2021年06月17日

映画『東京五輪音頭』へのコメント

 一九六四年九月公開の、この映画を初めて見たのは、DVD版が出た数年後の二〇一五年ごろでしょうか。
 東京オリンピック開催が決まったのは、二〇一三年秋。この文を書いている二〇二一年六月中旬からは想像できないほど、誰がなんてったって盛り上げるぞという、明朗かつ脅迫的といってもいいような熱気がありましたね。

 キャンペーンソングの話は、ことのはじめからあったでしょうが、誰もが知っているオリジナル曲やダンスは作られたのでしょうか。
 一九六四年大会では、「東京五輪音頭」という軽妙な唄が盆踊りふうの振り付けとともに大ヒットしたので、早々にアレンジ版が作られ、にぎやかに発表されたことは聞きました。どんなものかは、いまも知りませんが、広く受け入れられたのでしょうか。

 そのような大きな企画ではなかったけれど、イベントで「東京五輪音頭」を舞踊会や芸者さんに踊らせたいが、どんなふうにすればいいかという話が、しばらく後に聞こえてきまして、この映画の存在を知りました。当時、踊ったことがあるという元芸者さんが健在とのことでした。

 その企画にはかかわりませんでしたが、「東京五輪音頭」がどんな曲で、どう踊られたのか知りたくなり、さっそく映画を見ました。
 わたしは興味本位で見ただけですが、参考資料として見せられた五輪関係者は、少なからずいたのではないでしょうか。

       

 なぜ、嘘をついてまで東京でオリンピックをやりたいのですか、と思っていました。
 嘘で始まったのですから、準備早々から嘘やごまかしがゾロゾロ出て来たのは、無理もないことでした。
 五輪誘致を騒ぎ出したころから開催反対だったわたしは、それらの出来事を、つめたく見ていました。そもそも前回の「東京五輪音頭」を持ち出すなんて、代理店がらみで新しいものを作ろうとすると、なにが起きるか知れたもんじゃないからでしょうと、イヤミをいいもしたかと思います。

 それはともかく、映画『東京五輪音頭』は見たので、そのときメモ程度でも、このブログに書いておけばよかったのですが、書けませんでした。
 なぜなら、どうもつかみどころがない、奇妙な映画だったからです。
 どう見ればいいのか、よくわからないし、見ていない人に説明ができません。出来がいいのか悪いのか、面白いのか面白くないのかさえ、よくわからなくなってしまいました。

 このブログは、三人で書いている同人誌のようなものですが、べつの筆者に、学生時代は映画研究会にいた──制作者や批評家も輩出している映研です──映画にくわしいメンバーがいます。
 最近、このブログに彼が書いた映画の文を再読しながら、とりあげられた映画を見るようになりました。そして自分の感想を、コメントの形で書き込んでいるうちに、たとえ文がまとまらなくても、この映画のことを書いておきたくなりました。

 くそ、歳をくうと、いや昔っから、前置きが長い! 
 すぐに映画『東京五輪音頭』の話をします。
 その前に、もうひとことだけ。
 感染問題で、京橋やあちこちの図書館へ行って資料を探せないので、これまで書いた文のように調べて書けず、ほとんどが推測です。

       

 映画『東京五輪音頭』が公開された一九六四年九月九日は、大会のひと月前ですね。その前の、わずかな期間で撮ったらしい。
 監督は小杉勇、戦前の大スターで、戦後は監督として多数の娯楽作をものした人だそうですが、ぜんぜん知りませんでした。
 いっときはプレイイング・ディレクションもしたうえ、シリーズものを年十本近く撮っていたりする、すごい人ですが、監督作は一本も見たことがなく、出演した映画も調べてはじめて「あ、あの人だったの」という認識しかできませんでした。

「見たとおり」に、構えず説明するなら、当時のスーパースター、三波春夫のオン・ステージもの、ではないかと思います。
 全体としては劇映画なんですが、芝居は三波の舞台場面のそえもので、コマ劇場や新橋演舞場での歌謡ショーみたいなもの、と考えれば、奇妙に感じずにいられなかった初見の印象も、やや落ち着きます。

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 劇のあらすじを、かんたんに書きましょう。
 築地卸売市場の青果仲買店のひとり娘(十朱幸代)には、水泳の才能があります。オリンピック出場を嘱望されている女の子です。
 しかし、仲買店主の「おじいちゃん」(上田吉二郎)は、孫娘が泳ぐことを厳禁していて、孫娘は五輪強化合宿コーチ(上野山功一)の下で、学生選手たちと、こっそり練習しています。
 三波春夫は二役で、後半の歌謡場面では本人役で舞台に立ちますが、劇では、築地の魚河岸フードセンターにある寿司屋という設定です。
 とっぴょうしもない役柄じゃないんです。三波は浪曲師として看板を張るまでは、米屋や製麺場で働き、のちに叔父の店に就職しています。その店とは築地魚市場の仲買でしたので、寿司屋に扮した三波は、ぴったりすぎるほど役にはまっています。

 さて、その寿司屋の三波が「おじいちゃん」を熱心に説得、孫娘を選手予選会に出すよう強く迫ります。「おじいちゃん」は断固拒否を続けますが、ついに出場は許します。しかし踏切事故にあい、入院することに──このへんの展開、区間特急みたいな勢いです。
 予選会に「おじいちゃん」が来てくれない不安を抱いたまま、孫娘は爆泳、みごとに優勝。じつは「おじいちゃん」はケガをおし、会場に来ていて、孫娘をほめてあげます。若い出演者みんなが、うまくラブラブ関係にもなれそうで、めでたしめでたし?

 祖父と孫娘は、ふたり暮らしなんです。
 孫娘の両親は亡くなっていて、じつは父親はマラソン選手。映画ではくわしく説明されませんが、そのため身体を壊し──過剰な練習でか、大成できず荒れたのか──亡くなった。だから「おじいちゃん」はスポーツ全否定でした。孫娘になにかあったら、ひとりぼっちになってしまう、という寂しがり屋でもあったのです。

 寿司屋の三波は、ほんものの三波春夫の従兄弟という設定。五輪の事前イベントに出演してくれるよう、ほんものに、話をつけます。
 映画の後半は三波の舞台場面と──オリンピックと関係ないのですが、オハコの『元禄名槍譜 俵星玄蕃』を熱唱──「東京五輪音頭」のマスゲームのような大演舞会が画面いっぱいに広がります。作曲者の古賀政男も指揮棒をとってワンカット映りますね。

 古賀は「東京五輪音頭」を、三橋美智也にあて書きしていたのですが──制作発表会で歌ったのも三橋──レコード会社十社近くで競作発売の形になったこの曲のヒットを、ひとりで持っていったのは三波春夫でした。
 そのいきさつは機会があったら紹介するとして、一九六四年内に百三十万枚を売り上げた大衆の星を──三波の歌で曲を知っている人の数は、とうていそんなものではすまなかったでしょう──五輪大会直前に慌ただしく作る映画に出すのに、レコード同様に映画各社で企画が重なり激しい争奪戦があったかどうかは、わかりません。テイチクと日活は、映画音楽関連で縁はあったようですが。

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「本命」だった三橋三智也版って、B面だったんですね

 どうも映画を見る限り、五輪直前に即製のにぎやかし≠ナ稼ぎをねらった日活の、コバンザメみたいな企画じゃないかという気もします。
 とにかく三波をかっさらってきて、三波ありきで、ベテランの早撮り監督にデッチ上げさせた娯楽編、と思えばよいのでしょう。芝居のほうは歌謡ショーのそえもので、流し見でいい、と……。
 しかし、そうはいかない映画なんです。
 劇のほうがどうも気になって、軽く見ていられません。

       

 暗い! 
 気持ちが空回りするような、すっきりしない、うすら寂しさが全編に漂っています。
 なんでしょう、この憂鬱な感じは。
「東京五輪音頭」の大演舞場面にさえ、それを感じてしまって、明るく浮かれて見終えられません。

 あらすじで説明した、祖父と孫のいさかいは、たいしたものではないし、すれ違いラブねたもありますが、あっけなく解決します。たいしたドラマはありません。
 出演者は、いれかわり立ちかわり、スベるのが前提のようなギャグを発し、自分笑いしたりして、いかにも日活B級喜劇調の、「いま見ると突っ込みどころ満載」な話をくりひろげます。
 開催を間近に控えた会場や選手村、東京名所なども、ワンカットずつ映りますし、出演者たちで軽く巡る場面もあります。短時日でこれだけのシーンを撮り上げて盛り込んだなら、監督の小杉は、まさに超早撮りで、サービス精神たっぷりの五輪応援映画を、仕上げたことになります。
 しかし、スクリーンに盛り付けられたそれらすべてが、お皿からすべり落ちるように、ばらばらこぼれるのを感じるのです。

 空撮の首都風景は、すっかり現代東京のものに見えます。首都高速の美しいラインは、どの高所から撮ったのか、赤坂見附あたりでしょうか。
 いまも残っている、花弁のようなルーフの張り出しが美しい駒沢競技場、寺塔のようなオリンピック記念塔──明治神宮でしょうか、神社参拝の場面と呼応してもいます──そして、いまそのまま使えそうな、最終仕上げ中の代々木競技場……。
 でも大会前の撮影だからか、どの映像にも人のにぎわいがなく、祭典の予感どころか、宴のあとの廃墟のように見えてしまうのです。

 当時の日活映画でおなじみの、タイアップシーンといいますか、スポンサー商品が劇中に仕込まれる場面もあります。※1
 鈴木清順なんて、炊飯器を映すタイアップを逆手にとって、宍戸錠をメシの炊ける匂いがなにより好きな殺し屋≠ノ仕立ててくれましたが、「東京五輪音頭」に写る広告商品の数ときたら! つぎつぎにストーリーにムリヤリ組み込んで映すところも、小杉勇らしい手ぎわのよさ、かもしれませんが、当時あこがれの新製品であったり、話題の品だったに違いないモノたちは、オリンピックとはなんの関係もなく、そしてまた、いまに残るものもあまりなく、スクリーンに登場しては、こぼれ落ち消えていくのを、見なければなりません。

       

 劇映画として見るなら、大会目前の興奮のなか、時代の潮目を感じて揺れる、隅田川べりの東京下町の人情話が描かれているはず、なのです。
 セリの声もかまびすしい築地中央卸売市場や、そこから佃島までの交通手段だった水上バスの混雑、お座敷も好景気にちがいない柳橋あたりを、江戸っ子たちの活気がうかがえる舞台にしていますしね。
 そこで、俳優たちの背景にかいま見える当時の東京に、オリンピックを迎える息づかいが発見できないかと目を凝らしますが、さして盛り上がっていない。いつもの暮らしが繰り返されているように見えます。
 しかもそれらのロケ地は、しばしば薄暮から夜にかけての、たそがれた雰囲気で映されるのです。なんと十朱幸代が出場する選抜競泳会まで、夜の開催なのです! 当時実際に、テレビ放映時間を夜にするため、ナイター選考会をしたとは思えないのですが。

 お芝居の部分は「つくりもの」なので、時代の反映を直接に読みとろうとしてはいけないでしょうが、それにしても主役の十朱幸代の演技が、どうにも奇妙です。
 それというのも、ほとんどあらゆる場面で、眉間にしわを寄せて、しかめ面を繰り返すのです。いうことも、どことなくつじつまが合っていない。

 一生に一度のチャンスですもの、オリンピックにも出てみたい。オリンピックも大切だけど、わたしにとってはたったひとりの、おじいちゃんですもの。

 金メダル、か……。

 一生のお願い、わたしを合宿に入れて!

 ふたりとも行っちゃうと、おじいちゃんが寂しがる。ほかに寂しがる人がいるかもしれない……。


「ふたりとも」とは、ブラジルへ渡って農園経営で大成功し、五輪観覧や観光に帰国した叔母(岡村文子)に招かれていて、やはりブラジルへ行こうとする仲買の正光(和田浩二)と、彼に誘われて行こうとしている十朱の仲買店の店員で、幼なじみの勇(山内賢)のこと。
 その台詞の場面で十朱は、明らかに山内の勇に気があるそぶりをするんですが、本当に好きなのは和田の正光のほうだったりします。すっかりその気になった勇には、後で「好きかっていわれたら、嫌いじゃないわ」だって!
 まあ、女がよく、気楽だった関係が重くなっちゃって振るときの常套句で、おれもいわれたことあるけど……。
 
 なぜか暗い表情のほうが多い十朱幸代。
 そのきわめつけは、ラストシーンです。
 悩みも、ごたごたも、すべて解決、さあ本大会を待つばかり。
 栄光と繁栄の明るい未来へ、若人が手をとり肩を組み、スクリーンのこちらへ闊歩してくるという、青春ドラマ基本構図で幕なのですが、なんとこのシーンでも、十朱ひとり、表情が暗い!

 早撮りで中抜き※2をし過ぎ、芝居がわからなかったのかもしれないし、日の丸を背負う緊張が心に満ちたとか、ひと月で調整可能かどうか不安──才能はあるが体力不足という場面があります──などが、不安げな眉の寄せかたに表現されていると、深読みしてあげることもできなくはありません。
 しかし、ラストシーンの十朱のアップで即座に思い出すのは、マイク・ニコルズの青春映画、『卒業』(一九六七年)の、やはりラストシーンです。キャサリン・ロスとダスティン・ホフマンが浮かべる、あの表情なのです。

 将来は、けっして明るくない。
 オリンピックなんて、ほんとうは、どうでもいい。

 十朱は撮影のとき二十一歳、十七歳のときから七つ歳上の小坂一也と同棲しているので、世の中わかっちゃってるみたいな翳りがあるのは、魅力的といえなくもありませんが、十朱には申しわけないけれども、エンドシーンでの困惑の表情は、この映画を、ほとんど混乱に陥れているのでは……。

       

 ハァ〜 ア〜 アアア〜
 あの日 ローマで ェェながめた 月がァ
  ソレ トトントネ
 きょうは都の空照らす
  ア チョイトネ


 幕開けとともに、とことん朗らかに響きわたるのは、三波春夫の「ハァ〜」。

 楽譜をいただいたときに、『はあ……』という、あの出が高いんですよ。よしここをひとつ工夫しようと思って、ずいぶん勉強もいたしました※3

 その成果は、富士山が噴火したかのように轟き、小泉文夫がいったように「三波さんの日本調を現代に生かしていこうということと、大衆の音楽的感覚が非常に日本調を求めているということと、じつにうまく合った」のです。
 まちがいありません。わたしは、この曲をじかに知るには幼なすぎた世代ですが、三波の「こんにちはァ〜 こんにちはァ〜」は、いまこの瞬間にもアタマの中に鳴り響いて聞こえます。

 オリンピックはね、もう、そこまで来てるんだぜ。
 世界中の人間が、ニッポンだニッポンだ、東京だ東京だって騒いでる。
 なんとかして日本の名誉……戦争で負けたね、日本が、なんとかしてここ一番と、自分たちの息子や娘を、大きな拍手といっしょに送りだそうとしてるんだ。それがなぜ、親父さんにはわからないんだ。


 孫娘が泳ぐことはもちろん、オリンピック選手合宿に参加することなど絶対に許さない、頑固な「おじいちゃん」を説得する、寿司屋の三波。
 芝居の滑舌もすばらしくいい。
 この台詞の途中に一瞬、涙をのむ感じがあります。おそらく「地」でしょう。
 一年九か月の旧満州での従軍、いちじは聴力を失ったほどの砲撃に合い、敗戦後は四年のシベリア抑留……帝国日本の欺瞞と、共産ソ連の虚構を知りつくし、「本当の意味で世界平和のお祭りの音頭をとるんだ、と心底思っていた」三波の、心の叫びがそこにあるといっていい。そこに嘘はない。

 しかし、三波が力めば力むほど、その思いは空回りしている──そんなふうに思いながら、後半の「東京五輪音頭」の大演舞場面を呆然と見ていました。
 三波のマイクには「8」のロゴ、つまり当時のフジテレビのイベントか放送の、軒を借りて撮った場面です。
 ほんの一瞬映るステージパネルをチェックすると──こんな映画をリピートしたり部分拡大している自分がアホに思えてきたけれど──なんと「江の島マイアミビーチサマーオープニングショー」。藤沢市が一九六〇年から五年ほど、東京大手町で、産経のメディアグループと共催開催していた「海開き」です。

 ハァ〜 ア〜 アアア〜
 待ちに待ってた世界の祭
  ソレ トトントネ
 西の国から東から
  ア チョイトネ
 北の空から南の海も
 越えて日本へどんと来た
  ヨイショコリャどんと来た
 オリンピックの晴れ姿
  ソレ トトントトトント晴れ姿


 ステージで朗々と歌いあげる三波春夫。
 そして、五百人、いや千人近いとも見える、浴衣がけの踊り手たち。タイトルロールには「花柳秀舞踊団」「東京母の会連合会福祉舞踊協会」とありますが、そう、ほぼみなオバチャンだ! なにをそう真剣に踊らなくちゃいかんのか、笑顔がない!
 現代史的にも一見の価値があるスーパーイベント、それがなぜか借りものか貼り絵のようで、嘘っぽくて、うら寂しい。

       

 東京大会につきましては、感染対策の徹底、そして「安全安心」の大会について、私から説明をさせていただき、全首脳からたいへん力強い、支持をいただきました。私自身、あらためて主催国の総理大臣として、こうした支持を心強く思うとともに、東京大会を、なんとしても成功させなきゃならない、そうした思いの中で、しっかりと開会をし、成功に導び(かなきゃ)ならない、そういう決意を新たにいたしました。※4

 これが、間もなく開かれようとしている、こんどのオリンピックを決意も新たに語った、開催国・日本の総理大臣のことばです。なぜ、絶望的なまでに空虚に聞こえるのでしょう。

 首相は、さる六月九日、立憲民主党代表がした質問、
「総理のいう国民の命と健康を守るとおっしゃるのは、大会参加者などによる、直接的な感染拡大だけではなくて、当然のことながら、開催を契機として国内で感染が広がる、それが国民の命と健康を脅かすような事態は招かないと、こういうことも含むという意味でよろしいですね、確認させてください」
 に対して、なぜか高校生時代の思い出を持ち出し、東洋の魔女、アベベ、へーシンクを語りました。※5
 丸川珠代はもちろん(生まれていない)、橋本聖子(前大会開催の5日前生まれ)も、見たことがなく、思い出にない、そんな幻想にすがった総理大臣に引きずられ、わが国は二度めの東京オリンピックに、突入していくのでしょうか。

 五十七年前の開催ひと月前に公開された『東京五輪音頭』を見たわたしは、こんなふうに思いました。
 国民がみな、興奮と賞賛に酔いしれたように思われ、首相もまた、それが自分の思いにあるように語った前回の東京オリンピックは、べつに国民すべてから圧倒的に支持されていたわけではないのではと。
 だとするなら、今回の東京オリンピックは、ほとんど支持されていないといっても、けっして間違いではないのでは、とも。

 いちど始めたものは、そう簡単にはやめられない。
 その気持ちは、身にしみてわかります。わたしも、かつて仕事で、失敗を認めきれず撤退にぐずついたばかりに、手ひどい目にあった経験がたびたびあるからです。
「上がいうから」「上がゆずらない」が、ひとり歩きする日本という国で、ぎりぎりの段階であれ、退く勇気を持つことは、もう誰にもできないことなのでしょうか。

 いや、ひとつ方法があります。
「いちばん上」に決めてもらえばいいのです。
 そう、「ご聖断」です。
 いえ、冗談ではありません。なるべく早く御前会議を開き、「ご聖断」を仰いだらどうですかと、昨今、本気で思っています。
 思い出してください。一九四五年八月十四日の最後の御前会議を。※6
 みんな泣いちゃいました。
 もちろん悔しいからとか、徹底抗戦させてくださいと泣いて主張した、ということもあったでしょう。
 しかし、わたしは思います。
 みんな、ほっとして泣いちゃったんだと。
 陛下、やめさせてくれて、ありがとう、と。
「いちばん上」が「やめなさい」といってくれたから、愚かな幻想にとらわれ続けて事態を甘くみたまま、広島、長崎につづいて原子爆弾を落とされることはなかったし、空襲された各地や、上陸戦にさらされた沖縄につづいて、国民を見殺しにしつづけることはなかったのですから。

 オリンピックが「ヨイショコリャどんと来た」として。
 そりゃ戦争とは違うかも知れません。しかし実のところ、同じことではありませんか?
 一刻も早く、御前会議をしましょう。
 東大を出ているんだしバカじゃあるまい、どう見たって意地でやっているだけの丸川も、引いてはいけない籤(くじ)を引いてしまった顔の橋本も、わ〜んと泣いていいのです。
 森嘉朗も、呼んでやってもいいかもしれないですね、呼ばれた瞬間に泣くだろうけど。(ケ)
 
210617m2.JPG 
この二曲カップリングで、カラオケに、
合成音声による英語版も収録されている、
お得なCDシングルが2019年に出てました。


※1 タイアップシーンと思われる場面でメモをとりましたが、見落としているかも。
【1】タクト ポータブルステレオ(兼松家電販売)
【2】バャリース(当時は朝日麦酒でしょうか)
【3】ベレル2000(いすゞ)
【4】オリンピックナッツ(東洋ナッツ食品)
【5】アサヒスタイニー(朝日麦酒・1964年発売)
【6】オーゼット(『ワカ末』の中滝製薬のようです)

※2 話の流れ通りや台詞順に撮らず、同じセッティングで撮れる場面をまとめて撮ってしまうこと。

※3『歌藝の天地』一九八四/PHP研究所/小泉文夫の発言もここから。

※4 日本時間六月十四日未明、G7コーンウォール(英)サミット終了後、同行記者団に。

※5 六月九日、国会党首討論会での、立憲民主党代表・枝野幸男とのやりとり。

※6 このブログに別の筆者が書いた
 「『日本のいちばん長い日』 〜 昭和天皇と国体護持の確信」は→こちら
   わたしが書いた
 「『日本のいちばん長い日』松竹版・東宝版について」は→こちら

posted by 冬の夢 at 01:20 | Comment(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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