2021年05月06日

マルセル・カルネ『天井棧敷の人々』と犯罪大通りのオープンセット

 映画が始まってまず映されるのは劇場の幕。そこにドン!ドン!ドン!と床を踏み鳴らすような音が響く。クレジットタイトルが流された後、幕が上がると現れるのが市井の人々で溢れ返る「犯罪大通り」。観客は一気に十九世紀半ばのパリへと連れて行かれる。『天井棧敷の人々』の見事なオープニングだ。
 マルセル・カルネ監督『天井棧敷の人々』は、外国映画のオールタイムベストの常連作品。フランスの映画雑誌カイエ・デュ・シネマが2008年におこなった「史上最高の映画ベスト100」では第八位に選ばれている(※1)。本作を見ると良い映画の絶対条件のひとつが導入部にあるとあらためて認識させられる。犯罪大通りの移動ショットひとつで開巻後すぐに観客は映画の世界に引きずり込まれてしまうからだ。
 犯罪大通りは存在感そのものが圧巻だ。桁外れに長大な大通りは張ち切れんばかりの通行人に埋め尽くされ、見世物小屋や商店からの口上人と楽隊の呼び込みが騒々しい。ほとんどの建物は白っぽく塗装されていて、大道芸人たちは白っぽい服を身にまとい、白昼の過剰な光線の下でキャメラの露出も開き気味。その名称とは正反対に画面は天国を思わせるほど明るさに満ち溢れ、大通りの喧騒が神々しくさえ感じられるファーストショットだ。

 ここから映画は主要な登場人物を、観客にその手際良さを察知させないほどの手際良さでほんの十数分の間に紹介してしまう。美女の裸身が見られるという見世物小屋。カーテンを入ると肩だけ出して沐浴中のガランスがいる。ひと仕事終えたガランスが通りに出ると、役者志望のフレデリックから声を掛けられる。ガランスがその誘いを断って入っていくのは、表向きは代書屋だが実は詐欺師ラスネールの店。古着屋ジェリコに盗品を売りつけたラスネールはガランスとともにフュナンビュール座の口上台へ。見物人で混雑する中、ラスネールに懐中時計をスリで盗まれた中年男がガランスの仕業だと騒ぎ立て警官がやって来る。しかしその一部始終を見ていたのが台上にいた無言劇役者バティスト。パントマイムでガランスの無罪を証明すると、ガランスはバティストにバラを一輪渡して去って行く。ここまでで主役四人とその関係が一気に印象づけられる。なんと見事な手さばきだろう。さらにはフレデリックとともにフュナンビュール座の中に入ると、バティストに恋する座長の娘ナタリーがいて、でもバティストはバラを見つめながらガランスの面影を追っている。観客はスピーディに映画の登場人物たちと知り合いになり、シンプルにその人物たちの関係図を頭の中に描くことが出来る。観客の映画を見る力を信頼した作り方だ。
 物語はガランスを中心に回り出すのだが、ガランスを演じるアルレッティの女優としての在り方は唯一無二のもの。映画評論家の淀川長治が「歌舞伎の女形のよう」と評したのはまさに正鵠を射た表現で、男性が女性に扮しながら化粧で年齢を消しているように見える。一見すると年増の女優なのに、付き合ってみると性別と年齢を超越した特別な人物で、その特別さがわかるものだけを惹きつける。若い頃に見たときには理解出来なかったが、そんな特異な排他性がアルレッティの魅力なのだ。
 かたやバティスト役のジャン・ルイ・バロー。何をおいても口上台でのパントマイムの凄さ素晴らしさ。これこそが至芸。身振り手振りだけで三人の人物とスリの犯行を再現する。息を飲むほどに絶品で、これまで映画に記録された中でも最高級の超絶技巧だ。ジャン・ルイ・バローは白粉を落とすと今にも折れそうな優男風になるのに、存外気が強いところも魅力的。スケジュールが合わず一時は別の役者を起用するつもりらしかった(※2)が、他の誰ひとりとしてバティストを肉体化出来る者はいなかったはずだ。

天井桟敷2.jpg

 けれども『天井棧敷の人々』の真価はアルレッティにもジャン・ルイ・バローにもあるわけでなく、映画を支配するのは犯罪大通りそのものだ。キャメラが犯罪大通りを映し出すのは映画の冒頭のみ。しかし観客は常に犯罪大通りを意識させられる。
 まずは音。見世物小屋の中でもフュナンビュール座に入っても、犯罪大通りが発するどよめきが絶えることなく聞こえて来る。場面が室内であっても、すぐ隣に犯罪大通りがあることを音の演出で伝えるのだ。
 さらには背景。ガランスが立ち寄るラスネールの店からはガラス越しに犯罪大通りの様子が映される。通常なら店内はスタジオでのセットで撮影されるから、書き割りやスクリーンプロセスを後に置くか、大通りを見えない角度にキャメラを置くかのどちらかだ。ところが本作の美術は、犯罪大通りの人混みそのものを背景に使っている。たぶんラスネールの店の窓側半分を犯罪大通りにくっつけて建てたのだろう。切り返す際の壁方向の店内は別セットで別撮りされているから、窓の外に大通りを映すことが美術設計の段階から計算されている。
 映画の導入部で観客に犯罪大通りを深く刻み込んでしまえば、あとはそこで紹介した登場人物たちに委ねておくだけで良い。観客は犯罪大通りのアトモスフィアを感じながら、もはやお馴染みになってしまったガランスやバティストたちと同じ世界に浸り込んで、そのドラマを見物するだけだ。『天井棧敷の人々』が傑作と評されるのは第一部「犯罪大通り」への評価と同一であって、その影の主役は犯行大通りそのものだと言えるだろう。
 この犯罪大通りのオープンセットはなんと百六十メートルにも及ぶ巨大なもの。劇場や寄席や見世物小屋の建物が通り沿いに建築され、そこに二千人近いエキストラが集められた。映画のクライマックスとなるカーニバルの場面では通りのいちばん奧の二十メートルの建物は遠近法に則った書き割りで、その前を大勢の子どもたちでうずめたのだという(※3)。遠くにいる人間を子どもで表現するのは歌舞伎の「遠見」と全く同じ手法。そこまでして壮大な光景を映像化しようとする執念に感心させられる。この巨大なオープンセットは、実は困難を極めた製作プロセスの紆余曲折を象徴した存在なのでもある。

 1943年8月17日に開始された撮影は同年末までには終わる予定だった。ところが完成したのは1945年3月。四ヶ月で済むはずが一年七ヶ月を要したのだ。当時のパリはナチスの支配下にあり、独立プロダクションは非占領地域の南仏に逃げて映画製作を継続していた。本作もニースのヴィクトアリーヌ撮影所に犯罪大通りのオープンセットが建てることから製作が開始された。撮影は順調に進み、あと二週間でオープンセット部分の撮影が完了するというとき、連合軍がシチリア島に上陸。パリの映画管理局は、即刻撮影所を閉鎖しカメラなど機材すべてをパリに持ち帰るようにというナチスからの命令を伝えて来た。プロデューサーのアンドレ・ポールヴェ(※4)がパリでの撮影再開案を映画管理局に提出するも認められず、パリで撮影するには当時ナチ御用会社になっていたパテ・シネマに一切を委ねることが条件とされた。
 やむなく製作主体を切り替えて1943年11月にやっとパリで撮影を再開したものの、連合軍はシチリア島から動く気配もなく、パリの撮影所は停電ばかりで一向に捗らない。こんなことならニースに戻ったほうがマシということで、ヴィクトアリーヌ撮影所に機材を運び直したが、留守の間に嵐があり、オープンセットは暴風雨でなぎ倒されていた。セットを修復してやっと撮影が軌道に乗ってきた1944年6月、連合軍がノルマンディに上陸し一気に戦局が緊迫化。このときマルセル・カルネはあえて撮影を遅らせる決断をする。ナチ占領下ではなく、フランスが解放された直後を狙って公開しようと考えてのことだった。8月にパリ解放が実現して自由フランス体制になってみると、また難題が勃発。ジェリコ役のロベール・ルヴィギャンが親独派逮捕を恐れて逃亡してしまったのだ。急遽ピエール・ルノワールを代役に立ててジェリコが登場する場面をすべて撮り直すはめになった。
 そんなあれやこれやがあって映画は1945年3月に完成、シャイヨー宮で今風に言えばワールドプレミアロードショー公開された。5月にはマドレーヌとコリゼ・シネマで一般公開を開始。両館ともに五十四週間続映を記録し、入場者数は五十万人に達した。ドイツ占領下で製作されたフランス映画二百二十本のうち最も大掛かりで、製作費は六千万フランに及んだという。(※5)
 このような艱難辛苦の中心にあったのが犯罪大通りのオープンセットだったわけだが、セットデザインを担当したのはアレクサンドル・トローネル。トローネルはハンガリーからフランスに逃れてきたユダヤ人で、南仏の山奥に投宿して美術プランを隠れながら描いた。撮影現場には大勢のスタッフが出入りしていて親ナチ派による密告の危険があったからだ。音楽を担当したジョゼフ・コズマもユダヤ人で、トローネルとコズマの二人はタイトルロールでは”Collaboration dans la clandestinité”(地下からの協力者)としてクレジットされている。

 かようにドイツ占領下での映画製作は様々な障害に直面したのだが、最も現実的に映画そのものへの打撃となったのは上映時間の制限だった。ナチスは映画の内容を検閲するだけでなく、映画の長さを一本あたり一時間三十分程度に収める条件を課した。普通ならば、ガランスがモントレー伯爵との婚姻を受け入れる決意をしたところで「休憩」となり、第二部「白い男」で再開されるのが通常の形式。しかし上映時間制限のために、「白い男」が始まるところで再度タイトルロールを流して、これは別の映画ですよと断りを入れなければならなかった。よって『天井棧敷の人々』は百分の第一部と九十分の第二部とのふたつの映画によって構成された二部形式の作品になったのだった。
 そのせいというわけでもないのだろうけれども、第二部「白い男」は第一部ほどには傑出していない。犯罪大通りの存在が薄くなってしまっているせいもあるが、ガランスとバティストの関係を変容させてしまったことが躓きの元だ。バティストがひたすらガランスを恋焦がれるというのが第一部のモチーフだったはず。それがいつのまにかガランスがバティストのことを忘れられないという設定に変わっている。これでは一旦幕間で離れた観客を再び映画の世界に呼び戻すことは出来ない。さらに細かなところで言えば、金目当ての殺人を行い決闘の申し込みは拒絶するラスネールが、名誉のためにモントレー伯爵を刺すのはなぜなのか。そもそもラスネールの身分で伯爵家で待ち伏せしたり、高級サウナにフリーで入れてしまうものなのか。マルセル・カルネは脚本家ジャック・プレヴェールとの協働作業について、前半は自分も台詞を書いているが後半になるほど台詞はほとんどジャックの仕事だったと回顧している。第二部は流麗な台詞だけが先行してしまい、プロットがおざなりにされている。シナリオの一貫性は、映画が二部形式になったことで残念なことに破綻してしまったのだった。

 とまれ、今でも『天井棧敷の人々』が映画史に残る名作として評価されているのは、ドイツ占領下においても果敢にフランスらしい映画製作に挑み、完成させたからであることは間違いない。パリが解放されるまでのドイツとの戦いは、連合軍の戦略(拙速にパリへ侵攻しても兵站が追いつかない)と解放後の主導権争い(ド・ゴールの自由フランス軍と共産党中心の内地フランス軍)とヒトラーの狂気(撤退するならパリを廃墟にせよ)とパリ軍事総督の降伏(ドイツの将軍コルティッツがパリを破壊した者として歴史に名を残したくなかった?)とがないまぜになり曲がりくねった経緯を辿った(※6)。そんな戦時下でここまで巨大な映画を作ってしまう実行力には驚嘆せずにはいられない。逆説的には戦時下だからこそ、評論家ジョルジュ・サドゥールが「詩的リアリズム」と言うところの「不安定な時代の鬱屈した気分を反映した、繊細で叙情的かつ厭世的でロマンティックな物語をセットで撮影した作品」が出来上がったのだろう。いずれにせよオールタイムベストにランクインし続けるべき名作をクリアな映像と音響で再見出来ることは何よりの僥倖だ。リストアで作品を蘇らせたデジタル技術に感謝である。(き)

天井桟敷1.jpg


(※1)第一位はオーソン・ウェルズの『市民ケーン』。日本映画では『東京物語』が十四位、『雨月物語』が十六位にランクインしている。

(※2)撮影に入るときジャン・ルイ・バローには舞台の仕事が入っていて、マルセル・カルネはジャック・タチを起用することも考えた。ジャック・タチは言うまでもなく『ぼくの伯父さん』の監督で主演者。当時はまだ背がひょろ高いパントマイマーだった。

(※3)「映画はこうしてつくられる 山田宏一映画インタビュー集」(山田宏一著/2019年草思社刊)のマルセル・カルネインタビューより。映画評論家山田宏一は『天井棧敷の人々』リストア版の日本語字幕を担当している。

(※4)アンドレ・ポールヴェは、マルセル・カルネの前作『悪魔が夜来る』のプロデューサー。戦後にはジャン・コクトーの『美女と野獣』『オルフェ』などをプロデュースしている。蛇足だが、『美女と野獣』でも冒頭にドラムの音がドンドンドンと響き渡る。歌舞伎が拍子木のチョンチョンをきっかけに定式幕が右へと開かれるのに似て、床を踏み鳴らす音のあとで幕(rideau)が上に上がるのがフランス式の開幕形式のようだ。

(※5)撮影経緯のほとんどは「シネマディクトJの映画散歩 フランス編」(植草甚一著/1978年晶文社刊)の本作についての記事から引用した。植草甚一は和書・洋書を問わず古本収集家で、ロジェ・レジャン著「シネマ・ド・フランス」とジャン・ケヴァル著「マルセル・カルネ」を参考にしたという。ちなみに植草甚一も「第二部へ入ると、こうした欠点(視覚性の独自さよりも台詞の説明が主になること/筆者注)が目についてくるのは事実である」と書いている。ついでに犯罪大通りのオープンセットの規模について付記すると、2020年秋公開時のフライヤーには「全長四百メートル」と記載されている一方で、山田宏一著は百六十メートル、植草甚一著は二百ヤード(約百八十メートル)だったと伝えている。いくらワイドキャメラで撮ったとしても四百メートルの長さは必要ないはずだから、本稿では百六十メートル+書き割り二十メートル説を採用した。
【追記】山田宏一がトローネル本人にインタビューした別著では、トローネルの「全長四百メートル、エキストラ千五百人」という発言が記されていた。フライヤーはこの記載を参考にしたようだ。

(※6)パリ解放の経緯については「パリは燃えているか」(ラリー・コリンズ、ドミニク・ラピエール著/2005年早川書房刊)に詳しい。



posted by 冬の夢 at 21:42 | Comment(1) | 映画 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この映画、世評の高さに誘われるようにして、大学1年生のときに見ました(その後も数回見たかな…)。そして、すでに映画を見ている最中に「生涯ベスト1」に認定されました! 映画の中でフレデリックが「愛する二人にはパリは狭い(だから、きっとまた偶然に再会する)」という決め台詞のカッコ良さ(この台詞、多分別の機会にも2回繰り返されていたはず)。そして、フレデリックは確かシェイクスピア俳優として頭角を現していったような記憶があるのだけど、だとすると、決め台詞を数回繰り返す手法もどこかシェイクスピア御大と通じるところがあるような気がする。(もちろん、こんなことは大学生の頃は思いもよらなかったけど。)しかし、今しみじみと思うのは、三角関係って、何がどうなっても上手くいかないものなんだなということ。フレデリックもバティストもいい奴なのにね…… 
Posted by H.H. at 2021年05月09日 01:14
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: