2019年05月04日

『河のほとりで』 〜 昭和は遠くなりにけり

令和の時代が始まったのに昭和の映画の話をすること自体、意地を通しているようでみっともないように思える。けれども『河のほとりで』の中で、東宝映画のシンデレラガールとして売り出した星由里子が海辺で全裸になるシーンを見たらば、令和と昭和のギャップ感が際立ち過ぎてしまい、この映画を昭和の風俗史のひとつとして見直したい気持ちになる。
服のまま海に飛び込んだ星は、岩礁に這い上がってから、ずぶ濡れになった服を乾かそうとひとつずつ脱いで、岩肌に放り投げていく。その最後が必然的にブラジャーとショーツなのだが、そのショーツのデカいことと言ったら!令和の時代では、ひと言「おばさんパンツ」の括りに入れられてしまうだろう。でも、履いていたのは、当時売り出し中で最先端のアイドルでもあった女優星由里子なのである。下着の形が大きく変わったように、『河のほとりで』で描かれている人びとの暮らしぶりも今とは大きく違う。六十年近くも前の映画だから当然かも知れない。

『河のほとりで』は昭和三十七年(1962年)公開の東宝映画。
旅館を経営する夫をもつあさ子は飛行機の中で偶然元の夫新蔵と再会する。あさ子の親友とも子が新蔵に強く惹かれ、二人が深い関係になったのを知ったあさ子は自ら身を引くようにして別れたのだった。
あさ子の息子新太郎はとも子の娘たね子と大学の同級生だった。両親が知り合いだったことを契機に新太郎とたね子は親しくなっていくが、新太郎が旅館で働くのぶ子と関係したことを知り、たね子は新太郎に不信感を抱く。
再度会おうと新蔵を展覧会に誘ったあさ子は、自分が本当に会いたいのはかつて親友だったとも子であることを悟る。思い切って新蔵宅を訪ねたあさ子はとも子との再会を喜ぶ。たね子は母親のとも子があさ子から新蔵を奪って結ばれたことをはじめて知るが、それを受け入れるだけ、少し大人になっていたのだった。

原作は石坂洋次郎。もちろん未読だが、原作がしっかりしているからだろう、脚本が上手く書けているので、筋を追うだけで面白く見られる映画になっていた。石坂洋次郎は『青い山脈』を書き一躍戦後文壇で流行作家になった人。そう言えば最近の本屋では石坂洋次郎の文庫本など見かけたことがない。数十年前は『若い人』や『陽の当たる坂道』などが棚の一角にズラリと並んでいたものだった。今では忘れられた作家になってしまった。

登場人物は親世代と子世代で区切られていて、子世代の新太郎とたね子が大学生だから、あさ子、新蔵、とも子の親世代は四十代後半といったところだろうか。(※1)
物語は大学生同士の恋愛だけでなく、親世代の過去や現在の関係を紐解くように出来ていて、そこに本作の妙味がある。飛行機での久しぶりの再会、展覧会での密会、夫婦の間での隠し事。年上の女性と関係を持った新太郎を不潔と蔑むたね子の純粋さが鬱陶しく感じられもする。
たね子役の星由里子と新太郎役の加山雄三は、言うまでもなく「若大将シリーズ」(※2)の二人。雄一と澄子はキスどころか手を繋ぐこともなかったが(※3)、本作では本格的なラブシーンが提供される。
一方の親世代は、あさ子が淡島千景で、とも子は草笛光子という配役。和服姿が堂に入っているのは、淡島千景が「駅前シリーズ」のマドンナ役、草笛光子が「社長シリーズ」でバーのマダム役と、東宝映画の看板女優の一翼を担っていたからか。淡島千景に至っては、入浴シーンまで用意されていて、ふっくらした肢体を磨りガラス越しに披露している。溌剌とした星由里子に比較されただろうし、そこそこの年齢でよくこんな場面を了承したものだと感心してしまった。
そこで、淡島千景と草笛光子について調べてみたのだが、なんとなんと、二人とも親世代では全くないのだった。
淡島千景は1924年生まれ(大正時代なので西暦で統一)で、『河のほとりで』の撮影時はなんと三十八歳。四十代後半の親の役なんて早過ぎるくらいの若さで、現在の女優・タレントで言えば、竹内結子、広末涼子、壇蜜と同い年。仮に竹内結子に『河のほとりで』のあさ子役をオファーしたら瞬殺で断られるだろう。
さらにすごいのは草笛光子。1933年生まれの二十九歳。思わず二度三度と電卓を叩き直してしまった。当時星由里子が十九歳だから、まあ草笛光子も星由里子も同じ若さの範囲内だ。それなのに三十歳前にして、星由里子を娘にしても何の不自然さもない重厚な貫禄ぶり。銀座のレストランで和装バッグから長財布を取り出し、娘に「これでご馳走しておあげなさい」なんて普通の二十九歳にはとても言えない。余計なことだと知りながら、現在の二十九歳を調べてみると、桐谷美玲と浅田真央。思考停止してしまうくらいのギャップ感だ。

今の有名人と比較するのは無意味だとしても、1960年代の映画女優たちの成熟度には心底驚かされる。若さだけで女優をやれるわけではなく、演じるということや役になり切るということがプロフェッショナルな女優であった時代。役を与えられればいくらでも親世代を演じて見せられたのだろう。もちろん衣裳やヘアメイクなどの力も借りているのではあるが、存在感が根本から違っている。
ちなみに新蔵役の山村聰は1910年生まれで当時五十二歳。こちらは登場人物と役者の年齢がほぼ一致していて、だから山村聰は馬なりで演じることが出来ただろう。三十八歳の淡島千景と二十九歳の草笛光子。東宝映画の全盛期を支えた女優たちがいかに熟していたか。そして、余計なお世話だが、今の女優たちがいかに若さのみに偏っているか。あまりの隔たりに吃驚してしまったのだった。

それにしても映画は様々な面で現在との違いを際立たせる。風俗の映像記録として『河のほとりで』を見ても、少なからず発見がある。
女性の和装の美しさは、いかに当時の女性たちが日常的に和服を着こなしていたかを示しているし、男性の部屋着も着流しで、帯の締め方ひとつとっても小粋な感じが出ている。
そしてとにかく男は常にどこでもタバコを吸っている。家でも会社でも歩いていてもタバコを吸う。演出上間を持たすためではたぶんない。実際がそうだったのだ。喫煙率が大幅に低下したのは、健康面でも安全面でも改善と言えるのではないだろうか。(※4)
タバコと同様に飲酒についても寛容な時代だったようで、東野英治郎と乙羽信子の前で桜井浩子(後のフジアキコ隊員!)がビールをぐびぐび飲む場面が出てくる。桜井浩子は淡島千景の娘の役で、撮影当時十八歳。未成年者飲酒禁止法は大正十一年交付だから、映画の表現上で法律違反が放任されていたことになる。
さらに今見ると違和感があるのは「ビフテキ」という台詞。先述の銀座のレストランで、加山雄三演じる新太郎はおごりだと聞いてビフテキを二人前も平らげてしまう。このビフテキ、東宝映画には頻出するが、今では死語。けれども単にビーフステーキを縮めただけではなく、ステーキを意味するフランス語WbifteckWだったという説もあるようで、だとすると何となく品のある言い方だったような気もしてくる。
年齢、服装、喫煙、飲酒、ビフテキ。令和が始まったからではないけれど、昭和は遠くなりにけり、である。(き)


河のほとりで.jpg


(※1)国立社会保障・人口問題研究所「人口統計資料集」によると、調査を開始した1950年における女性の第1子出産年齢は24.83歳。

(※2)本作には「若大将シリーズ」の父親役を演じた有島一郎が教会の牧師役で登場する。賛美歌のオルガンを弾くのは沢村貞子。加山雄三も星由里子の参列者として出演しているので、和気藹々とした現場だったことだろう。

(※3)大学編最終作『リオの若大将』のラストシーンは、リオデジャネイロの街角で雄一と澄子が抱擁してキスをしている姿を捉えたロングショット。但し、建物の陰に隠れて上半身は見えない。そして実際には星由里子はリオのロケに参加していなので、そのショットの澄子は代役が務めている。

(※4)日本専売公社・日本たばこ産業株式会社による「全国たばこ喫煙者率調査」によると、1966年の成人男性の平均喫煙率は83.7%(2018年は27.8%)。



posted by 冬の夢 at 15:02 | Comment(1) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 未見の映画で、この文を読むと「若大将シリーズ」より後の映画のように思えたのですが、同シリーズが始まってすぐ制作されている映画なんですね。最近ようやく「大学の若大将」(シリーズ第一作)を見ましたが、「若大将シリーズ」が、ますます不自然な感じに思えてきました。
Posted by (ケ) at 2019年05月07日 21:46
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