2019年01月19日

そらまめ「ずんずん」とヒトラー・ユーゲントについて

 小学校一年生のときの、国語の時間だった。

 担任の先生は、選択問題を出して学級全員に選ばせ、解答をいう前に生徒に議論させる、といっても小一なので選んだ理由のいい合いだが、それをやらせる授業が好きだったらしい。
 生徒の発言が出つくすと、クラスはたいてい二派に分かれる。そこでまた全員にどちらかの答を選ばせておいて正答を発表する。何度かそういう授業があったと思うが、ひとつだけ記憶している。
 といっても小学校の授業の内容なんて、ほぼすべて忘れているので、この記憶も細部はあやしい。ただ、ひどくショックを受けたから、そういう授業があったことは忘れられないでいる。

 設問はこうだった。
 畑にまかれたソラマメの種たちが、きびしい冬を耐えたことで、春になって出した芽を「さあ、のびるのだ、のびるのだ。」と勢いよく伸ばすことができましたという、教科書に載っている説話が題材だ。
 本来は「ころころころんと/ころげて」とか「ぱらりぱらり/まかれました」という本文の記述をピックアップして、副詞表現を学ばせる章らしい。
 先生の出題は、ソラマメが勢いよく「ずんずん/のびました」とは、どういう状態ですか、というもの。
 クラスはつぎの二択に分かれた。絵にすると一発なので、いまサッと作ってみる。一目でわかるからといって何でもビジュアル化するのもどうかと思うし、文で説明しないと国語の授業らしくないが……。

 回答候補1はこれ↓。

190117z1.PNG

 畑に出た芽の一群が「ずん」とのび、つづいて、べつの一群が「ずん」とのびる。
 畑で「ずん」「ずん」が完了すると、芽の丈は倍くらいになっている、というイメージである。

 回答候補2はこちらだ↓。

190117z2.PNG

 芽が「ずん」と伸び、そこからさらに「ずん」と伸びる。
「ずんずん」の結果、芽の丈は三倍以上、というイメージだ。
 わたしが選んだのはこの、回答候補2。迷わず選んだ。過半数はとれなかったが同調者もけっこういたと思う。

 ところが、回答候補1の支持者の中に、ちと厄介なキャラがいた。
 名前も顔も忘れてしまったが、チビで前髪がカールしたアタマが大きく、カン高い声で弁が立つ、いかにも才気走った少年だ。
 わたしが拙いなりに反論を試みたが、たちまちわたしの支持者は流出し始めた。
 わたしを不利にしたのは、わたしは正確には下の図が、いちばん正しいのではないかと思っていたことだ。

190117z3.PNG

 つまり回答候補2のイメージで説明していると、苗一本しか育たなかった、という感じにもとれてしまう。わたしとしては畑全体が「ずん」、そこからもう一回「ずん」だと強調したいのだが、人心掌握にたけた雄弁くんが自説を主張することで教室に広がった「畑のあちこち豊穣まつり」みたいなイメージは、覆せなかった。

 こういうとき、人望があるか異性にモテるタイプだったなら、仁義に殉じたり操を捧げるためだけに、ついてきてくれる同級生もいただろうが、わたしは子どものころからどうもそういう面が弱かったらしく、授業の終わりには、回答候補2の支持者は、わたし一人きりになってしまった。

 先生の正答は「回答候補2」。つまり同一株二段階「ずん+ずん」だった。
 やった! わたしはただ一人、勝利の美酒に酔い──。

 は、しなかった。
 最後の最後の選択タイムで、わたしは「日和った」のだ。
 棄権ならまだしも、「回答候補1」支持派についてしまっていた。
 先生が正答を発表したとき、わたしの記憶では、最後の異端者が回心したことで一体感を満喫したクラスは、怖ろしい沈黙に支配されたことになっている(笑)。
 まあそれは、後からのわたしの脚色もあるが、とにかくそのときのわたしの、地の底に墜ちるような苦痛を想像してほしい。
 なぜ日和ったのか、そのときの気持ちは正確には思い出せない。あえていまの自分の言葉で書くなら、表現力や論理性が足りず、考えを理解してもらえない苛立ちをもて余して、大勢についてしまったのだと思う。孤立も棄権も選べなかったのだから、弱虫のせいだったのも間違いなさそうだ。

 いまとなっては、どちらの答でもいいような気もしてくるが、ともかく小学一年生で、そんな経験をしたせいか、以後、少数派として発言することになったり、属する集団内で孤立を強いられた場合は、いつもこの授業を思い出した。
 そして、そのような立場になったときは、よほどでないと自説を曲げないか、棄権すなわち、好きにすればと放り出すような行動をとるようになった。
 子どものうちは深刻な実害はなかったが、社会人としては、依怙地で融通がきかないダメ人間という評価になるし、平気で上司に喧嘩を売るような態度は疎まれるから、損ばかりしていたような気もする。

 ちなみに、そういう態度に固執したのは、システムや慣習、あるいは多勢を理由に、どう考えても誤りだと思う方向へ事態が進もうとしていて、反対者がわたしを含むごく少数か、わたし一人きりだった場合だけだ。
 が、わたしが誤っていた場合もあるので、わたしの少数意見が受け入れられた場合はほとんどなく、生産的な結果はめったになかったのではなかろうか。なお、わたし一人が結果的には正しく、ずっと後にかつての多数派や権力側からそう聞かされた場合もある。なんの救いにもならなかったが。

 どうも話が世間ずれしてしまった。
 この話は、子どものころ使った教科書を見てみたくなり、記憶している記述を思い出そうとしたのがきっかけだ。
 ソラマメの話と授業のことがすぐ思い浮かび、東京・江東区の公益財団法人「教科書研究センター」の附属施設「教科書図書館」で調べてみたのだ。使った教科書そのものの版元や採用年次がよくわからないので、見つからないかと思ったが、発見できた。
 ところが驚いたことに、本文にも章末の例題にも、「ずんずん」あるいは「ぐんぐん」→「のびる」は載っていない。どこかでまったくの記憶違いをしてしまったのだろうか。だとしたら、以後長年、損ばかりして日和見拒否努力を続けたことが、まったくムダ(笑)に……。

 神秘的な力で我々を魅惑し、熱狂させる何か違ったものが、そこにはあった。それは、旗をなびかせ、じっと前方を見つめ、太鼓を打ち鳴らし、歌を歌いながら行進する若者たちの一糸乱れぬ縦隊であった。この共同体は、何か心をゆさぶる圧倒的なものではなかったか? だからこそ私たち皆が、ハンスもゾフィーも、そして私たちの他の仲間たちも、ヒトラー・ユーゲントに入団したのは不思議ではなかった。

 そんなものに自分も熱狂してついていってしまうなどということは、少年時代にはそういう事態そのものがなかったし、これから死ぬまでにかりに起きたとしても、絶対にありえない。
 と思ってはいるし、そう断言したいが、どうしてそこで崩れるかと叱りつけたいほどの変節を、それこそ絵に描いたようにやってしまった記憶に、いつも気持ちをぐらつかされてしまう。
 そのぐらつきのせいで、少数派でいることが不安なので、そんな必要はないのに、追い詰められた齧歯類がいきなり噛みつき攻撃に出るような、説得力のない態度ばかりとってきたのかもしれない。(ケ)

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 光村図書出版『しょうがくしんこくご 一ねん 下』(一九六七)
『コタンの口笛』(一九五七)の石森延男(一八九七〜一九八七)の監修だったとは知らなかった。
教材の文は與田凖一(一九〇五〜一九九七)の「ひかりと そらまめ」。


※『ヒトラー政権下の日常生活 ナチスは市民をどう変えたか』(ハラルド・フォッケ、ウーヴェ・ライマー/山本尤、鈴木直・訳/社会思想社/一九八四年)に引用されている『白バラ』(インゲ・ショル)の一節。
posted by 冬の夢 at 01:20 | Comment(0) | 日記 話題・意見・世相 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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