2017年01月22日

Anton Webern − Langsamer Satz / Quartetto Italiano 元気が出る曲のことを書こう [14] .

 湖の浅瀬の底にいて、あお向けになっている。
 地上の音が、こもったように遠く聞こえる。
 揺れる水面の上へ、手を伸ばして出せば届くところに、世界がにじんで見える。

 冷たさも息苦しさもないかわり、手足が重たい。上体を起こせばすぐ水から出られるのに、押さえつけられたかのように、起き上がることができない。
 その状態で、眠れず起き続けている。本当は眠っていて夢を見ているのだろうと思うが、安眠を感じることができない。

 この話をしたら、最高のリラクゼーション状態じゃないかといった人がいた。カネを払ってタンクの中で水に漬かる、というのがあるそうだ。
 それとはまったく違う話だと思ったけれど、面倒なので、だまっていた。

 寝るとき、いかにも景気のいい音楽を鳴らしておけば、その場面に陥らずにすむのではと思い、やってみたことがある。うるさくてどうしようもなかった。
 ヒーリング・ミュージックというのだろうか、癒し系BGMだと売られていた盤も二、三枚買って回してみたが、もっとだめだった。リピート再生でもした日には、水没した状態のまま聴きながら、朝になってしまった。

 その水の重たさを、ふと軽く感じる曲があることを、ごく最近に知った。
 アントン・ヴェーベルンの「弦楽四重奏のための緩徐楽章」(Langsamer Satz for String Quartet)。一九〇五年の作で、十分ほどの短い曲だ。

 ヴェーベルンは「新ヴィーン楽派」、つまり無調性と十二音が特徴のソリッドでメカニカルなサウンドを駆使し、それまでの調和的な音楽とは一線を画したアバンギャルドな「現代音楽」の嚆矢をはなった、三人の作曲家のひとりだ。あとの二人はアルノルト・シェーンベルクとアルバン・ベルクで、シェーンベルクはヴェーベルンとベルクの先生である。
 ヴェーベルンがこの曲を作ったのは、シェーンベルクの門下生となった直後、ヴィーン大学の学生時代なので、まだ現代音楽的な作りかたはしていない。シェーンベルクから一本立ちを認められ、師弟で「ヴィーン三人衆」となった後のヴェーベルンは、この曲とはまるで違う、しかも三人のうちでもとりわけ冷静で緻密でロジカルな構築美を重んじた、いかにも「現代音楽」らしい、とっつきにくい曲を作ったので、同じ作曲家の曲とは思えないほどだ。
 興味深いのは、この曲以前に作った曲よりも情緒の振幅が激しく聴こえ、ロマン主義に振り戻ったかのように思えること。同時代の後期ロマン派からの影響より、この曲を作る直前に会えたグスタフ・マーラーの影響をもろに盛り込んだのか──ヴェーベルンはマーラーの大ファンで、敬愛するマーラーと同じように、作曲家のみならず指揮者としても評価されたがっていた──きわめて、いや、ありていにいうなら気はずかしいほどに耽美的な曲だ。
 本人はこの曲は練習作と考えたのか、作品番号をつけていなくて、実演されたのも、亡くなって一七年後の一九六二年のこと※1。ただし、ロマンチックで短いので聴きやすいということか、現在は「三人衆」時代の曲よりはるかにしばしば演奏されているらしい。

 いちど聴いたら忘れられないほど哀愁に満ちた、第一ヴァイオリンの主旋律を、すぐにほかの三人が、やさしく抱きかかえるようにフォロー、曲は粛々と進む。フッと長調になり、また短調へと響きを変える。そしてクライマックスへ──といっても、激情的にテンポや音量がアップすることはなく終わってしまう……かと思えばまた最初の主旋律。そして文字どおり「いつしか」曲は幕を閉じる。人生よ、哀しみとともにあれ。

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一九一二年のヴェーベルン

 この曲と出会ったのは、やはりイタリア・カルテット(Quartetto Italiano 1945〜1980)の演奏でだ。
 このカルテットが演奏したベートーベンの弦楽四重奏曲、後期の5曲と「大フーガ」でCD2セット4枚。それ以上はいらないと、はるか以前に決めていたのを、近ごろ、この四重奏団の盤をほかにも聴きたくなり、探しはじめたとたんに出くわした。

 このブログで音楽の話をするとき、たびたび書いたけれど、クラシックはもともと苦手で、音質を似せて聴かされたら、どの奏者の演奏かろくにわからないと思う。
 また素人目ながら譜面を見ると、ヴェーベルンはかなり細かく弾きかた指示を書く作曲家のようだ。となれば、奏者による大幅な解釈の違いは出にくく、自分の耳ではますます違いがわからないだろう。われながら、とくにイタリア・カルテットにこだわる理由はない。
 しかし、いくつかの四重奏団の演奏と同時に比べて聴いてわかる限りでは、イタリア・カルテットの弾きかたには、ほかの演奏にはない深みと、この悲しい曲を弾きながら微笑してでもいるかのような、哀しみに寄りそう朗らかな暖かさがある。
 とはいっても、そんなふうにセンチメンタルな表現で音楽を描写するのは、ほんとうはあまり好きではないから、速度の問題だとかヴィブラートやルバートであおっているんじゃないかとか、はては残響の度合いではないかなど、確かめたかったが、あまりそんなふうに聴き込んで飽きてしまうのもいやなので、深追いはしないままでいる。

 マーラーと会ってしばらく後、ヴェーベルンはこの曲を、ふたつほど歳下の従妹で、のちに妻となるヴィルヘルミーネ・メルトルとの小旅行の後で書いた。
 彼女とは相思相愛を確かめ合っていて「自然と一体になり、『ひばりのように自由』であることの素晴らしさ」※2を、書き残しているという。写真で見るヴィルヘルミーネは、ヴェーベルンが「自分の作品のほとんどは、母の記憶に起源を持つ」※2と書いている、ヴェーベルンの母、アマーリエに驚くほど似ている。(ケ)



※1 ヴェーベルンはナチス信奉者であったにもかかわらず、その音楽は、一九三〇年代末には「頽廃芸術」に連なるものとレッテルされ、音楽活動を封じられてしまう。そしてヴェーベルンは、一九四五年九月、戦後の復帰含みでザルツブルクの娘夫婦宅にいたところを、義理の息子の闇取引を疑って張り込んでいたアメリカ占領軍兵に誤射され、死亡した。

【参考】
「アントン・ウェーベルン その音楽を享受するために」(竹内豊治・編訳/法政大学出版局/一九八六)
「ヴェーベルン 西洋音楽史のプリズム」(岡部真一郎/春秋社/二〇〇四) ※2


Originally Uploaded on Jan. 23, 2017. 01:20:00
Photograph above is public domain.
二〇二一年四月五日、手直ししました。管理用



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posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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