2021年06月05日

小津安二郎『小早川家の秋』は豆腐ではなくガンモドキか

 松竹専属の小津安二郎が東宝に招かれて監督した作品が『小早川家の秋』(こはやがわけのあき)。昭和三十六年(1961年)の製作当時、東宝に所属していた俳優がまとめて出演していて、それだけで嬉しくなってしまう映画だ。女優では、原節子・新珠三千代・司葉子・白川由美・団玲子、男優では、森繁久彌・加東大介・小林桂樹・宝田明・藤木悠。そこに加わるのが、二代目中村鴈治郎・杉村春子・浪花千栄子(※1)。さらには笠智衆。これだけ豪華な顔ぶれが揃うと、ついつい配役やそれぞれの演技に目が向いてしまうが、それだけではもったいない。映像のフレーミングと人物の配置、脚本のプロットとコンストラクション、キャラクターごとのエモーションの吹き込み方、そして映画全体が醸し出す世界観。『小早川家の秋』は、小津安二郎のシネマエンジニアとしての腕前が凝縮された銘品だ。小津映画の中ではあまり高い評価を得られなかったというのが不思議なくらいに密度の高い映画だと思う。

 舞台は京都伏見の造り酒屋。経営を長女の婿に任せている大旦那は、偶然再会してよりを戻したかつての妾に会うため祇園に通っている。一方で大旦那は、早世した長男の嫁と次女の嫁ぎ先を気にしていて、大旦那の亡妻の義弟が見合い話を進めているところ。亡妻の法事を終えた夜、大旦那は心臓発作で倒れるが一命を取り止めた。再び孫と遊べるまでに回復した大旦那は、こっそりと祇園に遊びに出かけるが、そこで発作が再発して亡くなってしまう。大旦那の葬式の日、長男の嫁と次女は見合いを断る決意をするのだった。

 『小早川家の秋』では、映像作品としてのショットの端正さが存分に味わえる。映画の冒頭は大阪の街のネオンサインから始まるが、そのシーンが終わるとほとんど全編が伏見と祇園で進行する。立ち並ぶ屋根瓦。日干しされる丸桶。入り組んだ路地。日が届かない土間。日本間から見える庭。すべてがフィックスのショットで、キャメラは無駄に動いたりしない。長回しはなく、カッティングはほぼ同じテンポで繋がれる。それらのショットは一様にフレームによって切り取られていて、すなわち対象物をまるごと捉えることはない。被写体は常に一部が画面に収められ、一部は排除される。そうしたひとつひとつのショットの構図が秩序正しく整然と流れていく様が、眺めているだけの観客に独特な映像体験をさせてくれる。
 そのフレーミングの中で人物が会話をするとき、クローズアップはひとつもない。人物が座るなど動きが固定されていればバストショット、立って動くときはその動作を収めるニーショットまたはフルショット。そして、複数の人物が画面に登場する場合には、ショットは人物を写すためのものではなくなり、構図を捉えるという映像本来の目的に立ち返る。
 嵐山での法事の場面で、河原に佇む原節子と司葉子。ふたりは同じ格好でしゃがみ、同じタイミングで立ち上がる。義理の姉妹が互いにシンパシーを感じていることを直截的に表すようにして。さらには焼き場の場面で顔を揃えた親戚一同を捉えた広間のショット。煙突から煙が上がると皆が一斉に庭の方へ集まり、画面奥の左上にあるだろう煙突を眺める。大旦那の死を見送るようであり、家族全員が再び上を向く姿にも見える。その後に、しゃがんだ原節子と司葉子がシンクロして立ち上がるショットが繰り返され、葬列が橋を渡るラストへと映像は続く。
 登場人物を描くショットは淡々としたメロディーを奏でる音符のようであり、シーンとシーンの間にインサートされる静謐なスティルショットはメロディーにアクセントをつける休符に似ている。ショットは、音符となり休符となり繰り返され、それが映画全体のリズムとなる。そのリズムは開幕から終幕まで揺るぐことなく一定だ。『小早川家の秋』の映像は、折目正しいリズムとともに観客に刻み込まれていくのだ。

 そんなリズムのもとで、嫁に行くだの行かないだの、大旦那はんどこ行きはりますのやろだのと、さしてドラマチックなことが起きない映画であるのに、1時間40分はあっという間に過ぎてしまう。観客を映画に引きずり込むパワーが力強い、という種類の作品ではない。力ではなく技。引き込むのではなく、相手に預ける。『小早川家の秋』は、何気なくさりげなく、こざっぱりとした日常の光景を映し出しながら、ほんの少しの技を利かせて、眺めているだけの観客の気持ちを徐々に惹きつけてしまう。それが、小津の映像づくりであり、野田高梧のシナリオ技法なのだろう。
 例えば、中村鴈治郎の大旦那が倒れるシークエンス。深夜、往診に来た医者が「また発作が起こらなければ大丈夫でしょう」と告げた後に、スティルショットがインサートされて朝が来たことが示される。ところがこれが、町中の寺の一角にあるような墓地の墓石を切り取ったショットなのだ。その次に縁側に座って泣いている次女・司葉子が続く。当然ながら、観客は一瞬「大旦那は死んだのだな」と思う。しかし、日本間に家族が集まっている場面に切り替わり、親戚たちの会話からするとどうやら大旦那は持ち堪えているらしい。そこへ大旦那本人が姿を現し、「おしっこや」と画面を横切ってフレームアウトしていく。このシークエンスにおいても例のリズムは変わることなく一定のまま。だから、観客の気持ちはあれこれ考え込む暇もなく、「死んだな」「いや死んでないのか」「あ、元気なんだ」と映画の語りに呑まれていく。この展開力が、映画を一気見させる技術なのだ。
 転じて、祇園からの電話で大旦那が倒れたと知らせが入るシークエンス。長女・新珠三千代が「へえ、へえ」と応じる声が次第に切迫して、大旦那の急変が伝わる。婿役の小林桂樹と司葉子が急いで支度をする場面から、祇園の旅館で中庭に向いた縁側に座っている妾役の浪花千栄子とその娘・団玲子へと画面は切り替わる。えらいことになってしまったと呟く浪花千栄子に対して、団玲子の台詞は「でも私損したわ。もっと早くミンクのマフラー買ってもらっとけばよかった」。それまでに大旦那が「ミンクを買うてやる」と娘に約束する場面が二度出てくる。だからこの娘のひと言で、観客は「今度は死んだな」と察知する。駆けつけた婿と次女が奥の間に通されて、横になっている大旦那が映る前から、観客にはその顔に白布がかかっていることがわかっている。かようにこの映画は、観客に映像を読ませるように作られているのだ。ここまで下駄を預けられてしまうと、観客には時計を見る暇などあるはずもない。

 もちろんこの流れには、名工によるきめ細かな修飾が加えられているわけで、それらの細工は何の主張をするわけではないのに、作品を細部から支える重要な要素になっている。
 祇園に出かける前、大旦那は孫と自宅の庭で遊んでいる。キャッチボールをした後、大旦那は浴衣の脇下が綻んだと言って、長女に縫わせる。普通なら汗をかいて着替えるところに、あえて「綻び」を持ってきたのはなぜだろうか。
 長女が繕い終わると、孫は大旦那にかくれんぼを要求する。大旦那の「もういいかい」に対して、孫は「まあだだよ」と返す。孫が隠れ場所を探す間、大旦那が外出着に着替えるコミカルなショットが入るうちに、孫はやっと「もういいよ」と声を上げる。支度を終えた大旦那は「もういいかい」を繰り返し、孫は何回も「もういいよ」と答える。大旦那は祇園へ行くためにいそいそと外へ出て行き、孫の「もういいよ」の声だけが残される。この「もういいよ」は、何がもういいのだろうか。
 ほんの少しの綻び。とりあえずの縫い繕い。「もういいかい」の問い。繰り返される「もういいよ」。どれもが容易に予感させるのは、すぐそこにある「死」だ。大旦那本人は元気になったつもりでも、それはほんの一時的なかりそめでしかない。現実の生は綻び始めており、あの世に行くことへのお伺いには何度もいいよと返事が来ている。観客は孫とともに大旦那の後姿を見送りながら、その死を十分に読み取るはずである。

 祇園の旅館で大旦那の亡骸と対面した婿と次女。発作を起こしただけで泣いていた次女は、死に目にも会えなかったわけだから、その場で号泣する。続いて焼き場の場面。強気で気丈な長女が泣き濡れているところに、名古屋の叔母(杉村春子。名古屋弁まで完璧に操っている)が駆けつける。「どうせならこないだ集まったときに死んでくれてたら二度手間にならなかったのに」と実の妹にしか言えない冗談で笑わせて、しかし、その叔母とて「でも死んじゃったら何も出来ないじゃないか」と泣き崩れる。
 大旦那の死への反応には明らかな違いがある。死を看取った妾は涙ひとつ溢さなかったし、その娘は事もあろうにアメリカ人とのデートに出かけた。婿や義弟などの男たちはもちろんのこと、長男の嫁・原節子も悲しみこそすれ泣いたりはしない。泣くのは長女と次女と妹の三人。すなわち血の繋がった女たちだ。杉村春子の泣きには、観客も思わず涙を誘われるはずだが、対照的なのは妾・浪花千栄子の酷薄さ。人の良さそうな人物設定だけに、一種の薄気味悪ささえ感じられる。肉親でなければ、所詮は金の切れ目が縁の切れ目。血縁の女たち以外には、涙が流されることはない。不動のリズムで進むこの映画に、小津安二郎は野田高梧とふたりで、皮一枚隔てた裏にある冷たさを込めたのだった。

 映画のラストシーン。焼き場の近くの河原で顔を洗う農夫(笠智衆が相変わらず笠智衆であることにホッとさせられる)が、今日も焼き場の煙に誘われて現れたカラスの姿を認めて言う。「けど、死んでも死んでも、あとから、せんぐりせんぐり、生まれてくるわ」。この台詞だけ聞くと、人の世の大きな循環を肯定する前向きな世界観を提示するように見える。けれども、流れ橋の上を行く葬列のショットに続くのは、河原に佇む三羽のカラス。まさかこれがラストショットではないだろうなと思って見ていると、「終」のエンドクレジットが出てしまった。このカラスのインサートショットを見て、観客は奈落に落とされたような気持ちになるだろう。わずかな肉親しかよすがに出来ない人間関係。その肉親とて、死んだ後には煙を見上げるしかない。その孤独の暗闇を、端然とした映像と計算されたプロットで描き切ってしまう映画。それが『小早川家の秋』なのだった。

小早川.jpg

 私は「紀子三部作」(※2)以降の小津作品を見たことがなかった。最近になって、戦前の作品から順番に見直していたところで、そろそろ『東京物語』より後の作品に着手するつもりだった。たまたま川喜田映画記念館で上映されるのを知って『小早川家の秋』を先に見てしまったのだが、ひょっとして晩年はこんな作風になったのかと思い、遺作となった『秋刀魚の味』を見てみた。果たせるかな、『秋刀魚の味』はいかにも小津らしい映画であった。それに比べると『小早川家の秋』は確かに小津らしくない映画に分類されるはずだ。小津安二郎が自らのことを語った有名な台詞があり、伝聞されるうちに随分と形が変わっているようだが、原典となったのは次の発言と思われる。

 「ぼくは例えば豆腐屋なんだから次の作品といってもガラッと変わったものをといってもダメで、やはり油揚げとかガンモドキとか豆腐に類したものでカツ丼をつくれたって無理だと思うよ」(※3)

 小津の発言をそのまま受け取るならば、『秋刀魚の味』は豆腐そのもので、『小早川家の秋』はガンモドキを作ってみた、というところだろうか。豆腐ではないことが公開当時には気に入られなかったのか、昭和三十六年度のキネマ旬報ベストテンでは『小早川家の秋』は十一位に甘んじている。批評家たちから不評だったとしても、誰が料理したかを明かされずにこのガンモドキを食べたならば、誰もが絶品だと舌鼓をうつに違いない。それが松竹といういつもの厨房ではないところで作ったからだとすると、大映に出向いて撮った『浮草』を見ていない私は、なんとも粗漏な間抜けなのかもしれない。(き)

秋刀魚.jpg



(※1)浪花千栄子は、令和二年下半期のNHK朝ドラ『おちょやん』主人公のモデル。『おちょやん』は、昭和初期から戦後までの松竹株式会社の興行史という側面を持った魅力的なドラマだったが、浪花千栄子がラジオドラマで復活した後の映画界での活躍(小津・溝口・黒澤の作品に出演した)がすっ飛ばされたのが残念だった。

(※2)『晩春』(昭和二十四年)、『麥秋』(同二十六年)、『東京物語』(同二十八年)の三作品。

(※3)「東京新聞 昭和二十九年十二月九日」と「小津安二郎大全」(松浦莞二・宮本明子編著/2019年朝日新聞出版刊)に紹介されている。



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