2021年02月15日

野田高梧『シナリオ構造論』 〜 映画における脚本家の役割

 最近、昔の日本映画をよく見る。ほとんど未見なので、小津安二郎の戦前の作品などを初めて見て、改めてモノクロ時代の日本映画の良さを再認識する。そこで小津映画についての評論などを読んでいたら、『晩春』以降の全作品で小津とコンビを組んだ脚本家の野田高梧(※1)が『シナリオ構造論』という本を出していたことが書いてあった。そんな本があるんだなと知った数日後に、本屋の映画コーナーに立ち寄ると、その『シナリオ構造論』の復刊本が棚の真ん中に面陳列(※2)されていた。最近は図書館で借りてばかりで本を買うことも少なくなったが、これは読みなさいという啓示だと思い込み、購入することにした。

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 『シナリオ構造論』が出版されたのは1952年(昭和二十七年)。雑誌「シナリオ」に連載された「シナリオ方法論」を野田高梧が自ら加筆・修正した。映画のシナリオを多様な視点から分析して、その構造を詳らかにしているが、「あとがき」にあるように「僕がこの著書のなかで一番強調しようとしていることは、シナリオには一定の方法などあるべきではないということ」が一貫して主張されている。今読んでも大変にわかりやすく、引用されている事例は映画の古典的作品からばかりなので、この一冊があればすぐにシナリオが書けてしまうような気にさせられる。2016年に復刊されて2020年には第二刷が出ているから、脚本家志望の若い人たちから現在でも支持されているのだろう。
 『シナリオ構造論』を読んであらためて教わったのは、シナリオがどのように構成されているかということ。野田によれば、シナリオは「題材→テーマ(主題)→ストーリー(筋)→プロット(はこび)→コンストラクション(構成)」に分解される。そしてこれらどの段階から発想されてもよく、また多段階に同時的に誘発されてシナリオは構成されていくのだ。中でも「ストーリー」と「プロット」が竹を割るように分割して説明されていて、自分がいかにこのふたつを曖昧にしか捉えていなかったかを思い知らされる。そしてシナリオが成功するか否かのターニングポイントが「プロット」にあることもよく理解出来るのである。

 プロット(はこび)は往々にして筋(ストーリー)と混同されがちであり、事実、一般的な映画常識からいっても、大体同じ程度の内容を現わす言葉として使われてはいるが、しかし厳密に考えると、この両者は決しておなじものではない。
 ストーリー(筋)は、いわばシナリオの最も原始的な形であり、シナリオ創作の基礎とはなり得ても、少なくともそのままの形ではそれの構成の基礎とはなり得ない。それがシナリオ構成の第一段階へ踏み込むためには、ストーリーはまず一つのプロット(はこび)としての「仕組み」を持たなければならない。


 ではストーリーとプロットとはどのように違うのか。野田高梧の教えに従って具体例を挙げてみよう。
 例えば題材は太平洋戦争で、主題は戦争の悲惨さだったり家族の絆だったりという場合。結婚したばかりの若い男女がいて、太平洋戦争が始まり、男は兵隊に取られ、女は疎開する。男は南方の戦地に送られ、女は戦地から届く男の手紙だけを楽しみに暮らす。手紙を届ける隻眼の郵便配達人は女に恋心を抱き、女もそれに気づく。戦争が終わった日、女は男が引き揚げてくると喜ぶが、郵便局には男の戦死通知が届く。郵便配達人はそれを配達せず、持ったまま姿を消す。女は男の帰りをいつまでも待ち続ける。

 と、事例を考えているうちに複雑なストーリーになってしまったが、要するにこれは筋であってプロットではない。プロットはシナリオの決定打なので、上記の筋には様々なはこびが幾通りにも考えられる。
 比較しやすいのでシナリオの冒頭を検討してみたい。パターンA。男女の新婚家庭の場面から始まり、そこへ召集令状が届く。野田高梧が言うところの「直線的プロット」である。当然この後には二人の別れ、女の疎開、戦地の男、手紙というはこびとなり、時系列に従った場面が順序立てて展開される仕組みだ。パターンBは「断続的プロット」。田舎道を走る郵便配達の自転車。田んぼ仕事をしている女に郵便配達人が手紙を渡す。二人の会話から場面は戦地で手紙を書く男へ転換する。こうなると、男女の新婚生活が回想形式で挿入されたりして、過去と現在を行きつ戻りつする複雑な構成を整理するために、郵便配達の自転車が物語の進行役を果たす小道具となるだろう。パターンC以降は事例を挙げればキリがないが、結婚を申し込む手紙、召集令状、男からの手紙、女からの返事と「手紙」のやりとりを繰り返して描くだとか、いきなり終戦の玉音放送から始めて、郵便局の仕分箱に男の戦死公報を見つける郵便配達人につなげたりだとか、数限りないパターンがある。すなわちひとつのストーリーに対してプロットの組み方はいくつでも考えられるのであって、その中のどのプロットを選択するかが脚本家の腕の見せ所となる。だからこそプロットがシナリオの成否を決めるターニングポイントなのだ。
 ちなみにコンストラクションとは、プロットをどう描くかに踏み込んだ段階。具体的には、玉音放送の場面を、酷暑の朝に「今日の昼に公民館に集まれってよ」という会話から始めるか、玉音放送を聞いて泣き出す大人とキョトンとしている子どもで始めるかの違いだ。もちろんここに来るまでにはプロットが完成されている必要があるが、このようなシーンネタを常に持っていることがシナリオ作りに役立つそうである。

 シナリオの構成を拙いながらなぞって来ると、「題材・主題・筋・はこび・構成」とは何もシナリオだけに限ったことではなく、戯曲にも小説にも適用される基本原則のような気がしてきた。『シナリオ構造論』でも、シナリオの構成を発端から結末まで説明した後に次のように書かれている。

 これは(中略)最も基本的な劇的構成の順序であり、ひとり映画の場合のみに限らず、一般の「劇」と呼ばれるものすべてに適用されるはずのものだけに、これが映画の上に参酌される場合には、そこにまた映画は映画としての構成の特質が充分に考慮されるべきである。

 『シナリオ構造論』を読むと、野田高梧が映画だけではなく演劇や文学に深く精通していて、その知見の上からシナリオという新しい表現形式を解析しようとしていることがわかる。そんな野田高梧の姿勢を見ると、映画におけるシナリオの役割を重要視し、脚本家の価値を世の中に啓蒙しようとしたのが『シナリオ構造論』の目的だったと思われる。冒頭に置かれた「概観」の章では、シャルル・スパーク(※3)と黒澤明の発言を引用しながら映画における脚本家の役割の重要度を力説している。

 「一つの映画が成功するためには、私はその寄与の四十%をシナリオ作家に、三十五%を俳優に、二十五%を監督に、と分かつべきものだと考える」(中略)――このスパークのパーセンテージの与え方の適否についてはいろいろ議論もあろうが、しかし、どれもが五十%を持ち得ないという主張に関しては誰しも抗議すべき論拠を持ち得まい。

 「弱い苗からは絶対に豊かな実りは期待出来ない。弱いシナリオからは絶対にすぐれた映画は出来あがらない。シナリオの弱点は、シナリオのうちに退治しなければ、映画として救うべからざる禍根を残す。これは絶対的である」――これは黒沢明氏の文章の一節だが、この言葉は黒沢氏が演出家であると同時にシナリオ作家でもあるだけに、いっそう玩味されるべきだと私は思う。


 野田高梧は、戦前から小津安二郎に多くのシナリオを提供しているが、1949年(昭和二十四年)の『晩春』から1962年(昭和三十七年)の『秋刀魚の味』まで小津安二郎が監督した全十三作のシナリオは、すべて小津安二郎と野田高梧の共作としてクレジットされている。二人は「雲呼荘」と称した野田高梧の蓼科の別荘にこもり、酒を飲みながら共同生活をしてシナリオを書いた。書き上げるとまず野田の妻が目を通し、娘が清書をしたのだそうだ。小津と野田のシナリオには必ず娘や母親が登場人物として出てくるが、その台詞を野田の妻と娘が容赦なく「こんな言い方しないわよ」とやり込める。女性陣二人のOKが出るまで小津と野田は書き直しするのだった(※4)。そうした執筆スタイルが、野田高梧を映画そのものの共作者の立場に立たせたことは間違いない。
 このような共作関係は小津安二郎と野田高梧のコンビのみに許されたことであって、もちろん小津の鷹揚さや包容力も要因だっただろうけれど、溝口健二や黒澤明においては、作者は自分ひとりであって、共作者は存在し得なかった。溝口健二の戦後作品はほぼ依田義賢が脚本を担当しているが、それはクレジット上のことだけで、実際は撮影現場で溝口の思うままに訂正されていた。溝口組の現場には黒板とチョークが常備されていて、俳優の演技に駄目出しした後に、溝口がその場で思いついた台詞を黒板に筆記させる。そのたびに溝口健二は依田義賢を呼び出して、シナリオを書き直させたそうだ(※5)。また、黒澤明にとって小國英雄や橋本忍、菊島隆三は、アイディアを競わせて、自らのシナリオを精錬させる脚本製作工場の仕事仲間だった。黒澤は題材やテーマごとにそれらの仲間の最適な組み合わせをコーディネートして、より純度の高いシナリオを練り上げる工程を管理していたのだ。

 こうして比較してみると、映画監督の立場からシナリオを統制していたのが溝口健二や黒澤明であり、小津安二郎は野田高梧とシナリオを共作する過程においてじっくりとゆっくりと煮詰めるようにして映像化のイメージを熟成したのではなかったろうか。シャルル・スパークの「シナリオ作家が四十%」という発言に出会ったとき、野田高梧は小躍りして喜んだに違いない。百ではないが四十、しかし俳優や監督よりも高い比率で映画を支配するのが脚本家の役割。そもそも野田は脚本家ではなくシナリオ作家という呼称を使っている。野田高梧は自らをシナリオを創り出す「作家」と見做していたのであり、小津の映画を自分の作品だと信じていたのだと思う。
 映画を作品として分類する際には、まず映画監督別から始めるのが通説ではあるが、『シナリオ構造論』を読むとあらためて脚本家の存在を見直そうという気になって来る。そして、台詞の語尾を「だわ」にするか「だよ」にするかまで常に一致していたという小津と野田のコンビは、日本映画が生んだ至宝のひつとだったと思い直すのでもある。(き)

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(※1)野田高梧(のだこうご)。愛知一中、早稲田大学を卒業後、雑誌記者・公務員などを経て松竹に入社。シナリオ作家協会初代会長。文中の引用はすべて『シナリオ構造論』より。

(※2)書店で棚に表紙を見せて書籍を陳列すること。平台での平積みと違って客の視線の高さに本があるので注目されやすい。

(※3)シャルル・スパーク。フランスの脚本家。代表作は『大いなる幻影』『嘆きのテレーズ』など。『太陽の下の18才』の主演女優カトリーヌ・スパークの父親なのだそうだ。

(※4)「鎌倉文学館 特別展 小津安二郎」(2020年8月29日〜9月22日)の展示より。

(※5)「国際シンポジウム 溝口健二」(山根貞男・蓮實重彦著)に収録された助監督田中徳三の証言より。



posted by 冬の夢 at 22:59 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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