2021年08月06日

中森明菜って

 街角でその肩書きを耳にすれば誰もが振り返るであろうほどの社会的地位に就いている友人がいる。高校時代からの悪縁(良縁?)だ。さて、その友人、今でこそ一廉の大人物(?)に納まっているものの、高校時代〜大学時代はどちらかと言えば目立たない、ごく大人しい少年〜青年だった(もちろん、今もごく良識的な大人しい好人物である)。が、何かの折に彼にマイクを渡すとなると(つまり、カラオケなんぞに一緒に行くようなときには)、いつも内心苦笑するしかなかった。きっと今でも、もしもコロナ騒ぎが無事収束してカラオケに行けるようなことになれば、同じことが繰り返されるはずだ。

 ここで「苦笑」と言ったのは決して単なる修辞ではない。文字通りに「苦々しい思いで、もう笑うしかない」という意味である。というのは、その御仁がいつも必ず中森明菜の歌を歌うから。男のくせに「ミ・アモーレ」や「飾りじゃないのよ涙は」みたいなものを熱唱していた。実際、高校時代、そして大学時代にかけての彼の中森明菜への思い入れは、今なら立派なオタクと認定されるほどのものだったと思う。

 が、愚生自身は全くといっていいほど興味関心がなかった。このブログでも同人の一人が松田聖子について熱心に書いているが、松田聖子もほとんど何も知らない。つまり、当時のポップス、歌謡曲については何の興味もなかった。興味がないばかりか、今では偏見だったと反省もしているが、軽蔑さえしていた。何が楽しくてあんなものを聞いているのか、心の底から不思議だった。何よりも肝心の歌が下手くそ過ぎて聴くに値しないと思っていた。そして、子ども心に歌が上手いと思った歌手たちは、当時であればちあきなおみとか倍賞千恵子とか、テレビにも出るには出るが、男子高校生がファンになるには相手の年齢層がいささか高すぎた。

 ところが、このコロナの騒動で「巣ごもり」を強いられている間にネットで音楽動画を見ているとき、事実を正直にそのまま書けば、中島みゆきの「悪女」という歌を名前だけは知っていた中森明菜が歌っているのをYoutubeで偶然見つけ、ついつい聴いてみた次第。若い時分の動画ではなく、21世紀に入ってからの(とはいえ、すでに10年以上前の)2009年のライブだった。で、良い意味で驚いた。「中森明菜って歌えるんだ! これはちょっといいかも」と思った。アレンジが若干うるさく感じられ、さらに中森明菜が座って歌う姿勢があまりに前傾しすぎで、それが少々気になるにはなったが、彼女の歌そのものには不思議な魅力が感じられた。その魅力の正体を知りたくて、というか、これまた正直に言えば、すでにこの段階で彼女の歌声に魅了されていたのだろう、Youtubeで手軽に見られるビデオクリップを次々に試聴した。

 その結果思ったことは、高校時代からの友人には悪いが、やはり80年代〜90年代当時の歌には感心するものはほとんどなかった。中でも「難破船」という歌にはやや感じるものがあったが、それで彼女が好きになるかと言われると、答はNOと言わざるを得ない(ファンの人たちには御免なさい)。ところが、21世紀に入ってからのパフォーマンスには本当に驚かされた。中には「絶品」と評価したくなるものも複数含まれている。

 21世紀に入ってからの中森明菜(ということは、このかつてのスーパーアイドルが40代になった頃だろうか)と、若い頃の一世を風靡していた頃の彼女とでは何が違うのだろう? もちろん、声の質も歌い方も違う。選曲も違う。アレンジも違う。しかし、一番の違いは息の使い方にあるように思う。言い換えると、愚生は彼女の息の使い方にただならぬ魅力を感じたということになる。下卑た言い方をすれば「色気」(この言葉も本来は決して悪い表現ではなかったはずなのに、今ではどうしても卑しい響きが伴ってしまう−−こうして、替えの利かない貴重な言葉が次々に消えていく)とも言えるが、彼女の歌声に含まれる、ときに吐息さえをも感じさせる息の使い方は、下品に堕する2〜3歩前で悠々と止まっている。

 実は常々思っていたことだが、特定の歌手に対する好み(の発生)にはいったいどんなメカニズムが働いているのだろう? なぜ、ある人はAという歌手を特別に好きになり、Bという歌手には何の関心も示さずにいられるのか? 一方で、別のある人はAを完全否定し、Bを贔屓にする。「蓼喰う虫」といえばそれまでだが、話を自分自身に限れば、自分の好みはどうやら先ず特定の声の質に強く反応するようだ。周波数なのかどうかは知らないが、「この声は好きだ」「この声は嫌いだ」という嗜好が強く作用している。だから、いくら「この人はべらぼうに歌が上手い」と思っても、あまり好きにならない歌手も沢山いる。また、これは歌の場合に限らず、普段の会話のときでも、自分の好きな声で話されると、マタタビを嗅がされた猫のように、もうそれだけでその人を、性別を問わず好きになる傾向がある。多分これはワインの微妙な味合いとか、タバコやコーヒーの微妙な香りに対する嗜好と似たようなものと思われる。

 声の質の次に関わってくるのが、どうやら「息の使い方」だ。あるいは「息が口や喉を通るときの微妙な揺れ」と言うべきか。ともかく、これこそ「なぜ中森明菜の歌なんかに対してこんなに惹かれるのだろう?」と考えていたときに思い浮かんだ解答でもある。

 例えば、歌からは少し離れてしまうが、フランス語はほとんど知らないくせに、それでも詩の朗読を聴いていると、日本語や英語よりも「美しい」と感じることが多い。フランス語の方が英語やドイツ語よりも気持ちよく思われる大きな理由としては、フランス語にはいわゆる子音の連結が少なく、その特性が日本語と似ているからという理由が第一に来るのかもしれない。英語のstrictやドイツ語のselbstのように、子音が二つどころか三つも四つも連結すると、子音連結が滅多に起こらない日本語に慣れた耳には、非常に耳障りな音に聞こえてしまう。フランス語にも子音連結はもちろん存在するが、語末の子音を発音しなかったり、あるいはリエゾンなどの音声上の規則があったりするため、聴覚上は比較的母音の多い言語になっている。しかし、この「仮説」では「それならスペイン語やイタリア語だって、かなりの程度で子音と母音が日本語のように規則正しく交互に現れる、そして、子音連結は少ないのだから、フランス語並みに『美しい』と思われていいはずだ!」という反論がいかにもありそうだ。

 そこで、フランス語がことさら魅力的に感じられる第2の「仮説的」理由として、/r/の音価(フランス語を習うと必ず苦労する有声口蓋垂摩擦音)の存在を考えてみた。この「パリのR音」とも言われる/r/の特徴は、要するに息が喉と舌の上を通過する際の微妙な摩擦音にある。そして、シャンソンを聴けば、この音はやたらと沢山出てくる。例えば、La vie en roseもL'hymne à l'amourもそれぞれタイトルの中にも顔を出してくるほどだ。
 
 この音がとりわけ美しいというわけではない。が、ある種の嗜好品のように、どこかに中毒性の魅力を秘めているように感じられてならない。多分だが、この音を聴くと、語り手、歌い手の存在が生々しく感じられるからではないだろうか。つまり、喉なり舌なり呼気なりを器用に使って作り出す音であるという、正にこの理由によって、聞き手の方も直感的に喉なり舌なり呼気なりを感じとってしまう。その結果、語り手、歌い手の身体さえもが感じられてしまうのではないだろうか。ごく簡単に言えば、すぐ近くで囁かれている、歌われているように感じられるということ。

 中森明菜の歌にも(残念ながら全ての歌ではない)同じような生々しさが感じられた。ライブ当日の特殊な事情だったのかもしれないが、あまりに鼻にかかった声にやや聞き苦しい感じもしたし、高音な部分では声がかすれることもあったが、彼女の息遣いには他の歌手からは得がたい魅力がある。今のところのお気に入りを並べると、

「雨の物語」(伊勢正三の曲)
「恋」(松山千春)
「22歳の別れ」(伊勢正三)
「『いちご白書』をもう一度」(荒井由実)
「悪女」(中島みゆき)

これらのパフォーマンスは絶品。特に最初に2曲は騙されたと思って、四の五の言わずに是非とも試聴していただきたい。ただし、全てライブに限る。同じ曲がスタジオ録音でも聴けるが、愚生にはライブでのパフォーマンスの方がずっと魅力的に思われた。理由はわからない。

 しかし、すでにお気づきのように、以上の歌は全てカバー曲で、元々は中森明菜のために書かれた歌ではない。これは何とも皮肉なことではないか。少なくとも愚生はそう思う。つまり、アイドル時代に彼女が歌っていた歌は、もちろん中森明菜のために作られた歌だったわけだが、要するに完全な「作りもの」だったということだろうし、そうであれば、これは何も中森明菜というアイドルに限ったことではないけれど、「中森明菜」というアイドルが「作りもの」だったということでもある。「作りもの」という言葉が言い過ぎだとすれば、「周囲からの期待に応えることを強制されている存在」とでも言い直そうか。ともかく、アイドル時代の中森明菜には「中森明菜」を演じ続ける以外の選択肢はなかっただろう。それが「売れっ子」になるということの意味なのかもしれないが、それは究極の自己疎外に他ならない。遅まきながらファンになった爺としては、もうアイドルの役柄に縛られる必要がなくなった中森明菜が、もう少しリラックスした雰囲気の中で、もう少し陽気な曲を歌うのを聞いてみたいと願わずにはいられない。そして、同じことを全ての才能あるアイドルにも言いたい。右も左もわからないアイドルを食い潰すようなビジネス、そろそろ止めればいいのに。(H.H.)
posted by 冬の夢 at 20:53 | Comment(0) | 音楽 日本のロック・歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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