2020年07月30日

溝口健二『残菊物語』と明治期の歌舞伎

 二代目尾上菊之助が主人公の『残菊物語』。溝口健二の映画は数本しか見ていないが、長回しや移動を多用したショットが特徴だということは、本作においても明らか。そして、太平洋戦争が始まるわずか二年前の昭和十四年十月に公開されたこの映画は、歌舞伎のバックステージものとしても多いに興味をそそられる。座席をひとつ飛ばしにして観客が密にならない工夫をしている神保町シアターに見に行った。

 映画としては、依田義賢(※1)の上手い脚本で見せる。二時間二十六分の長尺なのに、長さをまったく感じさせない。映画の中での時の流れが観客の感覚を支配しているからである。その流れを生み出すのが溝口健二の演出。横移動を基本とするトラッキングショットが独特な時間の流れを表現する。移動撮影の具体例をあげると、菊五郎邸を庭から横にゆっくりと舐めていくショット。日本家屋の開放性を利用して、客間から賄い場、居間へと画面が転換していく。あるいは名古屋駅のホーム。女房お徳を探す菊之助がそわそわとホームを歩くのを汽車の客室越しに映す横移動。この場面はオールセット。よく見ると客室はとても汽車とは言えない掘立て小屋に椅子を置いただけの安普請なのだが、移動するキャメラの真ん中にいる菊之助に観客の視線が引きつけられる。
 一方で俳優の演技をじっくりと捉えるのがフィックスショット。舞台で芝居をする菊之助と奈落の神棚で願をかけるお徳。客席が拍手喝采となって、お徳はやっと菊之助の念願が叶ったと笑みを浮かべて天に感謝する。と、その次の瞬間。笑みは消えて、お徳の顔に絶望が表れる。菊之助が舞台に立つためには自分と別れなければならない。菊之助の成功は自らの身の引き際でもある。その引き裂かれた思い。お徳を演る森赫子(※2)がその気持ちを台詞なしで表現する。溝口健二は基本的にフルショットしか使わないので、俳優は全身での演技が要求される。それだからここでのお徳は、視線や表情だけでなく、手や足の動きと姿勢で喜びから哀しみへの転落を伝えている。

 本作の主人公は二代目尾上菊之助。しかし、溝口健二の視点は限りなく女房お徳に寄り添っている。お徳は菊之助の義弟の乳母であった。周りの者は皆、菊之助が家長菊五郎の養子だからおべんちゃらばかり言う。そんな中でお徳だけが菊之助の芝居を正当に批判する。その正直さに惚れて菊之助はお徳とともに家を出るのだが、結局のところ家柄がなければ世間では通用しなかった。上方歌舞伎から旅廻りへと身を落とし、五年間苦労した末に、お徳の仲介でやっとのことで帰参を許される。しかし身分違いのお徳が女房では父・菊五郎が認めない。お徳は自ら菊之助のもとを去り、旅巡業で壊した身体のまま息絶える。
 お徳は、菊之助を支える糟糠の妻であるとともに、菊之助のプロデューサーでもあった。誰もが遠慮して口にしない芝居の不出来を直言して芸を磨かせる。それでいて常に夫を励まし鼓舞して舞台に向かわせる。自ら直談判して元の菊五郎一座に戻れるよう取り計らう。お徳は単なる薄倖な女ではなく、自分の手で菊之助という役者の花を咲かせた陰の立役者なのだ。『残菊物語』のタイトル通り、菊之助という役者を独り立ちさせて世に残したお徳が、この映画の本当の主人公なのであった。

残菊1.jpg

 しかし、現実にはその菊は残らなかった。
 映画のうえでは役者として大成し大阪に錦を飾った菊之助。けれども実在した菊之助は芝居の歴史に名を残すことなく消えてしまった。その経緯はこうだ。
 二代目菊之助は明治元年に植木職人の子として生まれた。義理の叔母は横浜の富貴楼という料亭の女将お倉。お倉は伊藤博文などの政治家と親交があり、その人脈は芸の世界までに及んでいた。そこでお倉と知り合った五代目菊五郎は、お倉の甥を養子に貰う。五代目菊五郎は九代目團十郎とともに明治期の歌舞伎を代表する役者。菊五郎には男の子がいなかったので、顔の良い養子を必要としていた。お倉の甥が三歳になるのを待って菊之助を二代目として襲名させる。もちろん自分の跡取りにするつもりだ。美貌の菊之助は菊五郎の後ろ盾もあり、花街の人気者であったが、あろうことか義弟の乳母りゑと関係を持ってしまう。
 そのりゑと出奔し菊五郎から勘当されたのは『残菊物語』で描かれた通りなのだが、菊之助の運命を変えたのは義弟の乳母ではなく、実は「義弟」そのもの。映画でもお徳が抱く乳飲み子は「こう坊」と呼ばれて可愛がられていて、菊五郎家に戻った菊之助は子ども部屋でひとりで遊ぶこう坊に「私のことを覚えているかい」と話しかける。この子こそが菊五郎にやっとのことで出来た実子・寺嶋幸三。後の六代目菊五郎だ。

 幸坊が生まれたのは明治十八年。菊之助とお徳の出会いもその直後だから、この年を基軸にして『残菊物語』に出ていた歌舞伎役者がどんな位置にいたのかを見ていこう。
 菊之助の養父である五代目菊五郎は、明治期の歌舞伎を九代目團十郎とともに隆盛に導いた人物。現在でも歌舞伎座の五月公演は「團菊祭」と銘打って開催されていて、九代目團十郎と五代目菊五郎の功績を称えるために昭和十一年から続くお祭りだ。五代目菊五郎は単なる過去の大物に留まらず、芝居にその足跡を残している。例えば誰もが知っているあの「白浪五人男」。「弁天小僧」とも呼ばれるこの芝居は、若き菊五郎の姿に触発された河竹黙阿弥(当時は新七)が菊五郎のために書き下ろした新作歌舞伎だった。そんな菊五郎は明治二十年、團十郎とともに明治天皇を前にした天覧歌舞伎で「操三番叟」を披露。『残菊物語』でも菊五郎がブラックタイの正装をして出かける場面が出てくる。社交界へ出入りしていたのは、天覧歌舞伎実現に向けたロビー活動だったのかも知れない。
 かたや単身大阪に乗り込んだ菊之助が身を寄せる座頭役者は、二代目尾上多見蔵(おのえたみぞう)。江戸時代末期から明治期にかけて長く活躍した人気役者だったそうだ。明治十九年に八十七歳で亡くなったと記録にあるから、『残菊物語』の流れとぴたり一致する。ちなみに最後の舞台は中座だったが、映画で菊之助が大阪で凱旋興行を打つのは角座。大阪には他に浪花座、朝日座、弁天座があり、これら五つの芝居小屋をまとめて「五つ櫓」と呼んだそうだ。
 多見蔵の死とともに旅廻りの一座に放り出された菊之助が、たまたま名古屋で巡業に来ていた「福ちゃん」と出会う。沢山の女性たちが楽屋口で出待ちをする場面も出てきた人気役者の「福ちゃん」は、当時の中村福助。名古屋では養父の四代目中村芝翫に頼み込んで、自分の役を辞退してまで菊之助の復帰に尽力する。菊之助を「菊ちゃん」と呼び、菊之助からは「福ちゃん」と呼ばれる福助は、後に五代目中村歌右衛門を襲名する。明治から戦前まで長きにわたって歌舞伎界に君臨する大立者だ。菊之助が大阪へ落ちていく時期、福助は既に天覧歌舞伎の「勧進帳」で義経を演っている。だから『残菊物語』の名古屋公演で菊之助に役を譲ったことを怒る見物客も大勢いたことだろう。その悪条件の中で喝采を浴びた菊之助がどれだけのプレッシャーのもとで舞台に立ったのか。時代背景をつつくほどに面白味が増す映画なのである。

 『残菊物語』に出てくる芝居は「東海道四谷怪談」「積恋雪関扉(つもるこいゆきのせきのと)」「連獅子」の三演目。「四谷怪談 砂村隠亡堀の場」は「戸板返し」が有名で、顔ハメ看板のように戸板に顔だけを出し入れするからくりも描かれている。伊右衛門、直助と立ち回りする与茂七。これを演る菊之助がいかにも下手に演じていて、見ていてももどかしいくらいだ。名古屋公演で菊之助が奮闘するのは「関の扉」の傾城墨染(すみぞめ)のお役。ぶっかえって桜の精になるところで拍手喝采となる。そして東京に帰ってからの芝居が「連獅子」。長唄連中の雛壇が左右に割れて石橋(しゃっきょう)がせり出す舞台装置や親子獅子の衣装の草摺が唐風なのは現在の演出と異なるが、明治期における「連獅子」はこんなふうだったのだろうか。また、舞台が広くなっているのは、新装なった歌舞伎座での公演という設定なのだろう。第一期歌舞伎座は明治二十二年十一月の開場。舞台の間口は、守田座の十一間に対して歌舞伎座は十三間(24m弱)。映画で菊之助が東京に戻るタイミングにも符合するし、横長の舞台に向けて観客が沸く客席の絵はいかにも大劇場という感じがする。
 このように劇中劇としての歌舞伎の演目を振り返ると、舞台を見る視点は常に役者の全身が映るフルショットの構図であることに気づく。キャメラのポジションは、客の頭越しであったり、花道の床スレスレであったりするが、切り取られた映像はどれも役者の演技をまるごと捉えている。溝口健二のスタイルは、歌舞伎を題材とするには全く好都合であったろう。

 『残菊物語』は菊之助の復活とお徳の死で終わった。しかし養父の菊五郎が音羽屋の後継者として選んだのは、当然のことながら実子の幸三。五代目菊五郎は、息子を九代目團十郎に預けて徹底的に芸を仕込んでもらう。自分の元においていては甘やかしてしまうと思ったのだ。五代目菊五郎が亡くなった後、幸三は明治三十六年に尾上菊五郎の名跡を六代目として継ぐ。そのとき二代目菊之助は、すでにこの世の人ではなかった。明治三十年、菊之助は三十歳で早逝。旅廻りでの苦労が寿命を縮めたのだと噂されたが、やがて人びとは二代目菊之助の存在自体を忘れてしまう。『残菊物語』は、フィクションとして二代目菊之助の名残となったのだった。(き)

残菊2.jpg(※3)


(※1)依田義賢(よだよしたか 1909年〜1991年)は溝口健二作品で多くの脚本を書いた。『スター・ウォーズ』シリーズのヨーダのモデルになったと言われている。

(※2)森赫子(もりかくこ 1914年〜1986年)は松竹から新派に移った女優。本作ではその痩身と高い声がお徳にジャストフィットしている。

(※3)「歌舞伎シリーズ第1集 62円切手記念切手シート 平成三年発行」から「鏡獅子 六世尾上菊五郎」 / 筆者(ケ)から貰った歌舞伎の切手の中にあった。◇切手の写真は解像度を低くしてあります。

(※)明治期の役者については「歌舞伎 家と血と藝」(中川右介著・講談社現代新書)、「歌舞伎ハンドブック 改訂版」(藤田洋編・三省堂)を参考にした。




posted by 冬の夢 at 11:06 | Comment(1) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 遅ればせながら見ました。この文も読み直しました。
 こういう話を長尺の映画でやられるのは苦手だし、現代の歌舞伎家系図もわからないのに昔の何代目といわれても、困ってしまうのですが、映画にはすっかり引き込まれ、また、実話と対比させての本文はとても参考になりました。
 初見とばかり思っていましたが、二回くらい見たに違いない映画でした。川口松太郎の芸道ものに、はまった時期があって、その線でしょう。
 この映画も、原作は村松梢風の短編だそうですが、川口松太郎の構成で、いかにも川口っぽいねという「おなじみ感」があります。原作は未読ですが、川口はかなり我田引水な性格の人だったそうだから、自分路線にしているのかもしれません。川口原作の芸道ものだと成瀬巳喜男の「鶴八鶴次郎」が、とても好きな秀作ですが(山田五十鈴と長谷川一夫で89分)、要所の仕立てがけっこう似ています。
 ともあれ、依田義賢ほどの脚本家がいて、なぜ川口がでかでかと構成に入っているのか、しかもクレジットが依田より前なのか、わかりませんが、新派と深い関係にあった川口であり花柳章太郎と友だちでもあったから、ということだろうか。
 それから、長年よく知らずに見ていたんですが、花柳章太郎って新派の人気俳優で、専門は女形だったんですね。新派だから、歌舞伎役者を演じたり実際に演目もやるのは、ハードルが高かったようですよ。
 いっぽう森赫子は、映画〜新派〜映画の女優さんで、新派時代は花柳の相手役で知られ、この作が映画カムバック初回作だったようです。ちなみに花柳の愛人だったことも有名だそうで(一九五〇年代に暴露系≠フ自伝を出版、『書きますわよ』という流行語の主だった)、花柳の二〇歳も歳下なのに、映画の中で花柳を諭すような芝居にたまらない情感があるのは、その関係の反映か……という見かたは、下品ですいません。
 もっとも、男の芸道を立てることに身を捧げ、出世を見守って身を引き、苦労がたたって病気で死んじゃったりする女って、いまは設定からして無理って感じですよね。現代の若い女性の意見を聞いてみたい気がします。いいかげんにして! って感じなのかな──「残菊」とは、大阪夏の歌舞伎名物である船乗込で、みごとカムバックをとげた菊之助が輝くのを見届けられず亡くなったお徳は、その実家で咲いていたような、おそらく白い、菊となった──花の季節が過ぎ晩秋となっても──というのが、わたしの見立てなのですが。
 今回、見ていてとても印象に残ったのは、二時間半もある全編の大半が「夜」、もしくは暗ぼったい室内ではなかったですか。その空間を、登場者もカメラもしずしずと動いていくのです。ひと幕の幻のお芝居を見ている気持ちになりました。
 とくに移動撮影では、暗い屋内を進む登場者を、手前に部屋などをひとつ、はさんで撮りますよね。戦前版の「祇園の姉妹」でも印象的だったんですが、葦原の川筋を舟で渡っていくようです。この映画の、列車の出発場面もそうでした。ふつうなら主人公の背後から撮って、車両ドアを開けるたび観客といっしょに中をのぞき込む設定、いっしょに失望する、という撮りかたをしないでしょうか。不思議な撮りかたなんです。
 また、登場者が画面手前から奥へまっすぐ進む場合も、部屋を対角線に通り抜けるような構図をよく作りますよね。家屋の奥の奥が見えるように撮っている。いちいちそういうセットを作らなきゃいけないから、大変なのに。
 いま思い出すのは、写真を教える学校の先生に「和風な撮影セッティングの例」を聞かれて、写真ではないけどと断りつつ、溝口の撮りかたを紹介したことがあります。その人は試見し、とても面白いといってくれたんですが、生徒さんに教えるにあたり壁に突き当たったとのことでした。
 なにしろいまの時代、居宅に和室がなくて当たり前なんです。素抜けの部屋を渡り廊下がつなぐ造りなど身近になく、畳を踏んだことはないし、襖が「壁」である実感がない生徒さんたちに、説明のしようがなくって、とのことでした。実体験としては、せいぜい古い旅館でしょうか。それもいまは、親たちが連れて行かないらしいです、「汚い」とかで。
 いや、わたしも広い日本家屋に住んだことなんて、ないですけども。
Posted by (ケ) at 2021年05月28日 18:39
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