2019年06月15日

女子高生たちがみな同じ話をしていた

 ある日の夕刻近く、首都圏近郊で電車に乗っていた。
 下校時間だからか、さまざまな制服の生徒たちが乗り降りしていく。

 にぎやかなのは、高校生らしい女性徒たち。
 こちらの目の前で二、三人組が入れ代わり立ち代わりキャハハハと、彼女たちがたぶんバカにしている、おばちゃん集団と、なにも変わらない。
 それはいいのだが、バイバ〜イと降りては、べつの学校の女生徒が乗ってきてはじめる話が、どの学校の子たちも、ほとんど同じなので驚いた。

 なに部かはわからないが「部活をやめたい」という女の子。
 理由は「人間関係に疲れちゃってさ」。
 かわいくて誰にでも好かれるタイプの、べつの部員ばかりが得をしている、それがイヤだと。誰にでもいい顔をしてるけどさ、あいつ、人に対してけっこう浅いよ!

 その後に、目の前にきた別の学校の二人組、三人かな、話題はやはり「人間関係」。
 このグループは、疲れちゃったほうの子を、仲間の女の子が慰労していた。
「ウチらは、ウチら同士で分かり合ってるからいいじゃん!」と。
 そ〜だそ〜だ、それでいいじゃないか! と心で拍手しながら聞いていると──女子高生の話を盗み聞きする趣味はありません、念のため──慰められているほうの女の子が、真剣に憤然とこういったのだ。
「でもさ! それはウチらがまとめてハブにされてる、ってことかもしれないんだよ!」。

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 妬み嫉みや仲間はずしの執拗さも、世渡り上手が出世するのも、本格的に手ひどく体験したのは、むしろ大人の世界でだ。世間の感覚とは違うかもしれないが、子ども界の「人間関係」が、ことさら陰湿になっているとは思えない。

 といってはみたものの、この六、七年ほどは、ティーンエイジャーと話す機会はめったにないので、間違っているかもしれない。
 思い返すと、若い人多数と最後にブッチャケ話をしたのは、さらに前のことだ。ちょっと世代が上で十代終わりから二十代はじめの子たちだった。そのころ現れた「空気を読む」について、当事者の子たちに「なぜ読む」か説明してもらえて、感じ入ったものだ。
 いま、ふと思うのだが、人間関係に疲れちゃったよとか、二、三人で理解し合っていたって、そのグループごとハブにされたら意味ないんだよと、まるで若々しさのないことをいい合っている女子高生たちは、わたしがかつて会った空気を読む人たちに、ものごとや、それこそ世渡り法そのものを教わったために、そうなった、ということではないのか。

 もっとも自分については、仲間はずれ上等、バカは寄ってくるなという、孤高気取りの偏屈な若者だったから、いまの子どもたちが、どんなに「人間関係」に敏感で繊細ないい子たちかということも、にもかかわらず、どれほど抑圧されているのかということも、理解できていないかもしれない。
 たしかにわたしは大勢になじめなかった。けれど何十年か前には、ひとりぼっちが好きな若いやつは、案外といた。そういうの同士で「つるむ」ことなど間違ってもなかったが、すれ違うように彼や彼女たちのふるまいに感心したり、ごくわずかな間、好きな本や音楽、苦手な世の中について教え合っては、連絡先もかわさず別れていった。
 ソーシャル・ネットワーキング・サービスは、いまの社会の、ひとの紐帯を、ゆるやかでありながら強いものにしてくれた、夢のシステムらしい。しかし Twitter も Facebook も Instagram もしていないわたしには、ほんとうにそうなのかどうかは、わからない。(ケ)

posted by 冬の夢 at 19:57 | Comment(0) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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