2021年09月14日

“I Fall in Love Too Easily”とミュージカル映画『錨を上げて』

 フランク・シナトラが歌う”I Fall in Love Too Easily”。チェット・ベイカーによるけだるい歌声のほうが一般的になっているけれど、実は1945年製作のアメリカ映画『錨を上げて』の挿入歌だ。作詞サミー・カーン、作曲ジュール・スタインは、クリスマスソングの”Let it Snow!”でおなじみのコンビ。映画では、シナトラ演じる内気な水兵が、自分と同じブルックリン出身のウェイトレスと出会い、女性とうまく話せない性格なのに、彼女の前では素直になれる自分に気づくという場面で歌われる。
 ”I”は当然ながら男性で、だとすると和訳の際の主語は「私」「ぼく」「俺」「オイラ」などになる。このときのシナトラは、後にシナトラ一家を率いる親分的な気配は皆無だし、背も低くてやせっぽち。こういうときに男性の”I”は、悩ましいほど厄介ものになる。そこで逆手を取って漢文調にしてみた。わざわざ訳すほどの英語じゃないだろと言われればそれまでなのだけれども。

I fall in love too easily
I fall in love too fast
I fall in love too terribly hard
For love to ever last
My heart should be well schooled
'Cause I've been fool in the past
But still I fall in love too easily
I fall in love too fast

われ恋するは あまりに簡略なり
われ恋するは あまりに機敏なり
われ恋するは あまりにも激烈なり
とこしえにつづく 愛がため
わがこころ 学びを必要とせり
われこれまで 愚昧なるゆえ
しかしていまだ われするりと恋に落ち
われたちまちにして恋に落つ


 チェット・ベイカーの「チェット・ベイカー・シングス」は、別の同人がブログで書いている通りの名盤だ。「…シングス」に収録されている”I Fall in Love Too Easily”を聴くと、イントロなしでチェット・ベイカーの中性的な歌声から始まるヴォーカルの、特に”easily”と歌うときのかすれ加減の甘みが心地良い。ベースとドラムスのシンプルなリズム。控えめなピアノの伴奏。トランペットソロの抑えた音色。やっぱりダメ水兵フランク・シナトラの歌よりも、チェット・ベイカーのほうがじんわりと胸に沁みてくる。歌い上げるよりは、囁くようにして歌うほうがこの曲には合っているのだろう。

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 ジャズのスタンダードナンバーとなり、数多くのミュージシャンにカバーされた”I Fall in Love Too Easily”も、『錨を上げて』という映画においては特段目を引く存在ではない。というのも『錨を上げて』があまりにいろいろな要素をてんこ盛りにしたごった煮的ミュージカルだからで、2時間23分というMGMミュージカルとしては異例の長尺も、全く気にならずに見入ってしまえる作品なのだった。

 映画は、アメリカ海軍戦艦の甲板から始まる。軍楽隊(United States Marine Band)が演奏するのが本作の原題でもある”Anchors Aweigh”。この映画が全米で公開されたのは、米英中三国共同宣言、いわゆるポツダム宣言が日本に発出された1945年7月のこと。そんな戦争の影を微塵も感じさせない明朗な行進曲は、映画のエンディングでも再び演奏される。
 甲板で行われていたのは勲章の授与式で、戦果をあげた水兵たちのみが、休暇を与えられて陸にあがる。休暇は四日間。この四日という期限があらかじめ決められているところも大切な要素で、開放的なスタートを切ったあとは四日めが終わるゴールまでの時間経過が、映画の直線的構造の骨格となる。
 四日という制約条件の中で、ふたつの恋とひとつの成功について、その発端から終息までが描かれる。すなわちジーン・ケリーとキャスリン・グレイソンの恋、フランク・シナトラとウェイトレスの恋、そしてキャスリン・グレイソンが著名な指揮者に認められるサクセスストーリーである。時間が直線的に流れていくのに対して、これら三つの主題は、重なり合いながら曲線的に描かれる。シナトラとケリーとグレイソンの三角関係だけでなく、グレイソンが撮影所に通う女優志望で、指揮者のオーディションを受けることを切望しているという設定が、曲線にニュアンスを与え、場面設定にバリエーションをもたらす。
 ここで本作は、海軍もの・水兵ものに留まらずバックステージものというジャンルにも幅を広げる。登場するのはMGMスタジオ。セットを組む手間が省け、コストと時間の節約につながるとともに、ハリウッドの裏側を覗くことができるメリットも加わって、プロデューサー的には実にお得なアイディアだったろう。実際に当時使用されていたスタジオやキャメラ、クレーン、照明などが画面に写り込んでいて、今となっては撮影所の貴重な記録映像としての価値もある。
 さらには指揮者にオーディションしてもらいたいという設定が、ミュージカルシーンを多層的に見せている。歌とダンスに加えて、オーケストラやピアノの演奏場面を散りばめることで音楽映画としての格調が感じられるのだ。特に印象的なのはハリウッド・ボウルの場面。ステージ上に二十台近いグランドピアノが置かれて、リストの「ハンガリー狂詩曲第二番」を指揮者兼ピアニストを中心にして連弾する。ちなみにこの指揮者の配役は、”Jose Iturbi …… Himself”となっていて、スペイン人指揮者ホセ・イトゥルビは、当時のハリウッドにおいては人気者であったらしい(※1)。

 そして、もちろんミュージカルであるからには、歌と踊りもてんこ盛り。ジーン・ケリーの踊りは、フレッド・アステアの優雅さに比べると観客に媚びるようなあざとさが感じられて、個人的には好きになれなかったのだが、シナトラとふたりで踊る場面が多い本作を見ると、実は高度な技術を持ったダンサーだとわかる。体幹がしっかりしているから、回転しても跳びはねても軸が全くブレない。手と足の先まで神経が行き届き、たぶんどの瞬間のコマを切り取っても決めのポージングが映っているはず。アステアが幼少時からボードビル劇場で踊っていたのに対して、ジーン・ケリーはきちんとしたダンススクールで基礎を学んだという。だからピルエットでも軸足がヨレないし、ジャンプしたときにも真っ直ぐな空中姿勢が保てるのだろう。
 フランク・シナトラは、ボビーソクサーのアイドルとしての人気に翳りが見え始めた時期。太平洋戦争が終結して若い男性たちが復員した1945年以降にはスランプに陥ってしまう。だからなのか、本作ではなんともパッとしない役柄で見せ場も少なく、歌声にも張りがない。それに比べるとキャスリン・グレイソンは、オペラ歌手かと聞き違えるほどの超絶ソプラノで観客を圧倒する。一芸は身を助けるという実例だ。
 こうしたミュージカルシーンは、通常ならばストーリーに組み込まれて挿入されるのが通常のパターン。それゆえにミュージカル映画は、ドラマと歌と踊りのパッケージングがうまく行かないと、シーンが分断されて流れを失い、退屈な作品になることも多い。ところがミュージカルシーンに切り替わるバリエーションおいては、本作は歴代ミュージカル映画の中でもトップクラスの多様さに溢れている。
 例えば、バックステージものという特性を活かして、映画のセットがそのままミュージカルの世界に変身してしまうこと。MGMミュージカルの名場面を集めた『ザッツ・エンタテインメント』の中で本作が取り上げられた中に、中世の城に幽閉されたヒロインを騎士然としたヒーローが救い出すという場面がある。中学生の頃にそれを見たときには、『錨を上げて』という映画のことなど知らなかったので、史劇か海賊ものなのだと勘違いしていた。この場面は、ケリーとグレイソンが撮影所で互いの気持ちを確かめ合ったあとの空想シーン。映画のセットにふたりが没入して、登場人物化してしまうという設定だ。
 空想と言えば、子どもを媒介にしたミュージカルシーンへの転換も効果的だ。仲良くなったグレイソンの甥の学校を訪ねるジーン・ケリーが、子どもたちにせがまれてお伽話を話し始める。それを聴く子どもの頭の中での妄想が、そのままミュージカルになるという趣向だ。ここが有名な『トムとジェリー』のジェリーが登場する場面。実写+アニメーションが見事にシンクロして、ジェリーが”I’m dancing!”と快哉の声を上げるまでのジーン・ケリーとのペアダンスがなんとも愉しい(※2)。
 このようにして、戦時下という世相とMGMスタジオの強みをフル稼働させた『錨を上げて』は、盛れる要素をなんでもかんでも盛りに盛った、てんこ盛りミュージカルなのであった。

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 さて、『錨を上げて』がアメリカで公開された翌月に日本がポツダム宣言を受け入れて、太平洋戦争が終結する。日本で『錨を上げて』が公開されたのは、サンフランシスコ平和条約締結から二年後の1953年のこと。その日本公開のはるか前、占領下の1945年に東京で本作を見た日本人がいる。映画評論家の淀川長治氏だ。
 終戦直後、東宝に勤めていた淀川長治は、たまたま道案内をして知り合った米兵に招待されて、GHQすなわち現在の第一生命ビル内のホールに連れて行かれた。千人ほどの米兵が通路にまで溢れ返った、その場内が暗くなると、ライオンが吠えるMGMのクレジットが映し出されて、この”Anchors Aweigh”が始まったのだと言う。

映写がすすみ水兵服のフランク・シナトラが歌い出すや場内は総立ちとなってしまった。すわって見ればいいのに一人が立ち上がったとたん、みんなが拍手口笛、足ぶみ足鳴らして立ち上がり、シナトラの歌にあわせてからだを振った。リズムにあわせ指を鳴らすものもいた。そしてジーン・ケリーが動画のトムとジェリーと踊ったときには、拍手で音楽とタップの音が聞こえなくなるほどだった。彼らがこれほど子供さながらに映画にとけこんで楽しんでいるのを見ると、アメリカの映画会社はしあわせだと痛感した。(※3)

 故郷を懐かしみ、思い出を共有できるような要素を盛ったミュージカル映画なのだ。戦争に駆り出され、極東の島国に送り込まれたアメリカの兵隊たちが、欣喜雀躍しながら映画を見て興奮したのも無理はない。このようにして東京のど真ん中で占領軍兵士のために映写されていた映画を、日本人が劇場で見ることができたのはその八年後。『錨を上げて』にはほんのかけらも戦争シーンは出てこないが、日本公開の当時に思いを及ばすと、戦争のない平和な日常が何よりも大切なことだと気づかされるのでもある。(き)

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(※1)ホセ・イトゥルビ(スペイン/1895年-1980年)は『万雷の歓呼』『楽聖ショパン』などに客演している。現在でもいくつかのCDで演奏録音が聴かれるようだが、出身地スペインでは「ホセ・イトゥルビ国際ピアノコンクール」などでその名を残している。

(※2)『錨を上げて』のクレジットタイトルには、”Tom and Jerry from MGM cartoon movie”と表記されている。ちなみに相方のトムは、王様ジェリーに食事を運ぶ執事のチョイ役に甘んじている。

(※3)『淀川長治自伝』(1988年中公文庫刊)より引用。氏によると、戦後正式にアメリカ映画が一般向けに劇場公開されたのは、昭和二十一年二月二十八日封切の『春の序曲』(1943年製作/ディアナ・ダービン主演)と『キューリー夫人』(1943年製作/グリア・ガースン主演)の二本立て。日米開戦後四年あまりアメリカ映画が見られなかったため、劇場は早朝からつめかけた観客で超満員だったそうだ。


posted by 冬の夢 at 00:00 | Comment(0) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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