2021年08月08日

オリンピックでいったい誰が得をしているのか? (Between Hiroshima and Nagasaki)

 「政治」というのが意味不明な字面をしていること、それに加えて、実際に政治家たちが何をしているのか(いくら国会中継を見ていても)、それがいっそう意味不明なこともあり、政治というものがよくわからない。いや、正直に言えば、全くわからない。しかし、用語の奇妙さと目の前の現実をひとまず棚上げすれば、政治がぼくらの社会生活の全てを管理・統制しているということだけは確実に断言できる。保育園から大学までの学校(教育)のあり方、現在のコロナ騒ぎにおいても緊急な問題になっている医療・病院のあり方、道路や下水の整備、そしてガソリンは言うに及ばず、全ての日常品の価格、住宅事情、等々、つまり日常生活の極めて私的な部分(恋人との口げんかとか、いつ、どこで、どんな夕食を食べるのか、等々)を除外すれば、万事が政治の対象である。

 そして、あらためて考えるまでもなく、教育も医療も公共設備の充実も物価も、要するに全ては利害関係だ。利害と言ってしまうとあまりに露骨かもしれないが、誰かが得をすれば他の誰かが損をする。誰かが潤えば、他の誰かが困窮する。誰かが泣けば、他の誰かがほくそ笑んでいる。限られた資源(財源やマンパワー)の分配、言い換えれば、圧倒的に不足している資源の取り合いをしなければならないのだから、相対的に得をする人と損をする人が出てくるのは避けては通れない。教育を例に取れば、どの程度の学力を持つ子供たちの育成に力を注ぐのか、いわゆる「落ちこぼれ」の子供たちの再教育に資源を傾けるのか、それともエリートの育成に力を注ぐのか。これを決めるのが政治の力だ。医療に関して言うならば、なぜ高齢者からワクチン接種が始まり、社会の中核を成すはずの30代〜50代のワクチン接種がなぜいまだに徹底されていないのか、こうしたことも政治が決めた(決めなかった)ことによる。エリート育成に努めれば、落ちこぼれてしまった子供たちは浮かばれまい。ワクチン接種を済ませた高齢者たちは意気揚々とレジャーに出かけ、現役サラリーマンたちは今日もまた感染に怯えつつも満員電車に揺られている。

 その結果として、必然的にさまざまな不公平感が生じる。なぜそっちが優遇されて、こっちが後回しにされるのか? なぜ自分たちだけが放っておかれるのか? こうした不満が生まれることは避けられない。したがって、こうした不公平の是正、不公平感の調整もまた政治の大事な役割となる。

 最近気づいたのだが、どうも日本人の多くにとっては、上記の2番目の方(不公平の是正)だけが政治の役割と思われていて、1番目の方、つまり、政治というものはそもそもが利害を巡る争いだという側面が完全に抜け落ちているのではないか。あなたが政治的な意味で蔑ろにされているのだとしたら、他方では必ずや(不当に)いい目をしている奴等がいるはず。なぜなら、元々の資源にはそう大きな差はないのだから、本来あなたが受け取るはずの利益やサービスがどこか他のところに回されているにちがいない。
 
 例えば、給料も大して多くないのに、消費税を筆頭にして税率ばかりが上がっていく。これは酷い! としたら、税率を上げることでいい目をしている奴等がどこかに絶対にいるはずだ。(そうでなければ、どうして税率を上げる必要がある?)コロナ感染症が拡大しつつある中で、多くの人が不安を感じて反対しているオリンピックが開催される。これは酷い! だとしたら、オリンピックを開催することでガッポリと稼いでいる奴等が絶対にいて、彼らの利益のために危険を冒してオリンピックが開催されているわけだ。

 −−多くの人はこのようには考えないようだ。だからこそ、たとえどんなに不満を感じても、投票にも行かないで平気でいられるのではなかろうか? そして、「だったら投票にでも行ったら?」という問いには、「だって、もう誰にも期待できないから」と、諦めの言葉を吐くしかない状態になっているのでは。しかし、この「期待」というのも、要は救済の期待、つまり、不公平の是正の期待の方であって、そもそもの「オレの得になるようにしてくれ!」という、生々しい、剥き出しのエゴの発露ではない。

 こんなことを考えたきっかけは、東京オリンピックのニュースを見ながら、「こんなに盛り上がらないオリンピックでも開催した方がいいと思った人たちがいるんだな〜」と驚いた途端、「まあ、その人たちのおよそ半分は『騙されている(=洗脳されている)』としても、残りの人たちの中には本当にこのオリンピックで『得をした』人たちがいるってことか」と思い、「しかし、いったいどんな人たちが得をするんだろう?」と、つくづく不思議に思ったからだ。

 オリンピックのような超大型イベントを誘致して、建設業界や広告業界、そしてもしもコロナ騒ぎがなくて通常どおりに開催されていたのなら、旅行業界が大いに得をしたであろうことは容易に想像がつく。しかし、現にパンデミックになってしまった現在、旅行業界は完全に蚊帳の外に置かれ、無観客開催になった時点で、むしろ「負け組」に転落だ。建設業界に関しては、もうハコは造ってしまったのだから、期待された利益はすでに搾り取った後であり、今さら感染症拡大の危険を冒してまで開催する必要はないはず。広告業界は、ある程度は建設業界と状況は被るだろうが、それでも開催されればそれなりに潤うだろうから、開催されないよりは開催された方がはるかに良かったのかもしれない。ということは、結局電通や博報堂に代表される一部企業、そしてマスコミのためにオリンピックは開催されたのだろうか……

 最初に書いたように、元々全く政治に疎い人間なので、こんな戯言にはほとんど意味はないと思う。それでも、今の日本でいったい誰が得をしているのか? こんな恥ずかしいお粗末な国にしてしまって、いったい誰がほくそ笑んでいるのか? 愚かで恥ずかしい社会になればなるほど、社会全体の活力や世界的評価が下がれば下がるほど逆に得をする利益団体とは、いったいどんな連中なのか? それとも、この社会はもう簡単な損得勘定さえも正常にはできないほど狂ってしまい、誰一人得をする人もいないのに、2発の原爆投下に象徴される悲惨な終末を迎えた先の戦争と同じように、壊滅的な負け戦を無反省に遂行しているのだろうか。  (H.H.)
posted by 冬の夢 at 22:42 | Comment(0) | 時事 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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