2017年01月21日

Bela BartokーDie 6 Streich Quartette/HAGEN QUARTETT 元気が出る曲のことを書こう [13] .

 ヴィーン三人衆!

 忍者武芸帳じゃないですよ! 「新ヴィーン楽派」です。
 現代音楽の、もっとも重要な表現技法となる、無調性や十二音階をあやつって二十世紀音楽の嚆矢のひとつを放った──なんて書くとやはり忍者みたいだが、ヴィーン生まれで、ヴィーンで活動した前衛音楽家、アルノルト・シェーンベルク、アントン・ヴェーベルン、そしてアルバン・ベルクの、三人のことだ。後者ふたりは、大戦中アメリカに亡命したシェーンベルクの弟子である。
 その三人の音楽にヴィーンで出会うという、まるで筋書きどおりな経験をしたおかげで、すっかり心酔してしまった。

 シェーンベルクという名は、その作曲家が作った曲のごく一部とともに、いまから四〇年くらい前、デビューしたばかりのヴァン・ヘイレンというバンドを知ったのとほとんど同時に、学校の音楽の授業で知っていた。
 そして、シェーンベルクのほうは、音楽の授業に出てくる作曲家なんてつまらないに違いない、という決めつけとともに「ほ〜ら、こむずかしくて、わかりづらくて、うっとうしいだけの音楽じゃないか」と、耳をふさいだのだった。
 やい! そこの高校生! ヴァン・ヘイレンがシェーンベルクよりどんだけ偉いか、きちんと説明してみろ! と、当時のわたしを叱りたい気分にもなるが、「三人衆」のかたちでこの作曲家に再会するまでにそこから三〇年、二十一世紀になってからの話になってしまった。
 いまさら弁解するつもりはないし、どちらかといえばヴァン・ヘイレンを聴くがシェーンベルクもごくたまに聴く、という感じでいいと思っているが、かつてわたしが教わった中学高校の音楽教師たちが、もうすこし音楽という科目を魅力的に教える努力をしてくれていたら、と思いはする。もちろん、いまの学校音楽教育は、すっかり様変わりしているだろうけれど。

       

「ヴィーン三人衆」に出会ったのは、Haus der Musik 、「音楽の家」という、二十一世紀になってできたばかりの音楽博物館でのこと。
 あのころのヴィーンではなかなか新しかったと思う、体験型の音楽博物館で、行ったのは十年以上前のこと。デジタル技術が進んだ現在、よりさまざまにインタラクティブな展示を工夫しているらしい。
 ここに、国家的有名人といえる存在ではあるが、おそらくはオーストリアでも一般によく聴かれているとはいいがたい彼らの作品を、ヘッドホンブースで、かなりいろいろと試聴できる装置があった。

 いまもあるかどうか知らないのだが、観覧者がヴィーン・フィルを自分で指揮できるというヴァーチャルな展示──観覧者の指揮に合わせて、大型ディスプレイ上の実際のオーケストラの動画がさまざまな演奏をし、指揮がヘタクソだとオケが怒り出したりする、ゲーム的なアトラクション──などには、人気が集まっていたが、ここに来てわざわざ現代音楽を試聴しようという来館者は少ないようで、ブースはどれも空いていた。だから、試しに聴いてみたのだった。

 なんだこいつら! カッコいいじゃん!
 とくに弦楽四重奏だ。試聴コーナーですっかり聴きいり、つぎつぎと再生ボタンを押してしまった(試聴音源もやたらにあった)。
 爛熟と退廃が、貴族性を帯びて息づくさまを残す建物で、大きなヘッドホンをしてメモ帳をソソクサと出し、曲名などをメモしている日本人観光客のおっさんって、いかにも絵になってなかっただろうな。

       

 同じオーストリア、ザルツブルク出身の、すばらしい弦楽四重奏団がいる。
 ハーゲン・カルテットだ。やはりヴィーンで知ったといいたいが、それよりずっと前に、たしかロンドンで見たテレビ番組で知った。
 一九八一年デビューなので、ヴィーンの博物館で長時間「三人衆」を試聴していたときには、すでにプロ活動歴二十五年を越えていたが、いちばん年長のメンバーが十五、六歳のときデビューしたという怖ろしく達者な奏者たちなので、そのころは若くして円熟という、最高の時期ではなかったろうか。自分と同世代で、同時代の奏者であり、きわめて明瞭な、それこそ「カッコいい」演奏をするので、クラシックはあまり聴かないなかでも、このカルテットはとりわけ好きだった。

 ヴィーンの「音楽の家」で、大きなヘッドホンをして背中を丸めた姿で──ウエストポーチこそしてませんでしたが──カキカキとメモをしながら思ったわけだ。
 ハーゲン・カルテットの盤で、これらの曲を買い集めて聴けば、最高じゃないかと。
 ザルツブルグのハーゲンが弾くヴィーン三人衆って、聴かないうちからもう、カッコいい感じがした。
 ところが──。

 ない。
 当時は気づかなかっただけで、一曲も録音発売していなかったわけではないが、そもそもハーゲン・カルテットは、現代音楽はほとんど録音していなかった。
 それに、そもそもヴィーン三人衆は、弦楽四重奏曲はさほど作っていない。くわしくはないが、今昔をとわず、作曲が難しい演奏形式でもあるそうだ。数はけっこうあるように思えるヴェーベルンの場合も、それぞれの曲はとても短かったりする。

       

 ここから話がぜんぜん違ってしまい、エッセイになっていないのだが、それなら聴いたことのない作曲家の弦楽四重奏をということで、買ってみたのがハーゲン・カルテットのバルトーク弦楽四重奏全集だった。CD二枚組、六曲収録されている。

 バルトークの弦楽四重奏曲は、この盤でしか聴いたことがないので、演奏のよしあしについてはわからない。
 ハーゲン・カルテットは、ほかの盤も買っていて、日本公演にも行ったけれど、あれはベートーヴェンだったかライブを観たところ、盤を聴いて予想していたとおり、かなり「あおる」感じだった。メンバー同士の呼吸感も、弾きかたもそうで、その結果、聴いている自分にも高揚感があった。それはそれですごく「カッコよかった」。
 いま、上の写真の盤を回して、バルトークの弦楽四重奏曲一番を流しながら書いているが、やはり、というべきか、噛みついてくるような美しさがある。美しさに噛み殺されそう、と書くべきかもしれない。

 ところが、バルトークの曲をそんなふうに演奏することは、すくなくとも日本では、あまり評判がよくないらしい。
 バルトーク(バルトーク・ベーラ)の故郷はハンガリーなのだが、バルトークの作った音楽の持っている、ハンガリーの土着的あるいは民族的な音楽の響きを失わせるような弾きかたらしいのだ。かってに改造したバイクやクルマで「あおり」まくる、暴走族みたいな演奏ということだろうか。
 ほかの奏者が演奏するのを聴いたことがないから、よくわからない。
 ただし、バルトークの曲を聴くときは本当に「ご当地ハンガリー」を、奏者も表現し、聴き手もイメージしていないとダメだというのだったら、これ以上の話はハンガリーに行ってみてからにしたいとも思う。

 さて、この話はこれで終わりだが、作曲家のことも、曲のことも、ほとんど書いていないことに気がついた。
 バルトークのことは、クラシック音楽にくわしい、このブログのべつの筆者が、きちんとした文を書いているので、→ここをクリックしてどうぞ←。(ケ)

170122hg.jpg 
メンバーのうち三人(ジャケット写真左下の人以外)が、ハーゲン兄弟妹だ


Originally Uploaded on Jan. 23, 2017. 01:05:00
二〇二一年四月六日、手直ししました。管理用


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posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
(長文失礼!)
 たとえバルトークの音楽が20世紀を代表する音楽だとしても、世間一般にはそれほど聴かれている音楽ではないでしょうから、ネットやマスコミでの「評判」はほとんど何の意味もない(少なくとも統計的裏付けはない)と思われます。ハーゲン弦楽四重奏団の演奏が「バルトークらしくない」というのも「つぶやき」の域を出るものではないのでは? 
 それに、バルトークに限らず、いわゆる「お国もの」という考え方がいかにも眉唾ではないですか? そんなことを言い出したら、「ベートーヴェンはドイツ人でないとダメだ」とか「リヒャルト・シュトラウスはウィーン訛りを理解できないとダメだ」とか、挙げ句は「日本人には西洋音楽はダメだ」とか、アホらしいことになりかねない。事実、そういうアホな発言も耳にしたことはあるけれど、そんなことになれば、それこそ(西洋)音楽の普遍性を否定することになるわけで、一種の「トランプ現象」とさえ言えるのではないかしら。
 確かに、その文化圏に染みついた語法とか、ちょっとした癖とか、特に言語に特有の音節の切り方などがちょっとしたリズムやフレージングに影響するだろうことは素人にも容易に想像がつくけれど(小さい頃からワルツに親しんでいる人と、大人になってから音楽教室でワルツを勉強した人とでは、3拍子の感覚に微妙かつ決定的な違いはあるだろうし、ポーランドの舞曲を知らない人にとっては、ショパンのマズルカだってかなり難しい問題を孕んでいるだろうし、フラメンコにだって同じような問題はありそうだ)、粘っこい本場の3拍子にはそれに特有の面白さがあり、非ワルツ圏の演奏家が作る几帳面な、いくぶん機械的な3拍子にも、やはり特有の面白さがあるのではないか。少なくとも、バルトークの音楽をスタイリッシュに演奏しても、土の匂いがするかと思われるほどに木訥に演奏しても、どちらもそれが良い演奏なら、大いに楽しめるだろうと信じています。演奏って解釈の問題だから、一般的に言って、作品が偉大であれば、それだけ一層多様な解釈が生まれるわけで、そうした多種多様な解釈を受け入れられる作品こそが傑作と呼ばれるに相応しいとさえ言えます。それに、ハンガリーの大作曲家が「素朴な、土の匂いをプンプンとさせる音楽」を書いたとは、そう単純に信じられる話でもないし。ともかく、「バルトーク=ハンガリー=土俗・民族的」という考え方にはぼくも賛成できませんね。ちなみにぼくの「イチオシ」はアルバンベルク弦楽四重奏団です。この演奏が他の演奏に比べて本当に良いのかどうか、それは確言できませんが、彼らの演奏でバルトークを好きになったという理由で、ぼくにとってはこの演奏が「決定版」です。(でも、本当は他にも良い演奏は沢山あります。ジュリアードもいいし、ハンガリー弦楽四重奏団の演奏も好きです。)
Posted by H.H. at 2017年01月23日 21:37
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