2021年09月05日

重さとは

 外出を控えています。
 週に一度、多くとも二度、近くに買いものに行く程度です。
 歩いて十五分ほどの商店街で、八百屋や魚屋を回って買っています。スーパーマーケットへは行きません。リュックとトートバック、手提げ袋などに、食品や飲みものをつめこんで帰ります。
 戻ったら、荷物を持ったまま体重計にのります。シャワーの前にパンツひとつでまた計り、運んだ品の重さがわかります。おおむね十五キロほど、重いときで十八キロくらいです。
 きちんと背負えば、重いとはあまり感じません。買いもの道に起伏はなく、せいぜい一時間ほど歩くだけ。それでも買いものをした日は、なんとなく足腰にきます。運動不足より歳のせいでしょう。

 村の渡しの船頭さんは
 今年六十のお爺さん
 年を取つてもお船を漕ぐ時は
 元気いつぱい艪がしなる
 それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ


 童謡の『船頭さん』と、わたしはまったく同世代ですが、この曲では、六十歳は「お爺さん」です。
「年を取つても」ですから、舟をこぐときだけはなんとかなるが、それ以外は廃人だって話ですよね、ちがうのかな。「船頭さん」世代のわたしは、買いもののとき以外は、廃人状態で部屋にうずくまっていればいのかなと。
 それはともかく、食料品や必需品の補給なしではいられません。外出回数を減らすためにも、一度の買いもので長持ちさせるよう、買い出し部隊をやるしかないわけです。

『船頭さん』は童謡だといいましたが、一九四一年夏に発表された国民歌謡です。入隊する軍馬や兵を乗せる、報国の渡し舟をこぐ歌で、田舎の光景をほのぼの歌った唱歌ではありません。
 勇ましい話ですが、同年春には生活必需物資統制令が出ています。食糧事情はすでに厳しくなっていました。「買い出し部隊」は戦後の食糧難を象徴する光景ですが、リュックを背負った人びとの姿は、戦中からあったのです。

       ♪

 立命館大学国際平和ミュージアムという博物館が、京都市北区にあります。
 ここに、忘れられない展示がありました。この四月から九月までリニューアル閉館だそうで、引き続きあるかどうかは、わかりませんが。

 それは、旧日本軍の歩兵が背負った背嚢です。
 複製でしょうが、当時に近い重さにしてあるので持ってみてください、ということでした。
 重さに驚きました。腰が砕けるかと思いました。片手で持ち上げるのも、きびしいほどです。注意書きがあったかもしれませんが、重いからとはずみをつけ背中へ揺り上げたりしたら、筋を痛めそうです。
 解説にはたしか、三〇キロくらい背負って徒歩行軍したとありました。当時の兵は、そのときのわたしと比べても、はるかに若かったのですが、その荷物でどれくらいの距離を歩き、戦ったのでしょうか。

 正確に調べていないのですが、あのインパール作戦では、兵士ひとりの運搬重量は十貫だったそうです。四〇キロに近い。
 コメ二〇日分の十八キロ、調味料などのほか、小銃弾二四〇発、手榴弾六個だったとか。予備の衣類その他は背嚢に入れているとして、銃や銃座なども持つと思いますが、それは勘定に入っているのでしょうか。
 重さもさることながら、二〇日もの間、ご飯だけなのか。自分で炊いたのでしょうか。補給食品は別に運ばれたのか、現地調達つまり略奪だったのか。
 日々昼夜、戦闘状態ではなかったとしても、一日分の弾は十二発という計算になるのですが、目的地に到達したとして、そこになにがあったのでしょう。消耗品がすっかりなくなれば身軽にはなる。しかしそのときには、進むことも退くこともできないほど、体力が失われていたのではないでしょうか。

       ♪

 芥川龍之介の作品に『きりしとほろ上人伝』という短編があります。
 キリスト教の聖人、クリストフォロスの伝説が、日本の古典説話ふうに書かれています。

 遠い昔のことでおじゃる。「しりあ」の国の山奥に、「れぷろぽす」と申す山男がおじゃった。

 と、はじまる文体は、キリシタン版といわれる、豊臣時代の口語物語集から借りたそうですが、おとぎ話のようで、たちまち読めます。一九一九年の発表時、芥川は二十七歳。才気あふれるこの人らしい作品です。

 素朴で心根やさしく、山人たちにも好かれた怪力の巨人「れぷろぽす」は、おのが力を活かしたくて、世界最強の人に仕えたいと山を下ります。
 さっそく帝に仕えて活躍、しかし、その帝が怖れた悪魔こそ強しと、悪魔のしもべになってしまいました。
 が、老いた隠者が十字架で悪魔を退散させるのを見て、「えす・きりしと」の存在を知ります。仕えたいと申し出ますが、怪力以外とりえがなく修行などおぼつかない。それも、いちど悪魔の手先になった者が、いかがなものか。
 ふと隠者は思いつき、大河の渡し守となり、旅人を背負って渡してあげなさいとすすめます。困った人の役に立てば、それも修行になろうというわけです。

 三年めのある嵐の夜、十歳にもならない少年が訪れ、渡しを頼みます。
 巨人は不審がりますが、背負って渡してあげることに。
 しかし風雨も濁流も、とてつもなく激しくなります。
 怖ろしいことには、背中の子どもが「大盤石」のごとく重さを増すのです。
 巨人は死を覚悟するも、ようやく渡りきり、「はてさて、おぬしというわらんべの重さは、海山量り知れまいぞ」と吐息をつきます。
 すると、その子はこういったのです。

「さもあろうず。おぬしは今宵という今宵こそ、世界の苦しみを身に荷うた『えす・きりしと』を負いないたのじゃ」

210905SC.JPG 
15世紀の木版画 public domain

『きりしとほろ上人伝』は、つぎの文で幕を閉じます。

 されば馬太の御経にも記いたごとく「心の貧しい者は仕合わせじゃ。一定天国はその人のものとなろうずる」

 心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである※1──それは「山上の垂訓」の最初の教えですけれども、じつは、わたしには理解するのがむずかしい。いまだによくわかりません。
 悪人正機説のような意味なのか、それとも、心にすがるものがない人こそ救われるということなのか。
 いまも、はっきりとはわからないのですが、心の貧しさとは、素朴で無心であることをいうようです。「れぷろぽす(きりしとほろ)」がそうでした。いちばん強い者に仕えたいという思いは出世欲ではなく、ひたすら純真で、無私の奉仕を続けるうちに、知らずにキリストを背負ったのです。
「心の貧しい人々は、幸いである」は、おそらく同じ「マタイによる福音書」の、さきのほうにある「心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない 」※1と、呼応しているのでしょう。

「馬太の御経にも記いたごとく」、イエスは山上で「心の貧しい者は仕合わせじゃ」と諭しはじめ、幸いな人の例をあげていくのですが、最後にあげられたのが「義のために迫害される人々」です。

 わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。
 喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。
※1

 聖クリストフォロスは、殉教者です。
 芥川の『きりしとほろ上人伝』の最後に、ばらの花に囲まれ地に突き立った巨人の杖が書かれていますが、もとのクリストフォロス伝説では、その杖がキリスト教への改宗者のよすがとなったがため、クリストフォロスは拷問され殺されたことになっています。
 芥川は、その話をまったく書いていません。「あの渡し守の山男がむくつけい姿を見せずなった」と、あっさり終わらせています。
 そこが、この短編のいいところだと思うのです。
 最後の節の題が「往生のこと」となっていますから、「きりしと」に天上へあげられたのだろう、いや、念願かなって「きりしと」の家来になり、「きりしと」を肩にのせて行脚を続けているのでは……。
 芥川は、なにごとも理詰めでくる感じがするのですが、読後感が豊かに広がるエンディングのキメが絶妙なのです。まさに短編の名手でしょう。のちのエッセイで、自分でもちょっといいと思う一作だというようなことも、書いています。※2

 芥川が亡くなったとき、そばに聖書があったことは知られています。
 しかし、この人はいかなる意味でも、信者ではなかったと思います。
 かれは、信仰を表現し賛美する美術や物語、そして殉教に対し、つよい知的関心をもっていました。そこで、明晰な思考と豊かな教養を駆使し、あとうかぎり論理的にキリスト教を批評しようとしたのだと思います。『西方の人』の正続編で繰りだされる、強烈な皮肉といってもいいほどの警句や箴言を読むと、なおさらにそう感じます。
 だから、殉教を「幸い」とはせず、あまたの苦しみを負う「きりしと」を背負いつづけるため生きるべき存在として、山の巨人を描いたのではなかろうか──そんなふうに思っています。

       ♪

 商店街から背負って帰る品のほとんどは食品です。ほかには漫画雑誌や洗剤ぐらいでしょうか。なにか大義のためだとか、見知らぬ人を援助できるようなものを、背負っているわけではありません。

 感染すれば死んでしまう可能性があり、かといって、接種すると大事になる危険もあるという、くやしいような病歴があるわたしは、意気地なく部屋に閉じこもっています。今後ますます社会問題になるとされる「高齢ひきこもり」です。
 しかたないとは思いますが、そんな状態なのに、わけがわからない気持ちが起きて困ることがあります。
 それは、人さまの役に立ちたい、という思いです。

 役に立ちたいからって、病院や保健所の手伝いをする勇気はありません。自分がやっかいにならないよう、感染に気をつけているほうがいいにきまっています。
 政界にうって出て事態をなんとかするなんて、もっとありえません。非現実的であるだけでなく、もう思い知らされたじゃありませんか。政治は人さまの役に立たないということを。いかに政治に疎くとも、ここしばらくの間に、いやおうなく……。
 ならば、もっと身近なところで、収入や感情がマイナスになって苦しい人たちを、ひとりふたりでも助けられないかというと、これもむずかしいことです。わが身の大事がさきに立って、ほんとうに親身になることは、できないのではないかと思います。
 つまりわたしは、無私とまではいわずとも無心で奉仕をすることはできません。だったら、よけいなことはしないほうが、世間の迷惑にならないはずです。

 そこまでわかっていてなぜ、人さまの役に立ちたい、という思いがあらわれるのでしょうか。
 ひょっとして、外へ出かけて多くの人とワイワイやりたがっているのでしょうか。ただ騒ぐのは気がひけるので、お役に立っているというアピールがしたいという欲求があるのでは……。
 そんなことは、考えたこともないのですが。(ケ)

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※1 新共同訳
※2『風変りな作品に就いて』(一九二五)

posted by 冬の夢 at 23:55 | Comment(1) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今さらですが、「心貧しきものは幸いである」のように訳されているキリストの「教え」は、「求めよ、さらば得られん」と人口に膾炙している、同じくマタイ福音書の「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる(マタイ7:7-8)」と対応しているように理解してきました。つまり、自分の魂に激しい不足、飢餓にも等しい欠乏を感じている人に対して、「大丈夫、その心の餓えも渇きも『信じれば、必ず満たされる』」と告げているのだろうと思います。「心貧しい」と言われると、「心がさもしい奴」のように聞こえがちですが、むしろ「心がやつれてしまった人」「心が満たされていない者」みたいなことではないでしょうか。もっと簡単に言ってしまえば、「不幸な人」ということなのでは?
Posted by H.H. at 2021年09月27日 09:00
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