2017年05月15日

THE SMITHS − THE HEADMASTER RITUAL 元気が出る曲のことを書こう[26]【改+新情報】

 少年のような兵士のポートレートが、証明写真のように並んでいる。
 ベトナム戦争のときの米兵らしく、ヘルメットの落書きは「MEAT IS MURDER」。
 あまりに意味深なので、ジャケットを見るなり、そのレコードを買っていた。一九八〇年代後半の話だ。
 死語ですね、「ジャケ買い」。

 調べてみると、この兵士は一九六七年秋のダナンに派兵されていた、ほんものの海兵隊伍長だ。オハイオ州コロンバスのマイケル・ウィン。ベトナムにいたときは、二〇歳だった。
 そのことはもちろん、ドキュメンタリー映画のメインイメージにも使われた有名な写真だということも、落書きはもともと「MAKE WAR NOT LOVE」──ベトナム反戦メッセージのひっくり返し──で、バンド側が改変してジャケット写真にしたことも、まったく知らなかった。

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MEAT IS MURDER─1985

 この曲は、A面の1曲目。
 エッジがキラリと光るエレキギターが、文字通り、針を落とすと飛び出す。
 ザ・ポリスのアンディ・サマーズに似ていなくもないが、音楽へのアプローチが違い、イントロからして符割りが変なうえ、いきなり転調で歌が始まって面食らう。しかもその歌ときたら、ブリッジもサビも見当たらず、ご詠歌みたいだ。
 新しいロックだ! と感心しながら、ついに、よくわからないロックが登場した、ジジイなんだ! とガックリきた。三十年以上も前だけど。
 もっとも、ギターとドラムに合わせ、アタマをタテに体をヨコに、グネグネふりながらついていけば、どんどん引き込まれる。いい曲だ! ※ジョニー・マー本人に弾きかたを教われる。

 すこし後で、歌詞の意味を知った。
 ザ・スミスの地元、マンチェスターの、ティーンエイジャーの話だ。
 日本でも聞くイギリスの地名だが、当時そこの学校に通ったことがある人が訳詞を作ったとは思えないから、日本語でも意味がわからないところは、気にせず聴いていた。輸入盤を買ったときは会社員。いまさら中学や高校の話には興味がなかったせいもある。

       

 ところが、モリッシーのナヨナヨした歌を聴くたびに、十代の記憶、とくに中学校でのいやな出来事が目の前に現れる。背筋が寒くなった。
 世界中の若者が、この曲に共鳴しているとしたら、なんと怖ろしいことか、とも思った。

 Belligerent ghouls
  ガミガミ屋の人喰い鬼が
 run Manchester schools
  マンチェスターの学校を仕切ってる
 spineless swines
  背骨のないブタ
 cemented minds
  セメント漬けの心
 Sir leads the troops
  先生は生徒たちを引きずる
 jealous of youth
  若さを妬んでる
 same old suit since 1962
  1962年から同じ背広
 he does the military two-step
  古くさいマンチェスターのダンスみたいに
 down the nape of my neck
  ぼくの首筋をいじり回す
 I wanna go home
  うちに帰りたいよ
 I don't want to stay
  ここにいたくないよ
 give up education
  教育なんか捨てよう
 as a bad mistake
  ばかげた失敗としてね

 mid-week on the playing fields
  週半ばの運動場で
 Sir thwacks you on the knees
  先生はきみに膝げりをくらわす
 knees you in the groin
  股ぐらにキメやがる
 elbow in the face
  顔は肘打ちときた
 bruises bigger than dinner plates
  晩飯の皿よりでかい痣になる
 I wanna go home
  うちに帰りたいよ
 I don't want to stay
  ここにいたくないよ

(中略)

 give up life
  人生をあきらめよう
 as a bad mistake
  ばかげた失敗としてね
 please excuse me from the gym
  体育は休ませてください
 I've got this terrible cold coming on
  ひどいカゼで症状ひどいし
 he grabs and devours
  でも先生はぼくをつかまえ
 kicks me in the showers
  シャワーを浴びせて蹴りまくる
 and he grabs and devours
  先生はぼくをつかまえる
 I wanna go home
  うちに帰りたいよ
 I don't want to stay
  ここにいたくないよ


 教師に殴られたことはありますか。
 わたしは、それが当たり前だった時代に十代を過ごしている。
 
 自分が殴られた記憶より、ほかの生徒が殴られるのを止められなかった記憶のほうが、なぜか鮮明で、はるかにつらい。
 自分も同級生も、殴られた理由、どんな悪さをしたかということは、正確には思い出せないが、自分が叩かれたりするのは、悪事をはたらいた以上しかたないと受け入れていたことは確かだ。けれど、理由はどうあれ級友が殴られるのを見ているのは、がまんできなかった。
 なのに、「殴ることはないだろうが」と庇(かば)って、教師にタテつくつもりが、いつもボソボソつぶやくだけで旗を巻いてしまった。
 この曲を聴くと、卑怯なあの自分の姿がいまも思い浮かぶ。自己嫌悪がこみあげてくる。

       

 小学生のわたしを、自分も泣きながら殴った教師がいた。
 中学校の校内用上履きの片方を生徒の頭上に載せ、もう片方の上履きで殴る教師もいた。殴られるのを避けて上履きを落としたら、何度でも殴るといって。
 やはり中学時代、教科書、それも丸めてでなく本の背の固い所で、思いきり脳天を殴られたこともある。その教師はよほどキレたのか何度もやられ、目の中に火花が散った。
 エピソードをあげだすと、きりがないが、教師たちの名は、みな忘れ、顔もはっきりしない。
 にもかかわらず、わたしを殴った教師たちには必ずこっぴどく思い知らせてやると、いまこの瞬間にも思う。

 そんなに殴られたなら札つきのワルだったんでしょう、といわれそうだが、学校でタバコを吸ったり、暴力沙汰を起こしたことはない。
 この文にも表れているかもしれないが、小生意気で、あげ足取りなところがあり、そういう生徒に気を悪くするような教師には、目の敵にされたのかもしれない。

       

 わたしのことは、どうでもいいが、生徒を殴ったり蹴ったりする、あるいは、かつてそうしたことがある教員たちに、確かめておきたいことがある。

 あなたがたは、嫁や彼女、あるいは夫や彼氏、もしくは自分の子どもを、殴ったり蹴ったりするのか。あるいは、以前そうしたことがあるか。
 そんなことはしないというなら、なぜ生徒は殴るのか。
 
 その理由は、ふたつしかない。

  一、生徒のことを思うあまり、熱血指導してしまった。
  二、生徒が暴力的なので、暴力で対抗するしかない。

 いろいろと事情をあげたがる教員もいるだろうが、このどちらかだ。そうでない理由で殴るなら、ただの変態だからだ。
 そして、上のどちらかの理由で殴るのは教育的指導だというなら、殴られて生徒が学ぶのは、つぎの二つだ。

  一、自分の思いが強ければ、暴力に訴えていい。
  二、暴力的な存在に相対したときは、暴力で身を守れ。

 個人的な経験をもとにした体罰是非論がよくある。タレントや識者が「思い出」を例に発言したり書いたりすると、たしかに説得力がある。
 わたしは、自分の経験から学校での体罰を論じるつもりはない。体罰の意味もなにも、とうに法律で禁じられている、で議論は終わりで、是非の余地などないと思っている。法律で管理されないと、まともな生活ができないのは、この社会の最大の欠陥だが、それはともかくとして。
 殴った教師にも、その先生なりに生徒への思いやりや教育思想があって──というような甘い懐旧は、その教員を許す前提で学校での体罰を語ってしまう甘さにつながる。
 実際、わたしを殴った教師たちだって、それぞれ「いい人」でもあっただろう。彼ら「よき人」たちには、生徒のわたしの、こましゃくれた態度が──そうしているつもりはなかったが──悪事以上に許せなかったのかもしれない。

 だからといって、わたし(生徒)を殴った教員たちは、許されることはない。
 個人の考えで殴ったのではなく、青少年は厳しくしつけないと一人前の大人にならない、というような学校の方針で殴ったというなら、殴られるのがあたりまえの学校に通うと、こういう大人ができる例として、いまのわたしを見に来い、といいたい。
 なお、わたしは学校で殴られる前に親からしばしば体罰をくらっていた。ほぼすべてが母からだが、その影響もあるだろう。念のため。

       

 さいわい、わたしは人を殴らない大人になった。
 殴り合うケンカは小学生のころ、弟をイジメた奴とが最後だ。
 殴られる学校に通うことで、暴力的な相手に相対しても、けっして自分は暴力に訴えない、という意思が固まった。その決心は、いかなる戦争にも政治抜きで反対する姿勢に結びついていると思う。

 では、殴る教育のおかげで一人前の大人ができたのか。
 そんなことは絶対にない。
 えらそうな文をこんなふうに書いているが、自分を表現する行動に出ようと思うと、例外なく鉄拳やビンタが飛んでくる気がする。この感覚が消えたことはない。
 そして、同級生が張られているのを見て、思わず教員に詰め寄りかけるが、表情をわずかに動かしただけで、すごすごと旗を巻いた、わたしという卑怯者の姿がくり返し現われる。
 そいつは、不正を目の当たりにしながら自意識の部屋に閉じこもる、心理的回避テクニックを身につけた。
 その部屋の壁は棘だらけで、とてつもなく居心地が悪い。部屋の中で自分で自分を抑圧し続けるしかない。
 そのうち、その部屋でそいつは自意識過剰という始末におえない性質になった。見かけこそ温和だが、じつはひどく非寛容で、殴りこそしないが平気で他者の人格を貶めたり、対話を突如たち切って荒れたり、突拍子もない態度に出たりする、ひどく愚かな人間になったのだ。

       

「THE HEADMASTER RITUAL」を聴くたびに、このようなことが、意識を走り回る。
 ことにたまらなくなるのは、「I wanna go home;うちに帰りたいよ」「I don't want to stay;ここにいたくないよ」の後にモリッシーが「ららららら ら〜いへ〜」と、ヨーデルまがいの奇妙なリフをやりだすときだ。
 歌メロにブリッジもサビもない、と書いたけれど、まさか、ここがサビじゃないでしょうね(笑)。
 それはいいとして、なんだこの気色悪い歌いかたはと、はじめのうちイラついていたのが、そういえばかつて自分も、学校や家庭で耐えられない状況になってくると両手で耳をふさぎ、「わわわわわ わ〜いへ〜」みたいな感じで唱えていたじゃないか、と思い出した。
 そう、そのうちに耳を押さえずとも、なにごとも、「わわわわわ わ〜いへ〜」と、見ないふりをして心を閉ざすことができるようになったのだ。
 この曲は「I wanna go home;うちに帰りたいよ」「I don't want to stay;ここにいたくないよ」と歌っているが、あのころのわたしは、「うち」にも帰りたくなかったのである。

       

『MEAT IS MURDER』が発売され、買って聴いたときには、わたしはすでに大人だった。
 が、このマンチェスターの学校の歌を聴くたびに、アタマの中がムズムズして、ずいぶんこの盤をターンテーブルに置いた。
 人に伝えることもできないし、わかってもらいたいくせに理解されっこないと決めつけてもいた、わびしい自意識。それがこの曲が流れているうちは解放されて、わずかながら気分がよくなったのかもしれない。精神的な自涜だったのだろうか。

 いまもウチのどこかにあるレコードは「THE HEADMASTER RITUAL」、つまりA面一曲目だけが、擦り減っているはずだ。
 A面二曲目以降も、B面最後のアルバムタイトル曲「MEAT IS MURDER」も、それほどには心に響かなくて、この盤を最後まで聴き通すことは、ほとんどなかったからだ。ホンモノのベトナム海兵隊員の写真を改変してバンドのメッセージにしたことに、微妙に違和感も感じていたのだろうか。
 ザ・スミスがライブ演奏するのを見たことはない。客席からステージに駆け上ってモリッシーに抱きつくのが、イニシエーションのように行われるそうなのだが、「THE HEADMASTER RITUAL」を歌う彼に抱きつきたいと思ったことはない。(ケ)

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The Sound of THE SMITHS─2008



【新情報】二〇二〇年四月、フェンダーのYouTube公式アカウントに、ジョニー・マー本人がイントロの弾きかたを教えてくれている動画がアップされた。→これ← オープンチューニングでしたね。隔世の感とは、このことだな……。

■ ザ・スミスのアルバムジャケットは、写真を配するセンスがいい。大胆なトリミングや改変が特徴だ。一九九二年の二枚のベスト盤のフロント写真もカッコいいが、オリジナルの写真を二分割して二枚の盤それぞれに使う大技だ。写真家としても有名だった俳優のデニス・ホッパーが撮った写真である。ホッパーは街角でこの盤を見つけ、勝手に自分の写真を使いやがったと怒り出したが、経済的に逼迫し、自分の写真作品の権利をとうに売っていたのを忘れていた。
 
■ わたしは、書き込みをせずカバーして読むなど、本を大切にするほうだ。つまらない本でも、なかなか捨てられない。本で殴った「教育」の成果かもしれない。

■ 教員がまったく怒らなかったり、怒りをため込むばかりだと、学校がもっとひどい事態になるという説があるようだが、教員が怒るのも機嫌を悪くするのもダメだとはいっていない。念のため。


※二〇二〇年七月十四日、書き直しました。話の筋は変わりません。管理用


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posted by 冬の夢 at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
1985年当時には同時代の音楽を熱心に追いかける熱意を失っていたので、このバンドも曲も知りません。が、歌われている内容はイギリス映画の『ケス』(ケン・ローチ監督)にほとんどそのまま描かれています。その映画を見たとき、「イギリスの教育も日本の教育と大同小異なのか!」と大いに驚きました。基本的人権とか子どもの権利とかの尊重というのは、つまりは良くも悪くも一部の「上品(decent)な社会」の産物に過ぎないのかと、暗澹たる気持ちにさせられました。それはともかくとして、ぼくも中学校(1年生)で担任の先生に体罰を受けたことがあります。その先生は、男子生徒(に限られていた)を叱るときは、「はい、背中を出して」と、まるでお医者さんか何かのように「宣告」した後に、一度背中に彼の掌を置き、(ここを叩くぞ)と言葉もなく示した後に、平手で思いっきり(と、当時は信じていたが、今となってはそれでも手加減はしていたと思う)叩き、背中には赤い手形がしっかりと刻みつけられた。叩かれるのは、ケンカとか強請とか、弱い者いじめとか、まあ、誰が見ても「叩かれて当たり前だね」というものだったけれど、ぼくが叩かれた理由は、期末試験で100番以上も席次を落としたとき。成績表を貰うために教室の前に行くと、「はい、背中を出して」ときた。席次なんてどうでもいいと思っていたので、それが叩かれる理由になるとは全く思えず、そのときは「なんで叩かれねばならないのか!」と憤ったことと思います。が、同時に「なるほど、席次が100番以上も落ちるということは、それだけで叩かれる理由になるのだな」と、不思議に納得もしていました。彼に言わせると、ぼくは「試験の前にとても怠けた」ということでした。そして、それはある意味で本当で、ちょうどその頃、ぼくはRock'n Rollという音楽に文字通りに夢中になり、それこそ四六時中ギターを弾いて、「不良」の道をまっしぐらに進んでいたわけです。ただ、その後もその先生とは仲は良かった。体罰を認める気はさらさらないけれど、他方で、体罰だけが暴力ではなく、体罰以外の暴力が平気で横行し、教育と洗脳の区別がつかないようなとき、担任の先生に叩かれることをまるで一種の遊戯のように受け止めていた子どもたちがいたことも事実だったと思います。そう、彼の平手は、いわばプールの後で浴びる冷たい水シャワーのようでした。子どもたちはイヤだと思いながらも、キャアキャアと叫んで、まるで何かのお遊びのようにシャワー室で騒いでいた。しかし、今でも本気で思うけれど、あのプールの後の水シャワーが許されるなら、そりゃ、体罰は止まらないだろうな。結局、体罰って、「教育の貧しさ」と密接な関係があるのではないでしょうか。
Posted by H.H. at 2017年05月16日 00:13
 二〇二〇年七月十四日、書き直しました。
 話の筋は変わらず、つけていただいたコメントが通じなくなるような手直しは、していません。
Posted by (ケ) at 2020年07月14日 14:44
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