2021年07月24日

「ポレポレ」と「透視図」──外出自粛で、英語が不得意な高年者が意味のない趣味の受験勉強をし、大学入試・二大英文読解参考書を比較する

『英文読解の透視図』そして『ポレポレ英文読解プロセス50』、この2冊は、難関大学合格をめざして英文和訳問題にとりくむ受験生たちにとって、不朽の名著だそうです。山とある受験英語参考書で最難度の、二大金字塔だとか。

『透視図』は河合塾講師の共同執筆、『ポレポレ』は代々木ゼミナール講師の単著で、初版が出ています。現在はわかりませんが、当時知らぬ人はなかった有名予備校の授業が、背景にあるのでしょう。
 前者の初版は1993年、わたしが持っている2017年版が34刷です。後者は1994年の初版で同じく2018年版74刷と、いずれも信じられない重版数です。いかに不朽≠ゥがわかります。増刷時に多少の手直しはあったにしても、20年前の参考書が現在も通用していることには、やや驚きますが。

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 大学受験はなんと40年以上前だったわたしが、なぜいまさら、この2冊に挑戦したか。
 できるだけ簡単に理由をいいます。

 外出をひたすら控え、ひきこもり同然ですから、部屋でボケッとばかりしていないで、毎日こつこつやることを見つけたくなったのです。
 昔から英語が不得意で、大学入試はもちろん──英語の成績が悪いことが一因で受験浪人しました──学校の授業でも、仕事でも、休暇の海外旅行でさえも、ひどく苦労しました。
 だから、わずかでも英語力がついたらと考えたのです。引きこもりなので英会話はあきらめて、せめて読む力を。
 そうすれば、邦訳が出なくなった英米のアクション小説シリーズの「つづき」が読めるかも、と……。

 どうせやるなら最高レベルの参考書だ! と、ひとり決めして調べますと、この2冊がトップランクに並び立っていることがわかりました。手も足も出なければ、あっさり撤退することにして、ものは試しと、開いてみることに。

 英語で困ったできごとや、英会話教材などに挫折した話を書けば、もっと楽しく読んでもらえると思いますが、書くと自分がゆううつになってきます。
 とにかく最難度だという参考書をやってみて、わたしの受験英語力が、どれくらいか説明し、それを前提に2つの参考書を実感的に比較してみます。

       

 2020年春から夏にかけて『透視図』をやり、この6月から1か月ほどで『ポレポレ』をやりました。
 2冊全体をひとつの英文和訳問題と仮定すると、わたしの総合得点は30点から40点だと思います。
 各例題で、設問だけでなく全訳をやりましたが、完全に「マル」なのは、全例題の2〜3割くらい、ほぼOKだが枝葉の訳文が微妙な「おまけでマル」の答案を足しても、半分できたかどうかです。
 どの問題文も辞書なしでおおむね読め、7〜8割くらい意味は分かるのです。おおよそ合っている。しかし、かんじんの設問つまり下線部訳を間違えてしまうことが多く、それではちゃんと読めていることにならず点が取れませんよね。また、せっかく意味はとれているのに、うまく日本語訳が書けなかった例題や、設問には答えられていても、全体を正反対の意味にとってしまって大間違いした例題、あるいは、なんのことかさっぱりわからない例題もありました。

 やっている過程では、なにも成果を感じませんでした。
『ポレポレ』を半分やったあたりから、読める度合いや正解度が上がったかなぁ、くらいです。
 そんなレベルの学力で、やる意味があるかどうかわかりませんが、ふたつの参考書を、いちおう比べてみましょう。
 
難易度

 同じです。同じ文が載っていたりしました。
 どちらも実際の出題問題か、その引用部が使われています。
 例題の難易度が、いまの東大や京大、慶應、早稲田や上智といった大学の入試レベルと同等かどうかはわかりませんが、最難度の参考書だからといって、難関大学の過去問ばかりが載っているわけではありません。
 ただし、文の内容は比較的やさしくても読解は難しい、という英文が例題に選ばれていると思います。

分量

『透視図』 24+1題、本文部分233ページ。
『ポレポレ』50題、本文部分126ページ。

 問題数とページ数の関係がおかしく感じられますよね。
『透視図』では、『ポレポレ』の「例題」にあたるメイン問題が24題の「Challenge問題」であり、「Challenge問題」の後に短いテーマ問題が2題か1題ついているためです。テーマ問題をさきにやり、その項を理解してから「Challenge問題」にとりかかる構成だからです。
『ポレポレ』は、ほぼ見開き2ページにひとつの「例題」を解く構成です。その点では、あっさりした作りといえます。

内容

 上記の「分量」とも関係しますが、『透視図』の解説は詳細です。日本語の「地の文」が長いのです。
 各問に「STEP UP」というコラムもあり、重要文法や成句が説明してあります。問題文ごとに語句の日本語注もつき、ヒントになり、確認もできます。
 それらは『ポレポレ』にはありません。また『ポレポレ』は、問題がさほど長文でなく、解説も「語り」というより「図示」に近い文体になっています。
 そこが、両者の最大の違いです。
 もうすこし説明しますと、勉強の方法論──英文を構造に即して分解し理解する読解法──はじつは同じですが、『透視図』は、日本語の説明で理解し、主語・動詞・目的語や句の判別は自分で認識、必要に応じ本に書き込むことになります。『ポレポレ』は、解説文にS、V、Oなどの指摘や、カッコで構成をくくり出す指示が、場合に応じ赤字も使って表示してあります。それが解説の軸になってもいます。
 一文ずつ構造を確認し訳に落とし込む流れは、両者とも似ていますが、『透視図』は、英文の構造を日本語の論理で詳解し、日本語で英文の仕組みを分からせようとしています。『ポレポレ』は、日本語のロジックで理解する学習を無視してはいませんが、より英文そのものに即し、とにかく主語と動詞に印をつけよ、句はカッコでくくり出せと、視覚的につかむ読み取り手順の速さを、大切にしていると思います。

親しみやすさ

『ポレポレ』は、プレゼンテーションふうといえそうです。ボードに例文を掲示し、マーカーで書き込みつつ、説明をことばで足していく感じです。
『透視図』は、解説が長いといいましたが、書き言葉はさほど固くなく、およそ講義調です。直感的というより、かんで含めるような説明です。いっぽうで、話しことばをすべて文に起こしたような、ややくどい感じもあります。

 どちらが「自学」に親しいかというと、好みでしょう。
 わたしの説明を読むと『ポレポレ』と思うかもしれませんが、やっていて「こんなことはわかってて当然」と置いていかれるときが、何度かありました。そう感じているとき、著者が思い入れているらしいアフリカの動物の自描画が挿絵として目にとまるのは、正直「うっとうしい」だけで……。
 その点『透視図』の、取りこぼしのないていねいさは、徹底しています。しかしその解説は、けっこう読みづらいようにも感じました。趣味で受験英語をやっていていいわたしは、その文体につき合う余裕があるけれど、受験生にそこまで時間があるかどうかです。

どちらがおすすめか

 もし受験生のかたが期待して読んでおられたら、お役に立てず申しわけないですが、かんたんには決められません。
 いまの大学入試の英語問題は知りませんし、はじめに書いたとおり、わたしのいまの受験英語力では、この2冊に試験問題が引用されている、どの大学の入試にも落ちてしまうでしょう。責任をもって両者の効能を語ることはできません。

 また注意願いたいのは、仮定法、比較、強調構文など、受験英語の基本要素はわかっておかないと、どちらの参考書も歯が立たないと思います。わたしは受験知識としてはどれも忘れきっていましたんで、2冊とも波に乗れるまでに時間がかかりました。
 逆に、難関大学の入試にチャレンジすることは決めていて、2冊のどちらかを使うことが予定ずみの受験生なら、わたしにとっての過不足として書いた点は、すでにもっている知識や辞書の助けでじゅうぶん補え、学力強化につなげられるのでは、とも思います。

       ♪

『透視図』をやっても進歩した気がせず、『ポレポレ』の後半で、ちょっと効果があったように書きました。
 明らかに『透視図』は、わたしには重厚長大すぎ、歳でボケてきたせいで学習が蓄積しなかったのでしょう。
 しかし『ポレポレ』が有効だったかというと、じつはさきにやった『透視図』の潜在効果のおかげかもしれないのです。

 こじつけるなら、『透視図』で、英文構造の「腑分け」を地道に「日本語で考え」たあとで、『ポレポレ』で、英文に赤字の書き入れをつけるような読み進めを自習したのが、よかったのかもしれません。
 ただし、英語の新聞記事や輸入盤CDの解説が、以前より正確に速く読めるようになったかというと、あまり変わりません。

 それにしても、読むのがややこしい、わかりにくい省略や入れ子構造が目立つ文が、両書の例題に多いと感じました。
 大学入試の英文解釈問題の特徴なのでしょうか、そうでもないのでしょうか。
 いずれにせよ、設題のワナにかからずワナを無害化する技術が、英文読解の必勝法かと思いました。いまだって英語は不得手なのに、基礎学力を復習せず難しい参考書をやったわたしは、しばしばワナにつかまりましたので。
 いっぽう、内容がやや難しく長い文なのに、苦労せずうまく訳せた例題もあります。これはたいてい、歳をとったぶんよく知っていることが問題文の主題で、かつ論理の組み立てが明瞭な英文なので、英文のしくみは完全に理解できなくても「引っかからず意味がわかった」ということでした。あたりまえのことですし、それでは受験力にはなりませんが。

       

 二つの参考書に問題が載っている大学のひとつに、わたしは通いました。
 いまはもちろん、受験当時のわたしの英語力では、合格は難しい学校でした。
 大学受験英語でいうと、とくに英作文がだめで、長文和訳がつぎにダメ、文法問題も勘違い間違いをよくしました。現在のようにリスニングがあったりすると、もっとダメだったでしょう。それじゃ受験なんかできないじゃないか。
 よく合格できたね、という話ですが、受験浪人して通った予備校で『ポレポレ』型の英文解釈法を習い──『透視図』のほうの予備校でしたが──問題外だった英語の成績が門前払いをくわない程度になったことと、幸運のせいです。
 以後の長い年月で、英語リベンジを多少なりとすればよかったのですが、怠りつづけ、「英語ができない」というコンプレックスをぬぐえないまま、人生が終わりそうです。

 なぜいまさら英語などといいだしたのか。はじめにも書きましたが、英語の娯楽小説を読んだり、日本盤が出ていない洋画のDVDを、セリフは聞きとれなくとも英語字幕(キャプション)を見ながら鑑賞できれば、と思うようになったのです。
 理由は、はっきりしています。
 日本語で、いまの世の中とつきあうのが、心の底からいやになったのです。
 政治のことばにも、世間のできごとを伝えることばにも、芸術や思想をめぐることばにも、うんざりしました。身近に聞こえる日常会話にさえも。
 日本語はもう、聞きたくも読みたくも、なくなったのです。

 そんなことをいって、お前は英語なんかできやしないし、だらだら日本語を書いているじゃないかって?
 たしかにそうですが、わたしが近ごろ書いていることは、日本語の文章の店じまいのつもりです。
 間もなくそれがすんだら、英語でなくていいから──といっても、口にできる唯一の外国語は、けっきょく英語なのですよね──日本語でないことばの世界へ、ぴょ〜んと身軽に飛びうつりたい。
 それができないのが、くやしいような、悲しいような。(ケ)


■二〇二二年一月十日、わずかに直しました。
posted by 冬の夢 at 01:37 | Comment(1) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 ブログを読んで少々思うところがあるので長文のコメントをご容赦下さい。
 英語を使う仕事をしているので世間的には「英語ができる」と思われているかもしれない身としてつくづく思うのは、いわゆるバイリンガルではない場合、母語と外国語の一番決定的な違いは「記憶力」に現れるような気がしています。つまり、ぼくの場合、どんなに英語の本を読んで、英語でコミュニケーションを重ねてきたにしても、こと過去の記憶に関しては圧倒的に日本語によって記憶されているのが事実です。ちょうどファイル形式に「日本語」と「英語」の二種類があり、「日本語」のファイル形式を選択するとデータ量が見事に圧縮されるのに、他方、「英語」のファイル形式を選択して記憶すると、馬鹿みたいにデータ量が増え、取り回しに苦労する。こんな感じです。そして、この「記憶力」の差異はいわゆる長期記憶ではもちろんのこと、短期記憶、超短期記憶のレベルでも同様に顕著で、早い話、初学者がたかだか1ページくらいの英文を読むのに苦労する本当の理由は(語彙の不足を度外視すれば=語彙の不足は辞書の助けで簡単に補える)、5行前、10行前に読んだ内容が読む端から次々に消え去っていってしまうからではないか。日本語で読んでいるときは、特に何の努力も意識もせずに、10行どころか数ページ前に読んだ内容の記憶もかなり残っていて、それが読解の手助けをしてくれるのに、英語の場合は全く事情が異なってしまう。もしもこの「仮説」が正しいとしたら、英語を使えるようになるためには英語での「記憶力」を鍛えるしかなく、そのために一番良い方法は「大量に読む=使う」しかないのでは。
 日本の受験英語の最大かつ致命的な欠陥は、「量が足りない」ということに尽きます。高校の英語の教科書の薄っぺらいこと! たったあれだけの分量の英語を読んで外国語が習得できるなら、そんな楽なことはないですよね。真面目な人なら1年で習得できてしまいそうです。1年間でせめて10冊程度の英語の本を読む、そんな英語教育を高校時代に受けることができていたら、と今でも悔やまれます。
 一方で、この「記憶力」の差異は、外国語を使うときに感じられる独特の「清々しさ」とも微妙に関係があるような気がします。つまり、外国語には過去のしがらみがないので、まるで一種の人工言語のように、100%機能的に使えてしまうということ。初対面の人間同士の気安さとも似ているかもしれません。これが母語(日本語)になると、自分だけの独特の言い回し、自分だけの特別なこだわり、状況に応じた適切な選択、等々の微妙な問題がが次から次へと押し寄せ、しかも困ったことに前述の「記憶力」が無駄に発揮されてしまうので、ついさっき使った(聞いた)気になる(つまり不愉快な)語句や表現がいつまでも頭の片隅に居残ってしまい、その不愉快さもいつまでも澱のように残ってしまう。そんな気がします。
Posted by H.H. at 2021年07月26日 01:38
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