2019年11月10日

台風19号と荒川放水路(3/3) ─ もう安心だ、なのか?

 明治のはじめから四〇年で、荒川は十回以上におよぶ床上浸水以上の被害を出している。

 富国強兵時代の明治政府が、なぜ首都治水に手をこまねいていたかというと、河川工事は自治体に委ねられていて、流域を網羅する大工事はやりにくかった。また政府が財政難に陥っており、国家事業化がそもそも難しかった。隅田川沿いの都市化が進みつつあり、移転と用地買収をともなう再開発は容易でなかった。
 しかし、一九〇七(明治四〇)年の大洪水で川沿いの工場群がやられ、一九一〇(明治四十三)年の荒川大洪水で下町一帯が壊滅状態となるに至り、明治政府は本格的な河川改修計画の策定に乗り出す。
 そして、岩淵水門から下手へ、幅が五百メートル前後、長さ二十二キロにわたる現在の荒川下流、つまり「荒川放水路」が、二〇年がかりで掘られたのだ。

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 そう書けばひと言だが、工事初期は人力で川を掘っていったそうだ。
 川沿いの都市化が進んでしまったのが、治水工事が立ち上がらなかった理由のひとつだったが、一三〇〇世帯が移転に応じている。寺社も移転した。
 現代の再開発とは事情が違う──上からのお達しに逆らえない時代だ──にしても、用地買収は比較的順調に進んだという。下町流域の人びとはさすがに、浸水の繰り返しにうんざりしていたのだろう。

 そこからの工事の展開も興味深いが、きりがないから略すとして、工事期間ほとんどで指揮をとった、東京帝大の土木工学出身で内務省技術員だった青山士(あおやま・あきら/一八七八〜一九六三)のことは、素通りできない。

 青山は、治水それも分水路工事のエキスパートだったが、日本人でただ一人、パナマ運河の建設に参加した人だ。測量員から始めて、工区副技師長になっている。
 その経験ゆえに、現在でも困難に違いないメガプロジェクト──当時の荒川放水路工事は関東大震災に襲われてもいる──を、俯瞰視線でとらえることができたに違いない。この人の存在は、じつに大きかったと思う。
 岩淵水門の設計建造に対する官僚の横やりにまったく妥協しなかったり、自ら現場に出て作業を手伝ったり、完成顕彰碑に自分の名を刻むのを許さなかったりしたそうだ。潔癖で清廉な人だったということか。土木業界的には、つきあいにくい、堅苦しい人だとも思われていたらしい。内村鑑三門下だったと知り、なるほど! とも思う。
 こういう、わが身を後世に捧げるような責任者って、いまの都市再開発事業にいるのだろうか。いないだろうな。いられても困るだろうし……。

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 メモ書きのつもりが、ずいぶん書いてしまったが、そもそも気になるのは、荒川や隅田川は今後ずっと大丈夫なのか? ということだ。荒川放水路完成後、氾濫は発生していないし、台風19号のときも大禍はなかったのだが、将来も安心していていいのか? 

 温暖化が原因かどうかは、ここでは断定できないが、台風や低気圧による降水量が増加の一途であることは間違いない。同じく断言はできないが、首都圏に大型震災が襲来する可能性はゼロではない。

 いま書いたとおり、荒川放水路と岩淵水門が出来た後の、分岐点から下流は、放水路も隅田川も、いかなる増水にも耐え、決壊や溢水で東京都市部に洪水被害をもたらすことはなかった。
 設計上の限界を超えた場合──一九四七(昭和二十二)年のカスリーン台風──でも大丈夫だったし、抜本的な大改装工事は現代の東京ではもはや不可能だが、補修増強工事は、さまざまに行われてきた。

 ちなみに、多摩川下流域の川崎、狛江、東京大田区などでは市街浸水被害──逆流や支流の溢水──が起きた台風19号で、岩淵水門での荒川の状態はどうだったかというと、台風通過後、氾濫危険水位まであと五十三センチというところまで増水した。放水路と水門の完成後、三番目に危ない水位だった。
 しかし、これは前日の夜九時、隅田川を守るため岩淵水門を閉じたために起きた現象でもある。隅田川の都心側は荒川より堤防が低く、「あと五十三センチ」がそのまま隅田川に流れると、隅田川は溢れた可能性があったという。
 じつは、荒川のみを見ると、都心側より下町側のほうが、やや堤防が薄く低いそうだ。東部各区が犠牲になり都心を守れという構造かと怒られると返答に窮するが、すでに書いたとおり、当初はまったくその通りの目的で作られた放水路なのだから、今回の事態に大きな危機感を表明しつつ、河川改良工事を求めていくほかない。オリンピックも大事だろうが……。
 なお、岩淵水門が閉じられた後に、「氾濫警戒情報」の一段階前の「氾濫注意情報」も出た。荒川下流の下町側に住む知人は、それ以前に避難したと聞いた。

191110a3.JPG 
二〇一九年一〇月の台風19号では、荒川放水路完成後、三番目の増水となった。
写真はの赤丸印地点にあるデッキ周辺。
写真正面やや右にある青い指標の、上から三番目くらいまで水がきた。
遊歩道デッキから手前の堤まで水没していたことがわかる。写真はすべてクリックで拡大

 というわけで「とりあえず安心」か。
 いや、残念だが、安心はできない。
 
 いまそういう「気分」だから、怖がらせようというのではなく、荒川下流河川事務所が発信している資料や報告だけでも、続けて見れば、誰しもそういう意識になると思う。ならないか……。
 河川事務所の公開情報も、脅したり煽ったりはしていない。しかし、宅地や企業でぎゅう詰めになった都市部を、ここまで増水してしまう大きな川が流れている仕組みを見て、数字も、わかる限り並べ直して見ていると、自然の力にもうあと一押しされたら危ないことは、イヤというほど思い知らされる。

       *

 ここまでは河川事務所の資料だけを見て書いてきたので、ついでに、東京都下水道局が公表している「現状と課題」を書いておこう。

 東京の下水道は「合流式」という構造になっている。
 東京のみならず、全国の二百近い都市や、海外主要都市もそうだ。
 これは、雨水と汚水を同じ下水管で流す方式。両者が別の管になっている下水は「分流式」という。

 豪雨で大量の雨水が下水管に流れ込むと、下水処理場がパンクする。しかし下水の流れを止めれば、下水の逆流による浸水被害が起きる。
 これによって都市に大きな被害が出ないよう、下水が処理場に来る途中で、汚水が混じったままの下水を「吐け口」から河川などに放流するのだそうだ。

 もちろん逆流した下水が浸水したり、荒川や隅田川が決壊して、いまや広範囲に及んでいるゼロメートル地帯から濁水がひかない事態になったりすることを考えれば、やむを得ないことはいうまでもないが、もし今後、台風や豪雨の連続攻撃が続くような気象状況になっていったとしたら、つらいものがある。

       *

 荒川放水路ができて、隅田川の氾濫もなかったので、それらの下流地域は完全に都市化した。地下水を汲み上げまくったことで地盤沈下が進んで現在に至り、驚くべき範囲にまでゼロメートル地域が広がった。
 万一、荒川や隅田川が氾濫して東京東部や都心部に出水があったら、どうしうようもないことになってしまうのだが、百パーセントその事態を避ける方法は、近年、大きな氾濫被害を受けた各地のほとんどについていえるように「そこに住まない」しかない。
 それが無理なら、東京の場合、いったん都市機能を休んで行うほどの大規模な防災工事が必要だ。震災や火災対策もするとしたら、なおのこと。
 いまさら遅いが、東京オリンピックを「返上」し、高度先進都市ではなく自然が荒れくるう前史時代の火山島に住んでいるつもりで、都市づくりを抜本的にやり直してはどうか。

 いまの世の中、ワルノリかと思うほどの楽観主義で動いている。楽天家が社会を動かす力だ。
 政治をみよ。将来を左右する議論までもチャラく「流す」政治家ほど、ウケがいい。誰もがみな、すべてが川のように「流れ」ていてさえいれば、いいのだろう。
 これが庭先騒動でなく他国との関係になると、お前が楽天家でいられる話じゃないだろ、と怒られているのがわからず、「なにをいつまでもクドクドいっているんだ」という態度になってしまうのだ。
 みな、しかたないことだと最近は思う。アンタのように悲観的で、なにが楽しいんだ、といわれたら、なにも言い返せないから。

 台風19号通過後に多摩川にも行ったので、観察記にでもしておけばよかった。
 メモ書きのはずが、長広舌のあげく、むなしくボソって終わった。
 毎度のことだけれど。(ケ)


(1/3)は→こちら←
(2/3)は→こちら←

191110t2.JPG 191110t1.JPG 
本文とは関係ないですが、多摩川河川敷のゴルフ練習場(東京都大田区)
左は二〇一四年、右は台風19号通過後の二〇一九年一〇月一四日


【参考】
 この文の、歴史やデータはじめ資料的記述はすべて荒川下流河川事務所(国土交通省関東地方整備局)が公開している資料で、より詳細に見られます。
・『荒川放水路変遷誌』(二〇一一年)
・出水速報「令和元年10月台風第19号による荒川下流管内の出水状況等について」(二〇一九年十月二十一日)
・防災啓発動画「荒川氾濫」(二〇一八年三月改訂版)→こちらで視聴できます←
・荒川治水資料館(東京・北区)の展示も参考にしました
・「合流式下水道の現状と課題について」(東京都下水道局) ほか


Originally Uploaded on Nov. 11, 2019. 00:25:00

posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
1〜3を通して興味深く読ませてもらいました。特に伊藤左千夫に関する記述は二つの点で印象に残りました。一つは伊藤左千夫が意外(?)にもジャーナリスト的側面を持ち合わせていたらしいこと。もう一つは、災害に対する「日本的諦念」とでも言いたくなるようなメンタリティ−。自然災害に限らず、大きな厄災に直面したとき、おそらく人の死さえ免れることができたなら、それでもなお微笑んでいられたり、あるいは哄笑さえしかねない一種の楽観性。この心性を上手く使えば極めて健康的な文化も創れそうだけど、一歩間違うとグロテスクにもなりかねない……そんなことを考えながら読ませてもらいました。
Posted by H.H. at 2019年11月13日 01:01
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