2020年05月19日

散歩と「自分探し」と受験勉強【改】

 こちらが感染するかもしれないので、その行為や行動はやめてほしいと伝えるのはむずかしい。
 いいかたひとつ、かもしれないが、不注意を諫(いさ)めると「自粛警察」と非難されるそうだ。いちいち誰が、そんなひどいことばを思いつくのか知らないが、そういわれるくらいなら、黙ってがまんするほうがいい。

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マスクが必要な人にあげました

 自宅待機は、ひと月以上になった(二〇二〇年五月十八日)。
 運動が必要という、ややこしい持病だが、スポーツは苦手で室内運動はあまりしない。
 日数がたったし引きこもっているから、知らずに感染し拡散することは、まずないだろう。が、感染を防ぎ続けるとなると、首都圏でウイルスとの接触を皆無にするのは困難だ。

 運動しなくちゃならない病気とは、ご想像どおり糖尿病。高年齢+男性だし、ケチな感染症から肺炎を起こしそうになったこともある。新型コロナウイルスに感染すると重症になって死ぬ可能性があることは、あきらめている。けれど、周囲の安全にも自分の予防にも気をつけたのに死ぬことになったら、つらさは症状の苦しさだけではないだろうなと思う。
 そんな、怯えてはいないが平常心ともいえない心境で、急にマスク姿の人が減った週明けの窓外に困惑している。もう大丈夫、ということなのだろうか。

       

 食べもののことは、いや正確には、食べもの屋のことはなるべく書くまいと決めている。概して卑しい感じがするからである。※1

 と書いたのは仏文学者の山田稔で、その通りだと思うし、たしかに熱心に書く気はしない。
 ついでに「わたし」と一人称を使うのも気がひける。日本語の主語アヤフヤ問題に加担してしまうことになるが、「わたしの話」なんて誰も読みたくないだろうと思う。だから一人称で書く自信がない。そもそも、誰も読んでいないだろうけれど。
 ところが「散歩と〜」という題で日々の雑録を書きだしたら、食べもののこともしかりだが、「わたしの話」ばかり書いてしまった。いいかげんな情報の切り貼りをしないことは、この同人誌ブログに参加したときから決めているので、部屋に閉じこもっていると話題がなく、自分ネタばかりになるのはしかたないとはいえ。
 だったら、書くのをやめればいいのに。
 たしかにそうだ。もともと文を書くのは得意でない。なのに、なぜ書いてしまうのだろう。

       

 部屋に閉じこもり続けることが異常事態だとは感じない。
 七年ほど前、会社勤めを急にやめたが、以後の日常を「外こもり」といってきた。引きこもりのオープンエア版みたいな意味だ。
 通勤仕事には転職せず、首都圏、京阪神、東海地方など、都市の隙間をひとりで徘徊した。観光地や名所旧跡に行かず、名湯めぐり、古事巡礼なんてのもなし。各地に行っているのに、ジミな駅の周辺などを、だまって歩き回るだけ。
 かつての仕事は、数えきれないほどの人に会う、ざわざわした業種だったが、仕事上の人間関係は消え、仕事で知り合った人にはほとんど会わない。人と相対するのが面倒になり、新たに知り合った人もわずかだ。新聞やテレビはやめ、新刊本を買わなくなり、SNSもしていない。
 隠遁者になったから自宅待機も平気です、という説明がわかりやすいのだが、そういう意識もない。
 じつはこの文、開き直って「わたし全開」で書いてみようとしているけれど、つまり自分のことは、よくわからないのだ。
「外こもり」を始めたころ、”ちい散歩” が人気で、似たような格好をした、ひと回りふた回り世代上の男性諸氏を、よく見かけた。まもなく地井武男が亡くなって、ブームはほどなく収束したらしいが。
 ちい散歩氏たちが訪れる場所は避けていたが、自分も仕事を離れて散歩しているわけで、それで自分のことがわかったかというと、まったくわからず、そのまま今日に至っている。
 ならば、引きこもっているうちに「自分探し」をやってみるか、と考えた。オープンエアでは発見できなかったからインドアだ。きどったり斜に構えたりせずに、やってみよう。

 そこで始めたのは「受験勉強」。
 青少年時代の自分にかえって「自分探し」のつもり。
 もちろん、いまから大学入学をめざすのではなく、受験参考書で英語の復習をしてみる。
 はなから無意味な気もするけど……。

       

 とにかく苦手で成績も悪かった「英語」。中学、高校、予備校、大学受験科目、大学の授業でも単位数があり、海外出張の仕事で自分が話さなければならなかった場合には往生した。

 共通一次試験世代のわたしが、かくも長くつき合いながら読み書き会話のどれにも通じなかった「英語」は、日本国内版の英語というべきで、基礎的だが特殊な英語に違いない。
 もしそうなら、その基礎だけは克服してオサラバしたいぜ、という話だ。

 このブログで、ジョン・キーツの詩を訳そうとしてきて、代表的な詩を訳し掲載して、ひと息ついたところなので、参考書をやってみる気になった。
 詩の解釈につまづく以前に、高校生レベルの英文解釈力が足りないせいで、意味を正反対に取り違える事態がよく起きたからだ。
 いや、英文学の専門家に指導してもらって完成させているとはいえ、十九世紀の英語の詩を訳すなんて、すぐれた英語力のある人がやるべきことだろう。受験英語でコケるレベルで、まずいだろ、英詩の訳なんかに手を出しちゃ。
 だいたい、ひととおり訳を掲載した後で、いまさら受験英語勉強なんて、遅いやんけ! 
 はい! 遅いです!
 英語学習の手遅れ感は人生でイヤというほどくり返し思い知らされた。遅いことは、かんべんしてくれ!

       

 英文解釈参考書には二大名作があるそうで──いまは何でも情報があるんですね──それぞれ、二大有名予備校の講師が作ったもの。そんなら自分が通った(!)予備校のほうにしよう。

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1994年初版で新版改版なしに2017年34刷とは!

 その参考書には、問題の全文訳をかならず自分で書くように、と指示されている。ひさしぶりに手書きで字を書いてみた。わからない問題は英語も書き写す。

 語調がきれいな訳文はわりと楽に書けるが、やはり意味を逆に取り違えたり、迷訳にしてしまう失敗をやらかす。
 参考書の説明では、なるほどいかなる英文も「S+V(+OやC)」という構造だそうで、日本語よりキッチリしているはずだが、自分の訳文は、文の軸である「S」つまり主語の扱いが、どことなくおかしいようだ。始めたばかりだから何ともいえないが、自分の、ものの考えかたに、どこか欠落があるのかもしれない。
 いまさらの受験勉強に、ひょっとして「自分探し」の発見が、あるかもしれないと思いつつある。

「しかしね、知ってのとおり、ぼくは聖者より敗者のほうに連帯感があるね。ヒロイズムや聖人であろうなんてことは趣味じゃないよ。ぼくが興味があるのは、人間であれってことだ」
「ああ。俺たちは同じものを探しているんだ。けれど俺にはあんたほどの大望はないんだよ」──アルベール・カミュ『ペスト』(一九四七)
※2

(ケ)


※1『特別な一日』一九八二年・朝日新聞社/一九九九年・平凡社ライブラリー)
※2 英訳版(Robin Buss;2001)から訳しました。英語は苦手科目だといっているくせに(爆)。
■二〇二〇年七月二十三日、やや直しました。



posted by 冬の夢 at 22:04 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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