2016年07月18日

大空襲から七十一年めの神戸で (4/5)──火叩キ 【改】

 昭和二十年三月、ぼくは神戸に住んでいた。ある朝、高札が立てられ、『防空要員ニシテ警報下裏山其ノ他ニ逃避セントスル者ハ戦列離脱の利敵行動ナリ、厳罰ニ処ス』とあった。この直後、神戸に空襲があった。これを受けた神戸の市民は、空襲による火の雨の中、火ハタキ、バケツリレーを行い、多くが命を落とした。
── 野坂昭如『シャボン玉 日本 迷走の過ち、再び』二〇一四年

 引用で始めておきながら、自分でもわからないところがある。
「バケツリレー」はいいとして「火ハタキ」ってなんだろう?
 子どものころハタキとホウキで掃除したことがある昭和世代ゆえ、なんとなく想像できなくもないが、火をハタキでパタパタしたら、よけい燃え上がるはず。消火の役に立たない。

 というわけで、実物を見に行くことにした。
 火ハタキを見たい一心で、祇園祭だということを忘れ、京都の立命館大学国際平和ミュージアムにたどり着くのに、ひどく苦労。電話も地図も持たず知らない所へ行く癖があるうえ、予期しない大混雑に驚いてバス乗り場がわからなくなったせいだ。落ち着け!

 ミュージアムの展示には、あらたに思うことがあるほど感心したが、今日はとにかく「火ハタキ」である。
 あったあった。戦争中の民家を復元した展示の前の、防火用水枡の脇に立てかけてある。
 再現制作されたものだろう。ミュージアムによると「火たたき」※1だが、たしかに「ハタキ」の形をしている。布の代わりに編み込みの荒縄がついている。大きさはハタキよりずっと大きくて、庭ぼうきくらい。
 ハタキを知らないといわれると困るが、ハタキとは「長サ五〇センチ位ノ竹棒ヲ柄トシ、一端ニ細ク切ツタ布ヲ房トシテ、掃除ノ際ウチ振リテ塵埃ヲ払フ用具」という説明で許してください。いま自分で適当に書きましたが。

 で、「火たたき」をよく見ると、縄の編み具合や垂らした長さなど、実によく出来ている。こんなところにまで器用な国民性とやらが発揮されたか。
 一九四二年に「大日本防空協会」が編集発行した「内務省推薦」の冊子『防空絵とき』に、「火叩キノ作リ方」が彩色挿画を主に細かく説明してある。
 子どものころから絵入りの解説ブックが大好きで、いま、このようなものを見てさえ困ったことにワクワクしてくるが、「火叩キ」にはシュロ縄かボロ縄を使うそうで、長さや結びかたなども、寸法の目安を付し、挿画でわかりやすく伝えている。買うのでなく作るのが当たり前の当時──すでに工場製造する余裕などありはしなかったろうが──こういう冊子のおかげで、どの家庭でも確実に作れただろう。

「火叩キ」を、実際にどう使うかというと、縄を防火用水に浸して濡らし、火をバンバンやれと。
 おい! 待てったら!
 木の柱や畳がボヤっている程度なら効くかもしれないが、B29から落とされるナパーム弾は油脂焼夷弾。そしてM17はマグネシウム焼夷弾だ。119に電話して科学消防車に来てもらい、数時間後ようやく鎮火しましたという火災ではないのか。
 
 どうもこの「ハタキ(タタキ)」、消火用具というよりは江戸の火消しの「纏(まとい)」、つまり自分のところの、組の元気さを鼓舞する、飾りものを連想してしまう。
 そうでなければ、神社で神主さんがお祓いするとき振り回す「ぬさ」だ。
 科学の破壊力に対して、士気高揚と祈祷で立ち向かえとでもいうかのような……。
 当時この「火叩キ」、全国で幾本作られ、そのうち何割くらいが実際に使われたのだろう。防空法に従って退避もせず「火叩キ」を振って、どれほどの数の人たちが亡くなったり大けがをしたかと思うと、怒りより虚脱感が襲ってくる。

 そして、わが身に想像が及ぶ。
 この「火叩キ」の場合は、『防空絵とき』の制作者をしている自分。その姿が浮かんでくる。
『暮らしの手帖』ではないが、サムネイルや校正刷りを見ながら「火叩キ」を実際に作って、振り回してみたりもし、イラストやレイアウトにダメ出ししている。
 世情や時局はわかってますよとでもいうつもりなのか、ことさら斜に構えてみせたりしながら、結局は大勢に流れて、くそまじめに小器用な才を発揮してみせる自分。
 その絶望的に愚かな姿!
 それだけでも、おぞましいが、自分の小器用な性格は、間違いなくアドルフ・アイヒマン的に発揮される気がする。
 軍人勅諭だの戦陣訓だのを、美しくて解りやすい冊子に仕立てるならまだしも、もし大量殺戮の、実施要項を作ったり表計算ソフトで管理しろなどといわれたら……。

 火叩キ。
 いま起居している関西で、とにかく見られないかと探し、立命館大学の施設で模型を見られたわけだが、どこかの歴史館か博物館で、七〇年以上前に作られ多少は使われた、ホンモノは見られるのだろうか。「竹やり」のように、意識して保存しておいた人が少なかった結果、現在では、めったに実物は見られないものになっているのだろうか。(ケ)

160717hh.JPG



※1 立命館大学国際平和ミュージアムの子ども向けサイトの中段左で、写真と説明が見られる。
   www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/kids/what/what02.html


■大空襲から七十一年めの神戸で(1/5)──空襲跡・三宮高架と海岸ビル は→こちら←
■大空襲から七十一年めの神戸で(2/5)──東福寺 は→こちら←
■大空襲から七十一年めの神戸で(3/5)──戦跡・電話交換手の殉職 は→こちら←
■大空襲から七十一年めの神戸で(5/5)──空襲跡・ふたつの「おほわだはし」 は→こちら←
■兵庫県加西市「鶉野飛行場」(特攻機基地) は→こちら←


Originally Uploaded on Jul. 20, 2016. 00:20:00
※二〇一八年四月八日、わずかに手直ししました。文のつながり直しです。管理用


posted by 冬の夢 at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 旅・徘徊・発見 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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