2020年02月27日

国立劇場二月文楽公演『傾城反魂香』 〜 錣太夫を支える人形遣い

津駒太夫が新しく錣太夫(※1)を襲名するという記念公演。チケットもお気に入りの席を確保出来て、国立劇場へ出向くと、意外にも空席が目立つ。先月から国内でも感染者が出始めた新型コロナウィルスの影響だ。それでも開演前のロビーには人だかりがしていて、何事かと目をやる。そこには錣太夫ご本人がいて、サイン会をやっているではないか。並んでいる人たちが手にしているのは普通の公演パンフレット。急いで売店で買い求めて列に並んだ。「ご襲名おめでとうございます」と差し出すと、錣太夫さん、にっこり笑って律儀に「ありがとうございます」と返してくれる。サインと言うよりきっちりとした楷書の署名。真から実直なお人柄が伝わってきて、より一層応援したくなる。津駒太夫としては『仮名手本忠臣蔵』の高師直がとりわけ印象深い。その烈々たる意地悪さ。塩冶判官でなくても抜刀してしまうだろう侮蔑感。しかし、署名の書き方にも表れているように、性根が良いお役のほうが似合う太夫だ。そんなだから、襲名披露公演の演目『傾城反魂香』(けいせいはんごうこう)の又平はドンピシャのセレクトだと思わされた。

「土佐将監閑居の段」(とさのしょうげんかんきょのだん)は絵描きの浮世又平とおとくの夫婦が揃って土佐将監に土佐の名字を名乗らせて欲しいと頼み込む場面。又平は吃音があって思ったことがうまく伝えられず、その反対に女房のおとくはおしゃべりで夫の気持ちを代弁する。この仲良し夫婦のコンビネーションが大きな見所になっている。
二人が登場して驚かされるのは、人形遣いの熟達さ。又平を桐竹勘十郎、おとくを豊松清十郎が遣うのだが、人形の動きだけでこの夫婦の仲睦まじさが見物たちに伝わってくる。身体の向き方や二人が座る動作、互いに手を添える優しさや少しだけ視線を合わせる様子。生身の役者以上に演技が自然で巧い。錣太夫には申し訳ないのだけれど、太夫の語りが不要なほど勘十郎と清十郎による人形たちは有弁だった。演技とは「演ずる技」のことで、まさに「技」が浮き上がって見えるような又平とおとくであった。

こうして感心させられたのは、実はその前に出た『新版歌祭文』(しんぱんうたざいもん)の人形遣いと比べて見てしまったから。ご存知の通り「野崎村の段」は久松を巡っておみつとお染が女の火花を散らす場面に妙味がある。なぜなら太夫の語りでは語られないところで人形同士がやり合うから。久松との祝言が決まったおみつが猛烈にお染に敵愾心を燃やすその気持ちは、人形でしか表現出来ない(※2)。ところがこの日の「野崎村」は人形の演技が軽過ぎた。おみつとお染の人形が互いにつつき合うことはわかるものの、おみつが久松を待っていた千秋の思いが伝わらない。お染のほうは思いだけでなく、既に久松と肌を合わせている強みがあるが、その背景がわからない。

元に戻って又平とおとく。又平は腕は確かな絵師。うまく話せず師に認められない夫をなんとか出世させてやりたい女房おとく。又平のもどかしさ。それをいとおしみ、献身するおとく。太夫が語るのは「夫はなまなか目礼ばかり 女房傍から通詞して」から続くおとくの長広舌だけ。ふたりの本当の心根は、ほとんど人形が伝えている。勘十郎と清十郎が錣太夫襲名披露を祝いつつ、その実力を目に見える形で舞台に示していた。
クライマックスは、土佐の名字を名乗ることが許された後の又平の見栄。「七段目」の寺岡兵右衛門で見せたのと同じように、人形遣い三人が別々の動きをしているのにも関わらず、又平としての動きが統一されているという複雑な遣い方。そこに文楽を見る愉しみが凝縮されていた。
錣太夫を見に行ったのに、今回は人形があまりに良くてついそちらに惹きつけられてしまった。しかし床で真っ赤な顔をしながら語り続ける錣太夫には、心底実直な味がある。聞けばもう古希を迎えたと言うが、年齢は全く感じさせない。個人的には織太夫と並んで応援したい太夫のひとり。ぜひ健康に気をつけて長く活躍していただきたい。(き)


錣太夫.jpg


(※1)六代目竹本錣太夫(しころだゆう)。先代が逝去した昭和十五年以来、八十年ぶりの名跡復活だそうだ。

(※2)床本では「サア父様、据ゑますぞへ」「アツ〜〜ア、ゑらいぞ〜〜。明日が日死なうと火葬は止めにして貰ひませう。」と灸を据えるおみつと久作が描写されているだけ。お染が門口から覗いているというシチュエーションは明記されていない。あとに続く「久松様には振袖の美しい持病があつて招いたり呼び出したり、エゞ憎てらしい、あの病面が這入らぬやうに〜」というおみつの悋気の語りに、お染の存在を匂わせている程度だ。



posted by 冬の夢 at 23:12 | Comment(0) | 伝統芸能 文楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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