2017年07月15日

歌舞伎座七月公演『駄右衛門花御所異聞』 〜 観客を動かした宙乗り

七月の歌舞伎座と言えば、ひと昔前までは猿之助一座の出番と決まっていた。先代の猿之助が病に倒れた後は、玉三郎が後を引き継ぎ、親分不在の一座に年に一度の晴れ舞台を提供すべく座頭をつとめていた。その玉三郎は人間国宝となり、歌舞伎界のトップスターでもあるわけで、座元の松竹としてはもっと稼ぎ時に使いたい。そこで、玉三郎とたびたび共演してきた海老蔵にお鉢が回り、ここ数年は海老蔵が七月を仕切ることになっている。

夜の部の出し物は日本駄右衛門を主人公にフィーチャーした『駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)』。『秋葉権現廻船噺』という原作を補綴したということだが、ほとんど新作と言っていいだろう。
海老蔵が三役を演じ分け、早替わりも見せる大車輪の活躍。歌舞伎では台詞をマイクにのせることはまずないのだが、録音してあるのか海老蔵の声にエフェクトをかけて聞かせたり、屋敷のセットに照明が仕掛けてあり、ドライアイスの煙を下から照らして火柱に見せたりと、大仰な演出があちらこちらに散りばめられている。
新しいことに取り組む意欲は認めるものの、そのどれもが散発的で統一感がない。右團次演じる殿様が着物を脱ぐと白装束になるなんてのは、『仮名手本忠臣蔵』のパロディのつもりなのか。日本駄右衛門が死者を蘇らせて攻撃させるのも、ゾンビもののパクリのようで、切り落とされた首をもってヨロヨロと歩きだす胴体などは悪趣味としか思えない。
役者に目をやっても、存在感を示す海老蔵以外はこれと言って見るべきところがない。巳之助と新悟が恋仲の男女を演じるのだが、二人で踊る場面では所作が軽くて見ていられないし、中車は、歌舞伎役者の名跡を名乗ってはいるが、TVタレント香川照之の舞台出演の枠から出ていない。唯一見どころがあるのは児太郎。お姫様役で出てきたところだけを見ると、相変わらず芸がすっきりとしておらず悶々とした女形なのだが、実は駄右衛門の手下・お才という場面になると、一気に色気が増して上出来である。お姫様ではなく敵役や女房役のほうが児太郎のニンには合っているようだ。児太郎も二十代半ばの中堅どころになってきているので、そろそろ路線を決めて芸を深掘りしていく必要があるだろう。

そんな低調な芝居なのだが、すべての観客の視線を一点に集中させ、かつ、すべての観客の心を揺さぶってしまうのが海老蔵と息子勸玄くんの宙乗りである。
二幕目第三場「秋葉大権現の場」は照明を落とした幽玄な山奥という舞台設定。魑魅魍魎たちを大権現操る天狗が一掃するのを、モダンバレエの群舞のように見せる。炎の衣装を着たままに側転とバク転を繰り返すのが火の輪のように感じられる演出はまあまあだとしても、全体が間延びしていてどちらかと言えば退屈な芝居だ。けれどすべての観客はわかっている。この場面の最後に堀越勸玄くんが登場することを。そして、父親の海老蔵と父子ふたりの宙乗りをやることを全員が了解のうえで、今か今かと待ち構えているのである。
私はたまたま三階席後列の一番下手よりに座っていたのだが、最上列のブロックがまるごと暗幕で覆われていて、暗転する中、ごそごそとスタッフが通路側まで幕を延長し始める作業を目の当たりにしていた。そう、間も無く、ここに宙乗りの二人がワイヤーで引かれて収容されるはずなのだ。
期待がますます高まる中、一階席がわあっと湧いた。三階席からは全く見えない花道に勸玄くんが現れたらしい。やっとのことで垣間見える七三まで来ると、勸玄くんは立ち止まって叫ぶ。「勸玄白狐、けんざ〜ん!」正直なところ「見参」と言ったのか「参上」と言ったのか聞き取れなかったが、とにかく勸玄くんの登場に歌舞伎座がグググっと動いた。観客が視線だけでなく体勢を一斉にかえて花道に向けてひとり残らず身を乗り出した、その動きがあたかも建物自体が動き出したのかと見紛うほどなのである。上方から見下ろしていると、三階席全体と一階席前方が視野に入る。この視野の中の全員が地層がズレるかのごとく勸玄くんのほうにグググっと動く。観客の心を動かす役者は確かにいる。けれど、観客の身体そのものを活断層のように動かした役者を、私は初めて見たのだった。

堀越治雄(五十六歳)
堀越夏雄(六十六歳)
堀越麻央(三十四歳)

こうして享年を並べてみると、市川宗家は呪われていると疑いたくなる。四年前に團十郎が没したとき、誰が海老蔵の妻・小林麻央が亡くなることになると想像し得ただろう。十一代目を胃癌で持っていかれたとき、夏雄はまだ十九歳の学生だった。父を亡くした夏雄は苦労しながら十二代目を継ぐ。その團十郎の名跡は近い将来には海老蔵に渡り、その先には海老蔵の息子・勸玄くんに引き継がれる。父を亡くした海老蔵は、今度は妻を亡くし、すなわち将来の團十郎たる勸玄くんは母親に甘えられる幼少期を知らずに芸道に入らねばならない。何と残酷な運命なのだろう。しかも単なるひとつの名前ではないのだ。その人がいなければ歌舞伎全体の存続すら危ぶまれる團十郎という大名跡なのだ。それを観客全員が知っている。だから思わず身を乗り出さずにはいられなかったのだ。

ワイヤーに吊られた海老蔵と勸玄くんはゆっくりと花道から宙空に上り、三階席のほうに近づいてくる。観客の誰もが両手を振りかざして二人を迎え入れる。私は今までたったの一度も芝居を見に行って口を開いたことはない。でも、このときだけは叫ばずにはいられなかった。「成田屋ッ!」と。
将来の團十郎の、貴重な宙乗りの舞台であった。(き)

宙乗り.jpg


posted by 冬の夢 at 21:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能 歌舞伎 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック