2016年07月25日

八月・戦争・「死」を歌った歌

今年も八月が近づいている。
現在の感覚ではたぶん違うのだろうが、私たちの世代は八月から戦争のにおいを感じる。親や親戚が戦争そのものを体験していて、だから余計に家の中で戦争の話をすることはなかった。しかし、縁側のある畳の部屋の板戸には小さな穴が空いていて、「なんで空いたの」と訊くと裏山に爆弾が落ちたときに破片が飛んた跡だと言われた。
下町に住む祖父の家に泊まりに行くと、必ず祖父が風呂に入れてくれる。その祖父の尻に親指が入るくらいの丸い傷があり、「なんでお尻に傷があるの」と訊くと鉄砲で撃たれてその弾を抜いた跡だと言う。銃撃されればその程度では済まないはずだが、確かに戦地には行っていたらしい。
職人だった祖父は買い物が好きで、よく孫の私を駅前のデパートに連れて行ってくれた。当時は人が集まるところはデパートくらいしかなく、夏休みともなれば沢山の人出で賑わっていた。その駅前の路上で、薄汚れた軍服を着た男が立っていた。男は片足の膝から下がなく、松葉杖をついて立ち、その前には鍋が置いてあった。その横にも軍服男がいて、こちらはヨレヨレの旗を持っていた。その男たちが怖くて、祖父の手をぎゅっと握りながら、でも目を離すことが出来なかった。

そんな八月、もう戦争のにおいはほとんど消えてしまい、かろうじてTVでNHKが戦争関連の番組を特集する程度になった。
いろいろと批判に晒されることの多いNHKであるが、良心的なドキュメンタリー番組制作という面ではもっと評価されて良いのではないかと思う。先日も原爆投下後の広島で被爆処理に当たった江田島の少年兵たちの苦難を振り返る番組を放映していて、年老いた彼らの平穏な語り口が逆に戦争の残酷さを露わにする秀逸な番組であった。(※)
少年兵だった老人の証言は以下のような内容だった。

原爆で死んだ人は全身火傷というだけではなく、どこも傷ついていないのに突然に亡くなるという人も多かった。その人たちを僕ら少年兵は毎日のように焼いては埋めていた。ある日、同期のひとりが「どこの誰だかわからないようにして焼かれていくのは可哀相過ぎる」と言って、何か記しは残せないか思案した。そこでモンペだと気づいた。当時は生地もなく、モンペは家にあった布団の切れ端とかを使って繕っていた。だからモンペの生地は家の者なら見ればわかるのではないか。そこで、破壊された家屋から茶碗の欠片を拾ってきて、焼いた遺体のお骨の一部と一緒にして、履いていたモンペを切り取って入れて並べておいた。ある日、遺体を焼きながら茶碗を置いたほうを眺めると、茶碗のうちのひとつを額に当てて泣いているご婦人がいた。「御免ね。お母さん、あんたのこと捜したんよ。こんなところにおったのね。熱かったろうね。苦しかったろうね。御免ね、御免ね…」 それを見て、もうそれ以上、そこにはおられなかったですよ。

ドキュメンタリーは言うに及ばす、映画であっても戦争にまつわる「死」については数限りない作品が取り扱ってきた。
では、歌の世界においてはどうか、と考えを巡らせたとき、「死」を扱った歌がなかなか思い浮かばないことに気がついた。歌謡曲と言えば、「リンゴの唄」に象徴されるように戦後の復興に欠かせない庶民の娯楽の真ん中にあったはず。その歌が「死」を歌わない理由は何だったのだろうか。
もちろん、これは音楽に疎い私だけの思い違いかも知れない。世の中にはたくさんの「死」の歌があるのかも知れない。ただ、ごく普通の歌謡曲ファンである自分が聴いた歌のほとんどは「死」とは遠く離れた存在であった。唯一「死」を正面から捉えたのは、ちあきなおみの『喝采』であって、昭和史を代表する見事な歌が「黒い縁取りがありました」と歌ったのは例外中の例外とも言えるものであった。

しかし、一曲だけ「死」を、しかも戦争における「死」を主題にした歌を思い出すことが出来る。かぐや姫が歌った『あの人の手紙』である。


あの人の手紙

泳ぐ魚の群に 石を投げてみた
逃げる魚達には 何の罪があるの
でも今の私には こうせずにはいられない
私の大事なあの人は 今は戦いの中
戦場への招待券という ただ一枚の紙きれが
楽しい語らいの日々を 悲しい別れの日にした

殺されるかもしれない 私の大事なあの人
私たち二人には 何の罪があるの
耐えきれない毎日は とても長く感じて
涙も枯れた ある日突然帰ってきた人
ほんとにあなたなの さあ早くお部屋の中へ
あなたの好きな 白百合をかかさず
窓辺に 飾っていたわ

あなたのやさしいこの手は とても冷たく感じたけど
あなたは無理してほほえんで 私を抱いてくれた
でもすぐに時は流れて あの人は別れを告げる
いいのよ やさしいあなた 私にはもうわかっているの
ありがとう私のあの人
本当はもう死んでいるのでしょう
昨日 手紙がついたのあなたの 死を告げた手紙が



この曲は「かぐや姫フォーエバー」というアルバムに収められている。なぜこの二枚組のLPを持っていたのかよくわからない。たぶんパッケージがビートルズ然としていたせいだろう。ビートルズのアルバム全部を買い揃えてしまった後で収集する対象がなくなってしまい、徒然に購入したのだと思う。『黄色い船』というビートルズの『イエロー・サブマリン』そのものを真似た楽曲を平気でベストソングに選ぶような低俗な内容なのだが、ただ一曲だけ心の奥底に傷のように残っているのが、この『あの人の手紙』だ。
メロディと演奏自体が格段に格好良いのに加えて、謎めいた歌詞が印象的であった。中学生だった当時の自分でも、愛する夫を亡くした妻の気持ちを察することは出来た。何しろ「死」をまともに歌った歌などほとんど聴いたことがなかったのだ。そうした意味において、南こうせつは先駆的なミュージシャンであったのだった。

かぐや姫は戦争での「死」を抽象化して歌にしたが、愛する人を喪った哀しみを静かに歌ったのがグレープだ。バイオリンとギターのデュオというのが珍しかったのに加えて、「死」を悼む歌がヒットしたのは異例のことであったと記憶する。
現実に行われる精霊流しは、賑やかな祭りであると聞く。長崎出身のさだまさしは当然のことながら精霊流しをよく知っているはずであり、そのさだ自身が『精霊流し』に込めたのは、そうでもしないと哀しさに押し潰されてしまうほど愛する人の「死」は重い、という真実であった。


精霊流し

去年のあなたの想い出が
テープレコーダーから こぼれています
あなたのためにお友達も
集まってくれました
二人でこさえたおそろいの
浴衣も今夜は一人で着ます
線香花火が見えますか 空の上から

約束通りに あなたの愛した
レコードも一緒に流しましょう
そしてあなたの 舟のあとを
ついてゆきましょう

私の小さな弟が
何にも知らずに はしゃぎまわって
精霊流しが華やかに始まるのです

あの頃あなたがつま弾いた
ギターを私が奏いてみました
いつの間にさびついた糸で
くすり指を切りました
あなたの愛した母さんの
今夜の着物は浅黄色
わずかの間に年老いて 寂しそうです

約束通りに あなたの嫌いな
涙は見せずに 過ごしましょう
そして黙って 舟のあとを
ついてゆきましょう

人ごみの中を縫う様に
静かに時間が通り過ぎます
あなたと私の人生をかばうみたいに



「死」は徐々に人の心を覆い尽くしていく。「死」に向き合い、愛する人を悼み、そして、その後に残るのは全的な喪失のみ。その不在は永遠に続く。そんな完璧な喪失感を歌にしたのがピチカート・ファイヴだ。『あなたのいない世界で』を聴くたびに、無性に哀しい気分になる。だから、あまりこの曲は聴かないようにしている。しかし、八月にこそ、この曲をしっかりと聴くべきなのかも知れない。
すぐそこにある「死」。それは出来れば自然の摂理の中にあってほしい。国家が国民を「死」に向かわせていけない。その果てにあるのは、底無しの喪失だけなのだから。(き)


あなたのいない世界で the world without you

あなたのいない世界で 
私は週末の午後 
ひとりで映画を観た 
若くて美しい顔の娘と 
ふしあわせそうな男の物語を 
ふたりは恋におちてそして死ぬ 
観終わると私は少し泣いた 
あなたのいないこの世界で 

あなたのいない世界で 
私は週末の朝 
ひとり手紙を書いた 
ブルーのインクで小さな文字で 
季節の移ろいをあなたに伝えたくて 
書き終えて私は少し泣いた 
そのあとで引き出しに鍵をかけた 
あなたのいないこの世界で 

あなたのいない世界で 
私は週末の夜 
薬を服んで眠った 
短くて美しい夢を見て 
目覚めると私は少し泣いた 
あなたのいないこの世界で 
あなたのいないこの世界で 



(※)『原爆救護〜被爆した兵士の歳月〜』 (2016年7月24日 NHK-BS1で放映)

『あの人の手紙』(1972年4月発売) 歌 かぐや姫/作詞 伊勢正三/作曲 南こうせつ

かぐや姫.jpg

『精霊流し』(1974年4月発売)歌 グレープ/作詞・作曲 さだまさし
グレープ.jpg

『あなたのいない世界で the world without you』 (1999年11月発売)歌 ピチカート・ファイヴ/作詞 小西康陽/作曲 有近真澄
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posted by 冬の夢 at 23:18 | Comment(1) | TrackBack(0) | 音楽 日本のロック・歌謡曲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 本文の文脈に合わせるわけではないのですが、五つの赤い風船「まぼろしのつばさと共に」(詞・曲:西岡たかし)は、いかがでしょうか。この曲も、かぐや姫のその曲も、たしか中学生時代、フォークバンドで演奏してました。
 間もなくロックへ移り、すぐにジャズへ……。
 仕事を無事に定年退職し、高級なギターが買え、それを鳴らして人前で歌っちゃったりする最近のフォークオヤジって、耐えられないほど最低だと思うけれど、自分だって「赤い風船」と「かぐや姫」をごっちゃにして演奏するような、わかっていたのかいなかったのか不明なフォーク体験から今日に至っているんだと、しみじみ思わされました。
Posted by (ケ) at 2016年07月26日 18:00
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