2017年01月20日

Beethoven − String Quartet Op.132 in A minor 元気が出る曲のことを書こう [12] .

 ポピュラーミュージックのファンだけれどクラシックも聴くという場合、どれくらいの比率で聴く人が多いのだろう。
 持っている盤は、ポピュラー9割にクラシック1割といったところ。ただし、レッド・ツェッペリンであまり聴かない盤よりよほど何度も回した、クラシックの盤もある。
 とはいえ、いまはクラシック音楽を熱心に聴くことはあまりない。もともとライブ派で、音楽を聴くなら生演奏という思いもあり、クラシックの演奏会にもよく行った時期があったが、十五年以上前のことで、最近はすっかり行かなくなってしまった。といっても、ジャズやロックのライブにも行かなくなったが。
 生演奏を聴かなくなった理由は、機会があれば書くとして、9対1という「クラシック音楽はほとんど聴かない派」が、いっとき熱中して、いまもたまに聴きまくるクラシック音楽が、ふたつある。
 ひとつはピアノ独奏で、もうひとつが、いまから書く「弦楽四重奏」だ。

       ♪

 弦楽四重奏そのものは、学校の音楽の授業で鑑賞させられた経験があるから、ロックやジャズを聴き始めたころには、もう知っていたことになる。
 しかし、本格的なオーディオセットがうちになかった中高時代のわたしは、音楽室のステレオでクリームやディープ・パープルが聴けたらと、鑑賞の授業は半分居眠りしながら思うだけ。クラシックは退屈と決めつけていた。

 そのせいだけでもなかったろうが、弦楽四重奏を自分から聴くようになるまでには、ずいぶん間があく。すっかりおとなになってからの話だ。曲や作曲家に魅力を感じたのではなく、すごいと思った弦楽四重奏団との出会いがきっかけだった。それは、ハーゲン・カルテット(Hagen Quartett:1981〜)である。
 デビューから十年くらいしたころに知り、なんてカッコいい演奏なんだと感心した。ヨーロッパのテレビ番組でたまたま知ったが、とりたててヴィジュアル演出しているグループではないし、番組も地味なドキュメンタリーだったのに、どこかそっけないようだけれど、そのぶん徹底して磨き抜かれた感じのするシャープな演奏が、なおさらカッコよかった。来日公演にも行くようになり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を聴いて感動する自分に、われながら驚いたこともある。それをきっかけに、いろいろな四重奏団のCDを聴き、回数こそ多くなかったが演奏会にも行くようになった。しかし、ハーゲン・カルテット以上のグループはないように思われた。
 もちろん思い込みもある。クラシックおたくではないので、なにからなにまで聴いたわけでもない。ピアノ独奏のほうは、さまざまな奏者の演奏会にも行ったが、ほぼグレン・グールド一択で聴いていたので、ハーゲンだけ聴いていればいいや、と納得してもいた。

       ♪

 そんな1割クラシック(弦楽四重奏とピアノ)ファン≠フ前に、別格の四重奏団が現われた。
 現われたといっても、当時もう存在していなかったイタリア・カルテット(Quartetto Italiano 1945〜1980)だ。ハーゲンとは、ちょうど時代を受け継ぐ形での活動期間、ということになる。ハーゲンを活動開始十年後に初めて知り、イタリアーノは活動終了の十年以上後に初めて知ったわけだ。

 陰鬱で悲しいベートヴェンの曲たちが、なぜこんなに、ふくよかで明朗に、気持ちが上向くように、聴こえてくるのかと驚かされた。四つの楽器が奏でる長い音符はとくに、つらさに曇った視界を、柔らかい布できれいに拭きあげてくれるような、おだやかな心地よさなのだ。
 ハーゲンの場合、いまさら説明の要はないと思うが、悲しみを清冽に、きびしくするどく表現する弾きかたといっていい。だからこそ、ありきたりな表現だが浄化作用、カタルシスを感じたのだと思う。しかし、ひとたびイタリアーノの演奏を聴いたら、暗鬱な曲をこれほどまでに暖かく豊かに弾き、しかもけっして過剰に陰鬱さや情緒を強調せず、気持ちを鎮めてくれるところが、すっかり気にいってしまった。

 イタリアーノの演奏で最初に買ったのは、「後期弦楽四重奏集」の第2集。
 Op.131、Op.132、どちらも短調だが、曲の出だしの重苦しいことときたら、マジでメゲてしまう曲だ。
 そもそもベートーベンで「後期」ときたら、気分が落ち込んでいるとき聴くのはまずい。曲のどのあたりが危ないといって、短調で暗い気持ちをさんざん痛めつけられた後に、長調がタリラリラ〜ンのコニャニャチワみたいに出てくるときだ。苦悩の人ベートーヴェン自身ならずとも、死んでしまいたくなる。
 しかしイタリアーノの演奏では、聴いている気持ちがそういうパターンにはまらないから不思議だ。すばらしく密度が濃い演奏であることはまちがいないのに、なぜか深刻ぶったところがない。

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Op.132は1967年8月、スイスで録音
写真は1996年のPHILLIPS版2枚組

 イタリアの楽団だから陽気な弾きかたになるんだとか、曲に含まれたカトリック的救済を巧まず表現できる、ということではないと思う。しかし、どんなに沈鬱なところも、メンバーが微笑しあって弾いているかのように聴こえる。
 同時に、メンバーはべつに仲がいい友人というわけではなく、ぱっと集まって弾いたらこうなった、とでもいうような「さばけた」感じもする。じつはそこは、ハーゲンが自分たちは仲良し兄妹ですと表現するような演奏をしていない──演奏公演もそんな感じだった──のと共通している。この多面性は、どれが正解かということではなく、どれもが正しい聴こえかたなのだろう。

       ♪

 イタリアーノの演奏で、op.132の第三楽章を聴いてみよう。
 ここで曲が昇天していってしまうかのような、浮いた聴こえかたをするので、とりわけ不思議な部分だ。
 聴きながら書いていて、いまごろ知ったが、この楽章には「Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart」という題がつけられている。「病癒えし者より神的なるものへの聖らかな感謝」とでも訳そうか。
 ベートーベンは病気でこの曲を作るのを中断していて、治って再開したとき、この楽章をつけ足したのだそうだ。「in der lydischen Tonart」とは、教会旋法を使うという意味だ。

 ならば、この楽章が、教会そのものをイメージさせるように神々しく荘厳に弾かれているかというと、ちょっと違う。
 小さい者たちの、それぞれに小さいけれど切実な祈り、という感じに聴こえる。教会にひょいと入ってきて、遠くの聖壇に向かって急いでお祈りし──その瞬間とても強く願って──そそくさと出ていく人たちの姿が、思い浮かぶ。
 といっても、教会旋法というからには、とにかく教会をイメージして聴かなければならないわけでもない、と思うようになった。
 なまかじりのジャズの延長で書いているから間違っているかもしれないけれど「lydischen Tonart」は「リディアン・モード」のことだといえば、ジャズ好きの人なら納得でしょう。ジャズでリディアン・スケールといったら、キリスト教の音楽でこう使うものだからとは考えない。ふつうの長音階とほぼ同じだけど全半音の並びが一か所ずれた音階にすぎない。特徴的な浮遊感がある音階なので、こういうコード、このような展開で弾くというようにとらえる。結果として、教会ふうというより地中海的というのか、ふしぎな漂い感を印象づける音階だ。

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 神がかりなところのまったくない、神的でなく人的な音楽を聴かせる、それがイタリアーノの演奏である。弾き終わったらすぐ、エスプレッソにする、それともワイン1杯頼む、とでもいい出しそうな感じだ。
 じゅうぶんに研究し尽くしたように思える芳醇で深い響きと、ふっとその場で合わせてみたかのような明朗な気楽さが不思議に合体している。スタジオでもホールでも、誰かメンバーの家の台所で弾いても、まったく同じ音楽になるかのように。
 彼らの演奏を、芸術的でなく職人的だ、といっているのではかならずしもないし。職人的な演奏者がいい、という話をしようとしているのでもない。
 が、もしここであえて「イタリアだから」というフレーズを持ち出すなら、イタリアでは職人すなわち芸術家だというあの、パオロ&ヴィットリオ・タヴィアーニ監督の映画『グッドモーニング・バビロン!』の一場面を思い出す。

 These hands have restored the cathedrals of Pisa, Lucca and Florence!
 Whose son are you...
 We are the sons of the sons of the sons of Michelangelo and Leonardo!
   
  この手はな、ピサやルッカ、フィレンツェの聖堂を修復してきた手だぞ!
  お前らが、誰の子孫だってんだ…。
  俺たちはな、ミケランジェロやダヴィンチの、息子の息子の、そのまた息子なんだぞ!

 
       ♪

 すっかり気に入ってしまったイタリア・カルテットだが、さして集めたわけではない。「後期弦楽四重奏集」の第1集のほうも、ほどなく買って、こちらはどの曲も長調なので、どう聴こえるのだろうと思ったが、op.130の第一楽章でやっぱりブッ飛ばされ、それ以上あれこれ持っていなくてもいいやと思い、あまり買っていない。このカルテットの来歴も、メンバーのプロフィールも、ほとんど知らない。

 この2セット4枚に出会って十数年、いや二十年になるか、このカルテットの演奏で、やはり気持ちを元気づけてくれる曲を知ることになった。その話は、またいつか。→こちらにあります←
(ケ)


Originally Uploaded on Jan. 23, 2017. 00:50:00
Member photo is public domain.
二〇二一年四月五日、手直ししました。管理用



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posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 クラシック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
イタリア・カルテット、確かに深みがあるのに軽やかで乾いているというか、演奏者によってこんなに違うものかと驚きました。バイオリンのElisa Pegreffi はちょうど一年前に亡くなったんですね。私もベートーベンの弦楽四重奏を聞いて「感動」をした経験がありいまはラズモフスキー第二番をよく聞いているのですが、特に第二楽章はそっと心に寄り添ってくれるような優しさがあり暖かい気持ちになります。
Posted by cou at 2017年01月23日 22:46
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