2020年12月09日

BEYOND(黄家駒) − 早班火車 元気が出る曲のことを書こう[51]

 二〇年ほど前、香港から陸路で中国へ行ってみようということになった。
 市街から電車で行けるのは深圳だった。
 再訪していないので、いまどうかはわからないが、当時の香港で行きかたを聞いたら、危ないからと行くのを止められた。
 香港は返還から五年ほどたっていて、安定していた気がしたし、深圳はケ小平時代から経済特区なので、さして大ごととは思えず、教わって電車に乗った。香港の中心街方面と北部の新興住宅地を結ぶ通勤線で、なんなく深圳の手前の羅湖に到着した。
 ただし、そこで路線はいったん途切れ、細い川を渡って羅湖駅のすぐ北の深圳駅へ徒歩で行き、入境手続をしなければならなかった。香港の九龍と中国の広州を結んでいた鉄道路線は、中華人民共和国の建国で途切れたまま、香港返還後も接続されていなかったからだ。羅湖周辺は緩衝地帯のような一般立入禁止区域で、現在は出入境は容易らしいが、その状態は維持されている。

 返還後でも国境を越えるのと同じ手続きが必要なことに、いま思えば違和感はなかった。ただ、羅湖が出入境のためだけの駅で、外へ出られず通路を後戻りしてもいけなかったことは、印象に残っている。ほんのひとまたぎの川を渡って深圳へ入るため、羅湖で短期ビザを取るなどの手続きをしたと思うが、電車に乗ったまま通れば気づかないほどの川で中国と香港を隔て続けるのは、どちらの側の考えだろうか、と思った。たった一日しかいなかった深圳で、香港でさえ出くわさなかった、見てはいけないようなものをあれこれ見てしまったせいもあったのか、ごくわずかな距離なのに列車を降り、ふり返ることなく川を渡って行き来しなければならなかった経験が、越境の思いとして強く残ったのだった。
 じつは当時も香港と広州を結ぶ直通列車はあり、線路はつながっていたので、それが過剰な感傷だということは、あとで知った。

       

 そのときからさらに一〇年ほど前、香港で知らぬ人のない人気バンドがあった。日本でも活動したことがあるビヨンド(BEYOND)だ。
「海闊天空」という曲がある(一九九三年)。六年前の雨傘運動のとき、あらためて脚光をあびた。香港のほんとうの国歌≠フように、街路に出た人たちが歌ったのだ。いまの民主化(五大要求)運動でも、あちこちの街区で歌われているのだろうか。
 元気よく歌うのにぴったりの、フォークロックふうの曲で、日本語版もあるが、オリジナルの歌詞のほうがはるかに力強く、含意が深く感じる。

 多少次 迎著冷眼與嘲笑
  たびたび冷たい目と嘲笑をうけ
 從沒有放棄過心中的理想
  心中の理想を放棄することなく

(略)

 也會怕有一天會跌倒
  いつか つまづき倒れるかもしれない
 背棄了理想 誰人都可以
  理想を捨てるのは 誰にでもできるからだ
 哪會怕有一天只你共我
  ある日 ぼくときみしかいなくかるかもしれない
 仍然自由自我 永遠高唱我歌
  いつも自由な自分で 永遠にわが歌を高らかに歌い
 走遍千里
  千里の道を走る ※1


 作詞・作曲をしたバンドリーダーの黄家駒(ウォン・ガークイ)は、この曲が近年の民主化運動で歌われたことを知らない。香港返還を見届けることもできなかった。曲ができた一九九三年に亡くなっているからだ。
 当時の葬儀の様子を、かつての香港のニュース映像で見ることができる。香港市街の、あのせまい通りをファンが埋めつくし、墓地へ向かう車に悲鳴をあげて殺到するのを、警官たちが制止しきれないでいる。正確にはわからないが、関係者の参列だけで数千人、市街に集まったファンは一万人を超えたという。
 ふと思うに、当時のファンが一九六二年生まれの黄家駒と同世代なら、近年、街区で「海闊天空」を歌った若い人たちの親ぐらい、いま還暦前あたりの人たちということか。穏健派のみならず中国支持派も少なくないとされ、広くはない家が多いであろう香港の一般家庭で、民主化運動を支持する子どもと息苦しく対立しているともいわれている世代にあたるが、その人たちがいま、時をへて「海闊天空」が歌われるのをどう感じているかは、香港に行って聞いてみなければわからない。

       

 香港のために聞き、香港のために歌いたいと思うBEYONDの曲を、わたしが選ぶとしたら「早班火車」(一九九二年)だ。

 天天清早最歡喜
 在這火車中再重逢妳

  毎日、朝が最高なんだ
  この列車でまたきみに会えるんだ


 と、サビ始まりっぽい仕立ての、せつなく歌われるポップソングである。
 朝の電車で出会う女の子に片思いし、車窓に映る姿を繰り返し盗み見ながら、彼女から花の香りがするのを感じるというのは、黄家駒と同世代のわたしがいまやってバレたら逮捕される話だが、わかるなぁって感じだ。

 祈求路軌當中
 永沒有終站

  線路がいつまでも続き
  終着駅が来ないことを祈る
  
 仍然幻想一天
 我是妳終站 妳輕倚我臂彎
 
  ぼくがきみの終着駅になり
  きみがぼくの腕によりかかる日を思い続けて


 ただの片思いソングで、抵抗精神はどこにもないじゃないか、といわれたらそのとおり。
 しかし、好きな女の子と幸運にも乗り合わせた朝の列車に、終着駅が来ないといいのに、というこの曲を聞くと、通勤路線が途中でぷつんと途切れ、香港と深圳の間を、小さな川の小さな橋を渡って通境しなければならなかったときの気持ちが、よみがえってくる。

 途切れた路線を徒歩でつないで出入境した手順の記憶は、深圳の巨大な駅舎前に出たとき見た光景で、ほとんど塗りつぶされている。そのころ行われていた、現在の地下鉄駅や地下街を造っていたにちがいない再開発工事だ。
 驚いたのは、もともと人工都市とはいえ、駅前からはるか見渡す限り広い地域全体を掘削、つまり露天掘りして工事していたことだ。その暴力的な光景さえも「見てはいけないもの」の入門編にすぎなかったのだが、すべてを剥がし、また埋め尽くして、あるものをないといい、ないものをあるといってしまえる、中国のものすごさを足元から感じた。
 何年ものちに香港鐵路博物館で、古い映画に登場する、香港と中国を列車が行き来していたころの場面をいろいろと投映しているコーナーを見つけた。ことばは解らないものの、この路線にかずかずの人間ドラマがあったことがよくわかった。しかし、この博物館はごく小さいもので、最寄り駅からも遠く、訪れる人は多くないようだった。

       

「早班火車」は、BEYONDが日本で活動していたから知ったのだと思う。曲の公式映像は当時の日本で撮られてもいる。
 黄家駒は、バンドのオリジナリティを重視せず──かつて香港では、日本の歌謡ポップスをパクった制作がよく行われていた──本格的なロックバンドをめざしているのにアイドル扱いする香港の芸能業界に不満を持って、香港の外へ活動の場を求めていた。
 その思いは、日本の芸能プロダクション、アミューズの誘致と合致した。そのころサザンオールスターズや爆風スランプの所属事務所として知られ、現在は東証一部に上場している芸能プロダクションである。

 しかし、日本での活動は裏目に出た。
「早班火車」の映像は、東京の撮影スタジオでバンドの宣材写真を撮っているところらしいが、ヘアメイクも写しかたもアイドル仕立てだ。歌謡曲ふうの曲を日本語で歌ったりテレビのバラエティ番組に出演することが日本進出だというのは、黄家駒の本意ではなかったのではないか。
 BEYONDの日本での活動は一九九三年、黄家駒の事故死で終わる。本人が出たがらなかったバラエティ番組の収録中、大道具から転落したのが原因だ。海外のトップスターが亡くなるという、放送事故としては最悪の事態だった。※2
 バンドは数年後に解散、再結成も試みられたが、いい結果は残せていない。確実な情報ではないが、プライベートでの仲違いが原因でうまくいかないらしい。
 曲が民主化運動の象徴として支持されているバンドにしてはつまらない話だが、バンドの核となる存在をとつぜん失ったのだから、しかたないだろう。それに、いまの香港で反体制運動に賛意を示すような演奏活動をすれば、即座に危険が迫る。残ったメンバーの決心が揃わないなら、再結成しないほうがいい。

 香港には親しくしている人がいる。
 しかし、いまの香港のことは、はっきりとは話題にしていない。
 筋道立てて聞けば、報道ではわからない実感も伝わってくると思うが、とんでもない迷惑をかけるのでは、という心配がある。
 なにかを怖れて自粛しているのではない。自分が行って、すこしの間でも暮らしてみて、香港の人たちの感じかたも聞いたうえで、自分なりの実感を得たいと思う。
 そう思っても身動きがとれず歳ばかりとってしまうのが、感染問題のつらいところだ。外出できないことは苦でないのに、こういうときは、いらだちが襲ってくる。(ケ)

201120By.JPG 
超越 1992
赤いジャケットが黄家駒



※1 歌詞の訳は翻訳サイトに頼るしか手がなく、誤りがあるかもしれません。
※2 フジテレビ『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』

Originally Uploaded on Dec. 10, 2020

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posted by 冬の夢 at 00:00 | Comment(0) | 音楽 映画音楽・ソウルなど | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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