2017年03月30日

平成二十九年大相撲三月場所 横綱稀勢の里の逆転優勝 〜 記録に値する見事な勝利

大相撲三月場所は、稀勢の里の逆転優勝で幕を閉じた。あまりに劇的な優勝だったので、後世まで語り継がれることになるだろう。それは大袈裟だとしても、十年後や二十年後に「思い出の大逆転」特集に取り上げられることは間違いない。

スポーツの世界にはシナリオライターでも思いつかない奇跡的な結末となるゲームがある。最近では、2015年のラグビーワールドカップで、日本代表が強豪南アフリカチームをノーサイド直前のトライで逆転した試合が印象的だ。
サッカーで言えば、1999年UEFAチャンピオンズリーグ決勝、マンチェスター・ユナイテッドとバイエルン・ミュンヘンの一戦。バイエルンが開始早々に上げた先取点を守りきり、試合はそのままロスタイムへ。優勝カップがバイエルン仕様に飾られるほど、試合の行方は決したかに思われたが、ユナイテッドはデヴィッド・ベッカムのコーナーキックからゴールを奪い同点とする。あと1分で延長戦というギリギリのタイミングで再びベッカムがコーナーキックを蹴ると、途中出場のスールシャールが逆転ゴール。数分間のロスタイムでヨーロッパ王者が入れ替わってしまった。
競馬ならば、1990年の第三十五回有馬記念。最盛期を過ぎ、勝利から遠ざかっていたオグリキャップはこのレースを最後に引退することになっていた。地方競馬出身で良血とは言えない六歳牡馬のオグリは四番人気。明らかに引退記念で馬券を買ってあげようというファンのお情けによる人気だった。ところが、超スローペースになったレースの第4コーナーを右手前で回ったオグリは、直線で巧みに左手前に替えてスパート。先頭に立つと、猛然と追い込んで来たメジロライアンをかわしてゴール板を駆け抜けた(※1)。当日の中山競馬場の入場者数は十七万八千人。この記録はいまだに破られていない。

では、大相撲ではどんな逆転劇があったのだろうか。
印象に残るのは、1975年三月場所の優勝決定戦。大関貴ノ花が横綱北の湖を破って初優勝を果たした一番だ。
星ひとつリードした貴ノ花は、千秋楽の直接対決で北の湖の上手投げに敗れ、13勝2敗同士の優勝決定戦に持ち込まれる。前の年の七月場所後に史上最年少で横綱に昇進した北の湖は、すでに優勝三回と圧倒的な強さ。対する貴ノ花は、「角界のプリンス」と呼ばれながら身体の細さは否めず、大型力士である北の湖にはとても勝てそうにはなかった。しかし、優勝決定戦では、横綱の投げをこらえた貴ノ花が、掴んだ回しをぐっと引き付けると、ジリジリと北の湖を土俵際まで追い詰めて、ついには寄り切りで勝ってしまった。
親に連れられて地方都市の百貨店に買い物に出かけていた私は、家電売場のブラウン管テレビでこの決定戦を見ていた。同じように足を止めてテレビに見入っていた大勢の大人たちが、一斉に「うおー!」と快哉の声を上げた。座布団が舞う中、力を使い果たした貴ノ花の、放心したような表情が映し出されたテレビ画面は、今でも脳裏に残っている(※2)。

そして今年の大相撲三月場所。劇的な要素が幾重にも重なり、スポーツのドラマ性をまざまざと見せつけられた大阪場所となった。
稀勢の里は一月場所で初優勝し、横綱に昇進。横綱審議委員会による横綱推挙の条件には「大関で二場所連続優勝」という内規がある。それを一回きりの優勝で横綱に推してしまった。いくら連続優勝に準ずる好成績を上げたからと言って、初場所が横綱挑戦の場所であるとは誰ひとり想定していなかった。待望久しい日本人横綱として、稀勢の里はかなり甘い基準で昇進を果たしてしまったのだ。
かたや優勝決定戦で対決することになる照ノ富士は、絶対的強さで大関に昇進した後は怪我に泣き、カド番で臨む春場所であった。膝の具合が良くならず、大関から陥落した先場所の琴奨菊の二の舞になることすら懸念されていた。その琴奨菊は、関脇に落ちた今場所で10勝以上すれば大関に復帰出来る。

今までの稀勢の里は、綱取りが期待されると序盤で格下相手にコロコロと負ける相撲が多かった。そんな悪い癖は影を潜め、横綱となった今場所は取りこぼしがない安定した取り口。前半戦で横綱白鵬、大関豪栄道が怪我で相次いで休場となり、連勝を続ける稀勢の里が圧倒的に優位かと思われた。
ところが好事魔多し。12連勝で迎えた十三日目、稀勢の里は合い口の良い日馬富士との取組で、低い当たりから一気に押されて土俵下に転げ落ちてしまう。左肩を押さえて動けなくなり、そのまま呻き声を上げて病院へ直行してしまった。どうやら稀勢の里は左手がほとんど使えないらしい。それほどの重症であれば、当然休場になるだろう。
俄然有利になったのは1敗で追いかけていた大関照ノ富士だ。膝の傷が癒えたのか日々動きが良くなって、大関に昇進したときの怪力ぶりが復活してきた。稀勢の里が出てこないならば、照ノ富士の関脇初優勝以来の快挙が実現するはずだった。

ところが、稀勢の里は休場しなかったのだ。横綱としての責任感なのか、怪我が意外と軽かったのか。もちろんそんなことはなく、無理して出場した十四日目の結びの一番、横綱鶴竜に何も出来ずに稀勢の里は寄り切りで敗れてしまう。やっぱり駄目なのか。ならば怪我の治療に専念したほうがいいのではないか。
一方で、照ノ富士はその前の取組で、大関返り咲きを狙う琴奨菊に土をつける。これで13勝1敗の照ノ富士が単独トップだ。けれど、勝ち方が悪かった。頭から突っ込んでくる琴奨菊に対して、右に変わった照ノ富士。6敗目を喫した琴奨菊の大関復帰はなくなった。怪我をおして横綱の責務を果たそうとする稀勢の里と、琴奨菊とまともに当たらずに勝ち星を拾いに行った照ノ富士。この一番で照ノ富士は観客を敵に回してしまう。
千秋楽は、稀勢の里と照ノ富士の直接対決。稀勢の里が優勝するには本割で照ノ富士に勝ち、相い星に持ち込んだうえでさらに優勝決定戦でも勝たなければならない。肩の怪我をテーピングで隠した稀勢の里が二番続けて照ノ富士に勝てるわけがない。誰もがそう確信しながら結び前の一番を眺めていたはずだ。

ところが、である。まともに当たっては勝ち目がないとみた稀勢の里は、立ち会いで右に変化するが、行司待ったで仕切り直し。ならばと、今度は左に変わった稀勢の里だが、照ノ富士が厳しく左下手を与えない。ズズズーと西土俵際まで運ばれた稀勢の里、万事休したかと思われた最後の際で、俵に足を残しながら右に回っての突き落とし。一気に寄り切ろうとした照ノ富士は勢い余って前のめりに倒れて土俵下に転がった。
本当なら怪我で入院していても不思議ではない稀勢の里が勝ったのだから、やんややんやの大喝采。いや〜、まぐれってのはあるもんですねえ、ともう一番余分に対戦が見られる幸運に場内はどよめく。そう、もちろんこの時点では誰ひとり決定戦で稀勢の里が勝つとは思わない。たまたま幸運にも突き落としが決まったけれども、まともにやったら絶対に照ノ富士が勝つに決まっているのだ。それでも稀勢の里はよくやった。横綱として立派なのは、10勝5敗の日馬富士でも鶴竜でもない。稀勢の里こそ真の横綱だね。

ところがところが、である。東西を入れ替えて髷を整え出てきた稀勢の里と照ノ富士の優勝決定戦。突っ掛けた照ノ富士を冷静にいなす稀勢の里。再度仕切り直して組み合った両者は、照ノ富士がもろ差しで体勢十分。稀勢の里は両上手の回しが取れず、照ノ富士に押し込まれる。やっぱり負けるのか?そのまま照ノ富士が稀勢の里を土俵際に追い詰めての寄り切り、と思われた刹那、稀勢の里は体を開いて捨て身になっての右の小手投げ。これは照ノ富士も予想していなかった。寄りの勢いがついていたこともあり、左下手を稀勢の里に抱えられたまま、ついには照ノ富士はバッタリと倒されてしまった。稀勢の里が見事に逆転優勝を飾った瞬間であった。

スポーツ観戦をして興奮することなど、今では滅多にはない。かつてジョホールバルでサッカー日本代表が延長のVゴールでワールドカップ初出場を決めたとき、テレビの前で思わず雄叫びを上げた程度だ。それなのに、今回だけは違った。稀勢の里の優勝に思わず手を打って「勝っちゃったよ!」とうわずった声でひとりごちた。それほど大方の予想を覆す、ドラマチックな大逆転勝利だったのだ。
ドラマチックではあるけれど、ドラマでやったらウソになるような劇的な勝負がスポーツにはある。そしてそれは、あるにはあるけれど、滅多にはない。そんなにはないことに巡り会えた歓びは格別である。
稀勢の里が今回の怪我からどう立ち直るのかは、現時点では全くわからない。でも、平成二十九年三月場所での稀勢の里の大逆転優勝は、いつまでも忘れられることはないだろう。多くの人たちがその目撃者となったのだ。でも、将来、この勝負を振り返りたくなるときがきっと来る。そんなときにもう一度思い出してほしい。単なる逆転勝利ではない、それぞれの立場や事情や、勝負の綾があったことを。そして、そんなドラマが誰の手によるのでもなく、自然と成り立ってしまったことを。
だからスポーツ観戦はやめられないのである。(き)

稀勢の里.jpg

(※1)馬が走るとき、右前肢を左前肢より前に出して走るのが「右手前」。左前肢が前になるのを「左手前」と呼ぶ。中山競馬場は右回りコースなので、コーナーでは右手前で馬を走らせないと最短距離で回れなくなる。しかし、オグリキャップは基本は左手前で走る馬。そこで鞍上の武豊騎手は、直線に入ると左鞭を入れて、素早くオグリに手前を替えさせたのだった。
(※2)貴ノ花は2005年5月に55歳で、北の湖は2015年11月に62歳で、それぞれ早逝した。


posted by 冬の夢 at 00:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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