2017年05月31日

ALLMAN BROTHERS BAND − IN MEMORY OF ELIZABETH REED 元気が出る曲のことを書こう[27]

『エリザベス・リードの追憶』──まったくすばらしい邦題だ!
 かつて、ロックのレコードタイトルや曲名の「邦題」は、まさにつけ「放題」、客が知らんと思って、いかにノリでつけられていたか! 多少は英語が読めるようになると、そのことを思い知り、ガックリの連続だったことを思い出す。
 しかし高校一年のとき、いや二年かな、初めてこの曲を聴いたとき、曲のカッコよさはもちろんだが、邦題にもしびれた。
 歌がない演奏のみのこの曲の「ココロ」を、もとの英語タイトルはワンフレーズで表現しきっているが、邦題もその意をばっちり汲んでいる。日本語の用法としては、すこしおかしい気がしなくもないが、そんなことはどうでもいい。

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『AT FILLMORE EAST』─1971

 この曲、エレキギターのでかい音でブルースをもとにしたロックをがんがん演奏する、米南部諸州出身の七〇年代のバンド、つまりサザン・ロック・バンドがやる曲にしては、いっぷう変っている。同じ短調でも、泣き節ブルースとは違って、おしゃれといってもいいほどの浮遊感がある曲だ。オールマン・ブラザーズ・バンドの曲と知って、びっくりしたくらいだ。
 悲しみを叫ぶ歌もないし、ブルースギターの定番フレーズを並べるような、ありがちなソロもない。たった二つの和音の繰り返しを背景に、えんえんと音が紡がれる。それがむしろ悲しみを深く表現する。もちろん情緒表現ではなく、大多数が「キメて」いたに違いない当時の聴衆の気分に合わせたサウンドを作った、ということでもあっただろうが。
 とはいえ、テーマのすばらしいハーモニーや、ソロの終わりを示すユニゾンはメチャクチャにカッコよくて、伏せた顔をすこし上げて、歩き出してみようという気持ちになるから、うれしい。
 いずれにしても、曲の感じと邦題だけで、若くして亡くなった美しい「エリザベス・リード」の悲運に思いをはせていた。曲を作ったディッキー・ベッツの、当時の彼女だったのかなと思ってみたりもしながら。

 たしかにベッツが、つき合っていた女のコのイメージで作った曲だ。一九七〇年ごろのこと。ヒスパニック系の、いやイタリア系という説もあるが、とにかくイケイケなコだったらしい。
 ただし、ボズ・スキャッグズの彼女だ。

 オールマン・ブラザーズ・バンドが六〇年代末から七〇年代初めに拠点にしていたジョージア州メイコンにある、一九世紀初頭からの歴史があるローズヒル墓地は、バンドメンバーがよく遊びに行ったり作曲したりしていた場所だそうだが、ベッツはそこで、スキャッグズの彼女とよろしくやっていた。デュエイン・オールマンによると墓地で「いたしていた」というのだが、ベッツは、勝手なことをメディアに吹きやがってと怒ったそうで、真偽のほどは定かでない。
 ともかくベッツは、そのコのイメージで曲を思いついたが、彼女の名を曲名にするわけにはいかず、目についた手近の墓碑から名前をいただいた。それは、ELIZABETH JONES REED (1845〜1935)という人のお墓だった。悲運薄命の美人とはちょっと違った、かな?

 ちなみにそのころのオールマン・ブラザーズ・バンドは、まだ目が出ていなくて、この曲を収録して発売した二枚目のレコード『idlewild south』(一九七一年)も、後々までステージで演奏された曲がずらりなのに、売れていない。
 そのかわり、いまはバンドの記念館になっている大きな家にメンバーが集まり、家族がある者は家族ともども暮らして、練習につぐ練習を繰り返していた。息抜きに地元の女のコたち、酒、ドラッグと、ヒマにまかせて若さを謳歌もしていたようだ。飲酒やドラッグは、ときに小さなバンにメンバー全員が詰め込まれて回る演奏旅で、ストレスを収め、すこしでも寝ておくための必需品だったそうだが、キメていたせいで度が過ぎるケンカにもなったらしい。ヤケ酒やヤケブツはいかんです。

 そんな生活が続くと、もう、友だち以上である。オールマン・ファミリー・バンドと呼んでいいほどの家族的な結びつき。それは、このバンドを聴くとき忘れてはならないものだ。
 だらだら弾いたりルーズに歌ったりしているように聴こえるが、芯がものすごく太くてぶれない、強力にカッコいいアンサンブル。どんな演奏巧者を集めても、一朝一夕にやれるやりとりではない。『idlewild south』のころ、メンバーは二〇歳代なのに、長年はきっぱなしの土埃だらけのジーンズで、大地にがっしり立ったオヤジたちが演奏しているように聴こえる。
 アメリカ南部諸州の家族性というと、閉鎖的、差別的ではないかと想像してしまうが、ひとりやふたり増えるくらいどうぞ、まあウチに入んなよ、とでもいうようなホスピタリティも南部気質にはあるのではないか。それが、「オールマン・ファミリー」の演奏におのずと漂っているなら、米南部出身者でなくとも、アメリカ人でなくとも、ブルースもカントリーも知らなくても、この音楽は聴き手の心に届く。

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『idlewild south』─1970

「IN MEMORY OF ELIZABETH REED」が、ブルース・ロックにしては変わった曲だという話だが、それもそのはず、この曲のつくりはジャズ、それもモード解釈の曲だ。
 マイルズ・デイヴィスの「So What」、つまり4度のコードふたつをずらすだけで曲ができていて──ドミソ → ドファラ → シレソのようなコード進行感がしない──しかも短調っぽい、モード・ジャズの代表曲を思い出せば、「あ! それじゃん!」と納得できる。
「So What」がA面1曲目の『Kind of Blue』が登場したのは『idewild south』の十年前で、ベッツの愛聴盤だったらしい。ただ、ベッツがこの曲について話したインタビューなどを読むと、ベニー・グッドマンや、ウェスタン・スゥイングといわれる、ビッグバンドジャズをカントリー調に演奏する音楽を意識していたともいっている。よく知られているとおり、もともとベッツはカントリー音楽になじみが深く、「RAMBLIN' MAN」や「JESSICA」など、彼が作ったオールマンの大ヒット曲はしばしば陽気なカントリー調だから、「IN MEMORY OF ELIZABETH REED」も、哀愁を表現したというより、あけっぴろげな朗らかさも含んでいるのだろう。ま、ひとの彼女とイチャついていて出来た曲だしね。
 余談ながら興味深いのは、『Kind of Blue』の十年後、オールマン・ブラザーズ・バンドがブレイクする一九七〇年ごろのマイルズ・デイヴィスは、ジャズではなくロックやファンクに急接近していた。オールマンに大ヒットをもたらした名作ライブ盤『AT FILLMORE EAST』と同じ場所──ロックバンドが出演するコンサートスペースだ──で前年に演奏し、ほとんど同じタイトルの『MILES DAVIS AT FILLMORE』を残している。
 四十年後のいま、クロスジャンルだとかミクスチャーだとか、言葉はにぎやかだけれど、自由にいきかう音楽たちの呼吸の中に身を置く喜びは、ほとんど感じられない。なぜなのだろう?
 
 さて、『AT FILLMORE EAST』でせっかく有名になれたのに、その喜びにひたりきる間もなく、メンバー二人が亡くなってしまう。バンドの中心にいたオールマン兄弟の兄、デュエインがこのレコード発売のわずか数か月後にバイク事故で、その一年後には、ベースのベリー・オークリーがデュエインの事故現場のすぐ近くで、またもバイク事故で、あいついで世を去った。ふたりとも二十四歳で亡くなっている。
 ロックミュージシャンが事故や飲酒、ドラッグ禍などで急死し、主軸を欠いたバンドが崩壊したり、当人が伝説化するというのは一九七〇年代にはよくあった話で、オールマン・ブラザーズ・バンドもそうなる運命だったが、「家族」の力はとてつもなく強かった。というより、死をファミリー・ヒストリーに刻みながら、死を忘れずに日々を繰り返しつづける。それが「家族」なのである。

 二人の死後、バンドを支えたのは、この曲を作ったディッキー・ベッツで、さきほどのとおり陽気なカントリー調の大ヒット曲をバンドにもたらす。オールマン・ブラザーズ・バンドで「元気が出る曲」といったら、そちらをとりあげた方がいいくらいだ。
 高校時代、いつかアメリカに行くことがあったら、南部のダイナーで飯を食いながら、ラジオからウキウキするようなザザン・ロックが流れるのを聴きたいなと思っていたが、はるか後になってアメリカで本当にそういうことがあり、かえってびっくりしたことがある。ジョージア州ではなく、レイナード・スキナードのご当地、フロリダ州で、でしたが。※

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『An Evening with The Allman Brothers Band: 2nd Set』─1995
「IN MEMORY OF ELIZABETH REED」のアコースティック演奏が聴ける

 それはともかくファミリー・ヒストリーの継承という点で、なにより感動したのは、さらに後の、若い新人ギタリスト、デレク・トラックスのバンドへの参加だ。
 苗字のとおり、創立メンバーでずっとドラム担当のブッチ・トラックスの甥御さん。音色の美しさといい、こなれたテクニックといい文句がつけがたく、しかも、ときにハッとするようなシャープで新しいフレーズを出す。誰か若手ギター奏者でお奨めの人はと聞かれて、何度この人の名を出しただろう。
 それ以前からバンドに加わっていたウォーレン・ヘインズが、これまたブルース・ロックのギタリストとして望みうる最高の人材のひとりだと思うので、「いまのオールマン・ブラザーズ・バンドは、デュエインの生前に匹敵するラインアップだ」と口走ったことも、たびたびある。

 もっとも、かんじんのディッキー・ベッツが、そのラインアップにはいない。
 どうしたのかというと、「クビ」になっていた。
 もともと、デュエインの弟でボーカリストとしてバンドのもうひとつの核であるグレッグともめることが多く、七〇年代に起きた対立はバンド解散にまで至っているが、二〇〇〇年にバンドは、ベッツを解雇して維持をはかった。
 演奏公演直前にファックス1本でクビにされて驚いたベッツが、グレッグに問い合わせると、その返事は「お前に説明しなきゃならんことなんかない、このところの演奏の、クソ録音を聴いてみろ」というものだったそうだ。飲酒や麻薬のせいで演奏がひどい、というのが理由だったらしいが、録音を聴き直したベッツは、そんなはずがない、長年の鬱積がたまっていたのかも、などといっていて、真相はよくわからない。
 ベッツは、もともと自分のバンドにいたヘインズはもちろん、伝統芸能の襲名者になぞらえるなら、どこに出してもはずかしくない実力がある「身内」のトラックスも、おそらく認めていたには違いない。が、自分が追い出された後のバンドのことは、(まだ現役なのに)「トリビュート・バンドになっちまったわけさ」といっていた。

 そのバンドも、二〇一四年にはついに活動停止を表明。知らないうちにオールマン・ブラザーズ・バンドは終わっていた……。
 それにさきだち、デレク・トラックスとウォーレン・ヘインズが、二〇一四年内に同時脱退することも発表ずみ。さきに入っていたヘインズは途中でぬけていた期間をのぞいても二十年以上、初代メンバーのジュニア世代にあたるトラックスでさえ十五年もバンドにいたのだから、脱退は潮時だが、この二人の代役を同時に立てるのはムリというものだ。いや、すくなくとも創設メンバーのベッツがいるが……この年一〇月末の最終公演に、ディッキー・ベッツの姿はなかったという。

 そうとう深刻にモメても、なんとなしに和解することもあるのが家族なら、はた目にはコドモのケンカでも、けっして不和が解けないのもまた家族、ということだろうか。 
 翌二〇一五年には、グレッグ・オールマンが、ベッツと演奏してもいいとメディアの取材に答えるようになってもいたのだが、ことし一月になって、ずっとバンドの一員だった初代メンバーのブッチ・トラックスが自殺。ファミリー・ストーリーは残念ながら再々度の和解なきまま、終焉を迎えることになった──。

 ──という気は、じつは、ぜんぜんしていない。
 オリジナルメンバーの子どもたちはみな、もちろん、いい歳になっているが、かなり多くが音楽活動、それもオールマン・ブラザーズ・バンドが得意としたブルース・ロックをやっている。
 たとえばディッキー・ベッツの息子は、その名もデュエイン・ベッツ。やはりギタリストだ。グレッグ・オールマンの子どものひとり、デヴォン・オールマンもギタリストで、丸い輪っかのついたストラップをつけたエレキを弾く姿はデュエインを思い出させる。 
 この人たちを集めればバンドがたちまち復活する、とは残念ながら思えないけれども、この人たちの子どもの代、つまり、ひと世代おいた後の時代に、なにかが起きそうな気がする。わたしは死んでしまっていて聴けないだろうけれど、かまわない。家業が絶えずに継承され、復活することがすばらしいのだ。オールマン・ブラザーズ・バンドのようなロックが前世紀の遺物として完全にしまい込まれたり、オールマン「ファミリー」の末裔がだれひとりとして、ファミリーメンバーの名をわが名として継ぐことがなくなったりしない限り。

 エリザベス・ジョーンズ・リードの墓碑は、いまもローズヒル墓地にあるという。ここには、デュエイン・オールマンと、ベリー・オークリーのお墓もある。ふたりの墓碑は、ゴッホとテオのそれのように、並んでいる。数日前に世を去ったグレッグ・オールマンも、まもなく、この墓所で眠ることになるそうだ。兄、デュエインの隣で。(ケ)
 
Gregory LeNoir Allman 1947/12/08 - 2017/05/27
Claude Hudson Trucks  1947/05/11 - 2017/01/24


※ そのときのメニューはこれ! 毎朝のように通ったファミレスの店名もメニュー名も、すばらしくて(笑)忘れられない。そのメニューがいまもあって懐かしい。でも、いま食べたら、死んでしまうんだろうな……。www.friendlys.com/menu-item/lumberjack-breakfast/

● 作曲者のディッキー・ベッツは「とくに好きなテイクはないけど、スタジオヴァージョン(『idlewild south』のことだと思う)はダメだ。クズだよ、短か過ぎるよな」といっている。「ボックスセットの中にはけっこういいバージョンが入ってると思うぜ」とのことだ(Herald-Tribune; Oct. 30, 2014)。ボックスセットとは、上段『AT FILLMORE EAST』の「完全版」というフレコミで発売された『The 1971 Fillmore East Recordings』(二〇一四年)のこと。CD6枚組にブックレットで1万円以上する。買ってません……。

【参考】
「Rolling Stone」「Herald-Tribune」「radio.com」「WGXA」のインタビューおよびニュース記事を、おもに参考にしました。→管理用←



●「元気が出る曲のことを書こう」の記事一覧は→こちら←



posted by 冬の夢 at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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