2016年09月06日

会下山遺跡─弥生時代のなぞと蛙岩

 全国のカエルファンの皆さん、こんにちは!
 ひさしぶりに、カエルになぞらえられた小自然を訪ねることにした。

 蛙岩(神戸市・東灘区)!

 といってもブッチャケ、山中にある、カエルの形に見える岩、でしかないわけで、苦労して行くほどのこともないが、まあいいじゃないか、隣町にあるんだから。それに今回は源平の故事神戸空襲の話もない。すさまじい数の命が失われた場所へ行くのではないから、気持ちが楽だ。
 神戸の中心市街は、北の六甲山と南の大阪湾(瀬戸内海)にはさまれて出来た、東西に長いサンドイッチ。海側へ眺望が開けるのを楽しみつつ気軽に山を歩けるのがいい。前に神戸市内で見つけたべつの蛙岩(兵庫区・鵯越墓園)同様、山中といっても宅地からすぐ行ける。
 ただ──蒸し返す気はないが──無差別爆撃はこの地形にこそ有効と空襲目標にされ、神戸空襲は東京大空襲の練習でもあったというのが悲しい。当時の神戸市民には、山や海が近いからいざとなれば逃げ込めるという考えもあったという※1が、米軍の見かたは逆で、春の強風期に焼夷弾を落とせば山と海に退路を断たれた人と街を容易に殲滅できると踏んでいた。

       *

 気をとり直し、阪急電鉄・芦屋川駅へ。住宅街を北西へ上り、登山口を探す。
 地図では近いが、わかりにくい。夏なみの陽ざしで暑い平日の日中、人影のない急坂の高級住宅街を迷いながら上がるのは気がひける。
 そういえば阪神地域から六甲山への上り下りでつらいのは、山中より、豪邸が並ぶ坂の住宅街を歩くときだ。なぜだろうな。

 芦屋川駅からの細かい経路は略。とにかく芦屋聖園(霊園でないほう)をめざせばいい。いけね、斎場とは。また死者の地ではないか。
 気をとり直し、斎場の門に向い右手の墓地のはずれ、門の手前右の路地を見ると、「会下山(えげのやま)遺跡コース入口」がすぐある。ここだ。ゲート柵を自分で開け、入ったら必ず閉め、掛け金をする。イノシシが宅地に出るのを防ぐそうだ。
 え” ! てことは山中にはイノちゃん、ってことですか!

 みたび、気をとり直し、山道を登り出す。十分ほどで会下山遺跡に到着。そう、芦屋川駅からの経路を選んだのは、これを通ると知ったからだ。
 もっとも、何の遺跡かも調べずに行っていて、文字通りモノ見遊山。なんと現在も議論が続くナゾをひめた弥生時代中後期の集落跡で、国指定史跡とは帰宅まで知らなかった。ごく最近、発掘六〇年記念シンポジウムが芦屋市内で※2開かれもした。勉強不足だ。

160907k1.JPG 160907k2.JPG 160907k3.JPG
住居跡に、高床倉庫(わたしは遺跡や史跡にこういうものは置かないほうがよい派)
遺跡最上部の祭祀場跡からは平地一望。ゆえに見張り城ではないかという説がある。
発見されたのは一九五六年。遺跡のすぐ下の芦屋市立山手中学校の生徒が、土器片を多数見つけたのがきっかけ。
二〇〇七年度の調査で、山頂に集落の端を示す溝が見つかり、集落は斜面にもっと広く存在していたと考えられている。
画像をクリックするとすこし拡大 不許複製

 弥生時代とは稲作時代でもあるから、集落は平地にできた。しかし弥生中後期、とくに近畿関西周辺のみに、この会下山のような「高地性集落」が存在するのだそうだ。会下山遺跡はさほど広くないが、十六戸の竪穴式住居跡や、倉庫、ごみ捨て場の跡のほか、祭祀場跡、それに土器などの道具も見つかっている。一定期間以上の定住生活をしていたことになる。
 ナゾとは、せっかく耕作と備蓄が可能になり、水の利が大きく交換交易にも楽な平地や台地に定住できるようになったのに、なぜ山の中にわざわざ集落を作ったのか、ということ。そもそもここってなに? というナゾなのだ。
 わたしごときが、にわか知識で「定説は」などというのは危ないので、興味のあるむきはぜひお調べ願いたいが、当時の日本は戦乱期だったとされるので、山のアジトあるいはウォッチタワーみたいな場所だったのではという説、これが有力だったようだ。
 しかし、さまざまな領域で進んだ弥生時代研究により、それを結論とするわけにもいかないようだ。
 これまた知らなかったが、炭素年代測定法による研究で、弥生時代の開始期を五百年も繰り上げるべきだという説が十年前に出ている(弥生時代の終わりは従来どおり)という※3。これが科学的に確実なら、史書に書かれた「戦乱」の時代に結びつけて軍事集落とすることは簡単でなくなってしまう。科学といえば現代では、古代埋葬体のDNAや骨相が調べられるようになり、縁戚関係など新しい局面も探れるらしい。今後どういう説が出て来るのか楽しみになってきた。

 ただ……素人の横ヤリだが、ちらほら調べているだけでも、考古学業界って、どうもヤヤコしいなという感じもする。
 オタクが多いというなら、それはまったくかまわない。閉鎖性というか陰湿さというか、いやな空気感があるのだ。そうでない研究者には申し訳ないけれど。他人の説を面白がりましょうよ、っつ〜か、楽しく意見交換しようよ、というか……。
 弥生時代まで下ると遺跡・遺構に妙なコトはまったく出来ないらしいが、旧石器時代となると「ゴッドハンド」ってのもいたしね。あれの最大の問題は、ゴッドハンド本人もさることながら、それが勝ち馬となったら検証せず検討も許さなかった業界の閉鎖性と陰湿度にあったわけでしょう。六〇数万年も教科書をタイムワープさせるはめになった陰湿くんたちは、どんな顔をしたのだろう、あのとき。

 素人の雑言はやめよう。そのかわり妄言ついでに妄説。
 山端からわずか十分、芦屋川ぞいの市街からも三十分ほどで歩けた実感からすると、弥生時代の人なら行き来は「へ」でもなく、平地の穀物や海の幸も運べたのでは。遺跡に立っていると大きなドングリがポトポト音を立てて落ちてくる。木の実や果実など山の幸も豊富だったろう。狩りもできる。また祭祀場跡とされた場所へ行ってみると、すばらしく見晴らしのいい場所だ。
 ってことは会下遺跡、キャンプサイトとかレクリエーション施設のように思えたんだが……すいませんイベント業者みたいなことをいって。
 お墓の跡も見つかっているので、この説はダメか。いくら耕作と備蓄の時代になったからって、泊りがけで山へ遊びに行く余裕はなかったろうな、弥生人には。

       *

 遺跡の話が長くなりました。ここから一路、蛙岩へ。
 約三〇分から四〇分の登りで、ときどき急登。本道が細く脇道が多いが、道はくっきりついているので迷わない。

 はい! 出ました! イノシシ1号!
 数メートル先の曲がり角からいきなり出てきた!
 写真や動画は撮れず。カメラをオンにして構えて歩かないと無理だ。荷物をゴソゴソしてカメラを出すのは、食べものを持っていると間違われて危ない。餌になるドングリだらけだけどね、山道は……。
 ドタドタと脅したらたちまち逃げたが、大声を出したりして刺激してはいけないようだ。
 それを知らなくて「ホーイホイ!」とたまに叫びながら登ることに。小林旭かよ! 何度目かの「ホーイホイ!」で、ヤブを鳴らして逃げる音。これは、さっきの1号かもしれないな。

 汗みずくで疲れきったころ、こんどはいきなり蛙岩!
 大きい! おとなの背丈より高い。
 カエルだ! これはカエルです!

160907k5.JPG 160907k6.JPG 160907k7.JPG
蛙岩! 画像をクリックするとすこし拡大 不許複製

 あまりカエルには見えないという情報もあったけれど、カエルと見るか見ないかはセンスですよ! と強引にコジツケつつ写真を撮る。鵯越の蛙岩は熱心に見すぎて写真をあまり撮らなかったので、いい角度を探して撮る。おかげで、じっくり見たり、なで回したりするのを忘れた。なにごとも写真を撮ると、そのことで体験が完結してしまう。いい古されたことを、いまさら痛感する。

 六甲山へ行くのは、晩秋から早春──雪期はのぞく──だけなので、苦手な季節のいまは早々に下りようと甲南山手駅への下り道へ入る。
 これが失敗で、渓流沿いの道はひどくぬかるみ、すべって危ない。通る人が少ないらしくクモの巣がひどい。
 樹木ごしの光に照らされた巣の美しさは幻夢のようで一見の価値があるけれど、クモが苦手な人──わたしもかなり苦手──には、この時期は薦められない経路かも。道もとてもわかりにくく、危ないなと思うものの宅地が近いのを頼みに、流れに沿って強引に下る。

160907k8.JPG
魚屋道 画像をクリックするとすこし拡大 不許複製

 この道は「魚屋(ととや)道」と俗称されるルートのごく一部。明治以降そう呼ばれるようになったと聞く。北の有馬と南の灘を結んで六甲山を南北に越える道で、名の通り、下りていくわたしとは逆に上って南から魚を、有馬の湯治客に運んだそうだ。
 こ、こんな道を魚を背負って上れたのかと、にわかには信じがたいが、だとしたら弥生時代の人なら、平地の本集落(仮説)から山の別荘地(仮説)までなど、上で食べるごちそうやパーティグッズを持って、ひと歩きだったに違いない(仮説)。

 はい! 「ホーイホイ!」を忘れていたらイノシシ2号!
 2号は、わたしの姿を見ただけで尾根伝いに逃げていった。心なしか1号も2号も、住宅街で出くわす奴らより小ぶりで、色が明るくキレイな気がした。
 
 さいわい致命的な道間違いはせず、休憩も合わせ蛙岩から四〇分ないし五〇分ほどで宅地に到着。魚屋道南端は、甲南山手駅か六甲道駅に通じる「森北町どんぐりバス」の「昭内橋」バス停至近。つまり魚屋道を上るなら、ここまで各駅からバスで来られるわけだ。
 わたしはバスには乗らず、もうひと息、歩いて阪急電鉄・岡本駅へ。わずか二時間ほどの行程──暑い季節に上りもやるなら、わたしにはこれが限度──だったから、まだ昼過ぎ。おしゃれな地域として知られる駅周辺で、食事できる美味しいパン店がないかなと思って。

 駅に着いて気づいた。
 街着だし、渓流わきを下った割には汚れていないし、そもそも散歩程度の山歩きに過ぎないから、お店ランチをと思ったが、汗はひどく、なによりクモや虫くんが、どこかにくっついていないとも限らない。店探しはやめ、はやばやと帰途に。(ケ)


※1「神戸空襲体験記<総集編>」一九七五年 野坂昭如が、所収の講演録でそのことを述べている。
※2 芦屋市のサイト(文化財)www.city.ashiya.lg.jp/gakushuu/zai.html
※3 国立歴史民俗博物館の研究による www.rekihaku.ac.jp/education_research/research/list/pdf/publish040908.pdf
   注意:pdfファイルがダウンロードされます
※  文化庁の「国指定文化財等データベース」kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails.asp ほかを参考にしています

Originally Uploaded on SEP. 08, 2016. 12:00:00
Photographed on SEP. 07


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
以前、北関東某所で「ヘソ岩」というのを見たことがあって、それはそれはヘソとしか言いようのない岩が崖にはまっていて、つまりデベソだったんですが。この蛙岩はそれ以来の衝撃です。こんなにカエル然とした岩は珍しいです。
都会の近くの小さな冒険談、楽しみました。イノシシにはくれぐれもご注意を。
Posted by maya at 2016年09月11日 22:01
コメントを書く:ペンネーム可・アドレスは表示されません
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック