2017年12月09日

行司の差し違え、レフリーのミスジャッジ

両国国技館に相撲観戦に出かけたことがある。幕内力士の土俵入りは豪華絢爛で、関取は誰もが大きくて美しい。TVでは感じられない「国技」の有り様を楽しむことが出来た。
楽しんだのだが、何か物足りない気分だったのも確かで、足りないのは「スローモーション再生」だと気づいた。その日の取組では物言いがつくきわどい勝負はなかったものの、見ていて判別がつかない場面もいくつかあった。普段のTV観戦ならば、今行われた取組の映像がすぐに再生されて、土俵際の勝負所をいろんな角度のカメラが捉えた映像で再確認出来る。「あー、確かに先に肘がついてるわ」という具合に。国技館には当日の取組表の掲示板があるだけで、大型モニターによる映像表示機能はない。決まり手も場内アナウンスの声が「ただいまの決まり手は下手投げ、下手投げで稀勢の里の勝ち」と告げるだけ。勝敗の判定はすべて行司に託されていて、その判定に疑いがあるときに限り、土俵下の勝負審判が物言いの声を上げることが出来る。もちろん、過去のいろいろな経緯(※1)から、勝負審判には別室からTV映像を検証した結果が伝えられる仕組みになっている。
物言いがついた取組で言えば、家でTVを見ている視聴者も、別室に控える協会関係者も、相撲中継するNHKのスタッフも、今行われた取組をスロー再生で再確認する。再確認出来ないのは、国技館の中にいる人だけ、ということになるが、大半の観客はスマートフォンのTV中継機能を利用しているのかも知れない。勝負審判は間接的に再生映像の情報を得ているとすると、映像を見られないのは土俵上にいる力士と行司だけ。力士は競技の当事者だから勝ち負けを身体全体で感知しているだろう。その体感には相手の身体までは含まれないのだから、土俵の上で、間近で、客観的に、勝負が決する瞬間を感得するのは、まさに行司ただひとりであると言える。
行司は、差し違えをしたら切腹する覚悟で軍配を上げる。江戸時代から今日に至るまで、本当に切腹した行司はいないそうだが、一瞬を見抜いて軍配を上げるプレッシャーはいかほどであろうか。しかも、命をかけて下した判定は最終決定ではないのだ。物言いがついたら、あとはすべて勝負審判に委ねられる。土俵上での審議中、勝負審判たちの横でやや下を向いて小さくなっている行司の姿は孤独そのものであり、完全に孤立している。彼だけが再生映像を見られないのだし、映像の情報を知らされないのだ。行司の頭の中には、今軍配を上げたばかりの勝負の記憶が揺らめいている。それは行司が立っていた場所からの五感の記憶である。多角的な視点にはならないし、動きを遅くすることも止めることも出来ない。さらに言えば、行司は機械ではないから感情がある。極めてプロフェッショナルに勝敗を決めるスキルがある一方で、個人的な感情を100%なくすことは出来ない。横綱昇進がかかった一番や大関陥落が決する場面で、その感情は軍配を東に上げるか、西に上げるかに影響しないとは言い切れない。
勝負審判の審議が終わり、審判部長がマイクを片手に「只今の審議について説明いたします……」と場内に向けてアナウンスする。行司差し違えのときは、会場が大きくどよめく。その中で行司は、その裁定に従って静かに軍配を上げ直すのだ。

それでも、行司はまだ恵まれているのかも知れない。相撲の勝負は一番ごとに決着するし、判定の最終決定者は勝負審判だ。差し違えた場合は、その場で間違いが正されるので、ある意味では後腐れがない。それに比べると、行司よりも辛いのは、団体競技の審判員だ。
先日もTVのスポーツ中継を眺めていたら、「これはちょっとどうなんだろう」というジャッジの場面が出てきた。
関東大学ラグビー対抗戦。伝統の早明戦の前半、明治大学のスタンドオフがタックルされながら上半身を反転させながらトライを決めた。かと思ったら、レフリーはタッチジャッジに確認したうえでトライを取り消し、ノックオンの反則を取った。明治の選手は背面から倒れながら、片手に抱えたボールを脇の下からグラウンディングした。その際、確かに先にボールが腕から離れたように見えなくはなかったので、TVを見ていても「トライじゃなきゃノックオンだな」と感じられた。しかし、その場面を別角度からのカメラ映像がスローモーションで再生すると、ボールはしっかりと地面に押さえつけられている。その映像が秩父宮のビジョンでも流されたのだろう、スタジアムの観客のどよめきを受けて、明治のスタンドオフは両手を広げて納得のいかない表情を浮かべた。しかしながら、ここはアマチュアの大学ラグビー。それ以上の混乱には至らなかったし、5mスクラムの後も攻撃を続けた明治がトライしたので、事なきを得た。
かたや、サッカーJリーグ。J2からJ1への昇格チームを決めるプレーオフ準決勝で、名古屋グランパスとジェフユナイテッド千葉が対戦。前半を1-0で折り返した千葉は、後半途中で名古屋に同点に追いつかれる。その場面、千葉の選手のクリアボールが名古屋のミッドフィルダー田口の手に当たったように見え、そのボールを追いかけた田口がゴールを決めた。名古屋はその後もゴールを重ね、結局は4-2で名古屋が千葉を退けたのだが、田口のゴールはスロー映像を再生せずともハンドの反則であることは一目瞭然であった。田口のゴールが認められると、千葉の選手たちがレフリーのもとに集まって猛抗議を始めるも、レフリーは一度下したジャッジを取り消さない。試合後の千葉側のコメントでは「手には当たったが、田口は肘を脇につけた状態だったので、故意のハンドではない」とレフリーから説明されたそうだ。再生映像を見る限り、田口の脇は締まっていないから、これは後付けの言い逃れに近い。
早明戦にしてもJ2プレーオフにしても、あけすけに言ってしまえば、レフリーはミスジャッジをしたのである。

ラグビーでは、公式大会になると、TMO(テレビジョンマッチオフィシャル)という仕組みがあり、ジャッジを下す前にレフリーが再生映像確認情報を得ることが出来る。早明戦でTMOが採用されていれば、明治のトライはそのまま認められていただろう。かたやサッカーは、ゴールラインを超えたかどうかを判定するGLT(ゴールラインテクノロジー ※2)を導入している段階に過ぎず、フィールド上のプレーについては映像技術に判断を委ねる考えは全くない。それはもっともな話で、相撲のようにすぐに勝負が決まるスポーツは世界でも稀なのであって、サッカーにはボールを動かす「流れ」がある。その中で反則があった場合、レフリーがその流れをあえて止めて、ペナルティを与える。レフリーが流れを止めた時点で、反則は確定しなければならず、そこで映像確認して「やっぱ反則じゃなかったんで、とりあえず再開」なんてことでは、試合はブツ切りにされてしまうのだ。ラグビーでTMOの採用が進んでいるのは、サッカーに比べてラグビーは試合の区切りが多く、流れを阻害せずに映像確認できる間合いが取れるからだろう。

しかしながら、判定に映像を用いるかどうかの議論は、そのスポーツの価値基準をどこに持つかという本質論でもある。
プレーをしているのは人間であってロボットではない。人間の認知力には限界があり、人間とは常に間違いをおかす生き物である。我々が持つそのような特性を否定せず、むしろ受け容れるのであれば、レフリーが下す判定だけをデジタルな映像復元に頼ることはない。選手だけでは試合は成立しないのだし、審判員がいてくれること自体を尊重して、その審判に身を委ねることも試合の一部だと思いたい。そのうえで、人間だから自分に有利な判定は歓迎するし、気に入らないジャッジが下されれば怒り、反発もするだろう。それもまた、スポーツ観戦の醍醐味なのである。そもそもすべての判定が完全に正しければ、このコラムさえ全く不要で即ゴミ箱行きだ。そういうのって味気ないじゃないですか。
だから、今日もまた、スポーツ中継を見ては、レフリーの存在が気になってしまうのだ。いやいや、それにしても名古屋グランパスがJ1に復帰出来て、本当に良かった……。(き)

軍配.jpg


(※1)昭和四十四年三月場所で横綱大鵬は連勝記録を44に伸ばし、双葉山の69連勝に迫っていた。二日目の相手は前頭筆頭の戸田。土俵際で戸田をはたき込んだ大鵬に軍配が上がったが、勝負審判から物言いがつき、行司差し違えで戸田の勝ちとなり大鵬の連勝記録は途絶えた。当日のTV中継でも翌日の新聞の写真でも、大鵬が倒れる前に戸田の足は明らかに土俵の外に出ていた。この誤審をきっかけに、相撲協会はビデオ映像を判定の参考にすることを決めた。

(※2)2012年7月、FIFAはGLTの採用を決定した。初めてGLTが導入されたのはFIFAクラブワールドカップ2012だが、莫大な費用がかかるため、採用するかどうかは大会主催者に決定権がある。ワールドカップロシア大会アジア地区最終予選の初戦、日本対UAE戦ではGLTが未採用だったために、後半終了間際のシュートがゴールと認められず、日本は1-2でUAEに敗れた。




posted by 冬の夢 at 22:54 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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