2020年05月18日

ガイドラインとメッセージ 〜主語を「私」にする覚悟〜

 新型コロナウィルス感染拡大防止のための緊急事態宣言が、今月14日に全国の三十九県で解除された。解除とは言っても感染防止対策が終了するわけではなく、厚生労働省は新型コロナウィルスを想定した「新しい生活様式」を公表して、日常生活の中で感染対策を継続するよう呼びかけている。そこで出てきたのが八十一の業界団体による業種別ガイドライン(※1)。緊急事態宣言解除後の営業再開に向けて業種別に感染対策の指針を策定し、施設や店舗の対応を標準化・平準化しようとする取り組みである。

 週末にTVで「情報7days ニュースキャスター」を見ていたら、早速その話題が取り上げられていた。例えば遊技施設。マージャン卓を囲む人が互いに2m間隔を取らなければならない。雀卓に手を伸ばしても届かない様子を描いたイラストが映し出され、出演者一同苦笑するという放送内容だった。
 気になって「全国麻雀業組合総連合会」(略してゼンジャンレンと呼ぶそうです)のHPを覗いてみた。そこにはA4サイズで9ページに及ぶガイドラインが掲出されていて、「1.目的」「2.基本的な考え方」に続き、「3.営業者が講じるべき具体的な対策」が示されている。営業所入口や待合スペース、休憩室、トイレなど細かく区分された中に「マージャン卓」の項目があり、こう書かれていた。

全自動マージャン卓にあっては、対面する人の距離が1mであることから、遊技に際し、 イスを後ろに下げるなどして、対人距離(側面に座る者との距離も含む。)を確保(できるだけ2m)する。これらの方法により対人距離を確保できないことが見込まれる場合は、アクリル板や透明ビニールカーテン等により遮へいする。(※2)

 この「ガイドライン」を起案した担当者の本音は「マージャン卓を囲む際にはあんまり近づき過ぎてはダメ。それを徹底しないと営業出来ないよ」「厚労省からは2m開けろって言われてるからこう書いたけど実際は無理だよね。だから遮蔽物とかで工夫してみてください」と言ったところだろう。麻雀牌を手で扱うからにはある程度その四人は近づかなければならず、更には麻雀にはポンやチーなどの発語が必要で、特に「ポン!」は強烈な破裂音として飛沫が散る危険性が大。2m開けるよりはビニールカーテン設置のほうが対策としては現実的だ。
 そんな葛藤がゼンジャンレンにあったかどうかは無論知る由もないが、「2m間隔を開けた麻雀」をイラストにして揶揄することはTVの報道としては極めて不適切ではないだろうか。元のガイドラインの文章ではそれが出来ない場合の対案まで例示されているにも関わらず、面白半分に一部分だけを切り取るやり方。ワイドショーだからまあいいじゃんと言うことなのだろうが、たぶんろくにゼンジャンレンに対して取材もしていないだろうその姿勢には疑問が持たれる。

 これはTVの話で、もうひとつ気になったのがSNSでのこと。ホリエモンこと堀江貴文氏が「頭がおかしすぎて笑いが出てきた」とツイートでコメントしたのが「演者原則マスク/劇場再開指針」の記事だ。

国公立の劇場など約1300施設でつくる全国公立文化施設協会は、新型コロナ感染拡大で休業中の施設の再開に向けて、感染拡大予防ガイドラインを公表。出演者に原則としてマスク着用を求めた。(2020年5月15日 11:53 Yahoo!ニュース)

 このニュース記事だけを読むと、歌舞伎の助六も揚巻も原則マスクをして芝居しなければならないし、オーケストラのオーボエ奏者も原則マスクを着用して演奏することになる。確かにホリエモンではないが「頭おかしいのか!」と言いたくなるような指針だ。
 そこで、こちらも同様にHPで元の文章をあたってみることにした。公益財団法人全国公立文化施設協会(HPのURLから察するとゼンコウブンと略すらしいです)のガイドラインでは、感染拡大防止の対象者を「施設管理者」「鑑賞に来る来場者」「出演者やスタッフなど公演関係者」の三分類にしてまとめている。その中の「公演当日」の「公演関係者の感染防止策」がこれ。

表現上困難な場合を除き原則としてマスク着用を求めるとともに、出演者間では十分な間隔をとるようにしてください。また、公演前後の手指消毒を徹底してください。(※3)

 真っ先に「表現上困難な場合」を持って来ているところにゼンコウブン担当者の苦労の跡が窺える。正直なところは「表現上困難な場合がほとんど全部だってわかってるんだよ。厚労省はマスク着用しろって言うんだけど、稽古はともかく本番では当然無理。だから出演者はマスクしなくていいからね」てな感じだろう。ゼンコウブンに電話で問い合わせた人が「役者は本番中はマスクを外していい」との答えを得たとツイートしているが、もちろん真偽のほどは定かではない。
 とまれ、強大な拡散力を持つホリエモンがネットニュースのヘッドライン程度に反応していて良いのかと感じるし、そもそもYahoo!ニュースの記事自体がゼンコウブンのガイドラインを正確に伝えていないことが誤解を引き起こしている。
 演劇やコンサートにおいて、表現者である演者が口を覆い隠して何が出来ると言うのか。マスク、それこそ仮面をつけることで表現する芝居であれば別だが、一律マスク着用はあり得ない。そんなことは百も承知のゼンコウブンが「原則マスク着用」と言わざるを得なかったその背景にこそ、メディアであれば突っ込みを入れるべきではなかったろうか。
 今に始まったことではないが、メディアは単なる「聞き伝え」「書き写し」の役割に堕してしまった。それがいわゆるインフルエンサーたちの呟きによって、別の衣装を纏って世に繰り出されて行く。こうしたメディアの現状に問題があり、誰もが不問のままやり過ごしてしまうこともまた問題である。

 しかし問題の核心は、他でもなくガイドラインを公表した八十一の団体の側にある。ゼンジャンレンの「1.目的」には次のように書かれている。

このガイドラインで示す内容は、あくまでも基本的なマージャン店営業等における想定を前提に、モデルケースとしての対策等を例示するものであり、営業所によっては追加的な対策が必要になることがあり、現場によって適切に実践されることを求める。(※2)

 かたやゼンコウブンの「はじめに」の一節はこうだ。

すべての項目の実施が活動再開の必須条件ではありませんが、基本となる感染予防策を実施した上で、より感染予防効果を高めるための推奨事項として、今後の取組の参考にしていただきたいと思います。(※3)

 要するにゼンジャンレンもゼンコウブンも、結局は「協会としての指針は出したから、あとは全部現場にお任せ」というスタンスなのだ。そして指針を出した一番の理由は、ガイドライン公表が営業再開のための免罪符になるからだ。
 政府は今年1月30日に「新型コロナウィルス感染症対策本部」を設置した。本部長は安倍首相で、国務大臣全員が本部員に位置づけられている。よってゼンジャンレンは警察庁、ゼンコウブンは文部科学省の所轄下に置かれ、緊急事態宣言の解除にあたっては厚労省の雛型に沿ってガイドラインの策定・公表を強制されたに違いない。八十一団体のガイドラインすべてを確認したわけではないが、ゼンジャンレンもゼンコウブンも似たような項目で構成されているのは、厚労省の原案に合わせたからだろう。そしてその原案には「2m間隔」や「マスク着用」を明記することが規定されていたはずである。何しろ「新しい生活様式」で示された「感染防止の三つの基本」が「@身体的距離の確保」「Aマスクの着用」「B手洗い」なのだから。たぶん「指針は示すが、対応は現場に一任」という前提も、厚労省案をアレンジしたに過ぎない。要するにガイドラインは現場に向けてではなく、対策本部に提出するために策定されたのだ。その結果、感染対策の実際については国も業界団体も責任は取らず、すべて現場に丸投げされたのである。
 そんな背景だとしても、一部分を切り取って報道させるようなガイドラインしか出せなかった業界団体には幻滅するのみだ。ゼンコウブンなどは国立劇場や地方の県立ホールなどを束ねる団体なのだから、演劇や音楽会の再開を待ちかねている多くの人たちからの期待も背負っているはずだ。であれば、なぜ今回のガイドラインを単なる運営指針に終わらせてしまったのだろうか。全国の公的文化施設を代表して「新しい生活様式における文化施設の有り様を宣言します」という声明発表こそが求められていたのだ。営業再開にあたって自らの存在意義を力強く語るメッセージを世に出すべきではなかったか。ガイドラインは、そのビジョンを実現させるための当面の方策でしかないのだから。所轄官庁の言いなりになるばかりで、自らあるべき姿を考える協会長や理事長が誰ひとりとしていないことが、我が国の根深い問題なのかも知れない。

 ガイドラインが公表された同じ時期に、多くの企業が2020年3月期決算を発表した。新型コロナウィルス影響で経済活動が止まり始めたのが2月下旬からだから、純利益赤字転落の決算が目立った。経営トップが「営業再開の目処が立たない」「コロナ収束後も消費低迷が長期化する」などネガティブな発言に終始し、2021年3月期業績予想の開示が保留された。
 その中で少し毛色の変わった決算発表を行った社長がいる。トヨタ自動車代表取締役社長の豊田章男氏(※4)。決算説明会の第二部として社長スピーチを行い、その内容は説明会終了後すぐにトヨタ自動車HPに「社長メッセージ」としてアップされた(※5)。
 刮目に値するのは、主語が「私」になっていること。企業の決算発表を真面目に聞いたことはないが、ほとんどすべての社長が「当社は〜であります」と三人称で話しているはず。同じ自動車業界の同業他社を見ても、過去のIR資料に「私は」の文字は見つけられないし、「社長メッセージ」なる文章も掲示されていない。日本を代表するグローバル企業であるトヨタ自動車において、その決算説明会で社長が自ら「私が」と一人称で話すのは異例中の異例だろう。そして、その「私」は「モノづくりは人づくりだ」として「技術と技能を習得した人財を守り続ける」と宣言する。決算説明会は主に投資家向けのものだから、コロナ禍の影響で今後の業績が悪化することから目を背かせるための煙幕だと見る向きもあるだろう。しかし、トヨタ自動車で働く従業員や取り引きがある多くの下請け会社は「人財を守る」という言葉にどれだけ励まされたことだろうか。豊田社長は言外に「投資家のための増配より雇用維持と取引継続を重視する」と言いたいのだ。それを「当社は」ではなく「私が」と言い切るところに凄味がある。
 加えて注目したいのは、そのメッセージが極めて散文的であること。中盤までは自らの社長としての歩みを振り返り、会社の業績中心に話が進むが、終盤には社長が成すべきミッションや未来の社会の在り方に言及している。そしてメッセージ全体をまとめるにあたって以下のようなエピソードが紹介されるのである。

ゴールデン・ウィーク中にある方からお手紙をいただきました。そこには、こんなことが書かれていました。
「池の周りを散歩していると、鳥やカメや魚が忙しそうに動き回っている様子を目にします。人間以外の生き物はこれまで通りに暮している。人間だけが右往左往している。人間が主人公だ“と思っている地球という劇場の見方を変えるいい機会かもしれません」
私もまったく同感です。


 トヨタの車を所有したことはないし、トヨタ自動車勤務の知り合いがいるわけでもない。でも新型コロナウィルス感染対策に追われる状況下で、大企業の社長が人間中心主義に疑問を呈しているのだ。そこには、多くのステークホルダーの未来に対してトップとしての全責任を持つ覚悟がある。こんなメッセージを「私」の言葉として発信する社長がいる会社を羨ましく思ってしまう。
 しかしながら豊田氏のような経営トップは日本においては稀な存在である。ガイドラインを公表した団体には、自らの信念をメッセージとして発信しようとしたリーダーはどこにもいなかった。いや、一国の首相ですら「私が」を主語にしたスピーチが出来ず、「詳細は専門家会議の方から」と言って説明責任を放棄しているのだ。そこには何の覚悟も感じられない。日本に真のリーダーが出現するのはいつのことになるのか見当もつかない。そうこうしているうちにコロナ騒ぎは収束し、災厄慣れした人びとはいつものように過ぎたことは忘れていくのである。もちろんそこには、一度も「私」という主語を使わずにこの記事を書いている私も含まれているのだけれども。(き)


生活様式.jpg



(※1)「新型コロナウィルス感染症対策専門家会議(第14回)参考資料3 業種別ガイドラインについて」より

(※2)全国麻雀業組合総連合会HPより

(※3)全国劇場・音楽堂等総合情報サイトHPより

(※4)豊田章男氏は2009年に五十二歳でトヨタ自動車株式会社代表取締役社長に就いた。トヨタではなく「とよだ」と読む。

(※5)トヨタ自動車HP決算報告「2020年3月期決算情報」にその全文が掲載されている。



posted by 冬の夢 at 00:00 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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