2018年03月06日

ジャーナリストというチンピラ……の初仕事、たのしい遊園地【改】

 三十数年前、雑誌の新人記者になったが、報道の現場にいた期間は長くなかった。特ダネ記事を書いたことはなく、地道な長い取材をしたこともない。

 だったら何をしていたのか。
 ニュースの現場や記者会見で見聞きしたことだけを、魚をとる「ウ」のように呑み込んできては吐き出す、その繰り返しだ。
 世相風俗を追っていたといえば、記者らしく聞こえるかもしれないが、世相風俗の表層で右往左往していただけだった。

 雑誌の記者なので、軟派な取材も多かった。
 そのことは、今回、書いてきた話にはほとんど書いていないが、断片的な記憶しかないからで、それが卑しい仕事だったとは、かならずしも思っていない。

 そこで、軽いテーマの仕事を思い出せないか、あらためて考えると、取材に行ったことが確実な場所が浮かんできた。
 遊園地だ。
 いまもテレビニュースの「そえもの」で、行楽シーズンの遊園地はこんなようすです、なんてのがあるでしょう。あれです。

      *

 たとえば、東京ディズニーランド(浦安市)。
 開園数年後、大昔の話だが、当時のアトラクションを一日ですべて取材体験したことがある。
 としまえん(練馬区)にも行った。テーマはプール開きか、炎暑のプール人気か。※
 そして、後楽園ゆうえんち(文京区)。いまは「東京ドームシティアトラクションズ」というらしいが、バブル時代に全国人気だった「絶叫マシン」、つまり新型ジェットコースターの紹介だと思う。絶叫コースター取材に、ほかの遊園地へも行ったような……。

 年じゅう遊園地に取材に行ったわけではないが、仕事で遊園地に行けたなんて、うらやましい、と感じますか? そういえば当時、社内のアルバイト女子に、そんなふうにいわれた記憶はある。たしかに遊園地運営会社の新人社員がするのとは意味が違うし、半分遊びでしょ、といわれてもしかたない。
 でもね、そう思うなら代わりに行ってチョ! だ。
 いまも気持ちは変わらない。
 楽しいわけがないじゃないですか。取材で行った遊園地は、あらためて遊びに行く気はしなかった。

 東京ディズニーランドでは、運営会社の人がすべて同行随伴した。背広の人と「イッツ・ア・スモールワールド」の、お船の前列に並んで坐り、まじめな顔をして一周するわけ。
 楽しいですか、そんなの。
 三十数年後の現在は知らないが──おそらく同じだと思う──運営会社のオリエンタルランドは当時、ディズニーランドのイメージ管理をきわめて厳しく行っていた。記事中の一般名詞をディズニーランド用語にいい換えるなどという、バカげた指示をいかに引っ込めてもらうかで、かなりやりとりがあったと記憶している。東京ディズニーランドに遊びに行ったことはない。

 としまえんでは、まず担当者を訪ね、さまざまな話を聞く。それからプールサイドへ出て、ネタ集めだ。
 なんとなく、べつのプールだったような気もしてきたが、やっていたことはまあ「ナンパ」です。遊びに来ている女の子たちにつぎつぎと声をかけ、応じてもらえたら他愛もない話を聞き、カメラマンが水着写真を撮るのだ。
 夏を彩る写真ニュースとして取材したのだと思うが、どんな誌面になったか、まるで記憶にない。

 絶叫マシンは、三十年以上前、若い女性に大人気だった。いまもそうかどうか知らないが、あのころ人気コースターには長い順番待ちの列ができ、女の子率が圧倒的に高かった。
 なぜ若い女性がそんなに乗りたがるのか、集まっている女の子らに、まじめに聞いたはずだが、その場ではよくわからなかった。これといったキーワードは拾えなかったと思う。

       *

 楽しんで取材できるはずがなかった。
 だれもが遊びに来ている遊園地なのに、記事になりそうな、いい話と絵が集まらないのだ。
 新米記者なので気持ちに余裕がなく、その日の締め切りも気になり、どの取材でもあせっていた。
 わたしが作った遊園地の記事は、さぞかしつまらなかっただろう。取材者が楽しんでいないのに、面白い話題になるわけがない。

 たとえば夏のプールといえば、当時だって水着の女の子たちだらけ。話も写真もすぐ取れそうだった。しかし水泳パンツ一丁でカメラマンと二人、クラクラする陽射しのなか巨大なプールのまわりを日がな歩いても、だめだった。
 素人客に、そうそういるはずがない。それなりにカワイコちゃんで、気のきいた話ができて、撮られるポーズも上手い、水着が似合う女の子なんて!

 いまのバラエティ番組やエンタテインメント雑誌ではふつうに行われる、若い女性タレントやお笑いの人を案内役にしたり、あらかじめ撮影する約束で女の子たちを連れてきて盛り上げるようなやりかたが、三十年以上前にもあったかどうかは、わからない。
 そういう方法を使っていたら、それなりの結果は得られるから、自分も気楽だったかもしれない。遊園地の楽しさを伝える写真記事としても、面白くなったはずだ。

 ただし、それをやったら「ニュース」ではなくなるけれど。

       *

 遊園地で、遊びに来ている若い女の子たちの話を集め、写真を撮らせてもらっていたときの自分には、ことを面白おかしく「仕立て」たり、そうなるよう「仕込ん」だりしようという発想は、どこにもなかった。
 いかに軟派な話でも、報道というからにはヤラセをしてはいけない、というような、倫理的判断などしていない。
 そういう行為の存在を知らなかったのだ。

 遊園地や自社の腕章を海パンや上着にぶら下げ、身分証に名刺、見本誌を持って、女の子たちに取材に応じてくれるよう、頼み歩いたわたし。
 話してくれたことも、撮らせてもらった写真も、どうということのないものばかりだったが、聞いたメモ書きと写真が合わなくなったら大変だと思い、カメラマンとダブルチェックしては、また歩き出す。閉園までに、バッチリくるコメントと写真、なんとかなるのかな……写真のポーズをつけたり笑わせたりするのも自分の役だったりすると、だんだんカメラマンに腹が立ったりもして。
 よさそうな話を適当にふくらませ、カワイコちゃんの写真と適当にくっつけておけばいい、アタリが出るまで数引く必要なんかない、ということは意識の片すみにもなかった。

 取材を命じられるがまま飛び出し、なんとかひとつかふたつ話を聞きとり、必要に応じ写真が撮れる場面を見つけること、それが新米記者の自分にできることのすべてだった。
 これから作られようとする記事の完成図をイメージする余裕がなく、それにあった「いいネタ」をつかまなくちゃいけない、もしそれが得られない場合は……というところまで、考えが至らないわけだ。取材の対象が誰だろうと何だろうと、それはほとんど変わらなかった。現場から戻って取材が足りないと叱られると、自分は押しが弱いからなあと、小さくなっていた。
 その状態、つまりほとんど新米のまま、ニュースの現場から離れることになったのだった。

       *

 テレビ報道番組の「仕込み」問題が、毎度のように取りざたされる。いくら再発防止が誓われても、なくならない。
 理由は簡単だ。
 こつこつ魚をとってきては吐き出す「ウ」と、魚屋に行って買ってくる「ウ」がいて、魚屋へ行った「ウ」のほうが、打率がいいと評価されてしまう場合が、すくなからずあるということだ。
 また「ウ」を川や池にはなっておきながら、その「ウ」が鯛をとってくることを期待しているような、因習のような空気感があるはずだ。命令も承認もされないまま、いるはずのない鯛をとってくることが暗黙の了解になっている、ということだ。
 
 記者の仕事から離れて、しばらく後のこと。
 若い女性が絶叫コースターを好きなのは、フリーフォールのような墜落型や、走行中に無重力っぽいエア感がくるやつが、イクときの感覚に似ているからだよ、と教えてくれた女の子がいた。
 そういえば、その話は、いまだにウラをとっていない。(ケ)

[このシリーズを終わります]

●「ジャーナリストというチンピラ」の関連記事一覧は→こちら←


180306FG.JPG
Yamanashi 2019

※ 二〇二〇年八月三十一日閉園
※ 二〇二一年八月二十五日、手直ししました。
管理用

Originally Uploaded on Mar. 08, 2018. 12:24


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | 時事 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: