのひとつだったRKOと契約を交わして、『空中レビュー時代』にゲスト出演。いよいよ次は主演でというときに「陽気な離婚」が映画化されることに。ジンジャー・ロジャースをパートナーに迎えた『コンチネンタル』(※1)は大ヒット。アステアとロジャースのふたりは、経営不振だったRKOを立て直すドル箱コンビになっていく。
 舞台の「陽気な離婚」の楽曲は、すべてコール・ポーターの手によるもの。なのに映画化にあたっては、RKOのプロデューサーだったパンドロ・S・バーマンが、別の作曲家に映画用の曲を書き下ろさせてしまう。コール・ポーターはイェール大学で法律を学んだ知的エリートでもあったから、初期の作品には複雑にひねり過ぎて大衆向きではないところもあったらしい。『コンチネンタル』にたった一曲だけ残ったのが、この「夜も昼も」。映画の中盤で、アステア演じるガイにロジャース演じるミミが初めて気を許すデュエットダンスの場面で歌われる。

 気になっていたのはヴァースに出てくる”jungle”という歌詞。恋人のことを一日中思い続けているという歌なのに、なぜ「ジャングル」が出てくるのかが不思議でならなかった。原曲が短い場合には、後になってヴァースをくっつけて曲の尺を延ばすということがたまにあるので、「夜も昼も」もそのパターンなのかと勘繰った。けれども『コンチネンタル』を見ると、アステアはヴァースからきちんと歌い始めているので、後づけではない。ならば、舞台設定にジャングルが関係しているのではないかと思うものの、映画に出てくる場所は、パリとロンドン、そしてロンドンに近い海辺のホテル。完全に都会のお話で、ジャングルどころか森も川も出てこない。物語の流れにも関係のない「ジャングル」とは一体何なのだろうか。

 ヒントのひとつは、コール・ポーターの伝記映画のほうの『夜も昼も』(※2)。ケーリー・グラントがコール・ポーターの半生を演じていて、原題もそのまま”Night and Day”だ。ジャズのスタンダード・ナンバーを歌う場面が次々に出てきて、まるでフランク・シナトラのベストアルバムをそのまま聴いているよう。あれもこれも全部コール・ポーターだったのか、と今更ながらに感心してしまうほど名曲が繰り出される作品だ。
 映画では、ブロードウェイデビュー作の開幕直後に「ルシタニア号事件」(※3)が勃発。アメリカは二年後に第一次大戦に参戦することになり、コール・ポーターも志願兵として従軍する。ポーターが所属する軍隊は、暗闇の森の中に駐屯しており、背後にはその土地に住む人びとが集団で叩く太鼓の音が響いている…。
 そうか、ポーターの従軍先が北アフリカ戦線あたりだったのか、と思って調べてみると、コール・ポーターには軍隊に入ったという記録は残っていない。従軍は映画の中だけのお話だったようで、”jungle”の謎は解けなかった。

 では、コール・ポーターの別の曲からアプローチするのはどうだろうか。「夜も昼も」と同じくらいに誰もが知っている「ビギン・ザ・ビギン」。『ザッツ・エンタテインメント』でフレッド・アステアとエレノア・パウエルのふたりが究極のタップダンスデュオを見せる「踊るニューヨーク」の一場面(※4)。このダンスシーンのBGMが「ビギン・ザ・ビギン」だったから、英語を習いたてのバカな私は「はじめをはじめよう」という意味だと信じ込んでいた。
 それはとんでもない間違いで、コール・ポーターが1935年に発表した”Begin the Beguine”の”Beguine”は、西インド諸島に位置するフランス領マルティニーク島のダンス音楽のこと。マルティニークは不幸な島で、フランスによって植民地化された十七世紀末までに、先住民は皆殺しにされたという。その後はアフリカから連れてこられた黒人奴隷たちがサトウキビ畑を耕し、フランスに莫大な利益をもたらした。奴隷制度が廃止になっても、当然黒人たちはマルティニーク島の住人として生活し続けたわけで、そこに”Beguine”と呼ばれる音楽が発生したらしい。
 「ビギン」はクラリネット奏者のアレクサンドル・ステリオによってフランスに紹介され、1920年代から30年代にかけて、新しいダンス音楽として流行した。コール・ポーターが「ビギン・ザ・ビギン」を発表したことで、世界的に知られることになったのだという。

 とすると、コール・ポーターはいつどこでビギンに出会ったのか。映画『夜も昼も』では従軍するという設定になっていた時期、実際は公演の失敗で、ポーターは失意を抱えたままパリに渡ったのだそうだ。ポーターのパリ滞在は1915年から20年代後半まで。ということは、ポーターはパリでビギンの流行を目の当たりにしていたことになる。しかし、それだけでは”jungle”の言葉には辿り着かない。
 ここからは単なるひとつの推測にしか過ぎないが、こんな筋立てはどうだろう。ブロードウェイ公演の失敗でパリに渡ったポーターは、一度は音楽を諦めようとする。そんなときに出会ったのがビギン。新しいダンス音楽に刺激されて、ポーターは新曲を作る意欲を取り戻す。パリからニューヨークへ帰ろう。そして帰路の途中で、ビギン発祥の地=マルティニーク島に立ち寄ろう。パリ出身の画家ポール・ゴーギャンもマルティニーク島に渡って何枚か絵を描いていたはず。自分もそこで何かインスパイアされるものがあるのではないだろうか…。

 かくしてパリから大西洋を横断する船に乗ったポーターは、寄港したマルティニーク島で下船して数週間を過ごすことに。夜の森に入ると、そこにはどこからもとなく太鼓の音が響いてくる。古いコロニアル風のホテルに帰ると、ロビーの奥で柱時計が針を進める音がする。すると突然、外は熱帯雨林特有のシャワーのようなスコールになり、雨垂れの音以外は何も聞こえなくなってしまった。
 まあ想像でなら何とでも言えますね。というわけで、”jungle”がいつどこから出てきたのかは、結局は解明できないまま残されたのだった。(き)

2E641544-CCCA-4DF2-BC1B-E3FDC41B3740.jpeg


(※1)『コンチネンタル』の原題は”The Gay Divorcee”(陽気な離婚女性)で、舞台時の”Divorce”(離婚)のタイトル表示はカトリック系の保守層を意識して回避された。

(※2)『夜も昼も』は1946年製作のアメリカ映画。監督は『カサブランカ』で知られるマイケル・カーティス。

(※3)1915年5月、イギリスの客船ルシタニア号はドイツ軍潜水艦の魚雷攻撃により撃沈され、千二百人近い民間人が犠牲になった。その中には百人以上のアメリカ人も含まれていて、孤立主義をとっていたアメリカで世論が変化。ついに二年後にアメリカは大戦に参加し、ヨーロッパにアメリカ兵が送り込まれた。

(※4)この見事なタップダンスの背景は、星空をイメージして、黒幕に無数の豆電球を光らせたもの。それをまるごと再現したのが『ラ・ラ・ランド』(2016年)の星空空中ダンスだ。


posted by 冬の夢 at 00:24 | Comment(2) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする