2020年01月02日

鄭板橋『竹石』を暗唱する

  竹石

 咬定青山不放松
 立根原在破岩中
 千磨万撃環堅勁
 任尓東西南北風

   青々とした山にがっぷりかみつき、ゆるめもしない
   はなから岩の割れ目に根をはっている
   千回万回、痛められようが打たれようが志を曲げず
   東西南北、風吹かば吹けと身をまかせる


 中国、清の時代の文人、号して鄭板橋こと鄭燮(ていばんきょう、ていしょう、一六九三〜一七六五)。
「三絶」といわれ、詩作、書道、絵画の三つをきわめた人だそうで、中国ではとてもよく知られているという。
 日本ではどうだろう。もちろんわたしは不勉強で知らなかったが、詩の解題や来歴を読もうと本を探しても、手ごろなものがなかなか見当たらなかった。
 書道や墨画の世界では、中国の書家、画家の多くが学ばれているようで、詩を多く読むよりさきに、書や画は見ることができた。

 素人目にも、その書は面白い。
 字体が、みごとなまでに自由闊達というか気ままというか、決まったスタイルがないのだ。
 いかにも「風折なし」の感じで、ゆらゆら振れるが体幹がぶれない中国拳法の達人の字、とでもいおうか。
 つねに新たな字面の研究をしていたそうで、子どもが道に釘を並べ、字を作って遊ぶのを見てひらめき、書にしたこともあるとか。芸術としての「金釘流」である。

 書を見てから画を見ると、これも興味深い。
 というのも、書体が変幻自在なのとは逆に、限られた画題しか描かず、ことに竹ばかり描いた。ほかは蘭や石くらいらしい。画風も統一されている。竹の画は墨一色なのに緑が濃く感じ、たたずまいはおだやかなのに、葉が、さわると手が切れそうなほど鋭い。

 そして、まだ多くは読んでいない鄭板橋の詩だが、とても気持ちがいい。この人の誠実でいて、なおかつ気ままな人がらが、まっすぐ伝わってくるからだ。白文は読み下せないし、意味も、本や漢和辞書を見ながらの自分流解釈だけれど。

200102B2.JPG 
鄭板橋が描いた竹石図*

 鄭板橋は、どういう人だったのか。
 清代の人と書いたが、長江河口域の興化──福島県浪江町と姉妹自治体だ──で、代筆屋の子として生まれた。生活は楽でなかったが、十歳くらいでもう書画にすぐれ、青少年時代には自作を売って家計の足しにするほどだった。
 勉学にも熱心で、秀才として知られ、中年になって最難関の官吏登用試験「科挙」にも合格、いくつかの県知事をつとめ、詩・書・画の名声はたかく、さまざまな人が争って求めた。

 しかし鄭板橋は、けっして驕(おご)らなかった。
 政治の場では正義正道を貫く清廉の人であり、つねに庶民の味方だった。さらに、政治をむしろ憎み、離官して市井に飄々と暮らした。
 官職を離れた最大の原因は、不作に苦しむ貧しい大衆を救済しようと、公蔵の米を市中に放出したことが中央からにらまれ、もめ事になったからだ。それもあってか、長く中国の庶民に愛された文人のひとりとなった。

 おかげで鄭板橋は、さまざまなエピソードを残している。
 どれを読んでも、やたらに面白い。
 貧しい人に頼まれたり、呑み代や宿代の持ち合わせがなかったりすると、てらわずに筆をとったが──渡した書画や詩は、しばしば「家宝」となった──権力をかさに着て献納を命ずる輩には、ユーモアセンスで嫌味を込めた作を渡して恥をかかせたりする。教養なしでは読み取れない揶揄を詩句に交えたり、漢字の部首を省略して書き、その含意で相手の無礼を皮肉ったり。
 また、搾取や抑圧を権力づくで行う者や、うすっぺらな知識を自慢する非才は、直接に懲らしめた。ただし真っ向から暴力をふるわず、持ち前の才知で、思わず笑える裁きをし、ギャフンといわせるのだ。
「大岡裁き」や「頓智の一休」の説話の面白さに通じるところがあるが、鄭板橋の場合、残っている詩などから実話とされる話も多いようだ。

 詩・書・画にすぐれたことをさす「三絶」は、「三真」と一体であるともいわれた。
 三つの真とは「真氣」「真意」「真趣」だそうだ。
 三つめの「真趣」が、作風に直接通ずるもので、旧弊な作法にとらわれずオリジナリティを自由に追求するいっぽう、形式と内容の調和を重んじる態度をさすのだという。
 そして「真氣」とは、正義感に富むこと。「真意」とは、誠心誠意、他者を助ける心のことだそうだ。

 はじめに掲げた『竹石』は、もっとも知られた作と思われるが、そんな鄭板橋の姿が浮き彫りになっているような詩だ。
 山中の岩に深々と根を張り、どちらから吹く風にも倒れない「するどき青きもの」。
 ただ、岩中の根の踏ん張りを誇示はせず、朗らかなほどおだやかに、風まかせに鳴る葉音を自ら楽しんでいるような風情が浮かんでくる。
 もちろんこの詩の「竹」は鄭板橋その人の姿でもあろうけれど、作者の思想表明の詩と考えるより、この詩が描く、のびのびとした、しかし広大無辺なのではなく、山野散策でふと目にするような光景を心に映し、同時に心の一隅に浮かべておいた「三真」を重ねるのもいい。さまざまに勇気づけられる読みかたが、たった二十八文字から得られるところがすごい。

 鄭板橋と『竹石』は、台湾人の友人から教わった。
 憂鬱やマイナス思考にとらわれがちな人は何をすればいいか、というアドバイスのひとつが「歌う」で、カラオケも何だから詩を唱えてはどうか、という話になり、出てきた。
 その人が、もっとも好きな詩ということで、その場で思い出しながら紙片に書いてくれた。詩・書・画の作品はもちろん、やはり人格が好きだといい、鄭板橋が好きだから板橋区に住んでいるといわれて思わず笑ったが、冗談でないらしかった。

 ちなみにその台湾人は、もちろん一般教養はあると思うが、文学や歴史の専門家ではなく、書画骨董商売でもない。
 中国語の発音をマネして唱えようと、インターネット検索すると、中国ではこの詩は童謡にもなっているらしい。子どものころ教わって誰もが知っている、ということかもしれないが、ふつうの市民が、ひとつならず「詩」を暗記していて、好きな昔の詩はこれこれだ、詩人はこの人がいい、と世間話の中でいうのに、とても驚いてしまった。
 その彼に教わった北京語や台湾語の挨拶などが、すこしいえる程度では、たったこれだけの詩でも暗記するには今年いっぱいかかりそうだが、「ヤオ、ディン、チン、シァン」と唱えはじめたところだ。(ケ)

200102B1.JPG 
『鄭板橋外伝』
中国江蘇省民間文学工作者協会・中国江蘇省揚州市文学芸術会聯合会
一九八八/日本公企


*public domain item
※詩句に間違いがあり直しました
posted by 冬の夢 at 22:36 | Comment(0) | 文芸・読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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