2019年07月01日

夜の千切れ雲(1) ジョウンと呼ばないで

夜の千切れ雲(1) ジョウンと呼ばないで

(前口上:この同人誌的ブログを高校時代の友人たちと始めた最初の頃から、「『同人誌』というからには小説もどきも掲載されるべきだ」と強く思っていた。が、才能と時間の問題から、そんなものは何年経っても実現できそうになかった。多分、まともな小説もどきが書ける可能性は今後も限りなく少ないと信じられる。一方、近頃なかなか眠れない夜が続き、そんなときは本を読むなんて論外、頼みの綱の音楽も煩わしいだけのことがある。けれども、眠れないまま横になっていると、そんなときに限って色々な妄想が、それこそ夜の千切れ雲のように次から次へと去来する。それを遠く離れた友人たちへの私信代わりに書き留めておくのも一興かと思った次第。この先も不定期に書き続けられたらいいと願っているが、どうなることやら……)


 和田先生は高校で英語を教えている。もうかれこれ四半世紀もの間。生徒たちからの信望は厚そうだが、そのくせ自分の私生活については教室ではほとんど話すことがない。いったい結婚しているのやら、子どもがいるのやら、それとも独身のままなのか、そんなことさえも知られていない。さすがに同僚の教員たちはその辺の事情については知っているはずだが、彼らもまた、まるで何かの契約を取り交わしているかのように、和田先生の私生活については滅多に口にしない。彼は少々どころか、相当にミステリアスな人物と思われている。それにもかかわらず、あるいはだからこそなのか、生徒たちは概して和田先生を気に入っているようだ。その一番の理由は、ある意味では当然のことなのかもしれないが、先生の授業がわかりやすくて面白いという点にあるのだろう。生徒たちの噂では、そしてそれは多分に本当らしいが、先生はとてつもなく英語が堪能だという。たまに学校に来る外国人講師と英語で話しているときなど、どちらが英語ネイティブなのかわからないほどだそうだ。噂にはさらに尾鰭がついていて、あるときは先生の方が外国人講師に英語を教えていたという逸話さえ残されている。真偽のほどは定かではないが、実際、和田先生が話す英語は、高校生の耳には日本人離れした英語に聞こえ、こと英語に関しては先生が知らないことはないのではないかと思わるほどだった。そんな御仁が教室でも他のどんな場所でも決して威張ることなく、いつも静かに飄々としていて、生徒には可能な限り親切に接するというのだから、これで好かれないわけにはいかない。もちろん、そんな彼を胡散臭く思う子どもたちも一部にはいるが、それは何か大きな問題になるようなものでは決してなかった。

 その和田先生があるとき珍しく自分の高校生時代の話をした。

 ……後になって思い返すたびに、どうしてあの退屈な入学式の最中には気がつきもしなかったのか、どうにも不思議だ。大方、式の最中はずっと目を瞑ったままで、居眠りでもしていたのかと思いたくなる。もっとも、彼女の名字は麻井で、番号順に並べば列の一番前。彼の名字は和田で、誰もが想像できるように、列の一番後ろ。進歩的を自称する学校だけあり、当時は珍しかった男女混合の名簿を採用していても、整列させられている限り、二人が近づける可能性はゼロに等しかった。そして、躾の行き届いたご令息・ご令嬢がマジョリティの学校では、彼女の髪の色や容姿を前にあからさまに騒ぎ立てるような輩はいなかったので(まして入学式の式場であれば)、担任に引率されて教室に入るまでは彼女の存在に気がつかなかったも当然だったのかもしれない。

 しかし、教室では最初から彼女はみんなの注目の的だった。日本の高校の教室に金髪碧眼の美少女がいれば、島国に住む人間の払拭しがたい習性として、男子も女子も心浮き立たずには済まされない。教室の座席は式の時と同様に番号順だったので、彼女は窓際の一番前。そして彼は廊下側の一番後ろ。つまり、彼女の斜め後ろ姿を見つめることには何の苦労も羞じらいも感じずに済んだ。薄い栗色の長い髪が春の日差しに輝くのがまるで絵のようだと思った。

 しかし、何よりも印象的で、今もなお絶対に忘れることができないのは、引き続いてすぐに始まった自己紹介のときの彼女の言葉だ。もちろんその自己紹介も番号順だったから、彼女がトップバッターだった。おそらく小学校の頃から最初に指名されることに十分に慣れっこだったのだろう、彼女は落ち着き払って話し始めた。思い出どおりに再現すれば、彼女はこう言ったはず。

 「麻井ジョアンと言います。こんな見た目ですが、生まれてからずっと日本にいます。英語も人並みに、もしかしたら人並み以上に勉強しているので話せます。でも、日本語の方がずっとできます。いや、そう信じています。読書が一番の趣味です。文学が好きです。実は、最初にみんなにお願いがあります。名前は片仮名でジョアンと書きますし、だから当然、普通はジョアンと呼ぶのでしょうが、これだとまるでお蕎麦屋さんか禅寺の僧坊の名前みたいなので、できたらJoanと呼んで下さい。ご面倒をお掛けしますが、よろしくお願いします」

 今こうやって文字に起こしてみたところで、そのときのJoanの(そう、みんなその日から彼女の希望通りに、ジョアンではなくJoanと呼ぶ努力はした)ユーモアが上手く伝わるとは思えないが、外見上はどこから見ても紛れもない西洋人の、当然とはいえ完全な日本語による、しかもそのギャップから生じるであろう様々な心的コンプレックスを明白に先取りした自己紹介は、それだけでも彼女をクラスの人気者にするのに十分だった。事実、その日の自己紹介では「こんな見た目ですが、生まれてからずっと日本にいます」とか「こんな見た目なので、云々」がバカバカしいほど繰り返され、Joan自身も笑い転げていた。

 その最初の日から和田少年はJoanに恋していたらしい。しかし、思春期の男子にできることと言えば、たとえどんなに強い関心があったにしても、ただ遠巻きに見つめることが精一杯だ。彼がJoanに話しかけたのはずっと後になってから。ところが、数人の女子たちはすぐに彼女を取り巻き、親しげに話し込んでいた。彼はそのときから、他の女の子たちにヤキモチに近い思いを感じたものだ。「なるほど、同性だったらあんなに簡単に親しくなれるわけだ」と。

 1学年は6クラスだったから、彼女と同じクラスになるのは6分の1の確率、つまりサイコロで決まった数字を出すのと同じ確率だ。その期待値を高いと言うべきなのか低いと言うべきなのか。少なくとも一年生の和田少年は全くわかっていなかった。そのためなのかどうか、というか、要は勇気や度胸が不足していたためだと思うのだが、恥ずべきことに、最初の一年間はほとんど彼女と言葉を交わすこともなかった。それを心の底から悔いるには、翌年のクラス替えで彼女と別々のクラスになるという小さな悲劇を待たねばならなかった。

 高校一年生の彼にとって、学校生活は取り立てて楽しいものではなかったけれど、それでも、何の努力もなしに毎日Joanに会えることがそれだけで十分過ぎるほどの果報であったということを、二年生になった途端につくづく思い知らされた。二年生に進級して良かったことといえば、春愁という言葉とその意味を思う存分堪能できたことかもしれない。特に孤独だったわけでもないし、友人がいなかったわけでもないが、その年の4月から5月にかけて、彼は次第に一人でいることを好むようになっていった。

 しかし、それは単に彼の成長を反映していただけかもしれない。というのは、一年生が終わる頃から彼は本を読むことを愉しく感じ始めていた。放課後になると学校の図書館に立ち寄って手当たり次第に借りることを覚え、二年生の春には二日と空けずに図書館に通い、どこかで耳にした古今東西の大作家の作品を次から次へと読むことにしていた。それを思えば、Joanとの再会が6月にまでずれ込んだことの方が奇妙なことだったかもしれない。というのは、本好きを自称していたJoanは図書委員をしており、6月のある日のカウンターで二人は初めて親しく、もっと大切なことには、すっかり寛いだ気分で言葉を交わしていた。

 「ドストエフスキーって、滅茶苦茶長いけど、面白いよね」
 「まだ『罪と罰』しか読んだことないから。この『白痴』が2作目。でも、『カラマーゾフの兄弟』も大傑作っていうからね。ジョウンはもう読んだの?」
 「どっちのこと? 『カラマーゾフ』? 読んだよ。でも、私は『白痴』の方が良かったかな。『カラマーゾフ』は、後半の続きがないのが悔しいくらいストレスが溜まるの。でも、今度和田くんの感想を教えて」

 ドストエフスキーや漱石やらの話をしているうちに、当然のことかもしれないが、二人は図書館の外でも一緒になることが多くなり、読んだ本以外の話も親しく交わすようになっていった。クラスが違っていたせいで、会うときは二人きりのことが多く、そのことも二人の親密さを深めることに力を貸したのかもしれない。

 両親そろって西洋人であるはずのJoanの名字が麻井という日本人名である理由を和田先生が知ることになったのもその頃だった。そのときになるまで麻井ジョアンという名前が奇妙であることに思い至らなかった自分の愚鈍さについては、和田先生はずっと後々まで苦々しく思い出すことになる。

 Joanの本当の父親はイギリス人で、日本の古典文学の研究者だった。大学生の頃に日本に留学し、そのまま日本の大学院に進み、日本の大学で職を得て、日本で知り合ったオーストラリア人の恋人と結婚した。麻井の両親を含めて四人ともが大学生時代からの友人で、始終一緒に遊ぶ仲だったという。ところが、Joanも麻井の両親も詳しいことまではわからないのだが、Joanの両親は突然仲違いし、とうとう離婚にまで発展してしまった。母親の方はオーストラリアへの帰国を強く希望し、そのことが大きな理由となって、親権は望み通りに父親の方に委ねられた。Joanがまだ三歳にも満たなかったことを思えば、男親に親権が委ねられるという決定はかなり珍しいことだったに違いない。

 いずれにしても、Joanの父親は傍目にも相当な子煩悩で、彼なりにシングルファーザーの役目を懸命に果たそうとし、それ相当の成果を収めつつあった。ところが、運命とはときに救いがたく残酷なもので、その彼に悪性の腫瘍が取り憑いた。まだ若かったことが災いし、病状は治療の甲斐もなく悪化する一方で、やがて誰もが死期を覚悟しなければならないときがきた。イギリスからは兄という人が呼ばれ、オーストラリアからはかつての妻の代理人が訪れた。それらの人々を前にして、かねてより麻井夫妻に頼んでいたとおりに、自分の死後はJoanを麻井の養子とすることが遺言として残された。以後、麻井夫妻はJoanを自分たちの一人子として育ててきた。こんなことをJoanは「初めて家に遊びに来るとね、大体の友だちはちょっとびっくりするみたいなんだ。パパとママを見て、『誰、この人たち?』みたいな、ね」と補足しながら、しかしその口調は全体としてはごく淡々としたものだった。和田少年にできたことといえば、ただ黙ったまま神妙に耳を傾けることだけだった。しかし、おそらくはそれが最も誠実な態度でもあったことだろう。それに、どんなに当時の和田少年が愚鈍で迂闊であったにしても、Joanの最初の両親(和田先生はこの場合に「実の両親」という言葉を使うことに対して、その頃も、そして今も非常に大きな抵抗を感じていた−−Joanの「実の両親」は麻井夫妻しかいないのだから)についてそんなに詳しく知っている人は、少なくとも同級生の中には決して多くないことくらいは自覚していた。つまり、ごく簡単に言ってしまうならば、二年生の三学期の頃の和田少年は、有頂天だったわけだ。

 ところが、二人がもう十分に親しくなり、いつでもその機会とタイミングさえ合えばキスをしても不思議ではないと思われた頃、Joanがいかにも申し訳なさそうな顔つきで、「こんなことを言っても気を悪くしないでね」と、すっかり有頂天になっていた和田少年に告げたことがあった。それは自分の生い立ちを話すよりもなおいっそう話しにくそうな様子だった。

 「ねえ、私の名前を言ってみて」
 それまでにもう何十回、何百回と彼女の名前を呼んできた今になって、どうしてわざわざそんなことを言うのか、少々不審に思いつつも、彼は言われるままに彼女の名前を呼んだ。
 「ジョウン」
 「そうだよね」と小さな声で応じた後で、彼女は続けた。
 「多分、というか、おそらく絶対になんだけど、他の人なら全然気にならなかったと思うの。事実、自分の名前を『ジョアン』と言われても全然気にならないし、和田くん以外にも『ジョウン』という人は多いし、ときには『ジョン』という人もいるくらい。それでも全然平気なのよ。それなのに、和田くんに『ジョウン』と呼ばれると、それは少し、いや、本当はかなりイヤなの」
 「イヤだ」と言われて気持ちのいい人はいないので、そのときの和田少年も半ば反射的に顔の筋肉の一部を硬直させたに違いない。Joanは少し慌てたように言葉を続けた。
 「父がイギリス人で、母がオーストラリア人だったという話はしたよね。イギリス人の父の名前はHenry Collinsだったから、そのままだったら私はJoan Collinsになっていたはず。もちろん、今の私は自分が『麻井ジョアン』であることに十分満足しているし、誇りさえ持っているのよ。思い切って言ってしまえば、私は麻井の両親のことを、パパとママのことをものすごく愛している。多分他のどの子どもが自分の親を愛するよりも、もっとずっとたくさん。それでもね、Joanっていう名前は、父と母が私のために残してくれた特別なものなの。パパが教えてくれたけど、Joanって名前をつけるときに絶対Jeanne d'Arcのことを意識していたんだって。

 「正直、母のことはあまり実感もないし、考えても自分でもよくわからなくなるから、あまり考えないようにしているのだけど、イギリス人の父のことは、写真も沢山残っていることもあって、今でも懐かしく覚えている。いや、本当は覚えているはずないのかもしれないけど、パパとママもHenryのことはよく話してくれるし、お墓も日本にあって、三人でお墓参りにも行くから、やっぱり特別な人なの。その人が残してくれたのがJoanという名前で、それだけが今でも私とその人を繋いでいる一番強い絆、唯一の絆……でね、そしたら、多分だけど、Henryは赤ん坊の私を呼ぶときだけは、他の言葉は全部きちんとした日本語だったとしても、きっとJoanって、そこだけは英語で呼んでいたと思うの。もしかしたら JoとかJoeって愛称で呼んだかもしれないけど、パパとママもずっとJoanって呼んでいるから、多分HenryもJoanって呼んでいたはず。自分でも少し変かなと思うけど、Joanって呼ばれるだけで、心のどこかがすごく懐かしい感じがして、幸せな気分になれる気がするの。だから、和田くんにもちゃんとJoanって呼んで欲しいの」

 「ずっと『ジョウン』って呼んできたつもりだけど」と、和田少年はすっかり困惑した様子で返事をするのが精一杯だった。
 「お願いだから、イヤな奴とか小煩い奴って思わないでね」と、Joanの方もしどろもどろになっていた。
 「あのね、私のJoanって名前、その音がね、片仮名の『ジョウン』とはちょっとだけど違うの。聞いて。Joanとジョウン。違うでしょ? 『ジョウン』って、それこそまるでお坊さんの名前みたいでしょ?」
 そう言われても、そのときの和田少年にはその「ちょっと違う」という意味が解りかねたので、正直にそう答えるしかなかった。

 「英語の授業みたいになってもいい?」
 「いいよ、もちろん」
 「じゃあ、申し訳ないけど、roadって言ってみて」
 言うまでもなく、Joanのroadの発音は完璧だった。和田少年はといえば、おそらくRの発音にも多少の問題はあっただろうけれど、Joanはこの際それは無視することにして、少し考えた後に、
 「じゃあ、今度は舟のboatって言ってみて。I see a boat on the sea.って言うときのboatよ。それからね、『買う』の過去形のboughtって言ってみて」
 
 それから小一時間ほど、和田少年はこの調子でJoanから英語の長母音と二重母音、そして短母音の違いをみっちりと教え込まれた。そして、ついでに語尾に来るときのNの音に関しても「ちゃんと最後のNも言ってね。そうしないと、Joになって、男の子と間違えられちゃうから」と。実際、この日初めて和田少年は男の名前のJohnと女の名前のJoanの区別を知ることになり、また、この日を境に、和田少年は英語の勉強に本当の意味で真剣に取り組むことになった。Joanが先生だったことは言うまでもない。そして、高校生に二重母音を教えるときにはいつもJoanの名前を使うことにしている。でも、先生とJoanがその後どうなったのかという肝心なことについてはまだ誰も知らない。 (完) (H.H.)

posted by 冬の夢 at 04:11 | Comment(0) | 創作(詩・小説) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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