2017年01月09日

記事が500件になりました

2017年1月7日の文で、このブログの記事が500件になりました。

 12年前の4月末、当時、巨人の四番打者だった清原和博は、広島戦で通算500号本塁打を打った。
 歴代8人目で、清原の後には、まだ500号達成者はいない。
 清原の通算本塁打525本を総打席数からの打率、つまり打数でなく、バッターボックスに立ったときホームランを打つ率でみると、王貞治についで2位。サヨナラ、勝ち越し弾、逆転ホームランなど、本塁打によるチーム貢献度は、落合博満をしのいでトップだ。

 その清原にさきごろ、「人生には代打もリリーフもない。自分でやるしかない。現役時代、数々のホームランを打ってきた男ですから、自分の人生でも、きれいな放物線を描く逆転満塁ホームランを打ってもらいたい」というメッセージを発したのは、「KKコンビ」で有名な、元巨人投手の桑田真澄。1985年、高校3年の夏の甲子園で、いっしょにサヨナラ優勝をつかんだ盟友の言葉だった。
 執行猶予の有罪判決を受けたのち、テレビに涙まじりの反省出演をした清原の姿とともに、一編の美談ふうに、薬物問題をめぐる騒ぎはいったんおさまったようだ。

 その1985年の、宇部商業ーPL学園の決勝戦。
 わたしはそのとき甲子園球場にいた。
 が、球場で見ていたはずの、試合展開の具体的なシーンは、まったく思い出せない。
 清原は、その試合でも2本の同点ホームランを打っていて、試合後の「ヒーローインタビュー」で「今年はなにがなんでも桑田を助けようと思いました」と話した。これは、前年の決勝で取手二高に敗れていたからだが、あざといテレビ向けの仕込みが入ったインタビューにもかかわらず、しかも、その大会で本塁打5本、打率6割以上を打っていってなお、友だちを助けたかったと、泣かせることをいったのだ。

 プロ野球選手になって、尊敬する王貞治が監督する巨人に入りたいと公言していた清原は、巨人から指名されず、他の複数球団の1位指名による抽選の結果、西武へ。
 早稲田大学進学を表明し、推薦入試を受ける予定だった桑田は、想定外の単独1位指名で巨人へ入団した。

 そのドラフト会議までに、どのような駆け引きがあったかは、現在でも完全には明らかにされていない。
 ただし、事情に通じた関係者らが後に明かした周辺的な出来事から、ふたつのことが、ほぼ明らかだ。
 ひとつは、大学に行くといった桑田は、夏の甲子園から11月末の推薦入試まで、プロ関係者を遠ざけて受験準備に明け暮れていたのではなく、さまざまな関係者と会っていたことは間違いない。桑田は、いわゆる「裏金」はいっさい受け取っていないと後々まで明言しているが、関係者が設けた席に出たこともないかどうかは不明だ。
 もうひとつは、いっぽうの清原は、王や桑田がドラフトであのような行動に出るとは──直接に王や桑田がしたことではないという説明も成り立つが──ドラフト当日までまったく知らず、ひどく傷つけられたということだ。

 いくら「超高校級」だったとはいえ、当時はふたりとも、あくまで高校生である。
 KKコンビはプロ入り後、おそらくは世間知らずも多かれ少なかれあったのだろうが、どちらもがさまざまなトラブルに見舞われた。しかし三十年後のいま、ふたりの社会的立場は、あまりに大きく違ってしまっている。
 それは、かならずしも人格や態度の違いによるものではないだろう。ひらたくいえば、ケツを持ったのが、桑田の場合はマスコミから政財界ほかにまで通じた巨人であり、清原は、西鉄時代にさかのぼれば球団史こそ古いが自身の入団当時は新興球団だった西武だったという、その違いだけではなかろうか。つまり、選手の身辺保護面での組織の強弱の違いで、桑田は球界のインテリ紳士になれ、清原は球界悪童のまま社会的立場まで失うに至った、ということだ。
 というのも、清原も巨人に移籍し所属できたわけだが、ドラフトのときの思いを晴らすことはできたのかどうか。清原和博という人を、巨人の四番でイメージする野球ファンは、多くないだろう。巨人時代の清原は、どこか「継子扱い」であり、それがだんだん露骨になっていった気さえする。
 むろん、清原の態度にもおおいに問題があったと思うが、清原が危ない橋を渡っているとき巨人は見て見ぬふりをしていたに違いない。それは、同じ四番打者でも、原辰徳がはまったトラブルに対する、球団の手厚すぎる配慮と比べれば、はっきりしている。

 清原を意思の弱い強がりだと、けなしはしない。かといって桑田を、偽善者だと糾弾するつもりもない。
 プロ野球選手になることも一般企業に就職採用されるのと同じだと考えれば、意中の球団に入団できるかどうかは、あくまで球団の都合だ、という考えかたもありうる。
 しかし、同じように抜きん出た能力を備えた若者だった、ふたりの高校生のその後を、あまりにも大きく分かってしまった責任は、彼らのみにあるのではないことは、明白だ。
 では、誰の責任なのか。それは高校野球そのものにあると思う。高校野球という青少年スポーツのありようのせいなのだ。

 よく知られているとおり、このふたりのみならず数々のプロ選手を輩出したPL学園の野球部も、去年で実質廃部になっている。高校野球というものが、いかに歪んでいるかを象徴するような不祥事、それも長年の累積の上に明らかになったに違いない問題のせいだ。
 全国高等学校野球選手権大会は、ことしが99回め。来年は100回だ。もうじゅうぶんやったと思う。ちょうどいい区切りだ、これで終了ということにして、いいのではなかろうか。(ケ)

【参考】
 日本野球機構(NPB)のデータサイト npb.jp/bis/history/ltb_hr.html
「スポーツ報知」 桑田の発言はこちらから引用。
「日刊スポーツ」 nikkansports.com
「アサ芸プラス」 www.asagei.com/excerpt/27569
「日刊SPA!」 nikkan-spa.jp/1066296
「日刊ゲンダイDIGITAL」 www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/160362/4
 など

※ちなみに、崇拝といっていいほどの尊敬の念を抱いていた高校生の清原に、ひどい甘言を弄した結果になった王貞治は、500号本塁打を、やはり広島戦で打っている(1972年6月)。

Originally Uploaded on Jan. 10, 2017. 22:50:00
二〇二一年四月一日、手直ししました。文脈は同じです。管理用

posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ紹介・お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック