2021年01月16日

『西鶴一代女』再見 〜 溝口健二という暴君または名監督

 溝口健二の『西鶴一代女』を数十年ぶりに再見。最近は映画を見ながら「これは凄い…」と呟くことなどとんとなかったのだが、久しぶりに映画に圧倒される体験だった。最初に見たのは学生時代、当時のフィルムセンター大ホール。そのときに溝口健二の映画自体を初めて見て、長回しの移動ショットにえらく感動した覚えがある。再見してはっきりと蘇ったそのショットは、竹林の中を主人公お春が母親に追われながら走る、あの有名な場面。キャメラは茅葺屋根の家から飛び出るお春をややロング気味で捉えたまま右へ移動。なだらかな傾斜を上るようにして竹林に入ると、キャメラとお春の間に映る竹が、走るお春の倍の速さで画面を右から左に横切って行く。その速さが、枯草だらけの地面に倒れ伏して泣くお春の慟哭に直結されていて、「これが映画だよなー」とひとりごちたのが昨日のことのように思い出されたのだった。
 このショットがきっかけとなって溝口健二に目覚めフイルムセンターに通い詰めた、という流れには全くならなくて、次に溝口作品を見たのは割と最近(とは言っても十年くらい前)で、NHK-BSで放映された『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』の三本だった。『近松物語』には、香川京子と長谷川一夫が山の坂道を転げ落ちてくる、先の竹林の移動ショットを彷彿とさせるようなシーンがあって、『西鶴一代女』を含めてこれらの作品は、クレーンを使った移動ショット(移動を伴うから当然ワンショットの尺は長くなり、結果的に長回しになる)によって構成された溝口健二の代表作なのだった。

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『西鶴一代女』田中絹代

 代表作と言うのであれば代表しない作品もあるわけで、数ある作品の中でこれぞこの人と呼べるもの以外にも選外とするには惜しい作品群が、巨匠たちにはある。黒澤明で言えば、代表作は文句なく『七人の侍』『生きる』『赤ひげ』あたり。『野良犬』や『天国と地獄』は代表作とは言えないかも知れないが黒澤明らしい作品だし、『隠し砦の三悪人』や『椿三十郎』なども選に漏れましたからもうどうでもいいやとはならない黒澤映画の傑作なのである。
 ところが溝口健二となると先に掲げた四本がそのまま代表作であり、それ以外には「これぞ溝口」と呼べる作品を見つけることが難しくなる。たぶん戦前の『浪華悲歌』『祇園の姉妹』『残菊物語』がそれに近い位置付けにあるものの、溝口を代表しているとは思われない。いわんや『雪夫人絵圖』『武蔵野夫人』『お遊さま』などにおいてをや。そのように振り返ると、黒澤明が初めて三船敏郎と組んだ『酔いどれ天使』からキャリアの頂点となる『赤ひげ』までの全作品において一点の曇りもなく「ザ・黒澤映画」を作り続けたのに対して、溝口健二は映画人生を通じて数本の名作を残した、と総括出来てしまうのかも知れない。もちろん黒澤とて『どですかでん』以降は作風が大きく変化してしまい、観る側からすると黒澤らしさが失われてしまったような気もするので、一概に溝口健二らしさを数本のみに引っくるめてしまうのは暴論と言えよう。けれども『西鶴一代女』に至る溝口健二の映画をやや突き放して見てみると、溝口らしさに到達するまでの溝口健二には巨匠としての揺るぎなさよりも、一映画人としての揺らぎを感じざるを得ないのである。

 このような思いに捉われるのは、『西鶴一代女』を再見する前に溝口健二のことをおさらいしておこうと、サイレント映画『折鶴お千』を皮切りとして未見だった溝口作品を製作年代順に沿って見続けたからだった(※1)。少し前に『残菊物語』を見たときには、戦前の作品にすでに移動ショットを使いこなしつつフルショットを基本として登場人物たちをエモーショナルに描くその技量に改めて感じ入ったのだったが、戦後になるとその面影はすっかり消え失せてしまう。先に掲げた『雪夫人絵圖』『武蔵野夫人』『お遊さま』の三本は、それなりに面白くは見られるものの、ステレオタイプのキャラクターたちがありがちなプロットの上であらすじだけをなぞる通俗的な作品で、溝口健二だと言われなければ監督のことなど気にもならないよくある物語映画だった。それはすなわち俳優の台詞によってドラマが進行するだけの映画を指すのであって、その演技を撮影したショットを脚本に示された場面の順番通りに繋げばそれで一丁出来上がりと言った体のものでしかない。『西鶴一代女』の直前に作られたこの三作品を見て、ひょっとして溝口健二という映画監督は数本の代表作だけで異常に過大評価されてしまっただけなのではないかという考えが頭を擡げたのである。
 それに追い討ちをかけたのが、新藤兼人による溝口健二の記録映画『ある映画監督の生涯』(※2)だった。新藤兼人は溝口作品の脚本も数本書いているし、その基本スタンスは溝口信奉者なのではあるが、新藤自らインタビュアーを務めて生前の溝口健二を知る人たちからさまざまな証言を拾い集めたこの記録映画は、旧弊な体質に染まった撮影所において絶対的権力を振りかざした暴君としての溝口を暴き出すドキュメンタリーにもなっていた。
 『近松物語』の次に撮った『楊貴妃』で、溝口健二が女優の入江たか子を降板させたのは有名な話らしく、その当事者たちがそのときの状況をそれぞれの立場で答えている。

増村保造(当時の助監督):一番オタオタして困ったのは『楊貴妃』でも『元禄忠臣蔵』でも溝口さんではないですか。手に入ったものにはほとんど文句は言わないけど、わからない不得手のものには逆上して大騒動になる。

荒川大(当時の小道具):入江さんはかつて入江プロダクションとして溝口健二を雇っていた立場。そんなことがあったせいか、溝口さんは現場で入江さんに厳しくあたってましたね。「入江くん、君は猫ばっかりやってるから(※3)そんな芝居しか出来ないんだ」と。

入江たか子:これは私から辞めさせていただきたいと言った方が穏やかに物事が全部進むんではないかと思いまして…。


 この騒動は結果的には入江たか子が自ら役を降りて、杉村春子が代役を務めたと言う経緯を辿る。『ある映画監督の生涯』で溝口健二のことを語る関係者たちを見ると、映画監督溝口の仕事に対する情熱に畏敬の念を持つと同時に、溝口健二をひとりの人間として見た場合には誰もが尊敬どころか敬遠したくなるような気持ちを抱いていたように思える。
 どんな世界でもトップに立つ人物は温厚篤実だけではやっていかれない。才能とは狂気に近く、狂気は自己陶酔の中にあり、自らを信じるものは徹底的に他者を排除する。企業経営者にもよくいる、業界やマスコミの受けは良い一方で、社内では独裁者のような振る舞いをするタイプ。『ある映画監督の生涯』は新聞社の取材に答える溝口の肉声から始まる。その声は極めて柔和で話の内容も謙虚さに溢れているが、メディア相手だからかまるで猫をかぶったような慇懃さだ。また、戦中に映画製作準備のため大陸に渡る際、佐官待遇では不満で将官扱いでないと行かないとごねたと言う逸話も紹介されている。すなわち権威や権力には媚びへつらう一方で、上位者であることを笠に着て下にいる者に圧力をかける。おだてられれば木にも登るが、遺恨を持ったらとことん相手を虐め抜く。そんな溝口健二像が浮かんで来るのだった。

 しかしそれは撮影所の現場での振る舞いであって、プライベートでは極度にシャイでウブな人でもあったらしい。田中絹代は多くの作品で主役に起用された当時、溝口健二と田中絹代が結婚するという噂が流れたことについて次のように語っている。

新藤兼人:溝口さんは田中さんに恋愛を感じていたのでは?はにかみ屋で照れ性でなかなか田中さんに告白はなかったと思うんですけど。

田中絹代:これはお答えするいいチャンスですね。私と先生はスクリーンの上の夫婦ですね。それは絶対的で、私的なことはほとんど存じません。もし先生が田中にそのようなことを思ってくれていたなら、それは役の上、田中に演らせた女性像に惚れちゃっているんです。

新藤兼人:「ぼくは田中くんに惚れているんだけどなんとかならんかね」と言われたことがあるんですよ。

田中絹代:それは小津先生にも誰にでも言っていたこと。結納はいつかと言う取材もありました。とっさに「溝口健二という演出家には惚れているけど、あの人は亭主にするような理想の夫ではない」と若さの力で答えました。それをその方が溝口先生に伝えたら、先生は「ぼくは田中絹代に振られましたよ」とこう言われた。先生はユーモアはない、日常生活の面白味はありません。


 まあ「面白味がない」と一刀両断されたら溝口健二も立つ瀬がなく同情には値するが、たぶん実際にジョークも言えず無粋でぶっきらぼうな男性だったのだろう。田中絹代に振られたというエピソードを入江たか子降板事件と重ね合わせると、後になって溝口が田中絹代と訣別した顛末にもなんとなく納得が行く。小津安二郎の薦めによって田中絹代が監督業に進出しようとしたときに、溝口は「絹代の頭では監督なんか出来ない」と言い放ち、それ以来田中絹代は溝口健二の最期を見舞うまで没交渉を貫いた。事の真偽はともかくとして、失恋相手を貶めてやりたいという気持ちが溝口には確実にあり、田中絹代は溝口の心根に気付いていたのだった。

 寄り道が長くなってしまったが、退屈な三作品と新藤兼人の記録映画によって、溝口健二という映画監督への評価値が大きく下がりかけていたところで、『西鶴一代女』を再見したわけだった。そして実際に見ていると、そんな不安を感じたのが恥ずかしくなってしまうくらいに、『西鶴一代女』は偉大なる映画監督の手によって紡ぎ出された畢生の傑作なのだった。
 傑作の心棒となるのが冒頭にも記した移動ショット。前作まではアクセントのように使用されていた移動ショットが、本作においては映像表現の中軸となって全編を通して多用される。竹林の横移動のような感情表現が冴え渡るのはもちろんであるが、シーン全体を一筆書きするようにしてひとつのショットのみで語り尽くしてしまう演出力には平伏するしかない。例えばお春一家が京洛外追放となる場面。京奉行の役人を先頭にして、旅姿のお春は両親とともに俯きながら歩く。大勢の奉公人たちがその後を続く。橋を渡ったところで、役人が踵を返して「見送りの者はここまで」と宣告する。両親とお春は深々とお辞儀をして歩み出す。奉公人が名残惜しそうにして三人を見送る。お春一家は川沿いの道を去って行く。普通の監督なら少なくとも五つくらいのカット割りで描く場面を、溝口はこれをワンショットに収めてしまうのだ。このワンショットを撮るためには、橋と川と遠景が揃ったロケーションが必須であり、横だけではなく橋の下を縦に動いてキャメラを仰角に向けられる移動装置の敷設が必要となり、画面に映る十余人の俳優全員の動きを統一することが求められる。そして何よりその指示を出すためには、ワンショットの完成形が完璧にイメージされていなければならない。そのイメージは溝口健二の頭の中にしかあり得ないのであるから、そのイメージの現実化に関わるスタッフとキャストはひとり残らず溝口健二の要望に寸分違わずに従わなければならないのである。
 このように考えを及ぼすと、撮影現場で溝口が暴君のように振舞ったのも理解出来るような気がしてくる。溝口にとっては自分にしか描けない映像を周到な準備の上で完成させる最終段階が撮影現場そのものだったのだ。何ひとつ揺るがせに出来ないから、現場にいる全員に極度の緊張を強いて、頭の中のイメージに一致させるまでテイクを繰り返す。俳優が何度もNGを出されたという話はよく聞くが、キャメラを移動させる撮影助手も果てしなくやり直しさせられたはずである。
 その点では「天皇」と呼ばれた黒澤明においては、表現者としての本質は編集にあった。マルチカム方式で様々な角度からアップやロングなどサイズを変えたショットを数多く撮っておいて、そのフイルムをいかにカットしていかに繋げるかが黒澤映画のダイナミズムに直結していた。現場はその素材作りの場であって、だからこそ黒澤はスタッフに混じって板磨きをしたり砂を撒いたりしたのだろう。黒澤の真骨頂たる編集はひとりでムビオラを覗く作業。その孤独な工程は溝口にこそ相応しいようにも感じるが、撮影現場で孤高の道を貫くことが皮肉にも溝口のスタイルだったのである。

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『西鶴一代女』田中絹代と三船敏郎

 『西鶴一代女』の傑作たる所以はもう一面あって、それは二時間半に及ぶ長尺に観客を没頭させる引き込み力である。そのひとつが語り口。ストーリーの基本線は封建時代において虐待され抑圧された女性の一生であるものの、語り口は陰鬱ではなく、どちらかと言えば滑稽味がある。それは封建社会において女性を思うように操りたい男性の側の根拠のなさから醸し出されるのであって、男性に弄ばれ流転するように見えるお春こそが最も自分の意思を貫き通す。三船敏郎演ずる勝之介との恋愛を主張するお春に対して、父親は狼狽えお春を非難するばかりだし、松平家の殿様は正室がお春を追い出すのを止められない。笹屋の主人はお春の身元を知って「タダで傾城遊びが出来る」と喜ぶばかりで、大番頭はお春を手込めにしようと丁稚を小遣い銭で懐柔する。本作に登場する男性どもは、恋愛のために斬首される勝之介以外全員が例外なくその場の享楽のことしか考えない。自らの信念を真剣に果たそうとするのはお春だけだ。男性どもの情けなさはお春の不運な成り行きを上回るほど惨めで卑しい。その卑小さがそのまま本作の滑稽味となり、語り口がどこか可笑しさを誘うのは男性どもの小物ぶりが笑えてしまうからである。
 また、そうした登場人物たちにリアリティを与えているのがセットや衣裳、小道具などの美術チームの仕事だ(※4)。お春が流転するに伴い、舞台設定が次々にうつろう。御所から一軒屋へ、大名家から遊廓へ、大店から尼寺へ、廃屋から羅漢堂へ。そのどれもが丁寧に作り込まれているために、あるひとつの時代にスリップしたような感覚に陥る。特に普通の時代劇には出てこない、庶民や街娼が佇む景色は実物など見たこともないのにリアルに感じられる。崩れた塗壁や傾いだ戸板など細部までのこだわり。美術がモノクロームの画面を落ち着かせ、落ち着きのない男たちが情けなく右往左往する。それらを背景として、お春の姿がくっきりと立ち上がるのだった。

 堕ちてはいくものの自らを見失うことなく生き抜くお春。『西鶴一代女』の英語版タイトルは”The Life of Oharu”と言う。『西鶴一代女』と呼ぶよりは「お春の生涯」の題名こそ相応しい本作は、溝口健二が映画監督としての人生に新たな扉を開いた乾坤一擲の傑作であった。そしてタイトルを「お春の生涯」からなぞったであろう『ある映画監督の生涯』と並べてみると、秀逸なる劇映画は詳細なる記録映画を一蹴するものなのだと気づかされたのでもある。(き)

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みぞぐち・けんじ 1898〜1956


(※1)昭和二十五年から二十九年までの五年間の溝口健二監督作品は以下の通り。
昭和二十五年『雪夫人絵圖』
昭和二十六年『お遊さま』『武蔵野夫人』
昭和二十七年『西鶴一代女』
昭和二十八年『雨月物語』『祇園囃子』
昭和二十九年『山椒大夫』『噂の女』『近松物語』

(※2)『ある映画監督の生涯 〜 溝口健二の記録』(昭和五十年公開・新藤兼人監督・近代映画協会製作)はその年のキネマ旬報ベストテンで第一位に選ばれた。

(※3)戦前の人気美人女優だった入江たか子は、戦後バセドウ病を患った後、大映で『怪談佐賀屋敷』など「化け猫映画」に出演した。

(※4)美術監督の水谷浩はヨーロッパでは溝口健二と同等に有名人だと言う。

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posted by 冬の夢 at 01:04 | Comment(1) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 とても久しぶりに再見しました。いや初見かもしれません。見たとしても、内容はすっかり忘れていました。
 見た後で上本文を読み直すと、とてもいい解説なので、得心がいきました。映画を見るさきから忘れてしまう自分が、本数ばかり見いて、それぞれの映画をろくに見ていないことを、思い知らされました。すばらしい文だと思います。
 というわけで、映画評は本文がし尽くしてくれていますので、いつものように「ねた」でも書こうと思います。スクリーンの端っこを見て、なにか見つけたというくらいが、自分には分相応だと感じています。
 それにしても、とことん暗い映画だと思うのですが、本文にも出てくる移動撮影の巧みさが、最後まで目をとらえて離しません。なんでも田中絹代がカットの結論を出さずにフレームアウトすることが多いのが、女性の主体性を表現していないということで、かつて批判の対象になったことがあるというのですが、その批判は、理解できないところです。「なにが起きたか」ということは見せられなくても否応なくわかり、そのときの主人公の感情は、当人が見えないからこそ、推し量るに余りあるものに、なっていくのですが。
 ちなみに、移動でのロングテイクもさることながら、引きで固定して回しっぱなしのときの構図の完璧さ、それにはたびたび恐れ入ります。初めのほうで出てくる二条城かな、この場面、とくに重要な場面ではないんですが、点景として写る人の位置も動きもパーフェクトすぎて驚きました。すぐにOKの絵が撮れたのかどうか、心配になるほどです。
 文楽(浄瑠璃)の場面があり、オープニングクレジットでは三和会が出演していることになってますよね。文楽が分かれていたから新東宝に出られもした、ということか。
 で、この映画に竹本住大夫が出ているという説があります。このとき三和会は三越劇場に出ていたんですけど、出場所が少ないので、こっそりアルバイトで出たと。オープニングクレジットでは桐竹紋十郎(二代目)以外は偽名らしいんです。49:41の場面で、遣い手の背後にちらっと写っているの、住大夫じゃないでしょうか、違うかな…。
 それから、ラストシーンで流れる音楽ですけれども、いったん拒絶された仏道(托鉢)に主人公がなぜ入ったのかということが、とても気になったものの、最後の曲の意味がわからない。この映画についての記事やデータを探してもまったくわからないので、歌詞をなんとか聞き取り、むりやり漢字をあてはめて検索しているうちに、ようやくわかりました。

衆生無辺誓願度
煩悩無量誓願断
法門無尽誓願学
仏道無上誓願成

 菩薩行に入る者が行う「四弘誓願」だったのですね。
 菩薩行は、自分の魂の救済ですとか、世俗を離れるための修業というのではなくて、むしろ世を救うための行なんだそうです。
 だとすると、はっきり説明はできないのですが、ラストの曲の詞を調べるまでなんとなく思っていた「最後に(背景のお寺さんが象徴している仏道に)救済される」ということではなくて、もっと、とても強い意味のあるエンドシーンなのだ、ということを感じました。
Posted by (ケ) at 2021年04月25日 23:27
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