2017年05月28日

国立劇場五月文楽公演『加賀見山旧錦絵』〜 勝手に暴走する女・お初

文楽と歌舞伎には、大名家の相続をめぐる「お家騒動もの」というジャンルがある。『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』は加賀藩、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』は伊達藩のお家騒動に材を取っていて、この二つの作品はいつも頭の中でゴッチャになってしまう。最大の要因は『加賀見山』の岩藤と『先代萩』の政岡という主役の局。岩藤は家督を狙う敵役で、政岡は守る側だから、間違えようがないはず。でも、歌舞伎ではふたりとも典型的な片外し(※1)で、立役が演じる主人公。両作品ともに陰湿ないじめがあるし、弾正の官位を持つ悪人が出てくる。
その『加賀見山』を歌舞伎で見たのは、もう十年以上前のこと。岩藤(いわふじ)を菊五郎、岩藤にいじめられる中老尾上(おのえ)を玉三郎、尾上の召使役のお初が菊之助という顔合わせ。たぶん玉三郎は今後二度と尾上をやることはない(※2)だろうから、今思い起こせば最高の配役での初見だった。

文楽の『加賀見山』を見るのはもちろん初めて。今月の国立小劇場は、「英太夫改め呂太夫襲名披露公演」が昼の部にかかっていて、連日満員売り切れの大盛況。それに比べると夜の部の『加賀見山』は空席が目立つ。でも出演者は充実していて、来年竹本織太夫を襲名する咲甫太夫(※3)が二回出てくるし、人形遣いは、吉田玉男、桐竹勘十郎、吉田和生が揃い踏み。そして三味線は、高齢でこれから先に何度その演奏が聴かれるかわからない鶴澤寛治が床に上がる。こんな豪華な顔ぶれなら、夜の部のほうがお得だと思うのであるが…。

多賀藩の家来又助は、家督を狙う家老蟹江一角を討とうとして、誤って自らの主人である殿様を殺してしまう。五年後にその事実を知った又助は、実子を殺し妻とともに自害することで、一角らの奸計に陥ったのだと証明する。
場面転じて、多賀藩の殿中。藩の乗っ取りを企む局の岩藤は、中老の尾上が密書を手に入れたことを逆恨みして、腰元たちの面前にもかかわらず、尾上の頭を草履で打擲する。その恥辱を辛抱しながら、尾上は自らの死をもってして岩藤らによる家督争奪計画を訴えようとする。尾上の自死を止められなかった召使のお初は、その武道によって岩藤たちを成敗するのであった…。

「又助住家の段」は、中を咲甫太夫が、奥を呂勢太夫が語る。続けてふたりの語りを見てみると、その語りには大きな違いがあることに気づく。
咲甫太夫は、何と言っても七色の声色できちんと役を演じ分けられる人だ。侍から町人、あるいは主人から下女まで。一本調子になりがちなキャラクター設定も、咲甫太夫が語るとそれぞれの背景が浮かび上がって来る。たぶん日頃も必要以上に他者に感情移入してしまうタイプなのではないか。咲甫太夫のナイーブさが役作りに十二分に反映されていて、登場人物が自然と伝わって来る語りである。
かたや呂勢太夫は、どんな役でも呂勢太夫本人が前面に出て来る。休憩時にロビーで放映されていた「呂太夫襲名披露公演」の「口上」を見ると、進行役なのにいささか緊張し過ぎて、和気藹々とした雰囲気を醸し出すことが出来ていなかった。それと同じで、岩藤も尾上も役が立ち上がると言うよりは、呂勢太夫が演っているという印象が先行する。役を自分に引き寄せるパッションが優ってしまうのだろう。それは、取りも直さず呂勢太夫ならではの感情の乗せ方が随所に発揮されているということでもある。語りの迫力は十分に客席へ伝播しているので、その熱さはやがて人形に乗り移るようになるだろう。

最大の見せ場である「草履打ちの段」は、津駒太夫や睦太夫が勢揃いしての掛け合いとなる。個々の技を堪能する場面だが、惹きつけられたのは、やっぱり鶴澤寛治の三味線。「又助住家」で呂勢太夫に合わせて「びんびびん」と太棹を鳴らす宗助は、三味線の力強さを際立たせて感じさせた。けれども、そのすぐ後に出る寛治はびびびんとは弾かず、肩の力が抜けた自然体の所作で三味線の音色を出して来る。太夫の語りにぴったりと寄り添い、陰から主役を支えるようにして、リズムを刻みながらメロディを奏でる。するといつの間にか太夫の掛け合いは、見事に三味線に制御されていて、寛治のバチが三味線の弦を弾くのではなく、太夫たちを操っているように見えて来る。自らの存在感は消しながら、太夫の声を引き出すような弾き方。今まで何度も聴いてきたが、「草履打ち」ではじめて鶴澤寛治の芸に触れられたような気がした。

人形遣いは、吉田玉男が岩藤、吉田和生が尾上、桐竹勘十郎がお初を担当する。どっしりとした敵役の岩藤もいいが、ひとり静かに草履打ちの辱めに堪える尾上にも惹かれる。覚悟を決めた尾上が三宝を掲げ、仏間に入っていくときの厳粛な雰囲気。静謐な沈黙の中に死を予感させる和生の遣い方。『加賀見山』の中で一番の、人形遣いの見せ場だった。
さらに、勘十郎が遣うお初。甲斐甲斐しく尾上の世話を焼く(※4)ときの素直さとは裏腹に、胸騒ぎを感じて駆け戻ってからの激情家ぶりを、大きくメリハリのある動きで見せていく。そして、このお初が『加賀見山』後半の真の主人公にのし上がるのだ。

尾上から文箱を実家に届けるよう言われたお初は、館を出た後、不吉な予感から文箱を開けてその中身を見てしまう。そこには岩藤から打擲された草履と父母への別れの手紙が入っていた。驚くお初。尾上の部屋に取って返すも、すでに尾上は自害し果てており、その傍らには「御前様御披露」と表書された訴状に、岩藤の密書が添えて置かれていた。

見ていて何ともむず痒い。こんな話でいいんだろうかと、この流れには強烈に違和感を持つ。それは、お初のあるまじき行い。なんでお初は、尾上から託された文箱を開封してしまうのか。

アァ気にかかる、辻占の今の話、烏鳴きのこの悪さ、アレアレ怪しからぬ胸騒ぎは、コリヤお宿へは行かれぬわいの、様子は知れるこの文箱、封じを開き見てのけう

「見てのけう」じゃないだろ!いくらカラスが出て悪い予感がするからと言って、主人がその父母に宛てた親書を、下女が断りもなく、遠慮会釈なしに開けて見るということがあって良いものか。
尾上の自死を発見した後のお初の行動は、さらにすごい。岩藤たちへの復讐を誓うと、尾上の亡骸を部屋の奥の行李の中に投げ込む。そして、訴状と密書をむんずと掴み、尾上が喉を切った懐刀を手に取って岩藤の元へと走り出すのだ。
そもそも、岩藤から侮蔑を受けたのは尾上だ。その尾上が自分の死をもってして、岩藤らによる家督乗っ取りの企みがあることを主君に訴えているのだ。そこには、尾上なりの算段があったはず。お初には実家に自死の原因を告げる草履と手紙を届けさせる。お初が留守の間に、他の腰元が自分の亡骸を発見する。藩の重臣が検分に来るであろうその際には、訴状と密書が発見されて、岩藤の計画が露見する。お家乗っ取り計画を未然に防ごうと言う段取りだったのだ。
それをお初がひとりで全部ご破算にしてしまう。主人である尾上の言いつけを守ることなく、すべて自分の勝手な判断で行動するのがお初。結果的に父母への手紙は届かぬままだし、尾上自害の第一発見者なのに死体を隠してしまう。そのうえ「御前様御披露」の訴状を無断で持ち去り、尾上が意図した自死をもっての訴えは跡形もなく片付けられてしまうのだ。
奥庭に忍び込んだお初は、乗っ取り計画実行中の岩藤と相対する。尾上からの形見だとして袱紗に包んだ草履を渡して「主人の恨み受け取れ」と斬りかかるお初。岩藤を討ち取ったところへ良い具合に藩の重臣が現れ、主人の仇を討った忠臣と褒めたたえる。おまけに「今より取り立て中老役、その名も直ぐに二代の尾上」とお初を出世させて、幕となるのである。

尾上の真意など何のその。お初は自分だけの独断で次から次へと暴走する。現代で言えば、「親書開封罪」「死体遺棄罪」「親書隠匿罪」を立て続けに犯したあげく、岩藤に一太刀。そしてなんと主人尾上の後釜に座ってしまうのだ。
これほどムチャクチャに周りが見えない下女がお初だったのだろうか。歌舞伎で見たときのお初を演じた菊之助は、もっと健気で一途な感じがしたはずだったが…。
と、公演当時の歌舞伎座の筋書を取り出して確認してみると、やっぱり歌舞伎の『加賀見山』は、文楽とはかなり違った流れであった。
まず、尾上から託された文箱は、歌舞伎では外出したお初に敵味方が加わって揉み合ううちにたまたま封印が切れて、中身が零れ落ちるという展開になっている。不可抗力で文箱の中が明らかにされ、お初に知らされるのだから、お初には何の科もないわけだ。
加えて、奥庭では、お初はいきなり岩藤を斬りつけるわけではない。尾上が気を失ったので一緒に部屋まで来て欲しいと岩藤に誘いをかける形だ。その岩藤がお初を襲い、逆に岩藤を討ちとめたお初は、その場で尾上の後を追って自害しようとする。そこへ重臣が駆け付け、訴状を改めるとお家乗っ取り計画が未然に防がれたことがわかる。お初の手柄である、と言うことになって二代目尾上の誕生となる幕切れだ。
浄瑠璃を歌舞伎に移す際、「お初って娘は、これじゃ見物の納得が行かねえだろ。もちっと工夫しなきゃなんねえな」てな感じで脚本が変えられたのだろう。歌舞伎のほうが、よっぽどよくまとまっているし、腑に落ちる話として見ていられる。
もちろん、健気で一途なお初でなければならないわけではない。細かい犯罪など構わない。主人のためなら何でもやる。考える前にまず行動。突っ走って暴れてみたら、いつの間にやら一件落着。おまけに主人の名を貰い、褒められついでの立身出世。こんな女がいても良いじゃあ、ありませんかい。
そんな展開が好きな方なら、文楽の『加賀見山』は痛快無比の出し物となる。その女主人公であるお初は、ハリウッドのアクション女優の走りと言えるかも知れない。(き)


鏡山.png


(※1)武家女房や武家屋敷で働く御殿女中などが笄一本で髪をまとめる一般的な髪型を「片外し」と言い、転じて歌舞伎で、その鬘をかぶる武家女房などの女形の役をそう呼ぶようになった。

(※2)『加賀見山旧錦絵』の配役でトップに来るのは岩藤で、尾上は二番目。現在の玉三郎は押しも押されもせぬ最高峰の役者で人間国宝でもあるので、「二番目の尾上」は自ら進んで演るはずはないし、誰も薦めはしない。

(※3)産経新聞2017年1月30日 「文楽の豊竹咲甫太夫さん、六代目竹本織太夫襲名へ」によると、「織太夫」は八代目竹本綱太夫(人間国宝、2015年7月逝去)の前名だそうだ。

(※4)尾上が自室で書き置きをしたため、その横の召使部屋でお初が薬を煎じる場面。舞台の左右で二人の人形が別々の動きをするのを同時に見せる演出は、アルフレッド・ヒッチコック監督の『マーニー』における、金庫室で金を盗むティッピー・ヘドレンと事務所に入って来る掃除婦をひとつの画面で見せる映像を思い起こさせる。


posted by 冬の夢 at 21:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝統芸能 文楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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