2017年12月30日

KENNY DREW TRIO−Lullaby of Birdland 元気が出る曲のことを書こう [34] .

「バードランドの子守唄」といえば、まずはサラ・ヴォーン、なにより印象的なのはドスの効いたスキャットで、楽器とかけ合うスキャットがアドリブなら──そうだと思う──なおさらすごいし、そのスキャットと歌を自在に操って、からだの奥深くから音楽を吐き出すような歌唱力ときたら、表現することばが見つからない。
 それからクリス・コナー、この曲を収録したレコードのタイトルが『Sings Lullabys of Birdland』だから、会心の出来、ということだろう。天気のいい日にソーラン節でも歌っているようなジャケットからは想像もつかない、夜霧にむせぶ中低音は、二十六歳なのに艶熟の歌唱だ。
 そして、この曲を作曲したジャズ・ピアニスト、ジョージ・シアリングのバンド演奏を忘れてはいけない。ひきずるようなタメまでぴたりと合わせるシアリングの五重奏団が、わずか二分少々で、曲の真髄を聴かせつくす。
 この三つが不動のベストテイクで、それぞれ個性的だが、じつは共通点がある。
 けだるい。
 どの演奏も早歩きくらいのテンポなのに、未練たっぷりのミディアムスローに感じる。

171230gS.JPG
the GEORGE SHEARING quintet with NANCY WILSON
the swingin's mutual ! 1961

 いかにも「けだるく」、真夜中の「おとなの子守唄」ふうに演奏されることが多い「Lullaby of Birdland」は、はじめからことさらに「けだるい」曲ではなかった。
 もともと、ニューヨークの有名なジャズクラブのための曲で、一九五〇年代初めに、そこから放送されることになった深夜ジャズ番組のテーマソングとして作られたものだ。
 ピアノ奏者のジョージ・シアリングが、オーナーからテーマ曲の録音を頼まれたが、用意された曲が気に入らず、自分で作曲することになった。夕食にステーキを食べながら十分ほどで出来たので、同じ肉屋で何千回もステーキ用の肉を買ってみたが、この曲ほど有名な曲はひとつも作れなかったよと、本人がよくネタにした曲である。

 なるほど深夜番組だから「おとなの子守唄」なのか。この曲を聴いたら、コドモとは違う意味でベッドイン? あるいは紅灯の巷で夜明かしのすえに聴く「子守唄」というところだろうか。

 じつはシアリングは、作曲直後の録音では、ずっと早めのテンポで軽快に演奏している。深夜番組とはいえテーマ曲だから、どんよりした曲を作ったはずがない。後からつけられた歌詞も、軽妙な言葉遊びっぽさが目立つ。
 おそらく、くり返し演奏されて聴かれていく間に、おとなの夜の倦怠を幾重にもまとって、夜の感傷を表現する曲になっていった、ということなのだろう。
 この曲もそうだが、ジャズでよく演奏される定番曲の場合、もともと映画やミュージカルに使われたときや、最初にレコードになったときの調子とは、かなり違ったふうに演奏される場合がけっこう多い。メロドラマの挿入歌などの平凡な曲が、シャープに変化したメロディやモダンな和音を得て、もとの形が薄まることで逆にジャズらしい定番曲になっていることもある。
 奏者と聴衆で、その過程を作り上げるのがジャズの面白さでもあるから、オリジナルの由来は歴史知識にしておいて、そのときどきの奏者の解釈を楽しめばいい。

 ただ、この曲にかぎらず、ジャズと「けだるさ」の関係は、昔のわたしにはちと、やっかいなものだった。

171230sV.JPG 171230cc.JPG
Sarah Vaughan with Crifford Brown 1954
CHRIS CONNOR Sings Lullabys of Birdland 1957

 ジャズを聴き始めたころ、陰翳なくして名演なし、と決めつけていた。よくわかりもしないのに。
 それはそれでよくて、夜の危険な雰囲気やクラブの紫煙、身を持ち崩した女の姿など、いかにも翳ったイメージを、スイングするバックビートやブルースっぽいフレーズに見つけようとする聴きかたは、間違いとはいえない。
 ただ、自分の好きな演奏さえよくわからないので、「けだるさ」を感じなきゃジャズじゃない! と断定してしまっていた。音楽的な仕組みを知らなかったせいもあるが、ほかにもすぐ「黒っぽい」(評価する意味で)といったり、ブルーノート盤なら「ジャズだねえ!」とか。ああ恥ずかしい。
 当時のわたしを、やや離れた所から見ると、ジャズ喫茶や、二流、三流の奏者しか出ていないライブハウスで、うつむいてしかめっ面をし、わかっているふりをして「けだるさ」を気どっているだけの、ジジむさい若者だ。うじうじした気分を抱え込んでもいた。始末におえない。
 すでに一九八〇年代に入っていたから、時代の変化に取り残されてしまうぞとか、こんなことをしてちゃ、ホンモノの女との縁はないなと、思い知ってもいたくせにだ。

       *

 まさにそのころ、つまり一九八二年に出た、ケニー・ドリューのピアノ、ニルス・ペーダーセンのベース、ドラムにエド・シグペンの「Lullaby of Birdland」は、スカッと目を、いや耳を、さましてくれた。

 いま、ひさしぶりに聴くと、アレヨアレヨという間に終わってしまう演奏の中に、ジャズでよく使う技が「全部盛り」だ。とにかく聴いていて楽しい。
 正確でレスポンスがいいテクニックなければ出来ない演奏なので、技のショーケースになりそうなのだが、それではイヤミだ。しかし技術の裏付けなしにやったら、ただの「あおり運転」で、演奏がそもそも破綻する。この三人には、どちらもまったくない。聴き手を観覧車からメリーゴーラウンドへと、ジャズの遊園地を自在に案内してくれる。「けだるさ」がしのび寄る余地がない。

171230kD.JPG
THE LULLABY KENNY DREW TRIO 1982

 まずはピアノのドリューがルバート(自由なテンポ)の前奏、キラキラ星が降ってきて──すいません、毎度のたとえで──そのままユメユメしく歌メロを一回。
 とつぜん、ベースのペーダーセンとユニゾンで、ドミナント7thのルートをペダルノートに、分数コード(でいいのかな)で第二前奏。コンテンポラリースタイルの演奏でよく使われるイントロだが、「子守歌」の前奏だと知って待つのは、期待感がいっぱいになる。そのイントロで示した、かなり早いテンポで、あらためて歌メロへ。
 ここからが圧巻だ。メロディや装飾フレーズが鍵盤を走り回る、ドリューのピアノ。メリーゴーラウンドからジェットコースターへ。
 大きなコントラバスをギターのように弾きこなすペーダーセンのテクニックは、伴奏でもソロでも爆発、はじめの「キラキラ」がウソのような、攻撃的な高速フレーズが連発される。
 これでドラム奏者がドスンバタンと叩いたらさんざんだが、そこはエド・シグペン、地味な職人と思われているのだが、なんの、この人のシンバルは、太いドラムスティックでなく極細の仕置針で叩いているかのように、必殺のツボを瞬刺して──それじゃ死んじゃいますね──繊細かつシャープに、盛り立てつつ引き締める。
 録音も演奏に合っている。こんなふうに聴きとって楽しめるのは、三人の演奏が粘着し過ぎずバラけ過ぎもせず聴こえてくるからだ。

 ジャズ好きならすぐ気づくと思うが、ペーダーセンとシグペンは、オスカー・ピーターソンを支えたリズム陣。王者の輿を担いだ余裕がある。しかも、ピーターソンとでは、どうしたって「家来」だが、ケニー・ドリューとならもっとフレンドリーな立場、演奏からそれが伝わり、なお心地よい。
 ちなみにドリューは、これをはじめとして日本で企画発売された一連の盤でよく知られるようになり、ロマンチックな叙情派ピアノ奏者として日本で大きな人気をえた。が、もともとはゴリゴリした弾き方が得意なモダンジャズ直系の奏者。同時代のピアノ奏者たちに、そのタイプの名手が多かったので、目立ちきれずにいたと思う。八〇年代の日本発売盤では、クラシックの素養をより表に出して成功した。キラキラなフレーズやトリルなど装飾音が多すぎるともいえるのだが、だからといってだらしない場末感はない。かなり強い音で音符と音符がベタつかず、清潔で力強い。しかも、ただ正確な譜割りで速く弾くのでなく、バックビート寄りに音を集めて、「ジャズっぽさ」を凝縮するかのように聴かせている。

 当時、ケニー・ドリューとよい関係を持って、ジャズとしては例外的な大ヒット──発売のたび二万枚以上売れ、レコードとCD合わせると十万枚売った盤もあるという──を連発した、日本側のプロデューサーの功績も大とすべきだが、その人の回想本を読んでみると、制作意図は意外に単純だ。しかし、時代の雰囲気を読んだ新しさがあるともいえる。だからこそ売れたのだろう。
 当初、日本側がアプローチを考えていたのはドリューではなく、同じデンマーク在住だったデューク・ジョーダンだったそうで、まさに「けだるさ系」のピアノ奏者だ。が、ドリューに会ったとき、制作の意図を話したらピタリと意見が一致、そこから日本制作発売、好成績の流れが始まったのだそうだ。

ぼくにはぼくの目指すレーベル・イメージがあります。それは ”ジャズは気楽な旋律” というコンセプトです。流れていてじゃまにも、耳ざわりにもならず、聴く意思を持って聴けば十分に聴きごたえのあるジャズ。そんな音楽を世に出していくレーベルをつくりたいと考えています

 制作側から、売れるようにと演奏内容に注文をつけたわけではなく、奏者も売れ筋ねらいの弾きかたをしたわけではないそうだが、となれば、録音環境への気配りや宣伝広報での地固めが、プラスの推進力として大きかったことは間違いない。
 それまでジャズの盤ではあまり例がなかった、おしゃれでメランコリックな女性が主人公の、水彩ふうのジャケットデザイン。まだ元気だったジャズ雑誌と共同企画の「リクエスト特集盤」の発売。
 これらは当時、穴グマのように外界の情報が少ないなかに暮らしていたわたしにもしっかり届いて、穴底から引っぱり出してくれた。あとにもさきにもジャズの新譜、それも日本盤を、発売と同時に国内盤売場に行って買ったのは、このシリーズのほかにはあまりないと思う。

 世界じゅうで日本ほど、ふだんからジャズが聞かれている国はないのではないか。
 バーやカフェはもちろん、ヤキトリ屋でも、うどん店でも、ジャズがかかっている。
「Lullaby of Birdland」にはじまって、わたしの目をさまし続けてくれた、ケニー・ドリュー・トリオ。
 盤がよく売れ、多数の聴衆を集めるホールで来日公演が行われたことは、ジャズの新しいファンをたくさん育てもしたはずだ。その流れのなかでジャズに親しんだ人たちの誰かが、けっして孤独な夜のけだるい音楽でなく、都市生活を彩る気楽な音楽として、ジャズがよく聞こえてくる街づくりを、行ってきたのだと思う。

 もっとも、ケニー・ドリュー・トリオの一九八〇年代の「おしゃれ盤」、そのほとんどを買ったと思うが、それ以後に出して聴いたことは、数えるほどしかない。いまこの文を書くためでさえ、一枚通して聴きたいとは思わない。なぜなのか、考えてはみたけれど、理由はよくわからない。
 そういえばおととし、せっかくニューヨークの友だちの家にいたのに、一度もジャズクラブに行かなかった。ソニー・ロリンズが練習したウィリアムズバーグ橋が近かったのだが、そこにも行っていない。かつて、あまりに自分の日常に密着しているので、もっといろいろなことを知りたくて、楽譜も楽器もロクに出来ないのに演奏のまねごとまでしてみたジャズが、いまは遠い。(ケ)

※『ジャズは気楽な旋律』木全信/平凡社新書/二〇一四年
※ 二〇二〇年一〇月一九日、わずかに手直ししました。管理用



●「元気が出る曲のことを書こう」の記事一覧は→こちら←

posted by 冬の夢 at 16:14 | Comment(0) | 音楽 ジャズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: