2018年12月26日

平成の終わりに歌舞伎の三十年間を振り返る

来年五月に元号が変わる。変わることがわかっているので、いろいろな準備が先行して進んでいる。昭和の終わりは、昭和天皇の病状悪化が伝えられていたものの、存命中に昭和という時代を総括する雰囲気はチリほどもなかった。いや、ないと言うより出来なかったのだ。
崩御が発表されたのは、正月気分が開けた頃の平日早朝。北関東の営業店舗に勤めていた私は、売り出し初日のために前日夜に準備した赤幕をすべて取り払う作業に追われた。その後は、人目に触れるところに赤や金などの派手な色彩の装飾物がないかどうかを確認し、店舗内のBGMを短調主体のクラシック音楽に変更した。
作業がひと通り終わると、職場の同僚とともに次の元号に使われる文字を当てられるか賭けを始めた。でもどんな文字に賭けるか考えているうちに、当時の小渕官房長官が「平成」の年号を掲げる映像がTVに映し出されてしまった。ずいぶんと画数の少ない漢字を選んだなと思った。

閑話休題。平成が終わることはもう既成の事実なので、三十年という区切りの良さも含めてこの年末は「平成の店仕舞い」的な企画が散見される。その流れに乗って、平成の歌舞伎界を振り返ってみよう。
私が歌舞伎を真面目に見始めたのは平成十六年だから、ちょうど平成三十年の後半部分。前半は記録に頼るしかないし、ほとんど同じ芝居を繰り返しかけるのが歌舞伎の特徴でもある。出し物での振り返りは、いつの舞台なのかが判然とせず混乱しそうだ。なので、最も歌舞伎らしい名跡の変遷、すなわち名跡が途絶える役者の「逝去」と名跡が継がれる「襲名」のふたつのトピックで平成の三十年間を辿ってみることにしたい。

まずは途絶えるほうから。「◯代目」とついている場合は、平成三十年十二月時点でこの世にいない人。名前だけの人は今も現役で活躍中、という決まり事で行きます。

◼️平成の逝去役者

平成元年 二代目尾上松緑
平成三年 三代目實川延若
平成六年 十三代目片岡仁左衛門
平成七年 七代目尾上梅幸
平成十一年 九代目坂東三津五郎
平成十三年 六代目中村歌右衛門
       十七代目市村羽左衛門
       九代目澤村宗十郎
平成二十一年 二代目中村又五郎
平成二十三年 五代目中村富十郎
        七代目中村芝翫
平成二十四年 四代目中村雀右衛門
        十八代目中村勘三郎
平成二十五年 十二代目市川團十郎
平成二十七年 十代目坂東三津五郎

二代目松緑は、有名な高麗屋三兄弟の三男坊。長兄が十一代目市川團十郎、次兄が八代目松本幸四郎。三兄弟は戦後の歌舞伎を屋台骨となって支えた。三男坊とは言っても平成まで存命だったのは少し意外な感じだ。
二代目松緑のほか平成の前半に亡くなっているのは、すべて昭和の名優ばかり。大名跡を続けて失うたびに、おそらくメディアは「昭和が終わった」という見出しを掲げたことだろう。特に六代目歌右衛門の死は、何かが終わることの象徴的出来事だったと推察される。初代中村吉右衛門に寵愛されながら女形としての地位を築き、五十一歳という若さで人間国宝。その後、日本俳優協会の会長職に就くと、文化功労者から文化勲章、勲一等瑞宝章までを総ナメにした超大物。それだけに昭和の終わり感が増したのではなかったろうか。

六代目歌右衛門の死後十年間ほどは、風が凪いだようにして歌舞伎役者逝去の報は途絶えることになったのだが、それはまさに嵐の前の静けさでしかなかった。平成二十三年からの数年間における幹部俳優の不幸の連続。それはあまりに途轍もなく禍々しい凶事であったので、歌舞伎ファンでなくとも歌舞伎の将来を憂う以外にすることが見つからないほどだった。
凶事の第一波は五代目富十郎、七代目芝翫、四代目雀右衛門の三人の死。大御所として舞台に厚みを持たせていた人間国宝三人が続けて鬼籍に入った。五代目富十郎と七代目芝翫は、亡くなる直前まで元気に舞台に立っていただけに、突然にいなくなることの喪失感は大きかった。三人揃って舞台に立った最後の芝居が、両花道をしつらえた『野崎村』。芝翫のお光、富十郎の久作、雀右衛門のお染。今でもお光が嬉しそうに包丁をつかう場面が思い浮かんでくる。

ところが兇変はまだ始まったばかりだったのだ。
十八代目勘三郎。まだ襲名の部に及んでいないのに、十八代目として勘三郎の名跡を継いで六年余しか経たないうちに逝ってしまった。享年五十七歳。生き急ぎ過ぎたのか、あまりに早く病魔に襲われた。
十二代目團十郎。私が海老蔵襲名披露公演を見に行ったその日、歌舞伎座で團十郎休演が告知された。白血病との闘いが長く続いたが、臍帯血移植を経て、元気に舞台に復帰していた。十八代目勘三郎が逝った直後の年明けに急逝の報。團十郎もまだ六十六歳。余計に残念さがつのる逝き方だった。
海老蔵襲名時の團十郎休演当日から『勧進帳』の弁慶を代役でつとめたのが十代目三津五郎。どんなときでも役をこなす器用さ。ど真ん中にいる人ではないが、この人がいないと成り立たないという芝居がたくさんあった。まさか十代目三津五郎まで持って行かれるとは考えもしなかった。症状が出にくい膵臓癌は本当に怖い。五十九歳没。

勘三郎と團十郎と三津五郎は平成の歌舞伎の心柱だった。この三人が連続して亡くなった時期が、歌舞伎座の建て替え工事期間と完全に符合。平成二十二年四月から二十五年三月まで閉鎖されていた東銀座の敷地に新しく建設された歌舞伎座を三人は見ることなく逝ってしまった。閉場の際に行われた「さよなら公演」の掉尾を飾ったのが『助六由縁江戸桜』。團十郎の助六、三津五郎の福山のかつぎ、勘三郎の通人。玉三郎の揚巻を加えて最上級の絶品であった。
今にして振り返れば、平成に逝った役者たちが勢揃いしていたのが『野崎村』であり『助六』であったのだった。二度見られないのが芝居の特徴ではあるのだが、二度と見られないと思って見ていたわけではない。そこが無性に悔しく思われる、平成を代表する役者たちの死である。


物故役者.JPG


◼️平成の襲名役者

平成四年 中村梅玉
      中村福助
平成八年 尾上菊之助
平成十年 片岡仁左衛門
平成十三年 十代目坂東三津五郎
平成十四年 中村魁春
       尾上松緑
平成十六年 市川海老蔵
平成十七年 十八代目中村勘三郎
平成十八年 坂田藤十郎
平成二十七年 中村鴈治郎
平成二十八年 中村芝翫
平成二十九年 松本白鸚・松本幸四郎・市川染五郎

物故役者から始めたせいで、かなり気分が落ち込んでしまった。気を取り直して「襲名」に目を向けてみよう。
襲名は歌舞伎役者にとっては一生に一度の大イベント。役者本人だけではなく、家族や贔屓筋、松竹株式会社までが総動員される。その襲名を見物にお披露目するために賑々しく催されるのが「襲名披露公演」。歌舞伎座で数ヶ月公演したあとは、大阪や京都、名古屋、博多を廻り、さらには地方巡業まで続く。
上記に並べたのは、襲名披露初公演の年次。中村梅玉が平成初期に襲名していたのは意外で、それだけ梅玉が今では幹部役者の中でも欠かすことの出来ない立役になったということだろう。仁左衛門は片岡孝夫の名前が定着し過ぎてしまい、タイミングが遅くなった。本来はもっと早く襲名しても良かったはずだ。
その反省を活かしたのかどうかは知らないが、それ以降、松竹は少し早めに襲名させて披露公演を大々的に行い、興行収益の獲得と役者の売り出しを両立させようとする戦術を繰り広げる。その皮切りが十代目三津五郎だったが、三津五郎逝去は前述の通りだ。
その点で振り返ると尾上辰之助の松緑襲名が、襲名披露を劇的にプロモーション化した最初であったかも知れない。松緑で十分に予行演習をしたおかげで、平成十六年の海老蔵襲名披露は国民的行事レベルの盛り上がりを見せることになった。市川家に伝わる「にらみ」。それを篠山紀信が撮影した特大ポスター。そうしてスタートを切った海老蔵襲名披露公演は、市川家の悲劇の始まりでもあった。團十郎の病い、海老蔵の不祥事、團十郎の死、海老蔵の妻・小林麻央の死。将来團十郎を継ぐ勸玄くんが健やかに成長しているのが唯一の明るい希望だろう。
その海老蔵を上回る規模で大々的に催されたのが十八代目勘三郎の襲名披露公演。歌舞伎座で三ヶ月連続公演を完売満席で打ち抜いた。中でも玉三郎と組んだ『鰯売恋曳網』の面白さは群を抜いていて、平成の名舞台のひとつであったと思う。
この勘三郎の襲名披露がピークで、その後の坂田藤十郎では少々疲れ気味あるいはダレ気味になった。新しい歌舞伎座が開場すると、最初の襲名披露のヤマ場に想定していた中村福助の歌右衛門襲名は、福助急病で中止に追い込まれてしまう。本来はおめでたいはずの襲名披露に暗雲が立ち込め、大物俳優の逝去とともに華やかだった平成の歌舞伎が下り坂にさしかかるような気配であった。
それでも歌舞伎は良い意味で新陳代謝が続く世界なのであって、平成二十九年の高麗屋三代襲名披露は平成最後の輝きとなった。幸四郎の弁慶と染五郎の判官。次の元号では、この二人も歌舞伎の中軸を担うことになるだろう。

さてさて、ここまで来れば、次の時代においてどんな襲名披露が行われるかに興味が移ってくる。亡くなる話はひとまず棚上げしておくにして、空いている大名跡がどうなるのかをついでに予測してみたい。
まず当確なのは、海老蔵の新・團十郎襲名だ。歌舞伎の中心には常に團十郎がいなくてはならない。その運命を背負って立つだけの威風堂々さを海老蔵は持っている。團十郎になるためには、もう少々の修行が必要であろうが、確実に新元号でのエポックとなる襲名披露が開かれるだろう。もしかしたら勸玄くんの新之助襲名も合わせ技で持ってくるかも知れない。未来の愉しみが待ち遠しくもある。
空き名跡の中で一刻も早く埋めたいのが歌右衛門の名前。福助の復帰を待つか、他の候補を見つけるか。もし他だとすると最短距離にいるのが中村七之助だろう。七之助は福助からみると甥っ子にあたるので、筋から言ってもハズレにはならない。現役の女形では玉三郎、雀右衛門、時蔵に続く実力者になった七之助であってみれば、歌右衛門の名跡に不足はない。ここらへんは松竹株式会社の興行成績の按配にもよるので、どう転がるかはわからない。でも期待してしまう。ありかも知れない。
他を見渡すと、当たり前に親の名跡を襲名する路線は比較的わかりやすい。勘九郎が勘三郎を、巳之助が三津五郎を、鷹之資が富十郎を継ぐあたりは順当路線と思われる。
一方では、なかなか後継者が見つからず、そのうちに忘れ去られそうな名跡がいくつか存在している。玉三郎が継ぐ気がないようなので、守田勘弥の名前はたぶん途絶えることになる。空席のまま放置されている實川延若、市村羽左衛門も消え去る候補。尾上梅幸の名前も、菊之助の家に二男、三男が生まれない限りは継ぐ人がいない。もしも福助が復活して歌右衛門を名乗ることになれば、七之助が梅幸になる可能性もあるにはある。なんと言っても七之助は、六代目菊五郎から見ても曽孫に当たるので、どんな大名跡でもハマってしまう家系にいるのだ。

こんな空想もすべて空振りに終わるかも知れないが、平成が始まるときに誰が上述したような逝去と襲名を想像し得ただろうか。なので次の元号が始まるにあたっては、思い切り勝手な予想を楽しみたい。そう期待させるのが、大名跡をつなぐ歌舞伎の醍醐味なのである。(き)



posted by 冬の夢 at 00:00 | Comment(0) | 伝統芸能 歌舞伎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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