2017年12月13日

水前寺清子 − 三百六十五歩のマーチ 元気が出る曲のことを書こう[32]【改】

 水前寺清子は、この曲の収録をひどく渋ったという。
 歌謡コンテストで見い出してくれた恩師、星野哲郎の作詞にもかかわらず。
 苦労のすえのデビュー、追い風にのって四年目、すこしでも息長く活動できるよう芸域を広げよと星野が用意したのがこの曲だ。
 詞に自分の経験や気持ちを織り込むタイプの作詞家だそうだが、この曲は、小柄な水前寺清子の本名「民子」から「ちいさいみちゃん」で「チータ」と名付けまでした星野の、水前寺への「援歌」だったと思われる。
 しかし、男着物で歌うド演歌が自分の持ち味と決めていた水前寺には、「ワン・ツー・パンチ」などと歌わされる曲は子どもの運動会の歌に思えて、とても歌えないと感じたらしい。

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三百六十五歩のマーチ 1968
このコスチュームもイヤだったそうだ。意外に(失礼)カワイイですが…。

 ところが、いやいや吹き込んで一九六八年十一月に発売すると息の長い大ヒットに。翌年のレコード大賞で大衆賞、累計百万枚以上のメガセールス曲である。
 さまざまなコマーシャルに使われ、最近も、熊本地震から半年がすぎた昨秋、県のキャンペーン動画「フレフレくまもと!」になった。声援のため一部歌詞を変えた版を、熊本市生まれの水前寺が歌い、県民や出身タレントが振りをやるバージョンになっている。

  しあわせは 歩いてこない
  だから歩いて ゆくんだね
  一日一歩 三日で三歩
  三歩進んで 二歩さがる
  人生は ワン・ツー・パンチ
  汗かき べそかき 歩こうよ
  あなたのつけた 足あとにゃ
  きれいな花が 咲くでしょう
  腕を振って 足をあげて
  ワン・ツー ワン・ツー
  休まないで 歩け
 (以下略)

 あれこれ解説しなくても、たちまち覚えられて、ワン、ツーと歩きながら歌える。
 録音時は不満だったが、すぐに大切な曲と納得した水前寺が、持ち歌として磨きをかけ、あの「がなり声」で存分にあおってくれるので──がなっているのではなく、鍛えられた、メタリックで通りがいい声だ──たちまち歩調がとれる。行進曲といっても軍歌調ではなく「あなたのつけた足あとにゃ」は、しっとりとマイナー転調。ここが効いて、「腕を振って」の展開がすばらしい。

 だいたいこの曲、「ツカミ」がいい。つまりイントロ。
 ドミソのハ長調に置き換えると、まず「ドーラソミレドっ!」の下降フレーズ。あっという間にテンポにのせてくれる。
 つづいて、カンタンなのにワクワクする「ドレミレミファミファソファソラソラソラソラソー」の上行フレーズ。
 ハイッ、「しっあわっせわァ〜」! 
 根気よく頑張って幸福をつかもう! という曲だが、最初のワンフレーズでもう幸せ状態だ!
 オタク的ですみませんが、ついでにいうと冒頭の「ドーラソミレドっ!」のリフレイン2回目は「ドーラソミ♭レドっ」で、ブルーノート! この音にも軍歌ふうを回避する効果がある。
 
 あれは小学三年生くらいか、同じ県内だが都市部の学校から、田んぼの中に木造校舎が立つ小学校へ転校した。
 朝礼のとき。
 校庭で遊んでいると、とつぜんウーウーとサイレンが鳴る。
 全校生徒がストップモーションをかけられたように遊びを中止、その場でピーンと直立不動に。
 静まり返る校庭。
 校舎の上にのっかりサイレンを響き渡らせたメガホン型のスピーカーから、さらなる大音量で飛び出すのは「ドーラソミレドっ ドーラソミ♭レドっ」! 
 そう、「三百六十五歩のマーチ」に合わせて、全校生徒が無言で行進、整列隊形に集合!
 この学校、数年しか通わなかったが、朝礼のたびにやらされたおかげで記憶に焼き付いている。転校してしばらくの間は笑うのをガマンしなければならなかったが、転校生としての微妙な立場がこなれるにつれ慣れてしまった。

 ただし、慣れただけで、素直にやれない気持ちは消せなかった。
 都会から田舎に転校といっても、四〇年以上前の関西某県内で、どちらも田舎っぽい地域なのだが、「ドーラソミレドっ」の小学校になじむのには、とても時間がかかった。
 都市部からの転校生は、それだけでイジられる宿命で、現在報道されるようなひどいことはなかったが、しばらく「いじめ」にもあった。転校さきの全校生徒が「三百六十五歩のマーチ」で奇妙な統一感をかもし出す姿は、珍妙さのぶんだけよけいに「敵集団」と感じたのだろう。

 そもそも、わたしは行進が苦手な子どもだった。
 小学校にあがると行進させられる──あの閲兵式みたいな行進、いまの小学校でもさせるのだろうか──わけだが、できなかった!
 いくら矯正されても、左手と左足、右手と右足が、同時に出てしまう! 
 いまじゃ「ナンバ歩き」といって、健康にいいなどといわれるが、左手右足・右手左足で行進できるまで、えらく苦労したのだ。

 転校した小学校では、「三百六十五歩のマーチ」で、ちゃんと行進できるようになっていたし、水前寺清子にはなんの罪もなく、曲には昂揚感も感じたのだけれど……。

 さらに別の都市に引っ越して、中学一年か、二年のときのこと。
 放送係になって、運動会などではテントの中で機器をいじり、行進曲などを流した。
 間違いないが、行進や集会がいやで、放送係になることで逃げていたのだ。
 あるとき、運動会だったか朝礼だったか、男性教師がオープンリールテープを持ってきて、行進のときはこれを流せといった。
 行進中、尺が足りずに行進曲が終わってしまうと、レコードなりテープなりをアタマからまた回すわけだが、そうするとどうしても「イチ、ニ、イチ、ニ」の歩調と、流し直した曲がずれ、歩調を取り直さなければならない。
 その教師は、タイミングを計ってダビングしたか、テープをつなぎ、曲間と歩調が合うようにしたわけだ。
 たしかに、曲が終わってまた始まると、行進を続ける全校生徒の歩調と曲がみごとに合った。
 顔も名も忘れたその教師は、それまで曲のリピートで歩調を乱れさせたり、かけ直しに手間取って無音を続けたりしていたわたしのほうを見て、「どうだ」という態度をしてみせた。

 そのとき、わたしはなぜか心底、思った。
 この男は、バカなのではないかと。

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男でよいしょ 1968
「三百六十五歩のマーチ」の同年春のシングル。これが水前寺の得意路線。

「三百六十五歩のマーチ」の曲解説を調べると、高度成長期の右肩上がり感にピッタリ合った曲想で、大衆の昂揚感に爆発的にマッチしてヒットした、という説明がほとんどのように思える。時代の勢いと合致してヒットしたことで、さらに時代を後押しした曲、というわけらしい。

 しかし、日本の実質経済成長率は、この曲が登場した一九六八年が頂点。そこから下降し始める。そして、このときの成長率まで回復したことは、以後一度もないのだ。
 また、この一九六八年前後に現われたさまざまな社会現象は、「右肩上がり」の価値観を疑い、疑問符を示し、さらには拒絶しようという動きでもあったことは、きりがないからいちいちあげないが、いまさら指摘するまでもないことだろう。

 水前寺清子は、舞台で歌うときは略す場合が多かった二番の歌詞のはじめの部分が、じつは好きなのだそうだ。

 しあわせの 扉はせまい
 だからしゃがんで 通るのね

 う〜ん……素直に聴けば、ディズニー映画の「不思議の国のアリス」の、ほら、床にある小さなドアを連想する。その向こうにファンタジックな「しあわせ」が待つドアを、身をかがめて開けに行きましょう、というイメージも、なくはない。
 でも、わたしは、行進の手足の組み合わせよりさらに苦手だった、体育や部活の「しゃがみ歩き」、スクワット・ウォーキングというらしい、あのアヒル歩きを思い出す。下肢のトレーニングだか何だか知らないが、よく全員揃ってあんな屈辱的な行進が出来るなという、あれだ。
 水前寺は素直に、頑張って自分で狭き門を開けましょう、しゃがめば、みんなが通れるよ、というイメージが好きなのだろうけれど、しゃがみ歩きしろといわれたら、わたしはその場で「しあわせ探し」を諦める。人が列をなしてゾロゾロとアヒル歩きするなんて、なんだか黙示録的なイメージで、怖くなってしまう。
 考えすぎですか。考えすぎだろうな……。(ケ)

【参考】「東京新聞」二〇一六年七月二十七日 ほか

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posted by 冬の夢 at 03:55 | Comment(0) | 音楽 日本のロック・歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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