2019年11月09日

台風19号と荒川放水路(2/3) ─ 伊藤左千夫と明治の荒川洪水

 毎年秋の初めの二百十日前後には、隅田川が氾濫して低い土地は水につかるならいなのだ。

 川口松太郎の小説『しぐれ茶屋おりく』(一九六九年)に、そういう一文がある。
 明治末から大正初めに現代の墨田区東向島にあったという設定の、料理旅館の女将を主人公にした人情話だ。
「その年の秋、向島一帯に出水があった。」と始まるこの篇は、色ごとの行き違いで女将に借りをつくった歌舞伎役者と指物師が、それぞれ、浸水で孤立した「しぐれ茶屋」に舟で向かい、炊き出しを届ける話。
 歌舞伎俳優が持ってきた握り飯、そして指物師が運んだゆで卵と、仕事の派手地味に関係ない真っ白な男気が泥濘に輝く粋な話だが、このあたりにある現代の名所といえば、東京スカイツリー。「水につかるならい」とは、想像もつかない。

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『しぐれ茶屋おりく』の時代設定と同じころ、『野菊の墓』の伊藤左千夫は、いまのJR総武線錦糸町駅近くで牧舎を営んでいた。やはりたびたび氾濫被害にあっている。
 体験をもとに書かれた短編がいくつかあり、そのひとつが『水害雑録』だ。執筆は一九一〇(明治四十三)年。
 同年の、明治最大といわれた荒川洪水のことを書いているとすれば、梅雨前線に二つの台風が重なった八月の豪雨により、関東だけで死者七百数十人、当時の東京府の罹災者およそ百五十万人という怖るべき災害だが、数字だけでは思い浮かべにくい様子が、観察眼と描写力にすぐれた左千夫の筆で、まざまざと立ち上がる。

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 臆病者というのは、勇気の無い奴に限るものと思っておったのは誤りであった。人間は無事をこいねがうの念の強ければ、その強いだけそれだけ臆病になるものである。

『水害雑録』は、そう始まる。
 身ひとつなら、いっそ笑い飛ばせる気力も出ようが、係累が多いと、いやおうなく「痛切に無事を願うの念が強い」と左千夫はいうのだ。多くの子をかかえ、搾乳業のかたわらの文芸だった。
 安全を望むのは誰しもだが、望むほどに気が弱る、そのことに共感しながら読んでいくと、豪雨の怖さを音と量で描き出す筆力に引き込まれる。

 有る限りの音声をもって脅すかのごとく、豪雨は夜を徹して鳴り通した。(中略)
 さんざん耳から脅された人は、夜が明けてからは更に目からも脅される。庭一面に漲り込んだ水上に水煙を立てて、雨は篠を突いているのである。庭の飛石は一箇も見えてるのが無いくらいの水だ。いま五、六寸で床に達する高さである。
 もう畳を上げた方がよいでしょう、と妻や大きい子供らは騒ぐ。牛舎へも水が入りましたと若い衆も訴えて来た。

 
 周囲が騒ぐと意固地になり、たいしたことはない大騒ぎするなと叱りつけるが、

 その一喝した自分の声にさえ、実際は恐怖心が揺いだのであった。

 こういうときは体を動かすしかないと近隣の様子を見に出る(危ないです)。

水の溜ってる面積は五、六町内に跨ってるほど広いのに、排水の落口というのは僅かに三か所」「自分は水の心配をするたびに、ここの工事をやった人の、馬鹿馬鹿しきまでに実務に不忠実な事を呆れるのである。」「人事僅かに至らぬところあるが為に、幾百千の人が、一通りならぬ苦しみをすることを思うと、かくのごとき実務的の仕事に、ただ形ばかりの仕事をして、平気な人の不親切を嘆息せぬ訳にゆかないのである

 そして、本格的な大被害は、晴間が出て二日もしてから起きた。上流からの増水が限界を超え、近隣の川がみな溢水し出したのだ。
 左千夫の筆は、水を恐れると乳が出なくなる牛たちを、水に浸かって牽き、乾いた場所へ連れ出す「水との争闘」の描写に向かう。

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 超世的詩人をもって深く自ら任じ、常に万葉集を講じて、日本民族の思想感情における、正しき伝統を解得し継承し、よってもって現時の文明にいささか貢献するところあらんと期する身

 とまで気負いながら、

 わがこの容態はどうだ。腐った下の帯に乳鑵二箇を負ひ三箇のバケツを片手に捧げ片手に牛を牽いている。臍へそも脛はぎも出ずるがままに隠しもせず、奮闘といえば名は美しいけれど、この醜態は何のざまぞ。

 と、わが身を嘲る。
 そして、床上の胸元にまで水がつき、汚水でいっぱいになった自宅を見たときの、左千夫の気持ちは、こう綴られる。

 自分はこの全滅的荒廃の跡を見て何ら悔恨の念も無く不思議と平然たるものであった。自分の家という感じがなく自分の物という感じも無い。むしろ自然の暴力が、いかにもきびきびと残酷に、物を破り人を苦しめた事を痛快に感じた。やがて自分は路傍の人と別れるように、その荒廃の跡を見捨てて去った。

 みな無事であれと臆病にひきこもった心に、勇気がわいたということだろうか。いや、むろんこれは、一種のニヒリズムだ。当時の東京下町で水害にあうつらさは何より、水がその暴力を明るい晴天の下にさらしたまま、ひかないことだった。荒川洪水では、八月に起きた出水が同年十二月までひかなかったという。
 家屋をだめにし、いつまでも侵食し続け、病害さえもたらす濁り水は、生活に必須の「水」でもある。それが、ひたひた揺れるさまを見続けねばならないのは、いかにつらいことか。

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『野菊の墓』を書いた伊藤左千夫は『水害雑録』で、「肉体を安んじて精神をくるしめるのがよいか。肉体をくるしめて精神を安んずるのがよいか。」という、芸術と生活をめぐる自問に、迷いなく自答している。
 心さえ腐ることがなければ「文芸を三、四年間放擲してしまうのは、いささかの狐疑も要せぬ。」と。
 が、疲れた身体をしばし横たえると、こんな考えもよぎるのだ。「人間は苦しむだけ苦しまねば死ぬ事もできないのか」。

 牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる

 歌人・詩人としての伊藤左千夫は、よく知らないので、水害体験がよまれた短歌については、またいつか。(ケ)



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偕成社 ジュニア版日本文学名作選 一九六四
この版で初めて伊藤左千夫を読んだ
「ジュニア」には難しい文だと思うが『水害雑録』も収録されている


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Originally Uploaded on Nov. 10, 2019. 23:55:00
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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