2017年05月14日

CHUCK BERRY − JOHNNY B. GOODE 元気が出る曲のことを書こう[25] .

 チャック・ベリーの、高校時代の「部活」って、知ってますか。
 写真部!
 親戚の高校生の影響で写真のとりこになり、自宅の地下に暗室を作るほどだった。
 ボロ小屋住まいで読み書きもできない男の子が、ギターで身を立てスターになるという曲のイメージと、暗室で現像液を調合し秒数を計る中流家庭の少年の姿は、どうにも結びつかない。

 ベリーの生家は、熱心なバプティストの家庭で、お父さんは住宅修理工で日曜学校の校長さん、お母さんは短大卒の元教師だ。けっして豊かではなかったが、お母さんがモダンな人で、戦前から電気洗濯機やミシン、電話などが、家にあったそうだ。ベリーのカメラやクルマ好きには、そんな家庭環境が一役かっている。
 ベリーの写真指南役だったいとこは、ベリーの姉のことが好きだったので、撮りたい一心で写真に熱中していた。ベリーは、暗室で暗赤色光の下に浮かんでくる像に感心したそうで、みな、昔よくあった写真入門エピソードなのだが、例のいとこが、よそから現像を頼まれたフィルムが、秘密で撮ったヌードだったときは、赤い光の下でことさら刺激されたという。おかげでスターになってからは、お持ち帰り≠フ白人モデルに撮影術を、もちろんほかの術といっしょに、存分に披露した! 

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ST. LOUIS TO LIVERPOOL 1964

 ティーンエイジャー時代のベリーの家庭は、女の子のことについては厳格だったし、とりわけ白人の「レディ」に対しては「見つめるどころか、たとえ一瞬でも」「接近」や「侮辱」ととられる目をしてはいかん、と厳命されていた。だったら黒人の女の子ならいいかというと、ヨロシクやっているところを見つかれば、剃刀研ぎ用の皮ベルトで「むち打ち刑」をくらった。
 それはともかくとして、ベリーは、いとこから写真を教わるついでに、いとこが集めていた科学の本を読みあさったそうだ。文系科目はさっぱりだが、数学と科学の成績は抜群だったという。自他ともにみとめる「理系」。その資質は、後々までベリーの音楽のやりかた、つまり「ロックンロール」をどう作りどう扱ったかということに、ふかく影響している。

ロックンロールができるまで

俺に音楽の道を選ばせたのは、実は、トミー・ドーシーの『ブギウギ』だ
簡単に言えば、シンプルなメロディをブギのビートに乗せたのが俺の音楽だ

 ベリーのお母さんが、新品のガスレンジと同じくらい大切にしていたのは、コンソール型のラジオだった。家具のような巨大なものだ。
 両親が聖歌隊にいたから、そのラジオで聴くことが許されていたのはゴスペル。それから、コーラスが美しいカントリー音楽。白人編成のビッグバンドも聴くようになった。
 つまり「下品な歌詞」が多いブルースは、聴こえてこない家だったのだ。

 ラジオを聴いて、ギターを弾きはじめると、ビッグバンドのヒット曲はたいてい「リズム・チェンジ」で、いっぽうブルースナンバーは和音三つきりで、作られていることを知ったベリー。
 ここで彼の発見に感心するのは、人にうけるためにはレパートリーがたくさんなければいけないが、それらを一曲ずつ練習して持ち歌にするのではなく、同じような曲で歌詞だけ違うわけだから、まずは歌詞からだと考えたところだ。
 曲は、どこかで聞いたことがあるような感じのほうがよく、そこへつかみ≠フある歌詞を乗せればいいんだ、という着眼はするどい。
 後年のベリーにいわせると、歌詞のつかみ≠ヘ「学校」に「クルマ」に「恋」で、ちょうどブルースナンバーの和音のように、その三つが、あらゆる聴き手に汎用の要素なのだそうだ。そして、自分で作詞作曲するようになると、詩的表現ではなくストーリー仕立ての詞(ことば)にこだわった。
「な、お前もそうだろ。お前らもそう思うよな」と、共感しやすい日々の情景を語りかける。曲はヨソから持ってきたパーツで仕立てた、明るい長調、ノリノリのリズム。
 そうすれば、誰もがついてくるはずだ──そう、ほんとうについてきた!

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 面白いことに、デビュー曲の「メイベリーン」は、ロックンロールどころかブルースでさえない。
 カントリー・アンド・ウエスタンなのだ。
 レコードを出す以前、クラブでの演奏でカントリーをやると、客に──もちろんほとんど黒人だ──よく笑われたのだが、「変わったことをやる面白いやつ」と思われて、カントリー音楽で黒人客にステップを踏ませたり、黒人向けの店に白人客の姿が目立つようにまでなった。「誰もがついて」きたのだ。
 そこから、チャック・ベリーのロックンロールは、みごとなパッチワークの産物としてでき上がっていく。芸術の創造者というよりも、開発と販促が同時にやれる起業家のようなのだ。感心させられる。

この世に新しいものなどない

 エレキギターを弾いたことのある中高年全員が、「ジョニー・B・グッド」か、それに似た曲の「あのイントロ」を、一度は弾いたと思うが、そのフレーズはベリーの発明ではない。ひと世代上の、有名ではないギター奏者、カール・ホーガンのフレーズだ。
「ジューク・ボックスの王者」こと、ルイ・ジョーダンとティンパニー・ファイヴの「Aint That Just Like A Woman」を聞いてみてください。ほら、そのフレーズに、白人の人気ビッグバンド、トミー・ドーシー楽団のブギをミックスすると、「ジョニー・B・グッド」つまりチャック・ベリーのロックンロールは、できあがる。

「ロック」アンド「ロール」とは、「プッシュ」アンド「プル」という意味なのだそうだ。
 一九八六年の、チャック・ベリー六〇歳のバースデイコンサートを記録した映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』(一九八七年)。そのDVDボーナストラックで、演奏に参加した、ドラムのスティーブ・ジョーダン──チャーリー・ワッツの後にローリング・ストーンズのライブで叩くことになった──が、こんなふうに説明している。
 つまり、ジャストの八分音符「ダダダダダダダダ」と同時に、スイングビートで「チーチカチーチカ」が刻まれている。そこがロックンロールのツボだという。
 なるほど、すばらしい組立製品だ。アオリと揺さぶりがダブルで来るようになっている。

 チャック・ベリーは、こんなことをいっている。

よく言うように『この世に新しいものなどない』という言葉は真実だと思う。元祖が誰かより、誰が長続きし生き残ったかということだ

 まったく説得力がある。だてに三回も、刑務所に入っちゃいない。
 もう誰にも奪わせんぞ、俺が生き残り、俺が取る!
 そんなチャック・ベリーの怒りがこめられているようだ。

偏屈で頑迷なロックンロールスターの姿

 白人にだまされ続け、奪われ続けた、前半生だった。
 さきほど紹介したデビュー曲「メイベリーン」は、勝手に他人を共同作者にされ──作詞作曲にまったく関係ない、DJのアラン・フリードと、文具・印刷業者のラス・フラット※1──曲の権利が自分だけのものになるまで、三十年以上もかかった。

 だからといって、黒人同士でパイの奪い合いをしたってしかたがない。自分が総取りできるパイを作ろうというのだ。人種の違いや国の違いを越えて売れる、巨大なパイ、それがチャック・ベリー発案のロックンロール、ということではなかったか。
つかみ≠ニ親しみやすい曲調、その巧みな配合でできあがる音楽、的確な工程をへて撮影・現像すれば家庭で誰もが楽しめた、写真に似ている。
 それが、チャック・ベリーのロックンロールだ。
 その、ロックンロールという製品は、こんなふうに販売された。

 人をけっして信じない。
 演奏公演にはいつも、たった一人で行っている。スーツにアタッシェケースという姿で。※2
 たいてい会場に直行し一夜公演で日帰りだ。ショービシネスにつきもののパーティはなし。チャック・ベリーは飲酒しない。
 レギュラーバンドがいなくてどうするかというと、バックバンドは興行者に用意させるのだ。現地調達である。ライブの直前に初対面のバンドと、リハもなくどうやってショーをやるのか不思議に思うが、ギターを出してステージに出るや、曲名も告げずライブを進めていく。
 バンドの面々は、ベリーが弾きはじめた音を判断し伴奏しないといけないのだが、キーさえ見つければ曲はどれも似ているし、ヒット曲を知っていれば、ブッツケ本番でいける。契約にないパフォーマンスやアンコールはやらないし、演奏時間も短い。
 そんな演奏では、まるでカラオケ歌謡ショーだが、チャック・ベリー本人がロックンロールを演奏するのを見せるパッケージ、そのことに偽りはないわけだ。
 まるでロックスターらしくないというか、セールスプロモーションのような奇妙な感じがするが、奇妙なまま筋は通っている。

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■「俺のアンプに触るな!

 チャック・ベリーのホンモノの怒声が、映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で聞ける。
 プロだろうとアマだろうと、仲間と音楽をやってみた人なら誰でもわかる、そんな態度で、まともなライブなんか、できるはずがないという頑迷さ。
 ベリー六〇歳の記念ライブを成功させるべく、音楽監督をかって出たのはローリング・ストーンズのキース・リチャーズなのだが、そのリハーサルで、いきなり怒鳴り合いになる。固まるバンドメンバーのようすが寒々しい。

 音響スタッフかリチャーズが、ベリーに断らずアンプセッティングを変えたなら、たしかにいけないが、相談したところで応じるようなベリーではないのだ。
 リチャーズは、映画のためにいい音で録音しようとしているんだ、俺たちが死んでもこのフィルムは残るんだぜ、後悔するぞ、とベリーをさとそうとする。
 キレまくるベリー。
 映画だろうと何だろうと、これはチャック・ベリーが弾くんだ! 六〇年これとやってきたんだ、わからんか、この野郎! 俺は死なん! 
 と、怒鳴りまくる。

 ムショを出てから、前よりケンカっ早くなった気がするなと、あのリチャーズがボソる。
 ゲスト出演でリハーサルに来たエリック・クラプトンなど、それはそれで不遜だと思うが、ベリーをもて余す態度を隠しもしない。
 しかし、リチャーズは、どんな仕打ちを受けても絶対に尊敬しているという。その、しびれるようなリチャーズの義侠心にライブ+撮影の成功がかかっているし、リチャーズの仕切りに委ねなければ、ステージでの演奏は崩壊する。音楽ドキュメンタリーとして、ちがった意味でスリリングな映画だ。

 にもかかわらず!
 リチャーズが曲のイントロを弾くと、ベリーは執拗にダメ出しを繰り返すのだが、ほとんど嫌がらせだ。
 自分でお手本を弾いてみせるが、それが「さすが」ならともかく、おいおいおい、って弾きかただ。
 また、リチャーズが親身になって提案している段取りを、おそらくわざと理解できないフリをして無視している。
 リチャーズがゲストに招いた、エッタ・ジェイムズのことを知らず※3、ジェイムズをヘタだと罵って、参加を断固拒否し続ける局面もあったそうだ。そのシーンではさすがにカメラを回せず、ベリーがジェイムズの歌うブルースを聞いているうちに、なぜか絶賛モードに変わった場面のみが残されている。

 リチャーズには、最高のライブにしたいという気持ちがあった。ベリーがどのライブでも、いい加減な演奏ばかりして平気なのが昔から不満だったのだそうだ。
 しかし、その思いと献身が空回りするのを、ライブ演奏の場面でさえ、たびたび見せつけられる。リチャーズの笑いは本当に楽しんでいるのか、それとも諦めの苦笑か。
 公開当時に見た映画だが、見続けるのがつらいかった。ライブシーンの演奏のできも、よくなかったし、発売後数時間で売り切れたチケットを持って集まった多数の観客の、ほぼ全員が白人であることも、それでいいのか悪いのか、よくわからなかった。

ロックンロールを製造販売するトリックスター

『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』の日本公開は一九八七年で、たしかその前後、チャック・ベリーのライブも実際に見ている。※4
 が、もしそのときキース・リチャーズが舞台袖にでもいたら、それこそ本気で怒鳴りつけたに違いないほどひどい演奏だった。いくら全盛期を過ぎているといっても、ロックンロールのレジェンドにそれはない! くらいのひどい演奏だったのだ。
 ただ、『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』を、この文を書くために細部まで再見して、また、初めて自伝を読んだりしてもいるうちに、傲慢で不快な拝金ジジイと決めつけていたチャック・ベリーの印象は、かなり変わった。、

 チャック・ベリーの態度は、もう誰にも奪わせん、奪い返すだけだと、後半生を通して続けたロックンロール販売事業=Aそのプロモーションとしての、自己演出であり、それがいつしか地のキャラクターとごっちゃになっていたのではないか、という気もしてくる。
 それというのも、映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で回想を語っているときのベリーは、信じられないほど紳士的で、語り口も静かなのだ。身なりも正装に近く整えている。さきほど書いたように、ベリーは飲酒しないし、薬も摂取しない。

 そんなチャック・ベリーの意外な一面が見られて、涙が出そうになるほど印象的な場面も、この映画にはある。
 リハーサルの休み時間に、ベリーが小さい音で、なでるようにエレキを鳴らしながら、そっと歌う場面だ。
 曲の説明は出てこないのだが、わたしにもすぐわかる「心と魂」「煙が目にしみる」「忘れじの君」のような、戦前の曲だ。ジャズのスタンダードナンバーにもなっている。ロックンロールをやり出す前は、そういう音楽を聴いて育ち、自伝でも「一生耳から離れないだろう」と書いている懐メロ≠ナある。
 つづいて、それらの後に好きになったという、ドーシー楽団のブギウギを、ごく軽く弾いてみせる。
 一九五三年の大晦日にベリーを自分のバンドのエキストラに呼んで以来、長年ベリーの盛り立て役になってきた、ピアノのジョニー・ジョンソン※5が、ふっとさりげなく伴奏をつけ、また、おなじみの軽妙さで弾きもする。
 ふたりが奏でる、とても静かなブギ。
 これまで見てきた限りの、あらゆる「レジェンド・オブ・ロックンロール」の演奏場面で、文句なく最高のシーンだ。

 チャック・ベリーが本当にやりたかったのは、ロックンロールではなかったのではなかろうか。※6
 ロックンロールの生きた神話という、自他ともに認めた役柄や、ひとすじなわではいかない、人に理解されにくいかたくなな態度は、黒人文化として伝承されてきた説話に動物の姿でよく登場するトリックスター、すなわち、いかに搾取者たちを出し抜いて差別と抑圧の社会で生き残るかという教訓を暗示する存在に、近いものを感じる。

世界にも自分にもうんざりしたとき

 それでもなお、それでもやっぱり、「ジョニー・B・グッド」だ!
 この曲を、けっして忘れてはいけない。
 この曲が流れているあいだ、足踏みさえせずムッツリ腕組みしてつっ立っているやつは、バカだ!
 この文のタイトル「元気が出る曲のことを書こう」のためには、これ一曲のことだけ書いて、おしまいにしていいくらいだ。

 この曲を初めて聴いたのは、子どものときテレビでみた、日本のグループサウンズかなにかの演奏でだったと思うのだが、しょぼいようなモノマネ演奏でさえ、チンコの先端にまで、電気ショックが走った!
 歌の意味はわからないし、知ったとてエッチな歌詞ではまったくないし、助平な知識などまだぜんぜんないのだが、そんな子どもが聴いても、そのチンコに、いきなり火が点いたのだ!
 チャック・ベリー本人の演奏を知ったのは、それからかなり後のことで、その時点ですでに「オールディーズ」とよばれていたが、にもかかわらず、とてもカッコよく感じた。オリジナルを聴いてはじめて、イントロで微妙にギャロップする感じはもちろん、伴奏の単純な「ズズタズズズタズ」さえ「火を点ける」ように弾くのは、案外むずかしいことを知った。

 そのとき「ジョニー・B・グッド」を弾いてみようとした楽器は、安価なクラシックギター。「禁じられた遊び」のような音楽を弾くように、また、そういう青年になってほしいと、親が買ってくれた楽器だった。
 しかしその、ブギのリフはことに弾きにくいギターで「ジョニー・B・グッド」を練習しはじめたら、「禁じられた遊び」の、くそセンチメンタルな三連符は雲散霧消し、親のもくろみも吹き飛んだ。
 同時に、世間にも、そして自分自身にも、とうにうんざりしていた少年の心情は、見た目からしてぐれた風体の周囲の不良たちよりはるか遠くの、ラジオふうにいうなら「チャンネル・ロックンロール」とでもいうべき精神の次元へと「不良化」していった。

 映画、『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』で、「ジョニー・B・グッド」を聞いたときのことをキース・リチャーズは、こういっている。

 That's when I knew what I really wanted to do, yeah,
 I didn't have it to make a living,
 I didn't dream I could make a living out of it
 but I knew that's what I really wanted to do, you know,
 I would do it as a hobby even if I was an accountant now or something,
 yeah, probably a bit better off.


  そのときが、自分が本当に何をやりたかったのか、わかったときだったんだ
  それを職業にするとかじゃなくてさ
  っていうか、俺は音楽で食えるとは夢にも思ってなくてね
  でも、俺が本当にやりたいのはこれだったんだ、って知ったんだよ。わかるだろ
  とにかく俺はこれをやるぜ、趣味でもいいから
  たとえ会計士かなんかの仕事してたとしてもな
  うん、そのほうがちょっとはいい暮らしができたかもな、ハハハ! 

(ケ)

Charles Edward Anderson Berry 1926/10/18 - 2017/03/18

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※1 当時、「ペイオラ」といって人気ラジオ番組でよく放送されるようDJに贈賄する習慣があった。また発売元のチェスは、レコードラベルなどの印刷費にかなりの未納金があったといわれる。

※2 よく「捜査官みたい」といわれたそうだ。ギターは、届けばいいという感じで、メンテナンスもせず、調子が悪ければ買い換えれば経費で落とせると『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』でいっているのが笑える。

※3 かつてベリーのバックコーラスをしたことがある。

※4 調べたが、よくわからない。一九八九年の横浜だったような気がする。

※5 本文のように、はじめはジョンソンがバンドリーダーなのに、一九七〇年代初めベリーにクビにされた(ベリーのきらう飲酒によるトラブルのせいで)。のちにジョンソンは、作曲への貢献が認められず著作権料を得ていないと、ベリーを訴えた。また、映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』に起用されるまでは、バスの運転手をしていた。ジョンソンのピアノがなければチャック・ベリーの音にならないと、探し出したのはキース・リチャーズなのだが、ベリーは最後まで起用を渋っていたという。

※6 八〇歳代の終わりまでライブを続けているが、最晩年は、ほとんど弾けず歌えない状態でやっている。やはり最後までロックンロールしていたかったのだろうか……。

 参考
『チャック・ベリー(自伝)』音楽之友社/訳・中江昌彦/一九八九年
『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』テイラー・ハックフォード/一九八七年
 ほか


※ この文では、神戸市中央区の「Bar Moon-Lite / バー・ムーンライト」さんに、おせわになりました。
  moon-lite.jimdo.com
※ この文のため、英語の聞き取りに協力してくださったかたに感謝します。
※ 二〇二一年十月二十二日手直ししました。管理用

portrait photos on this article are public domain images.

posted by 冬の夢 at 23:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 ロック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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