2021年11月26日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(5/9)

■第4節(1/2) ──血と肉の祝祭

 いきなり視点が変わった感じがしないでしょうか。
 語り口も、かなりちがうように思います。さっきまでの盛り上がりが、うそのような、もの悲しい雰囲気なのです。
 異質なものが割り込んできたようなところが、なくもありません。
 といって読み飛ばすこともできない。つぎに結語が待っていますから、ここがどのような連結部なのか知っておかないと、そこへ行けません。

 ここまでは、「つぼ」を至近から観察している感じがしました。「つぼ」に浮き彫りになっている人や木々のようすを見つめ、「つぼ」の声に耳をすませ、それらが語るストーリーをわたしたちに伝えようとしているかのようでした。さきほどの『Ode on Indolence』(怠惰のオード)』のように、「つぼ」がひとりでに回転して場面が移り変わっていくような、ただ身を委ねたくなる感覚もありました。
 とはいえ「つぼ」の浮き彫りも、あるいは「つぼ」そのものもまた、キーツの詩人としての想像力が、古代ギリシアの大理石職人のような技となり、詩のなかへ作り出した架空のものにすぎません。キーツが「つぼ」を詩のなかにつくり上げると、つくったキーツ自身の審美眼に取り巻かれでもしたかのように「つぼ」が実在の力を発揮し出すところは興味深いのですが。

視点の変化とキーツが見たパルテノンの彫刻

 キーツが古代ギリシアの神話世界を想像し賛美するとき、その視界には幻惑と陶酔がつきまとっています。
 医学生だったころ、学校の講義中に白日夢にふけったそうですし、当時の薬学は毒をもって毒を制する式で、アヘン製剤や水銀などがふつうに使われ、自分でも飲んでいましたから、それらのせいもあるかもしれません。
 実際に麻薬や毒物の摂取でそうなっていたかどうかはともかく、キーツは寝すごして半醒状態だったときを例に、情熱や熱意がない受動的な気分を「怠惰 laziness」とよび、最高の感覚だとメッセージしています──弟夫婦あての手紙で(一九一九年三月十九日)──その感覚は、その詩も「偉大なるオード」に数えないわけにはいかないと思う『Ode on Indolence』(怠惰のオード)に描写されています。

 ただし、幻視したことを書きならべて詩≠セといったって、せいぜいが夢日記で終わりでしょう。ついさきほど書きましたが、キーツの詩には、もうひとつの視線があります。それは、ファンタジーめいた想像界を冷静な目で観察し、実体のある遺物を発掘して記録し、展示しようとする、考古学者のような視線です。半睡と覚醒のまなざしが輻輳しているのです。
 それもまたキーツの詩の魅力だと思うのですが、その複雑さにどうしても惑わされ、詩のなかに「来たるべき実在の像」を見つけることは、なかなか困難です。
 わたしが、むずかしがっているだけかもしれませんが。この『Grecian Urn』でキーツのまなざしの焦点をなんとか追いつづけ、読みきることができたら、そのとき知ることがどれほどすばらしいかということだけは、すでに察知できつつあります。ですから、なんとか読み証そうとしているつもりです。

 にもかかわらず、生贄を捧げる儀式に向かう人の列や、その人たちが出かけて静まりかえっているらしい「小さな街 little town」とは、どういうことでしょうか。
 それらの登場はいいとしても、朝もやのなか睡眼で遠くから見ているような距離感が気になります。いきなりロングショット、引きの構図といいますか、遠景になったような感じです。
 それもさることながら、ここまでキーツのまなざしの焦点にあったものは、愛や幸福や美が完全な歓喜の瞬間で静止した絵図だったはずです。なのにこの遠景は、変な「だらしなさ」さえ抱えて、ゆるゆると動いているようです。牛をつれた神官とやらにくっついて祭祀にいく人たちもそうですが、人の姿がない街も動画で撮っているかのように、川の流れや、うち寄せる波、木々のざわめきが見え、なにか起きそうな不穏なきざし≠ェ感じられます。どうも happy が訪れる感じがしないのです。

 さいわい、キーツが実際に見てヒントにしたというギリシア時代のレリーフも大英博物館で見られるので、参考にできそうです。さきほどあげたエルギン・マーブルズのひとつです。なまじ見ると逆効果かもしれませんが……。

211203em.JPG 
パルテノン神殿の大理石彫刻 紀元前五世紀前半
The Trustees of the British Museum

 大英博物館の解説には、キーツがこの節のはじめの部分を書く参考にした、とあります。古代ギリシアでアテネ最大の祝祭だった、パンテナイア(汎アテネ・守護女神アテナを讃える祭事)の儀式に生贄をつれてのぞむ、若者たちの姿なのだそうです。

 なるほど、それはわかりましたが、キーツはどうしてまた、死と血をもって神を讃える道行を持ち出したのだろうか。血と肉が、神性を賛美する聖なるものであるとしても、キーツがことさら熱心に描写し称えてきた、大理石の白さで表現されている「いまだ汚されていない still unravish'd」清潔な美や真実の愛にはどうもそぐわない。かなり生々しすぎるイメージではないでしょうか。
 それに、祝祭へ住民が出はらった街を、なぜ不吉な感じに描くのでしょう。お祭り帰りの住民たちで今夜あたり楽しく盛り上がりそうなきざし≠ェあってもよさそうです。それなのに、永久に誰も帰ってこないし、理由を告げに来る人もいない、というのです。
 
 古代ギリシアには、生贄を捧げる儀式がずいぶんとあったそうです。肉がふるまわれる機会でもあり、主宰者が権勢をアピールできる場でもあったとか。
 生贄の儀式はパンテナイアのような祝祭でも、もちろん行われましたが、それにおとらず重んじられていたのは、葬儀のしめくくりの儀式としてだそうです。「集まってくる人たちは何者だ? Who are these coming」──という問いには「葬儀の参列者です」と応じることもできそうです。
「幸せな幸せな木々の枝たち」も「幸福な演奏家」も「どこまでも幸せな、幸せな愛」も、至高の瞬間の姿を「つぼ」に刻まれました。しかし同時に、それらはみな死んだもので、つめたい遺物にすぎない、ともいえないでしょうか。

現実を見つくして知った想像の世界

 想像の森に遊び、際限なく詩的インスピレーションを得る自由と、曲がりくねった路地の下宿や非衛生な病院にいて、生活のために働く束縛。
 それは、医療の仕事を完全にやめ、詩人専業でいくことを決意し実行したのちにも、キーツの心中で、せめぎ合っていたはずです。
 キーツのオードを訳していますと、どのオード(頌歌)にも、幻想ロマンの世界から現世への目ざめという、どこか冷たいクリシェ的な流れが見られること──そのほかの詩にもしばしば──に気づいているのは、さきに書いたとおりです。実生活の葛藤において、キーツは同時代イギリスの、ほかのいかなるロマン派詩人よりも「身体の栄光と悲惨」(『SPRENDEURS et MISERES du CORPS』MOIS DE LA PHOTO;1988)を見つくして、知りぬいていた人なのですから。
『Grecian Urn』を書いたキーツは、詩的ロマン幻想から目ざめ、この世の中をどう生きていく決意をしているのでしょうか。そうではなくて、想像力の世界から目ざめずにいるつもりなのでしょうか。

 キーツが、この詩を書く直前に、弟のジョージとその妻あてに出した手紙の「メッセージ」を手がかりにしてみます。やはり有名なもので、研究者や専門家は「魂創造の谷」と称しているとか。
 キーツの手紙の、きりのない長広舌を、わかりやすく訳すのは容易ではないですが、どれもチャーミングで美しいおしゃべりではあります。若い兄弟のやりとりですから、やや錯綜するままに率直に書けたのかもしれません。キーツの詩について理屈をこね回している身が、はずかしくなってきます。反省の意味でも、みな引用できるといいのですが、かなり長いので、私訳は別途用意しここをクリックでpdfファイルが開きます。まちがいがありえます。ご容赦ください)、ここでは要約します。

【6/9】へつづく(ケ)

■ 【1/9】は→こちら←
■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 16:00:00


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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