2018年03月16日

EMMA / エマ 人工警察官 人間はなぜ人間なのか

 パリ周辺四県を管轄するヴェルサイユ警察の刑事部に、新人女性研修生、エマ・フォールが配属されてきた。
 指導を命じられた部長刑事フレッド・ヴィテュロが、上司に思わず「なぜ警官に? モデルになれるのに」と聞いてしまったほどの美人。
 ちなみに上司は女性。「女性警官はブスばかりだってこと?」と言い返す。 

 配属当初から、エマの態度はなんとなくおかしい。
 やりとりが固く、性格も素性も見えてこない。固いといってもなぜか緊張はしておらず、若い女性らしい、はにかみもない。
 初仕事の殺人現場検証では、ベテラン刑事も驚くような能力を発揮する。証拠から浮かぶ可能性を、いちいち小数点つきのパーセントでいう妙な話しかたで。

 ネタは最初からバレている。
 なにせ邦題が『EMMA / エマ 人工警察官』。DVDのジャケットもそのイメージだ。
 エマは、警察官の殉職を防ぐため内務省が極秘に進めてきたアンドロイド捜査官導入計画の、テスト機なのだ。人間と区別がつかない防弾素材で作られ、人間と同じ動作や会話をするが、人間を超える機能も持つ。怖れの感情がなく、危険な現場に投入できるよう造られている。
 ただし「人間らしさ」には、まだ欠けている。高次学習機能があるので、部長刑事フレッドの「弟子」にすることで、より「人間らしく」なり逸脱行動なく警察官として使用しうるかどうか確認するのが、「研修」の本当の目的だ。
 話の早い段階で、現場ではフレッドだけに、このことは明かされる。エマの奇妙な態度と異様に高い分析力、経歴が抹消された事実に疑念を持ったフレッドが──さすがベテラン刑事だ──上司へ突っ込んだために。

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オリジナル版のプロモーションポスター

 このドラマの特徴は「──っぽさ」がないことだ。
 どれほどないかというと、まったくない!
 近未来のポリスストーリー「っぽさ」が、どこにもないのだ。コンピューターで作った絵は、ほとんど使っていないのではないか。
 変身や分解など、エマがマシンであることを特殊効果などで見せる場面はない。
 SFタッチのアクション場面もない。数場面だけ走るシーンがあるが──時速60キロという制限速度内の性能だ──スピード感いっぱいのヴァーチャル映像ではない。スローモーションで逆に速さを感じさせる『バイオニック・ジェミー』のような昔ふうの映像だ。
 だいいちバトルシーンがない。特別な武器を出しもしないし、海外のポリスアクションでお約束の銃撃もない。銃を持った犯人に対して拳銃を抜く場面はあるが、持った瞬間わずかに軽い──弾がない──のを検知し、カラの銃を投げつけて犯人をダウンさせる。
 
 ならば、ないもののかわりに「ある」のは、なんだろう。

 エマは、容疑者や証人、あるいは同僚や上司の妻子など、さまざまな人間に会う中で、人間の感情と行動の連関について未知の知識をインプットしていく。
 エマにはまだ「忖度」──誰もが読めるようになりましたねこの熟語──する機能がないから、相手の心を開かせる話しかたができない。唐突だし、止めどきもわからない。
 あわててエマを抑え、そういうことはするもんじゃない、ウソも方便だ、などと言う部長刑事の目を、ひたすらに見つめるエマ。「Je ne sais pas(わかりません)」と「Je comprends(わかりました)」が静かに繰り返されていく。いまさらだけれど、フランス語は美しい。決して激せず、いつも微笑みながら静かに明瞭に話すエマ。
 もちろん、場数を踏んで経験値をあげたとて、エマが人間になれるわけではないことは、すぐわかる。人間の個体を完全に模倣すれば、人間という存在をシミュレートできるのではない。人間を人間たらしめているのは「関係」、つまり、人間は他者との関係あってはじめて成立する存在だということだ。これってかなりフランスっぽい命題だと思いますけど、どうでしょう──。

 劇中、ふたつの事件が起きて解決されている。ひとつは夫婦関係、離婚、同性愛をめぐる殺人事件、もうひとつは熾烈な進級競争をしいられるエリート医学生の間に起きた殺人事件だ。前者は恋愛、後者は友情が、罪の動機になっているのだが、エマにはもちろん、なぜ恋愛や友情という美しい感情が、それらそのものを破壊するのかがわからない。だからこそエマの素朴な「pourquoi(なぜ)」が、関係者の感情のもつれをたどり事件を解決する糸口になる。
 事件とはべつに、見ているこちらも「関係性」について考えさせられてしまうのは、エマが部長刑事のホームパーティに招かれた場面。
 刑事の小さな娘は、たちまちエマが好きになる。なぜならエマは、決して怒らずに話をすべて聞いてくれ、何でも説明してくれるからだと。
 娘は、とうぜんの質問をエマにする。どんな子どもだったのと。それをプログラムされていないエマには「Je ne sais pas(わかりません)」なのだが、この疑問は、エマにとって最大の「pourquoi(なぜ)」になる。他者や事物との関係を編んだタペストリーのような「記憶」があるからこそ、人間は人間として存在しているからだ。

 アンドロイドのエマを演じているソレーヌ・エベールがいい。主役級はこれが初オファーらしいが、ファッション誌のモデルもしていて、ちょっと前のいわゆる「スーパーモデル」顏。スリムで美しいので、無機的な感じがするアンドロイドを演じるにはぴったりだ。
 ただし、立ち姿がいいからといって自販機の自動アナウンスみたいにセリフをいっていればロボットっぽく見えるかといったら、ぜんぜん違うことは素人でもわかる。それに、そんな演じかたでは、この話はぶち壊しだ。
 そのあたりは制作側もよく承知で、エベールのセリフやしぐさには研究が重ねられた。やはり、ただの自動機械にならないよう率直さとチャーミングさのバランスをとるなど、うまい中間点を見い出す芝居が付けられたわけだが※、エベールは、ただのお口ポッカーンなモデルではなく、演劇学校を出ていて、演出にきっちり応えている。

 もちろん、その他の俳優たちが素晴らしい。この映画の主役はエマではなく部長刑事だといってもいいのだが、演じるパトリック・リドレモンが、海千山千のヨレた中年刑事の雰囲気といい、そう見えて、家族や同僚を大切にする優しさを持っている様子といい、みごとに演じている。フランスやイギリスのドラマを見ているといつも感じるが、ほんのワンシーンしか出ない人も含め、脇の俳優たちが素晴らしく上手く、話の設定に深く溶け込みながらナチュラルに言葉を発してくる。
 特殊撮影の絵はほとんど使っていないのではないかと書いたが、その代わり、うす汚れたフランスの地方都市の街区や、古びた庁舎のようすが、俳優たちの存在感と響き合って心地よい。エマが部長刑事と食べる昼食──食事や睡眠という行為のシミュレーションは可能という設定──が美味しそうだ! しかも、ちゃんとブラッスリーみたいな店で食べている。フランス人が見るからという理由以外に、そんな場面いらないワケです。ついでに、秘密プロジェクトの実験ラボが街角のケバブ屋の地下に隠されているのも「あるある」な設定で面白い。
 ありきたりな評価かもしれないが、作品のコンセプトをよく理解し表現できるスタッフと演者が、奥行きの深い陰影ある街区でカメラを回して芝居を始めたら、この女の子はアンドロイドですよということなら、そうかと頷いて見られる。特殊メイクやCG、完璧なセット、つまり架空の話をリアルに見せようとする手立てなど、まったく必要ない。
 この映画は、そのように作られ、その通りに出来ている。

 かくのごとく、「ある」ものが、「ない」ことをはるかに超えて豊かで、しかもまだ「はしがき」な感じもある作なので、続編が撮られるのが楽しみだ。
 アンドロイドであることを明かす範囲は、これ以上は広げず、スーパーアクションもなしのままでいい。それより、いまのフランスが抱える社会問題を一作ごとに拾い、そこから生じた犯罪をテーマにしていけば、「関係性」による人間存在の意味を、より深く表現できるのでは。BBCのケネス・ブラナー版『刑事ヴァランダー』に似すぎてしまうかな。
 いずれにせよ、期待がふくらむ。
 ビッグシリーズの「リブート」には、つくづくウンザリしている。小づくりで、といってもマニアックなアート指向でなくエンタテインメント性もあり、スリルと思想の両方をたたえたドラマが観られたらなぁと、いつも思っているから。

 と書いていたら、これは劇場用映画ではなく、テレビドラマだったと知った。二〇一六年に二本放送されたものを合体したらしい。
 ということは、続編なしの打ち切りだろうか。ガックリだ。
 いそいで、この作の評判を探すと、ほとんど見当たらないうえ、あまりかんばしくない。
 やはり、期待したものが「ない」ことへの失望が大きかったようだ。(ケ)

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DVDの予告編は→こちら←

※「PARIS MATCH」二〇一六年十月六日

●べつの筆者(き)による、二〇一五年のイギリス映画『エクス・マキナ』についての文も、ご一読ください。→こちら←


posted by 冬の夢 at 18:52 | Comment(0) | 映画 洋画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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