2021年11月24日

John Keats を読む Ode on a Grecian Urn 邦訳【説明】(3/9)

第1節 ──静寂の花嫁

 Thou still unravish'd bride of quietness,
  Thou foster-child of silence and slow time,

  壺よ 静寂の花嫁よ いまだに純潔な 壺よ,
   壺よ 沈黙と たゆたう時間にはぐくまれた 壺よ,


 古代ギリシアの「つぼ」が、これから静寂に嫁ぐ、あるいは式を終えたばかりの、純潔の花嫁にたとえられている、ということは、すでに見たとおりです。
 マーブルカラーというのでしょうか、すこし色味のある白い大理石にレリーフがほどこされた、大きな花瓶を想像しました。白を思い浮かべるうちに、いかにもギリシア神話ふうの長衣をまとった、若い娘の姿もあらわれます。
 その「つぼ(娘)」は、静けさとゆるやかな時間を長く経てきたというのです。だから若い娘の姿をしていても、昔語りができる「森の歴史家」なのだといいます。
 そんな「つぼ」が語るにまかせたほうが、なまじっか詩人が書き直すより、すばらしいストーリーになるよ、という表現は、メッセージのひとつ「ネガティブ・ケイパビリティ」を想起させますが、そのことは、あとのほうで話します。

 A thing of beauty is a joy for ever:

  美しいものは永遠の喜びだ


 この詩を書く一年前にキーツが刊行した長大な叙事詩『エンディミオン』の第一行は、そうなっています。そのすこしあとに、こんなフレーズもあります。

 Nor do we merely feel these essences
 For one short hour; no, even as the trees
 That whisper round a temple become soon
 Dear as the temple's self, so does the moon,
 The passion poesy, glories infinite,
 Haunt us till they become a cheering light
 Unto our souls, and bound to us so fast,
 That, whether there be shine, or gloom o'ercast,
 They alway must be with us, or we die.

  ぼくたちは、これら美のエッセンスを
  ほんの短い間には感じとれない;神殿をとりまきささやく木々が
  神殿そのものに親しく合体するぐらいでなければだめだ、そうなれば月も、
  詩の情熱も、永遠の輝きも、
  魂を励ます光となり、ぼくたちに固く結ばれるほど、しみわたる
  陽光のときも、鬱々とする曇り日も、いつも
  ぼくたちとともにあるはずだ、でなければ ぼくたちは死んでしまう


『エンディミオン』の出だしで、『Grecian Urn』と同じことが、すでに語られているわけです。
 大理石の神殿のまわりの樹木が、枝や蔓(つる)をさんざんからませ朽ちかけても、いや、むしろ木々の生命が石の間に入り込んだことで、その生命と永遠な美が合体したかたちになった神殿こそが、いつまでも頼れる真実の美だ、というイメージです。
 したがって『Grecian Urn』の「つぼ」も、はるか神話の時代からいままで存在し続けていて、しかもけがれなく美しいままでなければなりません。キーツと読者が生命の視線をこれから注ぎこむ神殿≠ネのですから。

繰り返される疑問符とリアリティ

「つぼ」は、表面に浮き彫りになっている神話物語を、見せてくれます。
 ギリシア神話でおなじみの、美しい神々と人間とが、ときにはドタバタ喜劇めいた交歓さえする、いきいきしたストーリーです。
「つぼ」に応えてキーツは──これは「つぼ」を見ている詩の語り手ですが、キーツのことと解釈しました──その浮き彫りはどういう場面なのかと、しつこいほど疑問符をつけて応唱します。
 キーツのオードは、ギリシア時代のほんもののオード(頌歌)の、面倒な決まりに合わせて書かれてもいるそうで、説明できる知識はないですが、なおさらキーツのオードは英語の詩で無二のものとされるようです。それとはべつに、「つぼ」への呼びかけは、ひとりでしているようにも、集団が合唱しているようにも感じます。
 その多層な響きでもって、なんども疑問形がくり返されるから、こちらも「なんだろう」と強く感じるのです。おかげで「つぼ」に描かれた光景が、くっきりとわたしたちの心に描かれていくのです。

 どうでしょう、浮かんできたでしょうか。
 無理でも心配はいりません。大英博物館にある、タウンリー・ヴァーズ the townly vase を見てください。わたしもそうしました。
 キーツが実際に見た古代ギリシアの壺はふたつあることが、イアン・ジャックという英文学者が一九六〇年代後半に発表した著書によって、定説になっているそうです。キーツは自分でギリシアの古壺を線画で描いてもいますが「タウンリー・ヴァーズ」によく似ています。
 ほかに、返還問題で近年大きな話題になっているパルテノン神殿の彫刻、エルギン・マーブルズ Elgin Marbles も、いいでしょう。そちらも、ギリシア神話ファンのキーツが大英博物館で見ていたく感動し、詩のヒントになったことがわかっていますから。
 読む前に「さし絵」を見るのは、よくないかもしれません。しかし直訳にさえ苦労する詩ですので、どんな助けもありがたい。迷わずそれらの写真を見て読みました。

211203tv.JPG 211203jk.JPG 
左:The Townly Vase 二世紀ごろ
The Trustees of the British Museum
右:キーツが描いた Sosibios Vase 紀元前五世紀後半
public domain

 いまだに気になるのは「wild ecstasy」です。
 想像上の「つぼ」のレリーフが思い浮かび、動画のようにアクティブなさまを感じるのですが、つぎの節で、それらが真っ白く静止した存在だと知らされるのです。だとすると「とんでもない大騒ぎ」ぐらいに解釈しておくのがいいようです。
 しかし、まさに酒池肉林のまっ最中でもあるかのような、淫らな感じもします。それはやはり、わざわざ「unravish'd」という語が使われたせいです。
 性的奔放さをもった純潔な乙女という、アンビバレントなイメージにつきまとわれます。キーツの実際にアンビバレントだった女性関係が反映している、と想像したくもなります。その話も、あとでしましょう。

【4/9】へつづく(ケ)

■ 【1/9】は→こちら←
■ 『Ode on a Grecian Urn』の私訳は→こちら←
■ 「John Keats を読む Ode on a Grecian Urn  邦訳【説明】」の一覧は→こちら←


*専門家ではないので、まちがいがありえます。複写引用にはご注意ください。
 Originally Uploaded on Dec. 03, 2021 15:00:00


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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