2019年07月20日

「国」と「政府」を混同する憂鬱

 梅雨明け前の大雨もイヤだし、どうせ自民党が勝ってしまう選挙もイヤ、何よりも京都のアニメ制作工房の放火事件が悲惨すぎて、落ち着いていられない。とりわけ京都の事件は、まだ詳細が明らかにされていないけれど、もしかしたら旧い知人が巻き込まれているのではないかという、非常にイヤな予感がして恐ろしい。もちろん、被害者が自分と縁も所縁もない人々であっても、事件の悲惨さには何の違いもないのだけれど……

 こうした憂鬱な気分で新聞を斜め読みしているうちに、昔からずっと不満に感じていたことが殊更に不愉快に思われてきた。それがタイトルに記した、国と政府を混同するという、よくよく考えると、絶対に間違っているどころか、以前にも書いた暴言(迷言=名言?)「マチガイもあまりに酷くなるとキチガイになる」を想起させるほどの迷妄だ。折しも日本政府と韓国政府は、いわゆる慰安婦問題、徴用工訴訟、輸出規制を巡って、ひどく見苦しい関係になっているわけだが、それを報じる新聞(といっても、ネット上のニュースだけれど)の見出しが、端的に狂っている。具体例をいくつか記そう。

日本の輸出規制、韓国が改めて非難
・「日本の輸出規制は不当」 韓国がWTO理事会で説明へ
韓国反発「日本の一方的な主張に同意できない」
・河野氏「韓国が速やかに是正を」…大使と面会後
韓国対日批判強める

 あらためて言うまでもなく、上記の見出し中の両国名は全てその後ろに「政府」という文言を付けるのが正しい。輸出規制を決めたのは日本の現政権であり、それを非難しているのは韓国の現政権だ。WTO理事会で説明したのも、韓国ではなく、韓国の現政権の代表だろう。もちろん、スペースに限りのある見出しのことだから、わざわざ「〜〜政府」「〜〜政権」と書くわけにはいかない。だから、それは自動的に補って読むのが正しいと主張したくなる気分はわからないではない。

 けれども、本文に目を通してみても、実は事態は全く同じ。「日本政府」とあるべきところが「日本」で置き換えられ、「韓国政府」とあるべきところが「韓国」で置き換えられている。さて、この種の無反省かつ半自動的な置き換えは、はたして単なる悪しき愚かな習慣なのか、それとも邪悪な意図による深慮遠謀の反映なのだろうか?

 というのは、日本の安倍政権と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)政権の間に強く深い不信感と反発が横たわっていることはほぼ確実であり、さらには、安倍が個人的に文在寅を嫌っており、逆にまた文在寅が個人的に安倍を忌避しているということも十分ありえるのかもしれない。したがって、両国政府がお互いを激しく嫌悪し、口汚く罵り合うのは仕方ないのかもしれない。けれども、そのとき、例えば、「韓国政府、対日本政府批判を強める」というのがより正確なときに、「韓国、対日批判を強める」と言われると、自分を日本人だと思っている人なら誰だって良い気分はしないだろう。まるで自分が批判されているように感じるのだから。そして、「馬鹿言え! オレは何も悪いことはしていないのに、なんで批判されなければならないんだ? 韓国人というのはとんでもない言いがかりをつけてくる怪しからん輩だ」となりかねない。もちろん、逆もしかり。「日本政府が輸出規制を強行」とあるべきところ、「日本が輸出規制を強行」とあれば、悪いのは(仮に日本政府に非があるとして)日本政府=安倍政権であるに過ぎないのに、まるで日本人全員にその責任があるかのように聞こえるではないか! こうして、両国民の間にいっそうの反感が募っていく。

 全く同じことが、外交問題のときだけではなく、例えば訴訟の際にも深刻な作用を引き起こす。端的に「国を相手に訴える」という表現だ。馬鹿を言いなさい! 誰が「国」を相手に訴訟を起こしますか! 相手は行政府だ。訴訟を起こしている人たちは、現在あるいは過去の行政府の無作為、行政府の怠慢、行政府の不正を問題にしているのであって、「日本」を相手に闘っているわけではない。せっかく特定の政権、特定の統治の問題を具体的に指摘しているときに、それを「国」なんていう、ひどく漠然としたものに置き換えてしまうために、責任の所在までが曖昧にされてしまう。「誰も悪くないんです、悪いのは『国』なんです」というわけだ。

 しかし、何度考えてもよくわからない。いったいどういう頭の構造をしていると、政権と国が混同できるのだろう。両者は少なくとも水と油ほどには隔たっているのに。政権なんてものは、通常4年で終わる。下手をすればもっと短いスパンで終わる。(もっと下手をすれば、とんでもないド阿呆が長期政権を維持することもあるけれど。)日本と韓国の現政権同士は確かに仲が悪い。だが、どちらかの政権が交代すれば、もしかしたらすぐにでも関係改善が行われる可能性もある。両国関係なんてそんなもんだ。男女の仲よりも当てにならない。しかし、国というのは基本的には、他国に征服でもされない限りは、連綿と続く存在だ。「日本」というとき、それが表象する対象は、少なくとも奈良時代から現在までの、言葉も習慣も大きく変わってきたにもかかわらず、それでもなお不思議な一体感を維持している巨大な時空間のことだろう。「オレは日本が嫌いだ」と言ってみたところで、そんなのは実は何の意味もなさない。「私は韓国が嫌いだ」と言ってみたところで、正確に同じ程度に無意味だろう。一つの「国」は、具体的な対象にするにはあまりに巨大すぎる。「ぼくは中国は嫌いだ」というとき、しかし、いったい中国の何を知ってそんなことが言えるのやら? 確実に言えることと言えば、例えば、「あの店で食べた麻婆豆腐は辛すぎて嫌いだ」程度のことのはず。麻婆豆腐一つで中国を代表させるわけには行かないように、安倍政権で日本を代表されても困るし、ぼくから見ても愚か者にしか見えない文在寅に韓国を代表させるのも気の毒すぎる。

 ……しかし、結局は毎度お馴染みの愚痴になってしまうようだ。つまり、どうか言葉をもっと正確に使ってくれ、という愚痴。新聞がこの体たらくなのだから、もうどうしようもないのだろうか…… (H.H.) 

posted by 冬の夢 at 04:09 | Comment(0) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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