2018年03月01日

ニコン100周年 / マリリン・モンロー / ニコンF

 恋した瞬間。

 先週、首都圏の車内吊り広告で、株式会社ニコンが創立百周年を迎えたと知った。実際は昨年(二〇一七年)七月に、日本光学工業株式会社の設立からかぞえて百年になっている。

 カメラを持って微笑んでいる女性は、誰なのか。
 昔のカメラの説明書などには、こういう「お姉さん」ふうのモデルがよく起用されていたが、昔のニコンの海外向け広告やカタログの写真にしては、どことなく不自然な感じがする。

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ニコン創立100周年記念サイト www.nikon.co.jp/100th/

 彼女は、マリリン・モンローだった。
 車内吊りに近寄って、コピーを読むまでわからなかった。
 一九八〇年代に初版が出て、二〇〇〇年ごろコンプリート版も出版された──世紀の変わり目を記念してか、当時、有名な写真集が決定版仕立てでよく再刊されていた──バート・スターンの『Marilyn Monroe: The Complete Last Sitting』の1枚だ。

 ひと目でマリリン・モンローだと気づくには、アイメイクが強すぎ、どことなく表情が硬い。口もとに疲れが浮かび、よく見ると笑みも固まっている。
 その口もと、向かってやや右上の、あまりにもよく知られた「Beauty Spot」もない。ちなみにあのビューティマークは、わずかにある「出っぱりぐせ」の上に、必要に応じてアイライナーで描いていたらしいが。

 撮影は一九六二年、手にしたカメラは、その数年前に発売されニコンカメラの黄金時代到来を告げた、ニコンFである。
 スターンがポージングの小道具として持たせたもので、ニコンで撮った写真も写真集に入っているから、スターンのカメラだろう。フィルムの巻き戻しレバーが引き出されたままだ。つまり使用状態でない。
 スターンが、鏡に映った自分とモンローをニコンFでスナップした写真も写真集にあるが、巻き戻しレバーは格納されている。スターンにはレバーを出したまま撮る習慣はなく、フィルム交換などで置いてあったカメラを渡したことがわかる。ついでに彼女のカメラの持ち方も、撮るときの持ち方ではないので不自然だ。
 コンタクト、つまりチェック用の密着焼きで確かめると、この写真は6×6判の正方形フォーマットなので、ニコンのカメラで撮られたものではない。ニコンは戦後カメラ七〇年の歴史で、いちどもその形式のカメラを発売していないからだ。
 ニコンにツッコミを入れているわけではないので、細かいついでににもうひとついっておくと、この写真は、バストアップつまり、この感じでフルフレームで撮ったものでもない。前かがみで体をひねった、かなりきつい立ちポーズから切り抜いている。だから、そもそも不自然な感じがあるのだ。

 車内吊り広告の写真がマリリン・モンローだと知ってもまだ、いや、なおのこと感じた、おさまりの悪さとは。
 多くの不自然さが、この広告写真を取り巻いていることを示しているのだろうか。いや、それよりも、この写真が元の写真から切り抜かれたところへ戻ろうとしている、つまり、撮られた瞬間へ跳ね戻ろうとしている証しなのでは。
 というのも、撮ったバート・スターン本人が、「The Last Sitting」を撮影した経験と残された写真に、人生を翻弄されたといっても、いい過ぎではないのだから。

 撮影時すでに売れっ子の広告・ファッション写真家だったスターンだが、マリリン・モンローの「最後の撮影」──ごく初期以外に許さなかったヌードショットを含む──を行ったことで、カメラマンとして最高以上の、地位と収入をほしいままにする。
 しかし数年後、その生活は破綻し、離婚と破産のすえスターンは七〇年代末までスペインに隠棲することになる。
「マリリンの写真を撮ったことは、それ以後に起きることの警告でしかなかった。」
 と書いたスターン。しかし、このように書いてもいる。
「あれ以来、彼女の霊が私のまわりに居続けてくれた。彼女の写真は、私の前に立ちふさがる障害物をとり除いてくれたし、私が沈没すると濁流から救いあげてくれたのだ」。
 そしてスターンは、四十六年後の二〇〇八年、リンジー・ローアンをモデルに、まったく同じセッティングで「The Last Sitting」をセルフカバーしてさえいる。いかに彼がマリリン・モンローの撮影にとらわれた後半生を送ったかが、わかるエピソードだ。

       *

 ニコンの車内吊り広告では、このモンローの撮影を「伝説となるフォトセッション」と称しているが、そんなことはまったくない。

『Marilyn Monroe: The Complete Last Sitting』の巻頭には、二十一ページにもおよぶバート・スターンの回想録がある。この「フォトセッション」の──カメラマン側のみからの記述だが──ほぼ完全で詳細な記録だ。
 当時、世界の男目線を一身に浴びていた「セックス・シンボル」との、あまりにも濃密な時間の描写については、読んでいて目まいを感じるほどだが、いっぽうで、時代のイコンを撮影できる貴重な時間すべてを的確にフィルムに捉えようと、確実にセッティングし撮影場所の雰囲気をコントロールする、職業カメラマンの怜悧な目線もしっかり存在している。スターン自身も、そのとき二人のバート・スターンがいた、と書いているように。

 印象的な記述をあげていくと、きりがないのだが、ニコン百周年の車内吊り広告に感じた奇妙な違和感に関連する部分だけ、すこしひろっておこう。

「The Last Sitting」はファッション誌『ヴォーグ』のアサインメントだ。リチャード・アヴェドンが『タイム』に寄稿したモンローの写真がすでに有名で、『ヴォーグ』では当時まだモンローの写真を掲載したことがないはずだから、寄稿カメラマンの自分が撮りたいというのが、スターンの望みだった。
 撮影交渉したのはスターンで──事務所からエージェントに連絡させた──ダメもとだったが、OKが出た。

 スターンの拠点や『ヴォーグ』の編集部はニューヨークだが、撮影はロサンジェルスでという指定で、選んだ場所はベル=エア・ホテル。日本風のしつらえがあったそうで、スイートルームへ機材を入れスタジオ仕立てにすることが許可された。
 後からわかったことだが、モンローがよく使ったホテルで、アットホームな気持ちになったろうという。

 撮影は二度にわたり、約三日間だった。
 初回の撮影後、スターンはニューヨークへ戻って現像し、『ヴォーグ』をはじめコンデ・ナスト社の雑誌誌面デザインに一時代を築いた、アレックス・リーバーマンに出来上がりを見せた。
 数日後、スターンの事務所にリーバーマンから電話があり、返事はこうだった。

「バート、あの写真は、美しい、素晴らしい、ゴージャスだ。が、もうひと押し、やってほしいことがある」

 渡した写真は、ほとんどノーメイクのスナップ的なポートレートと、ヌードだった。使った小道具は、スカーフとジュエリーだけで、回したレコードはエヴァリー・ブラザーズである──モンローには「フランク・シナトラはないの」と聞かれた。「ないよ、そういうのをかけるのはアヴェドンだけでしょう」と答えたスターンは、それ以前にレコード店の視聴室でリチャード・アヴェドンに出くわし「きみ、そんな音楽が好きなの?」といわれたことがあった。そのときアヴェドンが買おうとしていたのがシナトラだったのだ。
 
 ヌードを撮りたくない? というのはモンローの提案だった。
 えーと、あー、あー、そ、そうだね! フルじゃなくても、スカーフか何か、使う?

 こと女性については、写真を撮ることはセックスと同じだ、とスターンは思っていた。もちろんマリリン・モンローのハダカを撮りたかった。もし撮れたら特写でもある。ただ、断られたら決して無理強いする気はなかったそうだ。
 女性を撮影するとき、疑似にせよ恋愛関係に陥ることが写真を美しくすると、よくいわれるわけだが、モンローのヌードを撮影する過程は、たしかに「making love」的な関係をうかがわせる。しかしカメラを手にしている限り、カメラマンは別の心理ステージにもいるのだとスターンは書いている。さきほどの「二人の自分」だ。
 そのときの彼は、シャッター音が響きストロボが光るたび、的確なカメラ設定を繰り返し、またシャッターを押し続ける「自動機械」でもあったという。
「私たちは making love していたのではない。making pictures していたのだ」。
 そして、エヴァリー・ブラザーズの曲のような、現実の中の架空の「love affair」は、終わった。

『ヴォーグ』のアレックス・リーバーマンが追加注文したのは──いかにも雑誌らしいが──ワンカットでなく相応のページ数を用意するが、モノクロのファッション写真を撮れということだった。
 場所は同じベル=エアだが、部屋ではなくコテージを使い、大量の衣裳やアクセサリーが届いた。『ヴォーグ』がブッキングしたヘアメイクや、編集者が飛行機で来た。『ヴォーグ』のファッション担当編集者は、空港からリムジンで来たという。

 撮影コンセプトは、初回の撮影でのスターンの撮りかたとは正反対になり、「大きく、どんどん大きく」なっていった。
 スターンの方法では、スタッフや助手は遠ざけ、被写体とカメラマンは一対一になる。そして、だんだん着衣をはがし被写体の「素」を撮るように進めていく。きわめてシンプルだ。
『ヴォーグ』の方法は、各分野の一流スタッフが集結し撮影を「よりよい」方向へ導くわけだが、超一流のヘアメイクがメイクアップし、つぎつぎに豪華なファッションをまとわせる。スターンの表現によれば、そのことで被写体を「どんどん覆っていってしまった」のだった。

 それでも、二度目の撮影──三日用意され二日行った──の初回で、スターンはふたたび「一対一のシチュエーション」を作り出し、こんどはベッドでのヌード撮影を成功させる。
 この場面も、二人の関係が一線を越えかけたように、しかも、もっときわどく書かれているが、初回の撮影エピソードにつづいて読むと、どこかシミュレーションのような感じもする。もちろん、なにも起きなかった。
 ちなみに、鏡に映る二人をベッドからニコンFでスナップしたのは、このときだ。

 ニコン百周年の広告に使われている写真が撮影されたのは、その、二度目の撮影の最終日である。中一日休んでの三日目だ。
 このとき、スターンの言葉では「すべてが違っていた」。
 夢のような時間も、ラブ・アフェアも、影も形もない。被写体とカメラマンの関係は前夜のベッド撮影が嘘のように、よそよそしく言葉少なで、周囲には関係者がひしめいてもいた。
 メイクアップした彼女にカメラを渡した写真の撮影も終え、ふと完璧なカットが一枚、どうしてもほしいと思ったスターンの注文で、仰向けに寝ているモンローのポートレートを撮ることになった。

 そして「すべてが違っていた」空気のなかで、モンローが目の前にいるように見える「夢のような」写真を撮ったのだから、カメラマンとはつくづく嘘つき、いや、魔術師だと思うが、この写真についても、スターンは「自動機械」らしいコメントを添えている。
 キスできそうな近さで彼女が誘惑的な笑みを浮かべる写真は、実際には机やイスを積み上げた、かなりの高さから撮っている。アップの表情を撮るとき、被写体のごく近くで撮影できる広角レンズで撮ると歪んで写る。だから望遠レンズで撮るが、離れた位置から撮らなければならない。実際には「遠い写真」なのだ。
 そしてスターンはこのようにも書いた。
「The Last Sitting」で自分が撮った写真のほとんどが、真実の瞬間ではないと。
 スターンによると、一眼レフでは、シャッターを切った瞬間ミラーが動いてファインダーが暗くなるので、撮った瞬間をカメラマンは見ていない。二眼レフなら視界は暗くならないが、撮影レンズとビューレンズの位置が違うので、見ている絵と写る絵は違う。
 いずれの場合も、カメラマンは自分が写した、彼女をつかまえたと思った瞬間を、見ていないのだ。

 ところで『The Complete Last Sitting』では、スターンはニコンFも使ったと明言しているし、話の文脈からしてそうに違いない写真も掲載されている。なぜ「ニコンカメラで写したマリリン・モンロー」が、ニコン百周年の広告に使われなかったのだろうか。

『The Complete Last Sitting』のテキストには書かれていないが、ニコン以外の35ミリフィルムカメラも使っていた可能性がゼロではないことを勘案し、見送ったのかもしれない。
 いや、そうではないだろう。
 写真集で見るかぎり、照明の違いもあるのか、35ミリフィルムで撮った写真は意外なほど品質が低い。6×6判で撮ったものと比較すると、当時の35ミリって、この程度だったっけ、という感じだ。
 いや、品質が低いというのはまずい。要するに解像度がクリアでない。かなり撮影条件が悪くても細部までバリバリに解像するいまのデジカメ、ヘタすればスマホもそうだが、それらの画像を見慣れてしまっているから、つい絵が荒いと思ってしまうわけだ。写真としての迫真度、つまり、シャネルの5番が匂いたつような彼女の体温が空気をゆらめかせる感じは、明らかに35ミリのモノクロに軍配があがる。
 ニコン株式会社は、そのニコンF(ニコンレンズ)の、いわば「集像力」の圧倒性を捨てて、たんに、ニコンFがマリリン・モンローといっしょに写っていることを優先したのだ。

       *

 写真集『The Complete Last Sitting』は、見開きの右ページに1点ずつ写真を配し、左ページに原則としてそのコマがあるコンタクトを載せた構成だ。
 コンタクトを1コマ1コマ追っていくと、マリリン・モンローが、いかに「撮られ上手」かがよくわかって興味深い。が、それはとりもなおさず、写っているモンローはかならずしも「素」ではない、ということでもある。本人のリクエストで撮影には例外なく大量のシャンパンが用意され、長時間にわたる撮影のあいだモンローはベロベロの状態だった──ニコンの広告写真になったフィルムのときはわからない──らしいが、ほんとうに泥酔していたのかどうか。

 初回の撮影には、マリリン・モンローはたったひとりで現われた。
 明るいグリーンのスラックスにセーター、スカーフをかぶり、まったく化粧っけなしで。ハリウッド・ヒルズに落ちていく夕陽──午後二時の約束だったが午後七時に来た──の金色の光に包まれていた。
 レセプションで出迎えたバート・スターンを驚かせたのは、その声だ。映画でおなじみの舌っ足らずなベイビーヴォイスではなく、深く明瞭な、おとなの声だった。しかし、その姿は三十六歳の女性のそれではなく、そこらの店のカウンターでソーダ飲料を売っているような「アメリカン・ガール」そのものだったという。
 I was in love. そのときが、カメラマンが被写体に「恋した瞬間」だ。しかしそのとき、バート・スターンはカメラを手にしてはいなかった。
 
 撮影が終わって、わずかひと月あまり後にマリリン・モンローが亡くなったとき、バート・スターンには、どこか驚けない感じがあったという。
 撮影のときは、落ち込んだ様子も自殺しそうな気配も、まったく感じられなかった。しかし、なにかトラブルの匂いがしたそうだ。もしくは彼女そのものが、トラブルなのではないか、というような。(ケ)

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Marilyn Monroe: The Complete Last Sitting BERT STERN 2000
初回の撮影分はマリリン・モンローが自分でチェックした。当時の『ヴォーグ』では例外だったという。
彼女はボツにするカットに、ピンで傷をつけるか、赤いマーカーでバツを書いた。
直接ボツの印をつけたポジは、当時はまったく使えない状態になった。
表紙は、そのボツ印がもちろん十字架に見え、「伝説的」写真に感じられるわけだが、
本人が、使わないでねと印をしたカットだと思うと、すこし胸が痛む。



※本文にあるとおり『Marilyn Monroe: The Complete Last Sitting』の巻頭テキスト、収録写真、コンタクトシートを参考にしました。歌詞のみ書かれているエヴァリー・ブラザーズの曲は、聴けば「これか!」とわかる「All I Have To Do Is Dream」。広告写真のカットとコンタクトシートは418〜419ページで間違いないと思いますがどうでしょうか。

※関連記事「ニコン100周年 / 戦艦大和 / 黒澤明」は→こちら←

 
posted by 冬の夢 at 00:44 | Comment(0) | 写真 カメラ・写真家 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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