2016年12月01日

『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』はシリーズ最高傑作か?

「男はつらいよ」シリーズにハマっていたのは高校生のとき。地方都市の小劇場で山田洋次特集が組まれていて、三本立て上映会に毎週通った。なぜ山田洋次だったかと言えば、その頃松竹系映画館で封切られたのが『幸福の黄色いハンカチ』だったからで、キネ旬の第一位を獲得した話題の映画に高校生の私はノックアウトされたのだった。

今では外国映画とは文字通り日本以外の世界各国で製作された映画のことを指すが、当時の外国映画は「洋画」のことであって、すなわち西洋=欧米の映画が外国映画のすべてだった。TVのゴールデンタイムには週のうち三日、洋画専門番組が組まれていて、多くの作品に玉石混淆のまま接することになった。TVっ子だった私は、そんな番組を毎日のように見てイッパシの映画通になったつもりでいた。
もちろん日本映画を全く見なかったわけではない。土曜日の午後、地方都市のTV局は藤山寛美の喜劇中継の後によく日本映画の旧作をかけた。『地球防衛軍』などゴジラ以外の特撮ものや「社長シリーズ」はそんな時間に徒然に見ることが多かった。しかし、「洋画好き」を気取っていたバカな子どもにとって、日本映画とは「カラーの発色が悪い三流映画」にしか映らなかった。「こんな日本映画を見るなら、木曜日の夜にやってる『快刀乱麻』(※1)のほうがよっぽど面白いし画面もキレイだな」と独りごちていた。なんともイヤな子どもである。
突如日本映画好きに転向したのは高校一年のときのこと。東宝で『天国と地獄』がリバイバルでかかり、松竹で『幸福の黄色いハンカチ』が公開された。この二本を連続して見に行って日本映画に対する認識は根本から覆された。映画の面白さという点では『天国と地獄』は圧倒的であったが、シンプルに感情に訴えてくる『幸福の黄色いハンカチ』は、薄っぺらい洋画好きの気取りを一気に払いのけてしまった。映画館であんなに泣いたのは初めての経験だった。それはキャメラがとかカットのつなぎがとか音楽の入れ方がとか、洋画好きがにわか仕込みで得た映画作法の技術論などが全く及ばない世界だった。ただただひたすら泣ける。こんな映画もあるんだ、という驚き。いや、それは驚きでも何でもなかったのだ。こうした映画こそが一億人が等しく年に三回映画を見に行った時代の中心にあったことを、そのときはじめて気づいたのであった。

で、話はやっと山田洋次特集に戻るわけだが、小劇場で上映された山田洋次の他の映画でも大いに泣いた。特に『家族』(※2)はまさに「涙で画面が見えません」状態。あんな一生懸命生きている家族をなんでこんな残酷な目に合わせるんだよお、とスクリーンに向かって怒りたくなる始末だった。だから、今でも映画館で泣いているおばさんたち(わたしもオジサンなんですが)がいると実感として共鳴してしまう。それくらいに映画の見方を変えるインパクトを、山田洋次監督作品は持っていたのである。
その流れで自然に見ることになったのが「男はつらいよ」シリーズ。大原麗子がマドンナ役を演った第二十二作『噂の寅次郎』は封切り時に劇場で見ているから、小劇場では第一作から二十作くらいまでを一気に上映したはずだ。
そこで寅さんにハマってしまったのだ。そのハマり方はワンパターン中毒と言い換えることも出来る。つまり、同じ舞台設定、同じ登場人物、同じ物語展開に馴染んでしまい、そのパターンに身を置かないと落ち着かなくなるといった「寅さんアディクト」状態であった。
実際にどの作品も映画の冒頭は寅さんの夢から始まる。タイトルバックは葛飾柴又の風景で、おいちゃん、おばちゃん、さくらと博はいつも通り「とらや」にいて、隣のタコ社長がお茶を飲みにやって来ている。旅から戻った寅さんがマドンナと出会い、いい雰囲気になるが、誤解が元でまた旅に出る。旅先でマドンナと再会し、一緒に柴又に戻ってくるものの、マドンナの事情が解決し夫やら彼氏やらと復縁する。ひとりまた旅先でテキ屋稼業を始める寅さんが遠景になって「終」のクレジットが出る。
間違いなく、このワンパターンが繰り返されるのだが、そこには「寅さん黄金律」とも言うべき絶妙なバランスの映画的魅力が満ち溢れている。

その魅力の潮位が最高点に達したのが『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』だ。シリーズ開始六年目のお盆に公開された第十五作で、マドンナは浅丘ルリ子演ずるリリー。二年前の十一作『寅次郎忘れな草』に続き、シリーズで初めて二度目のマドンナとして再登場したのがリリーだった。
本作だけはワンパターンを少し外していて、映画の冒頭、寅さんは旅先にいる。会社員の日常から逃げ出した「パパ」こと兵頭という男と日銭任せに函館の屋台で呑んでいるところでリリーと再会、三人旅が始まる。
パパの初恋の人との再会やリリーとの喧嘩別れがあって、舞台は葛飾柴又へ。そこで寅さんとリリーの、本気度の高い交流が描かれた後、でもやっぱり最後には別れがあって、寅さんはまた旅に出る、というあらすじだ。
『相合い傘』がシリーズ最高傑作である理由をひとことでまとめるなら、それは「俳優が体現する人物の存在感」に尽きる。これがもう最高最大に面白いのだ。俳優がいいのか、人物設定なのか。台詞がいいのか、喋り方なのか。演技が冴えたのか、演出が見事なのか。たぶん、それらをひっくるめてすべてが沸点に達したのが『相合い傘』なのだった。
役の存在感だけの話であれば、シリーズ全作が同じ登場人物で構成され、ほとんど同じ俳優が演じているのだから、作品によって甲乙つくことはないはず。その中で『相合い傘』が特別に輝いて見えるのは、大前提としてまず脚本の出来の良さがある。前半は寅さんとパパの放浪記。中盤以降は寅さんとリリーの恋物語。メリハリの効いたエピソードがテンポよく並ぶので、あっという間に時間が過ぎる。
さらにキャスティングがいい。パパ役は船越英二。品があるのに脱力している。テノールの声質が人柄の柔和さを表す。宿賃がなく駅のベンチで一晩過ごすのにわざわざパジャマに着替えるというキャラクターは、船越英二にドンピシャである。
そして、浅丘ルリ子。リリー初登場の『忘れな草』は高校のときに見たきりなのでどんなだったか全然思い出せないが、日活アクションもので見慣れている浅丘ルリ子とは正反対のドサ回りの歌手役。その設定は山田洋次とのやりとりの中で生まれたものらしい。

最初山田洋次監督から打診されたのは北海道の農場で働く未亡人役。けなげに耐える女性。毎日搾乳し、牧草を刈り、牛舎を掃除しながらせっせと汗水垂らして働く。
「でも、私にうまくその役が演じられるかしら?」
力仕事などとても似合いそうもない自分の細い腕を見せながら、山田監督に疑問を直接ぶつけてみた。山田監督はブレスレットや指輪がキラキラと光る私の手を黙って見つめていた。そして、ひらめいたのがリリー松岡だった。(※3)


「芸能生活でリリーと出会えたのは最もうれしかったことのひとつ」という浅丘ルリ子自身の言葉通り、男勝りで自己主張する女を演ずる浅丘ルリ子は、日活時代とは全く違った引力を持っている。寅さんとパパと安宿の相部屋でザコ寝するのも、日活の浅丘ルリ子なら考えられもしないが、リリーとしての浅丘ルリ子ならごく自然にあり得るのだ。
こうしたリリー役の成り立ち方を見ると『相合傘』が最高傑作となり得たのは、俳優を適役にマッチングさせた山田洋次のプロデュース能力の賜物だったのではなかろうか。
映画的な演出はともかくとして、俳優たちにその真価を最大限発揮出来る役を与え、そこに自然と魂が吹き込まれるように撮影現場の環境を整える。あとは、その最高のパフォーマンスを邪魔せずにフィルムに収めるだけ。そうした現場の積み重ねの上に『相合い傘』は成り立っている。だからニタニタしながら、ときに大笑いし、やがては涙せずにはいられなくなる人情喜劇に観客は浸りこむのである。

その代表例かつ稀代の名場面が、「金があったらリリーに舞台をプレゼントしてやりてえなあ」と寅さんが話を始めるところ。この渥美清が凄まじい。こんなのありなのか!と思うほど、画面に引っ張り込まれる。
幕が開いて、リリーが現れ、唄を歌う。その場にはいないリリーの架空の舞台を寅さんがひとり語りで描き出す。そのリリーと観客の姿が、寅さんの口から紡ぎ出される台詞だけで、映像のように浮かび上がってくる。そんな寅さんの話を聞き込んでしまう「とらや」の人たち。そして「いい話だナ」とつぶやく博。「リリーさんに聞かせてやりたいねえ」というおばちゃんの暖かな反応。渥美清と「とらや」メンバーたちの見事なアンサンブルだ。
映画というメディアがあって、本当に良かったと思う。芝居ならそのとき劇場に足を運んだ人しか見られなかったはず。TV番組だってアーカイブとして残してはくれなかっただろう。映画だからこそ、フィルムとして現存していて、今でも作品を見ることが出来る。この場面の渥美清は、台詞も声も身振りも立ち方も間の取り方もすべてが完璧で非の打ち所がない。カット割りや照明は、たぶん付随的なものなのだろうが、渥美清を邪魔していないというだけでも価値がある。そして、この名場面は寅さんとリリーと「とらや」の人たちの、ここに至る物語があって、その上に成り立っているものなのだ。だから、YouTubeでこの部分だけを見られたとしても、決して見てはいけない。ぜひとも『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』全編を通して、その中の一場面として見てほしい。わずか九十二分の尺しかないので、大して時間は取られない。日本映画が遺した至宝のひとつである。
と、見ている瞬間に圧縮した感想を持ったので、映画を見た後で『相合い傘』についてネットで調べてみると、やはりこの場面は極めて有名らしく、「寅さんのアリア」という別名まで付けられていた。ああ、そうか、まさにアリアだ。でも、わざわざアリアと西洋化して呼ぶことはない。文楽の太夫の語りにも近いし、歌舞伎の名調子にも似ている。それを映画でやってしまったところが渥美清の凄さだ。そして、それは詰まるところ、山田洋次がプロデュースした「男はつらいよ」からこぼれ落ちた宝物なのである。

このほかにも、これまた有名なメロン事件など『相合い傘』を構成する名場面はたくさんあるが、きりがないのでこれ以上はやめておこう。ただ、加えておきたいのは画面に映っている全員がきちんと芝居をしていること。メロンを切ったおばちゃんと食べたおいちゃんやさくらや博。メロンについてその全員が当事者で、それぞれの気持ちの揺れがはっきりと画面から伝わってくる。たぶん撮影現場は、ひとつの「世界」で統一されていたのだろう。俳優が例外なく登場人物になりきっているので、メロンを食べた食べないの日常些事が寅さんとリリーの言い争いに発展する、その流れを自然に受け止められる。
こうした場面を振り返ってみると、映画監督山田洋次は映像作家ではなかったのかも知れない。彼の資質は細部まで手を抜かない撮影現場の管理運営能力にあり、俳優たちの持ち味を発見し極限まで引き出す人材活性型の映画監督だったと言えるだろう。

最後に、倍賞千恵子について付言しておきたい。マドンナ役の女優が誰だろうが「男はつらいよ」シリーズはさくらの存在なくしては語れない。そして、倍賞千恵子以外のさくらなど全く想像出来ない。松竹で映画シリーズになる前の、一番最初のTV放映時には渥美清の寅さんに長山藍子のさくらの組み合わせだった。だから倍賞千恵子はオリジナルキャストではないわけだが、芯の強さとふるさとのような郷愁と清貧な暮らしぶりと拒絶感ゼロの包容力は、倍賞千恵子にしか表現出来ないものだと思う。
そして、さくらを見るたびに思い出すのは『下町の太陽』(※4)のヒロインを演じた倍賞千恵子だ。下町の工場に勤める倍賞千恵子が勝呂誉演じる恋人と一緒に夜空を眺める。

「あ、流れ星」
「どうしてわかる?」
「だって音がするもの」
「何て?」
「ルルルーって」


何歳になろうとも、倍賞千恵子のイメージは「ルルルー」だ。他のどの女優にも絶対に言えない「ルルルー」。「ルルルー」の倍賞千恵子だからこそ、さくらを演じられたのだ。
ちなみにこの場面。倍賞千恵子は「ルルルー」で数え切れないほどのダメ出しを山田洋次から食らったらしい。倍賞千恵子にしか言えない「ルルルー」を、自分の気に入った「ルルルー」として表現させる。それこそが山田洋次の真骨頂だったのではないだろうか。(き)


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(※1)『快刀乱麻』は1973年10月から半年間、TBSで放映された連続ドラマ。坂口安吾の『安吾捕物帖』を原作とした推理もので、明治時代が舞台。視聴率が上がらなかったため途中から『新十郎捕物帖』というサブタイトルがつくようになった。残念ながらVTRテープは残されておらず、主題歌「少女ひとり」のみYouTubeで聴くことが出来る。

(※2)『家族』は1970年公開の松竹映画。九州の炭鉱で働く一家が北海道へ移住する過程を描いたロードムービー。旅の途中で一家が大阪万博を見物する場面が出てくる。

(※3)日本経済新聞2015年7月21日「私の履歴書」より引用。

(※4)『下町の太陽』は1963年公開の松竹映画。倍賞千恵子が歌って大ヒットした同名の歌の映画化作品で、山田洋次は監督第二作で倍賞千恵子と出会った。



posted by 冬の夢 at 00:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 邦画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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