2017年12月18日

国立劇場十二月文楽公演『ひらかな盛衰記』 〜 大切なのは子か忠義か

今月の文楽東京公演は『ひらかな盛衰記』。『源平盛衰記』をやさしく紐解いたということで「ひらかな」という外題になったそうだ。ちなみに声に出して読む際は「ひらがなせいすいき」と濁る。難しいですね。

源義経に追い詰められた木曾義仲は、三歳の駒若君を腰元お筆に託して出陣し、果てた。遁走中の宿屋で鎌倉方の追手に踏み込まれ、駒若君は首を刎ねられてしまうが、それは別の幼な子の首。相宿になった船頭一家の息子槌松と取り違えたのだった。
お筆は幼な子が身につけていた笈摺(※1)を頼りに船頭一家を訪ねる。そこでは祖父権四郎と娘のおよしが、駒若君を槌松の替わりと思って大切に育ててくれていた。孫が身代わりとなったことを知った権四郎は、激怒し駒若君の首を取ろうとするが、婿の松右衛門が制止する。松右衛門は実は義仲の家臣樋口次郎兼光であった。主君への忠義心を前に、権四郎も侍の親になるのだと矛を収める。
義経に近づく機会をつかむため逆櫓の稽古に出た樋口は、権四郎の訴人によって畠山重忠に捕らえられる。権四郎は、樋口を訴える代わりに樋口とは血の繋がりのない槌松、すなわち駒若君の命を救おうとしたのだ。それを悟った樋口は進んで縄にかかるのだった。

この演目の一番の見どころは「笹引の段」。
冒頭の「義仲館の段」は久し振りの上演というものの、動きがないので目を開けているのが辛かったが、続く「大津宿屋の段」で左右相似形の宿屋が舞台になると俄然面白くなってくる。左には巡礼中の船頭権四郎一家。右には命からがら逃げてきた義仲の遺族と家臣。身分も境遇も違うのに、三歳の子がいることだけが共通点で、その子を取り違えることで、両家が結ばれてしまう。左右の部屋が鏡に映したように配された舞台設計が、その運命を象徴している。それを意識して作ったものであれば、二百八十年前の美術さんは現代でも十分に通用してしまう。
その宿屋を追われての「笹引の段」。深夜の雑木林の中、追手に囲まれたお筆なのだが、脇差を抜くとバッタバッタと野郎どもを叩っ斬る。この女武道ぶりは只者ではない。斬った後で刀を鞘に納める際、一旦刀を抜いて鞘を逆さに降る仕種が入る。刀に付いた血潮が鞘に溢れるのを吐き出させているのだ。ここまでディテールにこだわる遣い方が伝承されているとは。ただ驚くのみである。
かたや正室山吹御前を守るのは家臣鎌田隼人。追手の番場忠太に刺されるその動き。時代劇の悪人役よりよほど巧くリアルに悶えて倒れる。遣うのは吉田文司。なんと高校時代民芸部の活動中に文楽に魅せられ、人形遣いの元に入門した経歴を持つ人だ。脇がしっかりしていると、舞台の見応えが違ってくる。
隼人を仕留めた番場忠太は、続けざまに駒若君(実は取り違えた槌松)の首を取る。「子役を殺してはいけない」というのはヒッチコック映画の鉄則だが、文楽ではむしろ首のない胴体を見せることを愉しむようでもある。走り去る番場忠太が片手に抱える小さな首。現代の見物からは、決して愉快なものではないけれども。

「笹引の段」は、ここからが見せ場。腰元お筆は残された胴体の着物の手触りで、子を取り違えていたことを知る。山吹御前にそれを告げるが、息も絶え絶えになった御前は、心労であえなく絶命してしまう。たったひとり取り残されたお筆には、笈摺を頼りに駒若君を取り戻す使命が課せられる。しかし、このまま御前の亡骸を放置は出来ない。そこでお筆は、笹竹を一本切り倒し、笹の葉の上に御前の亡骸を乗せる。笈摺を切り裂いて身体を笹に固定すると、竹の根元を櫂のように持って、御前を引いて行くのである。
主に仕えるお筆の没頭感には凄まじいものがある。駒若君を捜すのは自分しかいないと決め込む使命感の強さ。御前の臨終に立ち会ったうえで、丁重に葬ろうとする潔癖度の深さ。その直前には、家臣鎌田隼人の遺体を雑木林の中に放り込んでいるのだが、実は老隼人はお筆の父親。実父よりも主君を優先する忠義心の頑なさがほとばしる。更には、笹引の最中に後ろから忍び寄る追手に斬られそうになるところを白刃一閃、返り討ちにする。木曾義仲が果てた今、なぜここまでして忠義を尽くすのか。恐ろしいまでに思い込みの深い腰元なのである。

ひらかな.JPG
(※2)

お筆の忠義は「松右衛門内の段」でも続く。船頭権四郎の家に辿り着き、駒若君の代わりに槌松が殺されたことを告げるお筆。孫を取り違えられた不運に加えて、身代わりとなって死んだと聞かされた権四郎のやるせなさは半端ではない。その傷に塩を塗り込むようにして、駒若君を返せと畳み掛ける強欲ぶり。普通の感覚なら、十分に哀しみが癒えた後でやっと切り出せるかどうかの頼み事だ。もちろんストーリー展開上、そんな余裕はないのだけど、見物からすれば、その遠慮会釈のない忠義心が極めて不快に感じられる。
そんな流れだから、婿の松右衛門が駒若君を抱えて力士立ちになって、侍とは何にも増して忠義を最優先するのだと権四郎を説く、その姿には何ひとつ共感出来ない。侍の親になったとはしゃぐ権四郎の横で、ただ無言で俯く娘およし。そのうちひしがれた姿にこそ、実の子を失った母親の哀しみが詰まっている。義経に近づくことだけを目的に、逆櫓の技術を権四郎から教わろうと婿入した樋口。そんな樋口から、義仲の御後胤を救うために義理の息子が身代わりになったことで忠義を果たせたと言われても、およしも見物も納得しはしない。呂太夫の語りには心情がこもっていて熱演だったが、「松右衛門内の段」はすっきりしないモヤモヤ感だけを残して終わってしまった。

そして、終幕は「逆櫓の段」。婿の忠義心を受け入れたように見えた権四郎だが、実はそうではなかった。樋口の正体を密告することで、駒若君に手が及ばないようにしたその心根はどこにあったのか。それは駒若君という後胤を守る忠義心ではない。取り違えたとは言え、実の孫のように育てた三歳の子を手放したくないという親心。権四郎が守ったのは駒若君ではなく、槌松の姿なのだった。
こういう展開になって、やっと見物たちの胸のつかえが取れる。侍の忠義のためだけに庶民が犠牲になる物語ではあまりにやるせない。船頭権四郎と娘およしの元には、取り違えられたとは言っても三歳の子が残る。駒若君も木曾義仲の後胤として生き延びるより、権四郎の孫槌松として育てられたほうが幸せであろう。『ひらかな盛衰記』は、忠義よりも子への愛情を選びながら幕となるのだった。
そんなエンディングとは別に「逆櫓の段」のメインディッシュは三味線。船頭たちが掛ける「ヤッシッシ、ヤッシッシ」の声に合わせて、清志郎がほぼユニゾンで三味線を弾く。その音はどう聴いても「ヤッシッシ」と鳴り響くのだ。これはもう超絶技巧と言って良い演奏で、「大津宿屋の段」での情景描写が眼に浮かぶような錦糸の弾き方も印象的だったが、清志郎の「逆櫓」が最後に全部持って行ってしまった感がある。なんとも見どころの多い出し物であった。(き)


ひらかな02.jpg


(※1)寺社を巡礼するとき、両手を自由にするため携帯品を笈に入れて背負って歩く。その荷物が着物を傷めないように羽織ったのが笈摺(おいずる)で、名前や居所を記したと言う。

(※2)国立劇場小劇場のロビーに掲げられた「笹引の段」の絵。平成元年、森田曠平作。昭和六十三年に文雀のお筆を見たとキャプションにある。



posted by 冬の夢 at 22:15 | Comment(0) | 伝統芸能 文楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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