2020年01月22日

John Keats を読む Ode to Psyche 邦訳【解説】

 この詩を訳す前に知っておかなければならなかったことが、ふたつある。
 ひとつはギリシア神話の、プシュケーとエロスのこと。
 もうひとつは、この詩を書いた一八一九年の春、キーツは有名な「魂創造」の手紙を、アメリカに移住した弟夫婦へ送っていること。

 その手紙とほぼ同じころ、キーツの「驚異の年」が始まったことも、知っておくべきだったことに加えよう。
「驚異の年」とは、樋口一葉の「奇跡の十四か月」同様、キーツの五編の傑作オード(頌詩)が、すべて一八一九年に、しかも四編は春に集中し、書かれていることだ。最初に書かれたのが、この「Ode to Psyche」だという。
 ときにジョン・キーツ二十三歳。本格的に詩を書き出して数年目のことだ。

「John Keats を読む」と題した、キーツの詩の訳は、やや迷走の後、五つのオードの訳に目標をしぼり、一段落しようとしている。
 翻訳力は、初めてやってみたときから向上していない。
 ふつうに入手できる日本の研究書や案内本は、それほど数多くはないが、読まずに訳してきた。どうにも行き詰まったとき、ちょい調べした程度だ。
 キーツのロマン精神は、しばしば古代や古典の世界を漂ったが、その知識はなかった。
 キーツの人生はきわめて短かったが、その生涯も断片的にしか知らなかった。

 それじゃダメだろうなとは思うが、英文学の専門家でもある、このブログの別の筆者に添削してもらいつつ、四苦八苦で訳文を作るのが興味深くて、やり方は変えていない。
 ひとりで作る最初の訳文は、毎度、絶望的にひどいが、直していくうちに二百年も前の若者が書いた詩がゆっくり輝き出すのが感じられた。自分がキーツと同世代の若者で、友だちの才能に圧倒されているかのような、不思議な親しみも感じる。

 とはいえ、この「Ode to Psyche」には、ついに手も足も出なくなった。
 なんとか日本語を並べるだけでも数か月かかってしまった。
 もし、この詩をいちばん初めに訳そうとしていたら、「John Keats を読む」は、まちがいなく最初の一歩で挫折していたと思う。

プシュケーとエロスについて

 キーツは、知力を思想へと育てることが、真実や愛情の持つ美に到達する道だという。そこでプシュケーを賞賛し、賛歌を捧げ、プシュケーのために行動する自分を描く。
 ギリシア神話のプシュケーのエピソードは、弟夫婦への手紙に書いた「魂創造」のコンセプトと、詩の中で等価なレイヤー構造になっていて、交互に浮き上がったり溶け合ったりする。明滅しているといってもいい。なので、訳すどころか読解そのものがむずかしい。

 なぜプシュケーなのか。
 プシュケーとエロスのエピソードは、長くなるので、この文末に注の形で書いておいた。
 この詩と結びつくのは、女神の嫉妬をかって翻弄された人間の娘、プシュケーが、たび重なる苦難──想像を絶する苦労──を乗り越えることで真実の愛をかちとり、自分も翼と不死を得て女神になったことだ。
 つらい目にあった理由のひとつは美しすぎたことで、それはプシュケーの罪ではないが、自分を愛して娶ってくれたエロスの存在が信じられず、姉たちの根も葉もない讒言にも引きずられ、神の姿を見た人間は死んでしまう戒めを忘れて、プシュケーはエロスの姿をのぞき見てしまった。罰として、つらい彷徨と苦役にさらされたのだった。
 百聞は一見に如かず。わが目で見たことだけを信じる……それは正しいことに思えるのだが、苦しみを越えてふたたびエロスといっしょになれたプシュケーは、たとえ見えなくても、ひたすら信じるということが、ときに「ただ見ただけで納得してしまう」より尊いと、人間に伝える女神となった。

キーツの「魂創造の谷」とは

 キーツの「『魂創造』の手紙」とは、どういうものか。
 これは、このブログの別の筆者──さきほどあげた英文学の専門家で、私訳の添削者──が、この手紙を題材に一文をアップロードしていて、手紙の訳文もあるので、そちらをお読みください。→こちらです←

 で、屋を重ねてしまうが、さきほど説明したプシュケーのことと照らし合うよう、かんたんに書くと、こうなると思う。

 知性があるだけでは、つまり、ただ見て知ることが出来るだけでは、ダメだ。その人の知性・知力といったものが、その人の心情が磨かれることで、それぞれの人の個性をともなった「魂」にならなくてはいけない。
 では、心情を錬磨し、知性・知力を「魂」にまで育てるものは何かというと、苦悩に満ちたこの世の中なのだという。世塵にまみれ辛い思いをして、自分の思想を育て続けることが大切なのだとして、キーツは手紙に、つぎのように書いた。
 ふつう世間というものは、多数の間違った人たちによって、こう思われている。
 現世はつらいけれど、神様がいつか天国へ連れて行ってくれると。
 そういう誤解から、世の中は「涙の谷(vale of tears)」であると思われている。
 そうではない、とキーツは力説している。その、苦しさだらけの世の中こそが「魂創造の谷(vale of Soul-making)」なのだと。

静かな多面性を持つ詩を作ったキーツ

 プシュケーは「魂創造の谷」をさまよった「人間」だった。
 女神になれたが、古代ギリシアの神々に列せられたのは、やっと紀元後の神話物語の中だ。古代からすれば、ずいぶん新しい出来事だったから、そうなってしまったことを本で読み、キーツは義憤を感じた。
 そこで「あまりに新しすぎたんだけど、だからこそ、いまの世の中にだって通用することなんだ!」と、プシュケーを称え、「魂創造」のコンセプト──手紙では「まだ上手くいえない」とも書いていた──を、真・善・美に無垢な信心が捧げられた、古代神話のイメージに託して描き出した。

 この詩には、キーツのアピール、マニフェストというのかな、そういうものが込められている。若者らしい意気込みとともに。
 実際、詩の意図を語るキーツの手紙は、熱意があふれるあまり饒舌さの洪水で、読むのがしんどいくらいだ。
 ところが詩は、きらびやかな装飾がちりばめられているのに、まるで簡素な古代の神殿遺跡のように清潔で静かだ。騒々しさがぜんぜんない。同じ言葉と文字なのに、詩は、そのように作れたというのは、ほんとうにすごいと思う。

 だったら、現世から遠い夢の国の話を詩の中に作り上げたのかといったら、まるで近所の公園での出来事のようにも感じる。
 近所の公園には、埃くさい、すすけた街区が、ピタっと隣接している。だからキーツの詩に、花々や渓流に彩られた美しい森が出てくると、すぐ、やや雑然としたロンドンのイーストエンドや、パリのいかにも中二階っぽい中途半端な街区を思い出す。
 以前にも書いたが、キーツはけっこう長い間、医薬仕事をしていた。現代の医療とは違い「徒弟」だ。病院での担当は外科。だからキーツの詩には、人の生死の、もっとも悲惨な──ゆえにこそ栄光と尊厳もあると信じたい──イメージも、宿っている。ただロマンの楽園を逍遙するばかりの美文調で、しかも訳がむずかしい詩であったらば、やっぱり「John Keats を読む」は、早々に挫折していたはずだ。(ケ)。

「John Keats を読む Ode to Psyche 邦訳【完成版】」は→こちら←


【プシュケーとエロスのエピソード】

 英語ではサイキとキューピッド。ここではギリシア語にした。なんとなくですが。
 神々がまるで俗人の、ギリシア神話なので、プシュケーの話も、もちろん面白い。諸説あるようだが、だいたいのところを簡単に書くと、こうだ。

 プシュケーは人間の娘で、すごい美人。
 美しさでは自分が一番でないと気がすまない女神アフロディテが、許せないわと、息子のエロスに、おなじみ「愛の矢」で射させ、そこらのダメ男(蛇とか豚という説も)を、恋するよう仕向ける。
 が、プシュケーの美しさに驚いたエロスは、うっかり自分の矢でケガし、プシュケーを愛してしまい、自分のところへさらってきた。
 二人は結婚するが、人間は神の姿を見ると死んじゃうので、エロスは夜、真っ暗な中へしか訪れず、プシュケーは夫の姿を見ることができなかった。
 あるときプシュケーの姉たちが訪ねてきて、エロスのことを怪獣だろうとか浮気者なんだとか、あることないことを吹き込んだので、プシュケーはある夜、灯を手に夫の姿をのぞき見してしまう。
 眠っていたのは、翼のある美しい青年。プシュケーは思わず、灯の油(あるいはロウソクのロウ)をエロスにこぼし、「熱ちっ!」と起きて事態に気づいたエロスは、悲しそうに去ってしまった──プシュケーを死なせなかったのは、神をのぞき見たことは許したのだ。
 そこからプシュケーの苦難が始まる。イバラの荒れ地や暗い森をさまよいエロスを探す。神々に救いを求めたが、アフロディテのイジメにあって苦役を課されてしまう。
 しかしプシュケーは、持ちまえの若さと根性で──美人なだけじゃなかったんですな──難題をクリア、ゼウスの許しもあり、不死と翼を与えられ、晴れてエロスといっしょになれましたとさ。めでたし、めでたし。
 ではなかったという説もあるが、それはともかく、それからプシュケーは、神々業界では「反・百聞は一見に如かず派」として活動、ことに、互いを疑ってしまう恋人たちの耳に、姿を見せずにささやき、愛を守った。「一目瞭然ということはないのよ、信じることが見ることなのよ」と。

200122Ps.JPG 
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス
キューピッドの庭への扉を開けるプシュケー 1904
public domain item

posted by 冬の夢 at 22:38 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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