2016年08月17日

箕面大滝とヒグラシ【追記二個あり】

 2016年08月18日の記事
 閑さや 岩にしみ入る 蝉の声:この蝉はヒグラシに決まっている(H.H.)の挿絵のつもり。
 箕面大滝(大阪府)への滝道の渓流沿いで鳴くヒグラシ。二〇一六年七月末。
 ボリュームの上げすぎにご注意ください。

oMG_3295.JPG


 動画でいちどに楽しめると涼しさ倍増だけれど、滝壺では水音がすごくてセミの声は録音できない。
 でも、音声のバックグラウンドの渓流の音やほかのセミの声は、ただの雑音に聞こえる。
 昔「デンスケ」という趣味がありましたが、録音ってのも奥が深いです。(ケ)


【追記その1】

 ついでに、近場の街路樹にいたアブラゼミ(左)とクマゼミ(右)の画像もアップ。
 体の形を比べると、阪神地域に轟くクマゼミの爆音が、首都圏でウルサイと思っていたアブラゼミの比でなく凄いことに納得。
160818ab.JPG 160818km.JPG
各クリックで、パソコンの場合、平均的な実寸程度に表示。

 クマゼミはサイズもデカいが、アブラゼミがやや平たくギターみたいな形なのに対し、太鼓の「コンガ」みたいな形。いかにも響きそう。またクマゼミはヒトの可聴周波数帯域の低め音域にまんべんなくでかい音を放っているそうだ。くそっ。
 調べたのではなく経験ですが、どちらも鳴き出すとトランス状態に陥るのか、素手で捕まえることもできる。手の届く高さにもよくいて、近づいて写真を撮ってもあまり逃げない。
 ミンミンゼミやツクツクボウシは、鳴いている状態でも素手では捕まえにくく、路面の低い所にはあまりいない。
 セミを見つけたり捕まえたりなんて、小学生時代以来。


【追記その2】

 あらためて、2016年08月18日の記事「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声:この蝉はヒグラシに決まっている」(H.H.)で、そうか! と思ったのは文末のこの部分。

 芭蕉の耳にも雑多な蝉の鳴き声が同時に響いていたに違いない。

 中高生のとき俳句を、たぶん松尾芭蕉で最初に知り、以後「五・七・五」の音で読むようになった。黙読でも音で三分割、字余り句もそれに近く分けてとらえる。
 当然、「静かさ(名詞)」「岩」「蝉」は、単数のモノとして思い浮かぶ。
 それらを白紙の想像空間にポンと浮き出させ、空気感や音を絵のように動かすのが芭蕉の力量なのだろうけれど、その点はここでは置いて、「静かであること」の大きな単数性と三連立する「モノ」のイメージは、やっぱり単数、ということ。岩は一個、セミも一匹って感じがしていて、それを今のいままで疑ったことがなかった。
 なるほどセミシャワー。軽い夕立のようにサアっと岩々にそそぐ。「岩々」と書いたのは、山寺なんで、京都の寺の庭石みたいなんじゃないかもなと。そんな場面にひとりで立ったら、いやおうなく「静かさ=寂しさ」がきわだつことは、よくわかる。

 といっても、「蝉(単数)」なのか「蝉ズ(複数)」なのかは、字面からはわからない。
 この俳句を英訳している、日本文化にもくわしいであろう人たちの英訳つまり「解釈」を、いくつかピックアップしてみた。

The locust's trill. ドナルド・キーン
the cicada sound ドロシー・ブリトン
the cicada's cry ロバート・ハース
the sound of the cicadas アーサー・ビナード

 ドナルド・キーンがわざわざ「イナゴ(あるいはセミ)」という単語を使ったことには、また意味があるんだろうな、くらいで、よけいわからなくなってしまった。いつものことですが。
 今年の関西は盆過ぎでも爆暑、ツクツクボウシも参加したセミミックスでドラムンベース状態。「セミシャワー」の例も録音するかと、所用の帰途に近くの神社に立ち寄ったが、住宅街で録音すると、どんなにセミたちがうるさくても市中の機械音・生活音がかなり混じる。「閑さや」について思い直している暑い夏。(ケ)

Originally Uploaded on AUG. 18, 2016. 07:30:00 
posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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